file08
●
天候は小康状態。二つの月も、星明かりも出てはいないけれど、雨だけは小雨に。
幌馬車は焼け落ちて、燻り光源とはならず。
時刻的には暗闇によって視界が遮られ。帝国の兵の慌ただしい会話を聞けば。あらゆる意味で、視覚を持たず、聴覚と嗅覚で動き回る邪法の獣と呼ばれる化け物の有利な状況が揃ってしまっているらしい。
光源は<光球>の術式が複数発打上げられたけれど、戦闘地域を全てカバーする事は出来ないとも。
「だからと言って、逃げる訳には行きませんよ。さぁ、此処は危険です行って下さい」
そう言うと、一人の帝国兵は走って化け物が居る方向へ、槍を持ち向かっていく。
バルより南。
イゼルに攻め滅ぼされる直前の我が故郷で現れたと言う、奇怪な化け物が此処にも現れた。
あの時は、逃げるほか無かったが、また逃げるのか我々は。
「避難民の方は、ゆっくりと前へ。最低限の荷物だけ持ってっ!」
誘導を掛ける声を聞きながら。
なぜ我々は、我々は逃げるだけしか出来ないのか。
「曾孫よ、心配しなくても良い」
最後尾に居て、化け物に襲われた曾祖父が、こんな状況なのに笑う。
「我々の伝承にある古き英雄。人の姿をした龍が此処に居られた」
水に濡れた皺だらけの手で、此方の手を握り。
「かつて悪神の高位眷属たる”のたうち這い回る闇”を討った英雄とは違うかも知れぬ」
曾祖父は、英雄は似合わないと否定しておられたが。と、言った後。
言葉を続ける。
「しかし、化け物に囲まれた我らを救って頂いた姿は、英雄そのものだったよ」
●
視界の遙か向こうでは、爆音と爆熱と、氷柱が連なり立つ光景が見えていて。
儂はその遙か後方。
幌馬車を盾として、避難民を囲い。
馬車の隙間から飛び込もうとする羊を、借りた弓を引き、幌の上から矢を射かける。
「まったく、じれったいのっ!」
羊の首を射貫き動きを止め、周りの兵が集団で叩き突き斬り、そして戻らぬよう焼く。
最後尾では、ガンドにヘム。ジャーが<戦いの誓い>まで発動させちょうのに。
「ゴブリ殿済みません。行って頂きたいのは山々ですが…」
騎馬に乗り、槍を手にしている隊長殿と、
「最悪ですよ、コレは。散発的ですが、避難民を逃がす事も……、ああ、また来ましたかっ!」
アルナブは、兎人の優れた聴力で羊が草を掻き分ける音を聞き分けて、その方向に手に持った取り回しの良い小型の弓を引き、矢を放つ。
「わかっちょる、この場は絶対死守。羊共も、ここが狙い目じゃとわかっちょるわな」
ちょち、避難民の数が多すぎるの。これでは、順に逃がすとしても時間が掛かりすぎるし。
散り散りに逃げれば、羊共の思う壺。
しかし、この光景を見ている、あの巨体は何処におる。
あの化け物は何処に居るんじゃろか。
その時、ひんやりとした強き風。
硬い金属音と、何かが砂と散る音が微かに。
途端に声が上がる、
「北東の方角で大規模な氷結魔法の反応有りッ!なんだこれは、規模が違いすぎるぞ!」
この感じは、ようやっと来たかっ!
