彼方から…。
「お前は誰だ?」
「ん?私はベルだよ」
憂鬱な足取りで学校から帰宅すると、自分の部屋に奇妙な物体とコスプレをした女の子が鎮座していた。
ベルと名乗った女の子は艶のある生地で胸元と腰を覆っただけの恰好をし、手には昨日俺が買ったアイスを持っていた。
「それ俺のアイスじゃ……」
「ご主人、私は貴方の願いを叶えに来ました」
俺の言葉は途中で遮られた。ついでにアイスを一舐め。
「ああ……あ……ん?願いを叶えに来た?」
「ええ、何でもおっしゃってもらって結構ですよ」
「なん……でも……?」
そう言われて俺は唾をごくりと飲んだ。
露出の多いレースクイーンの様な恰好をしているベルの胸についつい視線が向いてしまう。
幼い顔つきをしているのに、意外に大きい。高校二年の俺より年下に見えるが、まったく最近の女の子はんんん……ごくり。
「ちなみに……ご主人が今思っているような事は出来ませんのであしからず」
「んん?な……なんの事かな。べ……別にやましいことなんて」
ベルは特に気にした風もなく話を続ける。
「私に出来る事は、人の過去の過ち、後悔、葛藤を取り除いて差し上げることです」
「過去の?」
「はい。簡単に言えば過去に戻ることが出来ます。そこでやり直したいことがあればやり直してもらって結構ですし、特に何もなければそれでもいいです」
過去に帰ることが出来る?
何だこの子は?俗に言う厨二病と言う奴なのだろうか。はっきり言って胡散臭い事この上ない訳だが、今の俺は本当にそんなことが出来ればいいなという気持ちも強かった。
と言うのも小学校の頃からずっとずーっと好きだった幼馴染の女の子に十日前に彼氏が出来たようなのだ。
学校で他の女子と喋っているところをたまたま聞いてしまったのだが、男子の中では俺が彼女と一番親しい間柄だったので、まさかほかの男と付き合いだすなんてことがあるとは夢にも思ってなく油断していた。
この十日間は彼女の俺に対する態度がよそよそしくなっていて、それがたまらなく辛かった。
出来る事なら彼女が他の誰かと付き合う前に告白しておきたい。もちろん玉砕することもあり得る訳だが、今のもやもやした気持ちは晴れるのではないか。
ベルの言っていることを本気にしていた訳ではなかったが、十日前に帰れるのならば、と魔が差したのか俺はこんなことを言ってしまった。
「じゃあ、俺を十日前に戻してくれよ。十日前の下校時間にだ」
「十日前ですか?」
「ああ俺の大事なスニーカーがお袋に勝手に捨てられたんだ、それを取り戻したくてな」
何となくベルに本当の事を言うのが恥ずかしかったのだが、この話はウソという訳ではない。十日前に学校から帰ってくると、俺のスニーカーが消えていた。お袋に文句を言ったのだが、お袋は知らないの一点張りだった。
「わかりました」
ベルはそう言うと、右手で俺の胸倉を掴み、左手で奇妙な物体を操作すると、ハッチのように開いたスペースに俺を引きずり倒し、バタンと扉を閉めてしまった。
「おい、何をするんだ。出せよ!!」
叫びながら両腕で内壁を叩こうとするのだが、感触は何もなかった。よく見るとすでに扉は開いていた。
奇妙な物体から顔を出してみると、そこは外だった。
「家の……裏庭?」
「はい」
すぐ横にベルが立っている。
彼女はあんな一瞬で部屋から裏庭まで、俺の入ったあの奇妙な物体を運んだというのか?
