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覚悟

 修業を始めて二週間。当初は地獄のように思えた修業メニューにもようやく慣れてきた琴音は家から三時間ほどの山奥にきていた。

 そして言われるがままに祥雲の指示に従い山小屋の前で待機すること三十分――。

 「待たせたな」

 「どこに行ってたんですか?」

 「こいつを捕まえにいってたんだ」

 そう言って手にする白い袋を琴音の足元に投げ捨てる祥雲。

 直後に袋の中身がモゾモゾと動き始めた。

 「なんですか……これ……」

 生理的に無理とばかりに後ずさる琴音。

 祥雲はその反応を楽しむように薄らと笑った。

 「んじゃ、さっそく始めとしよう」

 祥雲の言葉に呼応して中身を吐き出すと風船のように萎む袋。

 琴音は塊の正体を知るなり驚きの声を上げて大きく仰け反った。


 「妖魔!?」


 標準的な成猫と同程度の大きさのバッタ型の妖魔。

 妖魔の例に漏れず姿を見せると同時に醸す瘴気は琴音を不快にさせる。

「霊具で縛ってあるから危害を加えられることはない。他でもねえ、妖魔にトドメを刺すのが今日の課題だ」

 祥雲から告げられた指示に虫嫌いな琴音はすぐに困った顔をした。

 「躊躇するな。妖魔は〝イキモノ〟ではなく〝モノ〟だと思え」

 「物……ですか……」

 「妖魔相手に交渉や人間の理屈は一切通用しない。やつらは迷うことなくお前を殺しにくるぞ」

 それが現実。だからこそ祥雲の口調は一段とキツかった。

 妖魔は虫や動植物など何らかの生命体を形取っている事も多い。

 祥雲のように幼少期から妖魔退治に慣れ親しんだ者には縁のない話だが、初めて妖魔と戦う新参霊能者などは相手が妖魔であるとわかっていても土壇場で〝殺す〟という行為に躊躇を覚え、結果的に返り討ちに遭うことだって珍しくない。

 今回の修業はそういった意味での鍛錬。

最終的には躊躇なく妖魔を屠れるようになることが理想だった。

 「簡単な話だ。お前が今、手にしている木刀で妖魔の頭部を砕いてやればいい。慣れないうちは精神的にくるかもしれんが、じきに慣れる」

 足で踏み潰せるならそこまで迷うこともなかっただろうが、今までに見たバッタの中でも断トツの大きさ。元来の虫嫌いも手伝って琴音は必要な一歩をなかなか踏み出せないでいた。

 「お前の目的はなんだ?」

 「両親の仇を討つことです……」

 「この程度の妖魔も倒せないようでそれができると思うか?」

 「……思いません」

 「これはお前にとって必要なことだ。わかるな?」

 「はい……」

 頭の中では理解できていても実際に行動に移せるかは別問題。

 霊能者としての力不足にばかり気をとられていた琴音にとってそれはまさに寝耳に水だった。

 「……やります」

 目を瞑り小さく息を吐いた琴音は覚悟を決めて構える。

 祥雲はその様子を静かに見守った。

 「ごめんなさいッ!」

 スイカ割りの要領で手にする木刀を振り下ろす。

 直後にグシャと嫌な感触が指先を伝って全身へと広がる。

 フラフラとした足取りで後退する琴音の手からは木刀がスルリと抜け落ちた。


 「ウッ……オエエェェェェェ……」


 近くの木陰に慌てて移動した琴音は口から朝食を吐き出した。

 とめどなく溢れ出る涙と鼻水。

 たった一匹の妖魔を屠っただけで琴音の心は今にも砕けてしまいそうになった。

 「気分はどうだ?」

 「……最低です」

 リュックから水が入ったペットボトルを取り出した祥雲はそれを手渡した。

 「ありがとうございます……」

 そう言って口をゆすぐなり地面に吐き出す琴音。

 祥雲は琴音のそんな姿を尻目に木にもたれ掛かると空を見上げて言った。

 「慣れるまではしんどいぞ」

 「大丈夫です……」

 「そうかい。んじゃ今日の授業は終わり。帰るぞ」

 「えっ、まだ午前中ですよ?」

 「家に帰ったら鏡を見てみろ。今のお前の顔はひどい」

 普段の整った顔が見るも無残な状態。

 祥雲が言ったこと自体に相違なかったが、その真意は琴音のメンタル面を気遣っての事であり決して顔の状態の良し悪しで修業内容を左右させたわけではなかった。

 ――本当の事を言えば食い下がるだろう。

 琴音の性格を知ってるからこそ祥雲はあえて琴音の女としての部分を刺激することによって大人しく従わせる手段をとった。

 「それにシャワーぐらい浴びたいだろう?」

 「それはそうですが……」

 「まさかゲロの臭いを漂わせながら修業を続けたいとか言わないよな?」

 「そうゆう言い方はやめてくれます?!」

 「なら決まりだな」

 うまく丸め込められたとは知らずに不機嫌そうに祥雲の後に続く琴音。

 ずいぶんと役者めいた芝居ができるようになったものだと内心自嘲し、祥雲は今後の段取りを漠然と考えながら帰路についた。

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