「…隊長殿。帝国”騎士”最強がきおった様じゃぞ?」
儂の言葉を聞き、奇怪な羊を一匹突き刺し切り払いながら、
「本当ですかっ!ティルフィング近衛騎士団長が、まさか職務でっ!」
んにゃ、そんな訳はなかろて。
「いや、多分誰かに押しつけてきたんじゃろ?」
「でしょうな」
隊長殿も冗談が判る人でなにより。
アルナブは、全員の士気を高める為、
「あの近衛騎士団長の単騎駆けですっ!仕事しないと、仕事増やされますよっ!」
周囲から、笑い声と、咳払い。
避難民の一人が、
「何が起きたんです?」
誰かに声を掛けたのが聞こえる。その質問に誰かが、
「ラーダ・ク・ウェル帝国で二番目に強い人が来たのさ。本人もそう言ってるからなっ!」
答えるのを聞く。
更に誰かが、
「一番目は誰なんですか?」
その誰かは困った様で、答えを窮すがの…。
あやつは今頃…。
「ん?」
ふと、僅かに風の流れが変わり。風霊が慌てて飛び出してくる。
「どうしたんじゃ?」
緑の闇夜でも薄く輝く風の霊が、大きく身を揺らし、頻りに南を見るように急かす。
南の地平に浮き上がるように。
その暗がりの中で、赤黒い光りが湛えられた…。
遠くからでも極めて明瞭に見える、怨嗟そのものの昏く湛えられた、重苦しい色が。
「赤い…、饕餮かっ!」
再び最後尾付近で打上げられた<光球>の輝きが、それを闇の中から浮き出させる。
それは、儂が昨晩見た国境沿いの村を襲っていた、巨大な目の無い羊。
光点が大きく。此処まで響く耳障りな振動が、徐々に大きく大気を振るわせるよう鳴り始めた時。
誰もが。彼も彼もが、
「なにか、ヤバくねぇか?」
その言葉通り、これは不味い。
この咆吼の軌道は、街道自体に沿って直線上全てを狙って薙ぎ払う…、其処まで考え。
「皆、伏せ…っ、なんじゃ?」
轟音が一つ爆ぜるように響き、耳障りな音が止む。
●
「…危ねぇな」
右手を突き出し、焔の残滓を残しながら、
「一体何処から出てきやがったっ!」
なんだ、コイツは。
我武者羅に突撃してきた羊の群れから浮き出るように現れたコイツは、既に怨嗟の咆吼を溜め込んでいて。
昏い光りが見え大口を開けた瞬間に、ノーヴァが無言でイメージを流し込んできた<火龍弾>を顎下にぶち込んで見たものの……、焦げ目しか付かねぇ。
俺の攻撃自体はたいして効いてねぇが、
「大羊の怨嗟の咆吼と一緒で、発動から終了まで大口開けてなきゃ駄目みたいだなっ!」
咆吼を出だしで潰し。その衝撃で、このデカブツの口から血液とも腐液とも取れる嫌な臭いにする液体が、砕けた骨や歯に似た元と一緒にボタリと地面に溢れる。
「痛みも感じてねぇのな」
痛覚のある生き物なら、何らかの挙動があるはずだけど、我慢している様子も無い。
しかし、ノーヴァの相槌は無く。
先程、
『ガンドの頭痛の種と、この小娘っ!戦闘中ぞっ!取り敢えず、安心して、しつこいぞ、いったぁあっ!往復ビンタとは、魔法のイメージ補佐だけはするぞよ!』
と、言ったきりだ。
確かに頭痛は無くなり気分は楽になったのだが、問題は目の前に。
<光球>に照らし出された、姿は饕餮を似て異なる存在。
体長は6メートル強の巨体で、動き自体はゆっくりと、未だ顎を上げたまま。
「いや、コイツは…、余裕ってアピールしてんのか」
茶色く汚れた乱杭歯に顔は羊に似ているが。目の位置からは、拗くれた角が瞼や肉を突き破り生えている。
それに分厚い羊毛と思いきや、全て拗くれた骨のような物が重なり合っている…が、
「コイツの首下から腹までが悪趣味すぎるだろっ!」
首下から、腹まで赤黒い肉が蠢き、人の悲痛な苦しみ藻掻く顔や、空を掻く腕が、そして重なり合う声がタスケテと、アイタイと口々に言っては肉に沈み、また他の誰かが現れ沈むを繰り返す。
中には、子供や赤子の姿もあり、
「てめぇ…」
しかし、答えはしない。
代わりに戸でも言うかの如く、脇の下と言うより胸部。赤黒い肉に埋もれた瞼が開く。
昆虫の様な複眼がギョロリと動き、俺を。奴に取っては食事の前準備を邪魔をしたであろう俺を見つめ。
高く両腕と両手。これは、前脚じゃないな、蹄のように見えるのは。人間なら丁度中指と薬指の間に大きく大きく裂け硬質化した爪がそう見える様になっていただけで。
立ち上がり、大きな双の掌が身体ごと俺目掛けて振り下ろされ。
バックステップ一つ、二つで躱す。
「舐めてんのか?」
一つ一つの動作が、その演技っぽく感じる。
ずいっと、鼻先を俺の方に突きだし。目がない分、表情が判りづらく辛うじて口が歪み、
「くははははっ!生きの良い餌が何かほざいているなぁ、<幽体化>も気づけぬ愚かな餌がぁ」
喉奥深くから、吐き気を催す死臭混じりの呼気と、非明瞭な声が漏れ、右の腕先が動く。
<幽体化>ってのは、何か判らないがご高説どうも有りがとよ……ついでに。
「ああ黙って喰われよぉ、何人たりとも我の力の糧となれぇっ!」
ついでに、動く予備動作も教えてくれてなっ!