「十日前のご主人の部屋には、タイムマシンは転送できませんでした。なので裏庭を使わせてもらいます」
「転送できない?なんで?」
俺は携帯で時間を確認しながらベルに尋ねる。
「この時間にはもう一人のご主人がいます。十日前のご主人は、ついさっきまであのタイムマシンを見たことはなかったですよね。つまりはそういう事です」
ベルははっきり言って説明不足だろうと思われる。まあ要するに俺には全く理由が理解できなかった訳だが、携帯の日付が十日前になっていたのを見て、ついまじまじとベルの顔を見てしまった。
「ここ、十日前、マジ?」
「マジです」
至って真剣な顔でベルは言う。最近の携帯って衛星とかそういうの使って日付を合わせてるんだっけ?なら本当に過去に帰って来たのか?
「えっとあれ、さっき俺がもう一人いるって?」
「はい。この時間のご主人がいますよ。一応過去の自分とは合わない様に気を付けてください」
「ええっ、過去の自分と会っちゃうと問題があるの?って、おおい」
ベルは俺の発言を無視してタイムマシンの中に潜り込んでしまった。
「この時間でご主人が何をするかはご主人の自由です。ベルはここでスリープモードになっていますから何かあったらここに来て下さい」
それだけ言うとタイムマシンのハッチは閉まった。
自由って言ってもなあ。
大体なんで俺はここに来たんだっけ?ああ、幼馴染の彼女に告白するためか。
さっきまでは、やり直しがきかない状況だったので、何とかやり直したいと強く思っていたものの、いざやり直せる状況にまで戻ってくると躊躇いが生じてしまうのはおかしなものだ。
いやいや思い出せ、俺のこの十日間はまさに地獄だっただろう。あんな思いをしない為にここに来たんじゃないのか。
さっきまで部屋に居たので俺は靴下のままだった。
玄関に通学用の革靴はなかった。十日前の俺はまだ学校だ。
仕方なくお気に入りのスニーカーを履くと、俺は彼女の通学路に向かい、彼女の帰りを待った。
程なくして彼女が一人でいつもの道を歩いてきた。向こうも俺に気が付いたらしい。
「あれ、早くない?さっき私が学校出た時にはまだ学校に居なかった?」
「ん、ああ、急いで帰った」
「ふーん、ま、いいけどさ。で、どしたの?」
言うならばこのタイミングしかないだろう。行け、俺。言うんだ、俺。
彼女も俺の雰囲気に気が付いたのか、かしこまった態度をとっていた。
「お、俺さ……。いつからこんな気持ちになったのかは覚えてないんだけど……、お前の事が好きかもしんない……」
俺の言葉を聞いた彼女は、瞳いっぱいに涙を溜めていた。
あれ?このリアクションはどういう意味だ?
振られるのか?俺……振られるのか?
「やっと言ってくれたね」
え……?
「私も昔から大好きでした」
ええ……?
「おい、黙り込むなよ。私が恥ずかしいだろ」
「あ、ああ……。ビックリした」
「なにそれ」
彼女は気恥ずかしさからか、つっけんどんな態度になっていたが、今までで一番の笑顔を俺に向けていた。
まさかの一発逆転。俺は過去に来れたことに感謝していた。
過去を改変したという事は、未来に帰ったら俺達は付き合っているという事でいいのだろうか?うん、そういう事だろう。
お互いの気持ちを確認し合った後、俺達はお互い帰路に着いた。
もう過去には用はない。ベルを起こして未来に帰れば良いだけだ。
自宅の裏庭に着いた俺は、タイムマシンの前に屈みこむ。
「ベル、おいベル、起きてくれ。用事は終わったから帰らせてくれ」
ハッチを手のひらで叩くものの、ハッチが開いてベルが出てくる気配はなかった。
「おい……冗談だろ……」
その後もしばらくタイムマシンの前で声をかけたり、叩いたりを繰り返していたがベルが出てくることはなかった。
陽も落ちて来て、途方に暮れそうになっていたが、このままこうしていてもしょうがない。
