一時間目 理科①
よろしくお願いいたします。
働いて。働いて。働いていた。
恋人とも順調だったさ。
いくつもの工事現場を経験し、いくつもの会議でプレゼンし、片や肉体的に、片や精神的に疲弊した。現場はキツイ、キタナイ、給料安いの3K。会議はキツイ、苦しい、給料安いの3K。
まぁ、楽しかったさ。
時に同僚と飲み、時に学生時代の同級生と飲み。
俺の最後の記憶は……何だったかな。
………
「はい、状況を整理する。まずは、俺が懸念している事を話そうか。この状況についてだが、俺達がクローンであったり、この世界が仮想空間で現実世界の俺達は同窓会でも楽しんでいる。もしくは、先程谷口から出た転生ないし転移の過程だ。次にこのクラスの面子についてだが、俺より先に起きていた奴もいるかもしれないが、俺が起きて最初に話をしたのは吉岡だ。こんな状況だからな、二人で同じ時間軸からここに来ているのか確認を行った。あとは、入れ替わりや第3者の成りすましを警戒していたのだが、皆の雑談の様子からもう必要無いように思う」
「はぁっ?意味分かんねぇよ!なんだよそれ!」
「そう、それでだ。岩島くん。矢口くん。君達の記憶は子供のままだが、俺達には大人だった時の記憶がある。これは皆に言っておきたいんだが、二人以外はいい大人の様ってことでいいよな。さっきのチャイムに皆、警戒してくれている事に俺は感謝してる。岩島と矢口のここへ来る直前の記憶を聞きたいところだが、そこの時間割りを見てくれ」
そう言って俺は黒板横の時間割りを指差した。
″一時間目 理科″
「チャイムが鳴ったのが8時40分、8時50分から何かが始まるって事だね」
「女神様来てくれるかな~。デュフフ」
「谷口、きみはITベンチャーの社長だろ。そんな喋り方してないで、何か情報持ってないのか?」
「ちっ、平。キャラくらい楽しませてくれよ。折角羽伸ばせてんだ。あ~まぁ、情報は持ってない。ついでに食料もな。給食の時間は四時間目の後だったか。デュフ?」
キーンコーンカーンコーン
キーーンコーーンカーーンコーーン
谷口から水と食糧の問題が出たが、問題を無視していた訳ではない。
ここが学校であるのなら、水は水道があるだろう。給食室も。だが、飲食して良いものなのか、甚だ判断に迷う。
一時間目のチャイムが鳴った。
今はそっちを警戒しなければ。
「なっ!?」
チャイムが鳴り終わった瞬間、教室は机と椅子が残ったまま、周囲をジャングルへと変貌させた。
皆、言葉を失い戸惑う。
鳥の囀り、獣の鳴き声、俺達を照らす木洩れ日。
上履きが土を踏みしめる。
「良かったな谷口、どうやらお前の予想寄りみたいだ」
「それを言うならまだ、仮想空間の線も捨てがたいだろう」
「もしかして、皆で一つの夢を共有してたりとか」
ああ……矢口、お前はあの映画を気に入ってたよな。
確かにその線もある。
「平くん、ここで僕らは何をすれば良いと思うかい」
田中が俺に聞いてきた。
「そうだな、バーチャルだろうとファンタジーだろうと、雰囲気的にデスゲームの線が濃いように思う。吉岡、谷口どう思う」
「科目は理科だったけど、野性動物の観察では無さそうだよね」
「出てくるとしたら蜥蜴人間か獣人だろう。勇者召喚って雰囲気じゃないな。デュフ」
「ちょっとあんた達!」
俺達が現状について話し合っていると女子が割り込んできた。
にしても、ベタベタな絡み方だ。
どうせ次に出てくる言葉は、″何であんた達はそんなにも冷静なのよ″だ。
その次に岩島辺りが、″そうだぜ、てめぇら怪しいぜ″といってくるんだ。
声のした方へ振り向く、突っ掛かってきた女子は加藤だ。昔は正義感が強く容姿端麗でクラスのマドンナだったのに。
今、このお嬢ちゃんを見ても特別な感情というものは湧いてこない。
「何であんた達はそんなにも冷静なのよ!」
「そうだぜ、てめぇら怪しいぜ!!」
そのままか。
「一、日本人として、社会人として極力冷静に振る舞っているだけだ。俺だって現状の答えを持っていないのだから。敢えて希望を上げるとしたら、死ねば元の世界に帰れるかもしれないということ。但し、俺達が本体と関係なく独立した存在またはプログラムだった場合はその限りではない。ってことをさっきから言っている」