涎かそれとも腐汁判らぬものをまき散らし大口を開けて、地面を這うよう飛びかかる。後ろ足で突進力を得て迫り勢いは、地面を石畳を砕き割り触れた自分の身を削る。
耳に障る声が重なり響き出す。
態々己の身を削り、自ら腹にある人の姿をした肉を砕き、その痛みによる絶叫を楽しみ。
周りの羊共を撥ね飛ばしながら、身が千切れ誰かを呼ぶ声を歓喜としながら。
新しい餌。
つまりこの場に居る全員の命を嬲り付くし、自分を楽しませる新たな生け贄が欲しいと見え。
俺だけで無く、俺の背後全ての人を狙った動きであるけれど。
行かせねぇよ。
「黙れ、化け物」
久々に、気分が悪い。ああ、気分が悪いともっ!
距離はおよそ15歩。
しかし、相手は態々大口を開けて、汚れた乱杭歯に喰い滓を残し、馬鹿面下げて突っ込んでくる。
大きく口を開いてるせいで、鼻先に拳が届かない。
顎下だと、質量差で完全に動きが止められず、撥ね飛ばされるか、上顎が俺を噛み砕くはず。
「ガンド…あぶ、ないっ!」
ヘムの声がなぜか、この悲痛な声の大合唱の中で良く聞こえ、氷の柱が数十を超える数で放たれるが、有効打にはなり得ず。
「ガンド氏っ!<戦いの誓い>中で無ければっ!ああ、避けるか、飛ぶかしてでもっ!」
ジャーの大声も良く響く。
それに、今の言葉で一つ策が出来た。行き当たりばったりの出来るも出来ないも運任せっ!
前提として古代語魔法はイメージが大事だったし、相性が良いなら。
思い浮かべるのは、石柱の群れ。
エルベで見た、尖塔群をイメージし、より強くより太くより密集させて。
イメージと、俺の中の魔力の歯車が、カチリと噛み合い。術式として発動する準備が完了っ!
あとは、力ある言葉を、
「出ろよ、<石柱>っ!」
簡単な<土>属性の魔法ならば無詠唱も可能だと。それに、ここは石畳と瓦礫。足下全てが材料だっ!
そして、飛ぶのは、
「てめぇだ、糞羊っ!」
大量の石柱群が、一気に勢い付いた羊の下腹部を持ち上げ、飛ぶ。違うな、上半身が重すぎて、地に鼻先を擦り付け、大口を開けたままその場所を支点した逆立ち状態に。
「貴様ぁっ!餌の、肉の分際でぇええええええっ!」
この状態で、声が出るって事は、本当は何処から声を出してるんだろうな?
まぁ、良いさ。
する事には変わりなく、
「ちょっと、目論見から外れたけどなぁ…、俺はまず気に食わない相手は、顔面から殴るのさっ!」
後方からジャーの抗議が聞こえるが、ありゃ事故だ。
構え、踏み込み。
右拳を振り上げ握り込む。
「今さ、お前の胸とか腹見てたらさ、赤子とか子供とか苦しんでるんだよ」
助けを求め、会いたいと口を動かし手を伸ばすのは、父母の事だろうか。
あの、二つの天に還った魂を想い。
「なにをっ!何を言っている餌ぁああああああ!!」
拳の先が狙うのは、真っ正面。羊の拗くれた角に覆われた頭蓋直上。一番硬いが、地面を擦ってる鼻先は衝撃でぶち折れるだろうさっ!