とりあえず食事と寝る場所を確保しなくてはいけない。
自宅には十日前の自分がいる訳だから、帰る事は出来ない。
近所に祖父の家がある。そこに行くことにしよう。
たまに親と喧嘩したときなんか、泊りに行くことがある。今回も同じような事を言っておけばしばらくは泊めてもらえるだろう。
そこでふと気付いた。
彼女に告白したのは、未来から来た俺の方だ。この世界にはもう一人の俺が存在している。
過去の俺は、彼女に告白した事実を知らないのだから、もし学校でそのような話になってしまったときに話が食い違ってしまうのではないか。
せっかく勇気を出して告白したのに、そんなことで関係を壊したくはない。
考えた末に俺は彼女に、『学校の連中に知られるのは恥ずかしいから、しばらくは秘密にしておこう。学校ではいつも通りに』とメールを送った。
未来から来た俺の携帯もちゃんと使えるようだ。
その日から俺は、学校に行くわけにもいかないので、放課後までは自宅の裏庭でベルになんとか出てきてもらう事が出来ないか色々試したり、図書館でタイムマシンに関することを調べたりして時間を潰した。
放課後になれば彼女と遠出をしてデートをしていた。知り合いに見つかりたくないからと言ったら、『秘密の関係』と言う響きが良かったのか彼女はすんなり納得してくれた。
デート自体楽しい物であったが、それ以上にデート中にそれとなく学校での俺との関係や、やり取りを確認することが重要だった。
彼女が何か俺に対し違和感を感じたりしないかが心配だったのだが、俺がしつこいぐらいに言うので、学校では今まで以上にそっけない感じを出しているようだ。放課後こうしてデート出来るからいい、なんて可愛いことを言ってくれていた。
ただ、仲の良い女友達には俺との事を話してしまったようだ。まあそのくらいならば問題ないだろう。
告白した日から十日が経った。
彼女は何ら気が付いた様子はないし、祖父も十日間も食事と寝床の用意してもらっていたが、特に何か言われることはなかった。
しかし、俺の精神が限界に来ていた。
同じ世界に自分が二人いるという現状。矛盾を引き起こさないために常に神経を張り巡らせていなければいけなかったし、なにより今までとは生活のリズムが違いすぎる。
自分の部屋でゴロゴロしたいし、お袋のご飯も食べたい。学校で友達と授業が面倒臭いなんて愚痴りながら馬鹿話もしたいのだ。
彼女との放課後デートは俺の心を癒してくれる時間ではあったが、彼女に隠し事をしているという後ろめたい気持ちも段々と大きくなっていた。
日課となっていた自宅の裏庭通い。これまでは何をしてもベルが出てくることはなかった。調べても何かが解ることもない。
だが、その日は俺が裏庭に入るとベルはそこに立っていた。
「あ~、おはよう、ご主人」
「な、おま、お前なあ、何かあったら来いとか言っていたくせに全然出てこなかったじゃないか」
「ベルは、一回時空転送を行うとかなりの量のエネルギーを消費します。その為、スリープモードに入りエネルギーをチャージしていました」
「なんだよ。そういう事なら最初に説明しておいてくれよな。俺は未来にちゃんと帰れるんだな?」
ベルは少し悲しそうな顔をしていた。
「ご主人の権限では過去転送しか実行できません。未来転送を行うにはより大きな権限が必要になります」
「え……。そ、それじゃあ俺は未来に帰れないって言うのかよ?なんとかその権限ってのを手に入れる方法はないのか?」
「ご主人の認証設定を書き換えることは不可能です。未来転送は出来ません」
ベルの言葉に俺は目の前が真っ暗になった。過去にまでやってきて、俺のやった事は全部無意味だったって事か?それどころか俺はこの世界で本物がすでに存在している。戸籍もない存在しないはずの人間なのだ。この先どうすればいいのだろうか。