多少、説教臭く言ってしまった。
二人とも少々引いている様に見える。伝わらなかったのだろうか。そもそも、加藤も当時のままなのか。
周りはというと、静まり返ってはいるが笑う者は居なかった。矢口も。
「平の言ったことはもっともだ。まっ、現状に早く適応して楽しむしか無いってこった。デュフ」
「うーん。けど、ジャングルだからね。まずは、蚊や毛虫、蜘蛛とか毒を持ってる昆虫や植物に注意しようか」
何気に谷口がフォローしてくれた。
吉岡はこの静まった絶妙なタイミングで、良い注意喚起をしてくれた。
そこで、俺も吉岡の提案に乗り、一つ提案をする。
「なぁ皆、何が起こるか分からない。この机と椅子を壊して、折ったパイプ部分を武器にしないか」
「うん、ジャングルだからね。それ、良いと思うよ」
吉岡が賛成してくれ、岩島がぶつくさ言ったり一部、そこまでしなくてもという声が聞こえてきたが、皆、作業に取りかかってくれた。
これで、軽量の打撃刺突武器が手に入る。
このジャングルが一時間目というのなら、50分程度で元の教室に戻るのだろうか。
もしくは、ここで1年経とうと、課題をクリアして教室に戻った時には50分しか経過していない扱いなのだろうか。
幸い、専門的な事は分からないが普通に呼吸出来ている。
水と食糧、体力、精神力。早めに対策しておきたい。
周囲の探索チームを組んで行動する必要があるだろう。
これの一体どこが理科なんだ。思いっきりサバイバルじゃないか。
「よし皆、チームを組んで周囲の探索に出かけたいと思う。探索は俺が担当する。特段サバイバル経験があるわけでは無いが、山道は多少歩き慣れてるつもりだ。この場所に留まる拠点チームは吉岡に任せる」
探索チームは、俺、谷口、田中、それと矢口の4人。
谷口と田中は立候補してくれたのだが、矢口については、俺が半ば強制的に誘った。
矢口の抜けた後の状況を、男子は吉岡、女子は橋本に探ってもらう為だ。
「生き残り役は田中か。しっかり逃げてくれよ~。デュフ」
谷口が田中の背を叩く。
谷口が言っているのは、この年齢の時に田中が陸上をやっていた事に起因する。危険生物と遭遇した場合、逃げ切れる可能性が高い田中を優先的に逃がし、拠点チームへ危険を知らせる算段だ。
流石に年齢が年齢だけあって谷口は達観している。
しかし、この谷口が社長になるとはねぇ。
目の前の谷口の見た目は、くりっくりな髪の毛に、眼鏡を掛け、絵にかいたような太ったなオタク以外の何でもない。
田中は、坊主頭で足が長い。特に筋肉質というわけではないが、バネがあるのだろう。性格は控えめだが、取り組みに対してはストイックだ。
矢口は一言で言えば平凡。モブ。特徴は無い。その点は俺も同じだが……平凡な人間の方が世の中多いだろう。
矢口、どうして自殺なんて選択を……
………
……
…
周囲を警戒しながら茂みを進んでいると、まるで子供が泣き叫ぶような、言語になっていない、どこか人間の様な雄叫びが俺達の耳に届く。
「おー!!あっー!!!おっおっ!!!ああーー!!」
雄叫びがする方へ、4人とも、息を殺して近づいて行く。
近づくにつれ、雄叫びに混じって、バランスボールを、空気の張った薄く硬いゴムボールを叩く様な″ドンドン!″という音も聞こえてくる。
対象を視界に捉えられるまで進み、茂みから音の発生元をそっと覗く。
目に映ったのは、高さ3m程、幅は4mだろうか。
牛蛙に魚の頭がついた化け物がそこに居た。
長い舌がだらんと垂れていて、犬の様にハァッハァッと呼吸し、腹が異様に膨らんでいる。
その薄く張った腹の中で、エルフの様な尖った耳を持ち、原始人みたいな腰巻きだけ着けた少年が必死にその腹をバンッバンッ叩きながら叫んでいた。
「おっ!!!あーっ!!おー!!おっおっ!!あっーーー!!!!」
そっと、谷口に小声で告げる。
「この科目は理科。だいたい今後のパターンが分かったな」
「ああ。マルチエンディング的な。な……」
俺は、椅子を分解して出来た、先端の尖った鉄パイプを……
強く、強く握りしめた。