妖魔
「今日はいつもよりも多いな」
祥雲の目に映るのは神社を参拝する一組のカップル。
賽銭箱に金を入れてから鈴を鳴らして願い事をする。ごくありふれた参拝客だ。別に珍しくもなんともない。ただ、そのカップルは神社の性格についてあまりにも無知であり、厄払い専門の神社で縁結びを願うという素人にありがちなミスを犯していた。
「ウチじゃそうゆうのは専門外だよ。お客さん」
願い事を終えて満足げに去りゆくカップルの背中を見つめて祥雲はそう呟く。
厳かな雰囲気漂う拝殿奥から今回のようなカップルを見届けるのはこれで何組目だろうか。漠然とそんなことを考えながら祥雲は欠伸を噛み殺して決意する。
「さてと、そろそろ始めようかね」
二条家が管理する広大な山々に点在するいくつかの廃墟群。その多くはバブル期に建設されたものだったが、その後のバブル崩壊に伴い所有者の自殺や失踪などが相次ぎ所謂〝いわくつき〟の場所として巷では知られていた。
悪い噂のある場所には自然と悪いものが集まる。そこが自殺の名所や心霊スポットと呼ばれるようになるまで時間は掛からなかった。
『殺……ス……』
廃墟に足を踏み入れるなり祥雲を威嚇する人ならざる者の声。
それは一般的に《悪霊》と呼ばれるものに相違なかったが、祥雲を始めその業界に身を置く者たちは決してそのような俗称を用いない。
「出来損ないの妖魔が誰を殺すって?」
『殺ス……殺ス……人間殺スウウウウウッ!』
壁から這い出して祥雲に襲い掛かる黒い瘴気。もしも一般人がそれを見たならば特大の悲鳴を上げて全速力で逃げ去っただろうが、祥雲はポケットに手を突っ込んだまま微動だにしなかった。
「やれやれ、無駄な抵抗を……」
妖魔の攻撃を軽く往なした祥雲は注意深く周囲を観察する。
そして抜刀するがごとくポケットから手を引き抜いた。
「さっさと無の世界に還るんだな」
豪快に音を立てて砕け散るまだら模様の古花瓶。中に入っていたドス黒い汚水は白日の下に晒されるがごとく太陽の光を浴びると蒸発するように白い煙を上げた。
『ギャアアアァァァアアアアア!』
耳にこびり付く断末魔。活動拠点である依り代を破壊された妖魔はその存在を維持することができずに消滅すると一帯には廃墟特有の静けさが戻った。
「依り代を必要とする雑魚相手はやはり時間の無駄でしかないな。いっそのこと同業者を雇って……いや、やめとこう。そんな無精が母さんの耳に入ればタダじゃ済まない」
年末の大掃除感覚で定期的に行う敷地内の妖魔狩り。それはさながらイタチゴッコの様相を呈しており、何度祓おうとも時間が経てば新たな妖魔が巣くい力を蓄え始める。
大部分の人間には縁のない話だが、俗に言う《憑依体質》の人間は妖魔に対する耐性が常人よりも低く、運悪く妖魔に憑りつかれるようなことになれば邪心を増長させて最悪は殺人や自殺もあり得る。それが分かってるからこそ祥雲は心の中で文句を垂れながら次の廃墟を目指し山を駆け抜けた。