俺はあの時に、力がなくて、資格が無くなったと思って、やさぐれて。
あの人が手を差し伸べてくれた時、やっと気付けたんだよ。
……この人に心を護って貰ったと。
力ってのは、壊すより護るって方が、難しいって。
だから、
「おい、天河鎮底神珍鉄。いいや、GAN”D”RED。……俺が望むのは、こんな胸くそ悪い野郎を殴り飛ばす、”護る力”だっ!」
矛盾してようが、なんだろうがっ!構いやしねぇっ!
『ガンドっ!やってしまえっ!ふぉお、妾のビンタが素敵な威力にっ!凄まじい火が動いておるぞ、おおまだ立つか小娘っ!』
ノーヴァの声が響くが、何をしているのか要領を得ない。だけど、言葉通りやってやる。
火が動いてる?
そりゃそうだろ、俺の両腕が今、俺の意志。龍の意志。鋼の意志。全部解け合って…、超高温の銑鉄の色そのものになり。両腕から、肩甲骨辺りからも火を吹き上げ。
「一旦埋まれや糞羊っ!」
俺は、そのまま拳を振り抜き叩き込んだ。
●
羊の数が、なかなか減りはせず。次々に雪崩れ込んできてるってのに!
背の幌馬車には逃げ遅れた避難民の家族が居るのにさ、
「離れろ、この羊共っ!なにしてんだよ、左側弾幕薄いぜ相棒!」
あのデカいのが引き連れてきた羊の対処が忙しいってのに、幌馬車の上から矢を射かけていた相棒が南の方を見ながら、
「……マジかよ、あのデカブツが杭打ち機で地面に叩き付けられたみたいに一回垂直になって、べたーんって倒れて。ついでに俺の地元の<人身御供の代理人形>みたいに火柱あげてやがる、あそこ怪獣大決戦でもやってんのか……」
呆けた声を上げるが。
「今は、そんな事より目の前の羊に集中しろよっ!」
羊に向かって、槍の穂先を振り回しつつ叫んだ。
●
この両腕の構成が変わり始める。
妾を核に使われた素材が、ガンドの千切れたの腕を軸として、神珍鉄の特性と噛み合い。ガンドの望む姿に。
『はっはっは、護る力か。言葉の意味合い的には、武と護。正反対ぞな?』
護る為に力を振るうのに矛盾などない、ガンド。
力を振るうのは、己の心。
意志を振るうに他ならぬぞ?
『何を、笑って……、居るのよっ!』
妾の頬に、小娘の指先まで真っ白な手の平が叩き込まれる。
……っ、たぁ。この小娘っ!
しかし、な。
『小娘っ!其方は、過保護すぎるぞえっ!ガンドはもう両の脚で立っておる。其方のお陰で妾は、ガンドという主を得たのは感謝しよう……、しかしっ!』
頬を叩く乾いた音が、一発響く。
そして、妾の白魚の様な細腕の手のひらに軽い痛みと、痺れが残る。
目の前の、八雷を纏った小娘は、
『しかしっ!って、守って何が悪いのよ……、辛い事から、忘れたい事から、危険な事から。拳蒔を守って何が悪いのっ!』
それぞ、それが悪いのだぞ?
『其方も神の一柱に並ぶならば、ガンドの世界から来たのであろうっ!人と、人で無い者が並び立つ世界を知っているのであろう!』
ガンドの表面的な記憶を読み、知った事。
人の肉を持たず、人の姿を持ち、人になり得る存在が居る世界。
その世界で、ガンドも、あの人とやらも、外道やら、幼馴染みと呼ばれる達も、並び立ち。お互いに助け合い、護り、持てる力を振るう。
時には、敵に。時には味方に。
様々な考えや主義主張もあろう、それでも隣には誰かが居る。
その姿を見てきて、なんとも視野が狭い、
『其方も一方的に守るのでなく、彼の地の者と同じように並び立とうとせんのだ……そして、人と神。お互いが近いこの世界なら、それが出来るのだぞ雨水の神っ!』
手首を利かせた快音一発。
目を見開き、頬を押さえ。目端から涙を流しながら、震える声で。
『本当に、そんな事が、出来……るの?』
妾は頷き。
『そうで無ければ、妾はこの様な話はせぬよ小娘』
●
……綺麗な色。
綺麗な、滑らかな黒と縁を彩るのは金…かな?
