名前を出したくない女
勝敗などというものは戦う前から見え透いていた。
ゆえに重要なのは分かり切った結果などではなく内容。
「お前自身なにがダメだったか分かるか?」
「…………」
完膚無きまでに打ち負かされた琴音は消え入りそうな意識の中で体を大の字にして天井を見つめていた。何度吹っ飛ばされようとも元来の気質である諦めの悪さからゾンビのように起き上がっては挑み続けたもののその気力と体力はもはや限界。
そう判断したからこそ祥雲は反省会とばかりに琴音にそう問い掛けた。
「……戦いの最中、何度も迷いました」
「ああ、チャンスは何度もくれてやったのにお前はあろうことか攻撃を躊躇した。人を傷付けたくないって気持ちはわからんでもないが、本気で戦うと決めた以上はたとえ相手が誰であっても〝物〟だと思え。これはいつも言ってることだろう」
ただでさえへこんでいる琴音に追い打ちをかける祥雲。琴音は今にも泣き出しそうだったが、祥雲はそれに動じなかった。
師匠としての務めを果たそうと祥雲は自分自身にも厳しくしていた。
「私は戦いに向いてないのでしょうか?」
「そんなことはない。元々剣術の心得があったとはいえ、一カ月で俺にかすり傷を負わせたんだから大したものだ」
祥雲の口から出た嘘偽りのない最大限の賛辞。それは模擬戦を始めてすぐの事だった。
木刀から真剣に持ち換えた事で使えるようになった抜刀術。
雷轟電撃と言わんばかりの鋭い一閃だった。
「とくに最初の抜刀術は見事だった。流派はどこと言ったか……」
「緑園寺流です」
「ああ、そうだった。お前の一族のオリジナルだったな」
己の身体そのものを武器とする祥雲が琴音に教えられる事はそう多くない。
〝肉体強化型〟と〝物質強化型〟と呼ばれる二つの術式。
霊力を糧に〝強化〟するという点は同じであってもその性質は実際のところ右脳と左脳ぐらい異なるものだった。
「剣の腕はかなりのものだ。問題はそれよりも甘さだ」
「甘さ……ですか……?」
「さっきも言ったが、妖魔だろうが人間だろうが敵として立ちはだかるものはすべて物だと思え。それができるようになればお前はもっと強くなれる」
戦う事に対して躊躇。それは如実に行動に現れていた。
妖魔を屠る際には目を瞑り――祥雲と戦う時は万が一の事態を避ける攻撃。
いずれも実戦においては命取りとなってもおかしくない甘さだ。
祥雲はかねてより口を酸っぱくしてその点を注意してきたが、琴音の生来の気質ゆえか――なかなか改善できなかった。
「ダメ出しはしたがそう難しい顔をするな。まだ時間はある」
「頑張ります……」
「んじゃ、今日はこのぐらいで引き上げるよう」
「私はまだやれますよ」
「そうは言っても急がないとスーパーが閉まっちまう」
教える事は山ほどあっても冷蔵庫の中身は空っぽ。田舎のスーパーの閉店は早い。
修業を始めてからというもの二人が平らげる食事量は実に大人五人分相当。
必然的にスーパーには毎日通う必要があった。
「そう言えば鉄山さんは私と同じ物質強化型ですよね?」
「いいや、あの野郎は術式の得手不得手がない〝万能型〟だ」
「そうでしたか……」
「いきなりどうした?」
「いえ、他の物質強化型の術者は私とどう違うのかなって」
「えらく勉強熱心なことだ。言っとくが鉄山はああ見えて天才肌だから参考にはならないと思うぞ」
「それなら祥雲さんの知り合いで誰か参考になりそうな人はいませんか?」
「ああ、それなら――……」
祥雲は何気なく頭に浮かんだ人物の名を口にしそうなったが直前で気付いた。
――その名を口にするべきではないと。
それは胡達とは違った意味で祥雲に災厄をもたらすであろう人物。
理由はどうであれ話題に出すこと自体が不快で仕方がなかった。
「それなら……?」
「すまんが今のは忘れろ」
「もしかしてあの方ですか。名前はたしか……叢雲橘花さん」
祥雲がそっと閉じようとした蓋を豪快にこじ開ける琴音。
生真面目な人間特有の空気の読めなさに祥雲は内心苛立ちながらも誤魔化すように頬を掻いたが、琴音は騙されないとばかりに祥雲の顔をじっと見た。
「……あの女はダメだ。いろいろと危険過ぎる」
「そういえばあの方は祥雲さんの見舞いに来ませんでしたね」
「べつに来なくていい。昔から何考えてるのかわからん女だ」
「祥雲さんの邪魔をした私を殺そうとしましたよね」
「あれは本気だったと思うぜ。なんで怒ってたのかは知らんが」
「私はてっきり祥雲さんに気があるのかと」
「勘弁してくれ。三国志で例えるなら呂布みたいなやつだぞ……」
ノーセンキューとばかりに迷惑そうな顔をする祥雲。
橘花との関わりは今からおよそ六年前に遡る。
交流試合の決勝戦において二人は初めて互いの存在を意識した。
――結果は祥雲の勝利。
その時の優勝トロフィーは埃を被りながらも今なお祥雲の部屋に飾られている。
「さぁて、そんな事よりも飯だ」
「え~……」
「これ以上は腹が減って餓死しちまう」
もっと話が聞きたい琴音を拒否するように誤魔化す祥雲。
空腹というのは半分が本当で半分が方便。
かつて祥雲に敗れた悔しさをバネにして爆発的に強くなったという話を聞いていた祥雲はいつの日か復讐されるのではないかという恐れから橘花に対して苦手意識を抱いており、いつしかそれは話題に出すことすら敬遠したくなるほど祥雲の中で膨れ上がっていた。
――戦えば確実に負けるだろう。
九字護身の当主となった今ではその立場上、たとえ交流試合であっても他の術者と本気で戦ってはいけないという決まりがあったが、祥雲が橘花と戦った時を思い浮かべて視えるのは敗北するというビジョンだけだった。