「なんというかですね、ご主人。ご主人は未来に帰る帰るって言いますけど、どこに帰るつもりなんですか?」
「どこって十日後に帰るに決まってるだろ」
「今から十日後に帰るのですか?ご主人が言っているのは出発した時間に帰るという事ですか?」
「出発した時間に決まってるだろう」
ベルの言い回しが非常に不愉快に感じる。何かを言いたげなのだが、未来に帰れないと解った俺にはもうどうでもよい。
「出発した時間と言うのならば、それは十日後ではなく数時間後の事になるのですが。未来転送などを使わなくても後数時間もすれば元の時間に戻りますよ」
「あ?ああ……。そう……だとしてもこの時間の俺はどうするんだよ。俺はもともと一人しかいないんだから、二人同時に生活なんかできないだろう」
「ならば、ベルがこの時間のご主人を過去に転送します。ご主人が十日後から来たように、この時間のご主人も十日前に送れば良いのです」
ああ……。その方法を全く思いつかなかった。タイムトラベルなんて奇怪な体験をするのは自分だけだと思っていた。この時間の俺も俺なのだな。
「そんなことして大丈夫なのか?」
「大丈夫も何も、現にご主人はこうして過去に来ているじゃないですか。この時間のご主人がいなくなれば、この時間はご主人の物になります」
俺はベルの案を採用することにした。
過去に戻る前は俺の部屋にタイムマシンは突然存在していた。その時と同じ状況を作るためにタイムマシンを俺の部屋に移動させる。
意外に軽かったタイムマシンを部屋に設置するとベルが少ししおらしい感じで話し出した。
「ご主人とは短い間でしたけれどこれでお別れになります。ご主人同士が鉢合わせすることも問題ですが、時空転送の瞬間を見られるわけにもいきません。申し訳ないですが数時間ほど時間をつぶしてきてください。ご主人が帰って来たときには、ベルとこの時間のご主人は十日前に行っていることでしょう」
「ベル……」
急に俺も物寂しさを感じたのだが、しおらしくも有無を言わせぬ迫力に俺は部屋を後にした。
とりあえず世話になった祖父に今日から自宅に帰る旨とお礼を言いに向かった。
祖父の家に辿り着くと、荷物をまとめながら俺はこの十日間の事を振り返っていた。いや正確に言えば過去に戻る前の十日も合わせ二十日間だろう。
さっき自分の部屋にタイムマシンを運んだことで思ったことがある。
この時間の俺は、俺が運んだタイムマシンに乗って十日前に行くことになるだろう。
じゃあこの俺の部屋にタイムマシンを置いたのは誰だ?普通に考えてみれば十日後から来た俺ではないのか?
俺がこうして過去に来ているように、俺が地獄の十日間と思っていた、過去に戻る前の世界にも十日後の俺がいたのではないだろうか。
彼女に彼氏が出来てへこんでいた俺。お気に入りのスニーカーを勝手に捨てられたと思っていた俺。
過去に戻ってきた俺の行動を振り返れば、それらの犯人は俺ではないか。
今更ながらにそんなことに気付いたのだった。
そして、怖いことにも気が付いてしまう。
恐らく俺は、全ての時間に存在する俺は、この十日間にさしあたった時この体験をする運命にあるのではないか。
未来から来た俺から今の俺。今の俺から過去の俺へ。
特殊な出来事だとは思うが、こうして俺がここに存在出来ている以上、この流れは問題無い様に思える。
では、ベルはどうなのだろう?
未来の俺がこの俺の部屋に置いて行ったベルは同じベルであったはずだ。さっき俺が過去の俺の部屋に置いてきたベルも同じベルである。
ベルだけが、同じ時間を、延々と繰り返しているのではないか?
そうなるとベルは最初はどこから発生したのだろう。
数時間経ち、自分の部屋に帰ってくるとそこにはベルもタイムマシンもなくなっていた。
彼方から彼方へ。現在に生きる自分には想像も出来ない世界を、今もベルは飛び回っているのだろうか。