ガンドの両腕が、先程の燃える銑鉄の赤から、元の赤銅色でなく、落ち着いた黒金に変化している。
「大ぶり…の、甲冑籠手?」
人間の腕と変わりなく作った両腕は、二回りも大きな肘先まで大きく覆う甲冑籠手に変わり。複雑な幾重にも累ねられた装甲の隙間からは、溶けた銑鉄の赤がゆっくりと胎動しながら漏れ出している。
手指は、先端が灼熱化した<火悪魔の爪>が短く鋭く赤と燃えて、指先にまで流れた水滴が音を立てる。
上腕筋から、肩の三角筋の部分は。
色は違うけれど、私の作ったままの造形が残っていて、けれど。
「肩甲骨…部分が、なん……だろ?」
<魔女の一差し指>で示し見る。
複雑な装甲が展開しているのは、腕と同じ、だけど。
刻唱陣の様な、青白い積層紋章が次々と8つも展開し、時折蒼い雷が走っている?素材に、雷を放つ素材は使っていないのに。
判らないから、後で聞いてみよう。
知らない事は、良いこと?だっけ、ガンド。うん、私もそう……、思うよ?
「あはっ」
思わず、左手で口を押さえる。
……危険な状況なのに笑みが声が、駄目だね。悪い癖。
ジャーが、邪法の獣を鉾鎚でなぎ払う。少し違うね、潰し払いながら。
戸惑った顔で、
「ヘムお嬢さん……、アレは?唯の魔法具では、既にあの威力は<魔導器>でも有りませぬぞっ!」
ジャーの言うとおり、唯の魔法具でも無ければ、私の手に持つ準魔導器とも違う別の物。
小父さんから聞いていた、使用者の望む形に姿を変える金属。ガンドが言う、天河鎮底神珍鉄の特性を最大限に生かし。
本来なら、龍の意志で姿を変える新しい形の魔法具になる筈…だったけれど、
緊急事態。死にそうなガンドの両腕の欠損部分を補う形で、龍の生命力を流し込み賦活する形で命を繋ぎ止めようとして。
結果、自分の想像以上の魔法具。違うね、魔法具じゃないね、言うなれば、そう、
「龍眼が…新たに、纏う器……、<龍器>かな?」
「はは、はぁ。<龍器>ですか、ヘムお嬢さん……、やらかしすぎですぞぉ」
呆れた声で言う、発言がストーカーっぽいけど。違う、ストーカーだけど。ここ十年ほどの付き合いのある同業者に。
「やらかす、のは。いつもの、事……だよね?」
笑って見せた。
●
饕餮とか言う馬鹿でかい奇っ怪な羊モドキを見つけたのは、赤黒い咆吼が見える寸前で、
「呪詛の本体は、<幽体化>まで使うか。こりゃ、報告例が極端に少ない理由が判ったな」
突如現れた、姿から使用術式を推測。
雨音で薄くなった気配を更に隠したか、偶然か。どちらにしても、常時幽体化の<不死王>に比べりゃまだマシか?
そして、あの羊共も何らかの方法で、個々の魂の願いを強制的に統一し聞く変わりに、他の魂を集めさせるって事までは理解したくないが理解出来た。
大概、この手の邪法を使う輩は、願いなんざ聞きもしないけどなっ!
願いが強ければ、強いほどに絶望した時は、良質の贄になるから、どうせロクな事はなさそうだが。
「あの頌都地下で見つけた原版の内容と、近いが微妙に異なる」
昔、”黒衣”と共に降りた大墳墓。
そこで邪法の原版に同じ類いの事が書かれていたが、あの仕込みの状態でおいそれと持ちだせる訳もなく。
それ以前に、誰かが頁を書き写していたのか。
それとも、自力で導き出したか。
なんにせよ。
「着いた……なっ!」
帝国兵達の姿が見え、走るから。歩くに……、跳ね飛ばしたら”陛下”に怒られるからなぁ。
それにしても、
「なかなかやるな、あの青年は。そして皆、良く押しとどめてくれた!」
背後から突然俺の声を聞き、皆驚きの表情と声を上げる。
帝国の兵が俺を見やいなや、敬礼し道を空け。
戦闘中だろう、まったく。
帝都で見た事のある隊長格に声を掛け。
「おう、仕事増やしに来たぜ?まぁ、街道の整備事業からだが……これは、俺の責任かよ?」
開いた右手で、壊れた街道を指差し。
答えに窮する、隊長格は苦笑い。
「あの青年は?」
眼で指し示す方向を理解したのか、
「エルベ村から来た、ガンドでしたか……、後方のエルベ担当の人間が詳しいかと」
そう言われれば、直接聞いた方が早いからと、隊長格に言って、また歩き出す。
両腕に見たことの無い重装の甲冑籠手。
逆に他は薄着で特に、
「ちょっと値段が張るのは部分鎧の下に付ける、インナーだけ。あとはそこらで売ってる安物のズボンに半長靴……、俺でもあそこまで薄着でコレの相手はしたくないな」
防御の基本さえ捨てた、超攻撃型の青年。
……、聞いた事無いな、そんな腕の立つのが居れば噂くらいは聞くはずだが。
「………ですぞぉ」
あの饕餮の前。青年のにいる特徴的な喋りの<高潔なる豚人>は確か。戦女神に仕える冒険者協会の腕利きだったな。
そして、その隣。
白いローブに、これまた特徴的な<魔女の一差し指>を手にした……っておいっ!
「へ、ヘムっ!」
声に気がついたらしく、手を動かしながら振り向いたその顔は、
「ん、あ……れ?伯父さ……ん?」
炎に照らされて、良く映える金の癖毛を持つ少女。つまりは、俺の姪っ子がそこに居て。
その前に立つ青年が、
「ヘム。ジャー、それに皆。危ないかもだから、下がってくれ」
うちの姪っ子と他多数に気軽に言うと、突如燃えさかる饕餮に思い切り蹴りを入れ、既に一度砕けた様な頭蓋が更に砕ける音がする。
良いな、あの青年。思い切りが良い。
「死んだふりしてんじゃねえよ、糞がっ!」
その声に反応し。
地が震え、饕餮の身体が震え。
「この、このこの偉大なる我を、我を……、このクズ肉如きがっ!我の餌如きがああああっ!」
地面から、埋まっていた首が引き抜かれ、
「先程から、羊だの、饕餮だの糞だの、散々言いくさりおってぇええええ!」
両足で立ち上がれば、その巨体は見上げる程に。
左腕が高く振り上げられ、頂点に達し勢いよく叩き付けられ、衝撃が地を揺らす。が、それはこの巨体の腕の振り下ろしに起因するもので無く。
ガンドと呼ばれる青年が、黒金の籠手の左甲で弾き飛ばし。身を屈めて、距離を詰め。
赤く蠢く肉に灼火に燃える右拳を突き入れた際の震脚による物。
あの巨体の腹部が爆ぜ、燃える中。蹌踉めく中で、絶叫と悪態と悲嘆の合唱が響く中。
青年は、低く唸るような声で、
「じゃあ、名乗れよ」
凄いな、アレを目の前にしてあの言葉を出せる胆力。是非ともウチに欲しいなぁ。
隣に来たうちの可愛い姪が、
「伯父さん、ガンド……、凄く、怒って、る」
けれど、信じてるって目で青年を見つめる。まさかなぁ……、まさかなっ!
その隣では、冒険者協会の確か……三兄弟のそう、末っ子の彼が、
「目を覚まして、一日少しの付き合いで御座いますが。あの邪法の……色々名前がありすぎますな、ガンド氏の地雷を踏んだ様ですな?」
だろうな、あの怒気は。
饕餮……では、無いらしい何かが一歩後ずさりして、
「我は、我は。この偉大なる我は、長らく禁忌とされて来た<亡者の階級>の第一頁を手に入れ。あの時の、我はあの時の蔑みを、無能と罵られた古き名を捨てたんだっ!」
また、一歩下がり。
飲まれたな、あのデカブツは。
地金が剥げて出てきたなぁ、これは。
「新しき名は<プセウドテイ>っ!それが、それが我の名だぁあああああああっ!」
●
……饕餮じゃなかったか。
少し安心した。
伝承上の饕餮の話には続きがあり、災い転じて福と成す。邪悪を喰らう存在として現在祀られているらしいから、こんな糞野郎と同じにしちゃ駄目だな。
大きく数歩後退りした、プセウドテイと名乗る魔獣……、違うなコイツは。魔獣に成りきれない、中途半端な何か。
怒りが一週回って、冷静になれたけれど。
「名乗るのに時間掛けすぎだ、それに」
一歩前に出れば、相手もまた下がる。喧嘩ってのは、怖じ気づいた方の負けだ。
そりゃ、俺だって怖いさ。
だけどさ、コイツは俺の地雷をかなり前から踏み抜いていて。
「また、腹が立ってきた」
両腕が黒金の、漆塗りの様な艶やかで滑らかな色。二回り程大きく分厚くなった拳を握り、力を込める。
装甲が展開し、龍眼が露出し外部と合致。その周りは金の装飾と装甲に飾られていて、龍眼が動く。
『ガンドよ、頭痛のタネとの話は付いたっ!現段階での全力全開の補佐は妾に、ああ小娘引っ張るなっ!妾と小娘に任せよっ!』
「ノーヴァと、……誰か判らないけど宜しく頼む」
すると、答えるように背中側で大きく放電が起こる。
「なんなんだ、餌の分際で!プセウドテイに刃向かい、あまつさえ我を傷つけるとはっ!」
餌、エサとうるせぇよ。
「……ノーヴァ、自己強化術式発動準備。全力で殴る」
『まかされた。攻撃は小娘……、小娘でなく八雷と呼べ?それは、巨乳になってから言うとよいっ!ったぁ、胸を掴むな胸をっ!』
なにやってんだ、それに胸って何処だよ……、まったく。
そして、頭痛を引き起こしていた原因で、今は力を貸してくれるらしいあの白い手の主、
「八雷だっけか、頼む」
返答だろうか両腕に添えられるかの如く、雷が纏わり付き踊る。
そして、頭に浮かぶ力ある言葉と共に、ノーヴァからイメージが送られ、
『これで、妾の龍気。<戦いの誓い(ウォークライ)>。そして、古代語魔法の自己強化術式<四極の切り札>の三枚乗せ、限度は3分以内ぞ?』
何処かの星の超人になってる気分だけれど、其処まで掛けやしねぇ、
「上等っ!」
その声に、プセウドテイの右腕先がまたも動き。
「ち、血祭りにしてくれる、いっ行けええええええぇ!子に、親に、友と、仲間と、かつて仕えた王にあのガキ共を食い殺せば会わしてやるぞっ!」
大きく自分の胸元や腹の肉を掴み、引き千切ると今は土が露出し、水の薄く貯まった街道にそれを叩き付ける。
肉から沸き出でるのは、大小様々。
不格好な奇怪な羊達。
言葉にならぬ言葉を上げて、プセウドテイの命令の通り地響きを上げ、俺に突っ込んで来た。
●
羊達との彼我の距離は、おおよそ20歩程度。それが初速最大で突っ込んでくる。
「ほっとっ!」
その羊達と、俺の間に軽い足取りで飛び込んでくるエメラルドグリーンの髪に、長く尖った耳。帝国の紋章が縫い込まれた緋色の軍服の……、左手には、重厚な肉厚の両手剣を肩に担いだエルフ……?
精悍な顔立ちのエルフの男性は俺を見て、
「姪ッ子が見ている手前、出来る伯父さんとしては仕事しないと”役職持ちなのに遊んでる駄目な人”に最近認定されそうでね……、雑魚は任せろ青年っ!」
そう言うと、腰を落とし一挙に踏み込み。
「何者だっ!誰も彼も、我が食事の邪魔をしやがってえええええええええっ!」
更に、プセウドテイは身を引き千切り数を増やす。
それこそ密集した羊の群れに、その彼は。僅かな隙間に僅かに肩を傾けながら身体をねじ込み飲まれ、
「そこのデカブツ。大物が釣れたことを喜びなっ!ラーダ・ク・ウェルの近衛。皇帝の十騎士筆頭、ティルフィング・ファスト・エルダが仕事さぼって遊びにきたってなっ!」
名乗りを上げると共に。両手剣を、身を回し一振り。切っ先は空へ。
その剣圧が、今産まれた羊共の大半を空へ、雲の切れ間が出来はじめた空へ打上げる。
「あ、さぼって来たってのはやっぱ無しで。黙っててくれよ、ヘム。それと、鴨打だ。やっちまえ」
後方のヘムに、前で両手剣を高々と突き上げ満足そうにしたエルフ。
ティルフィングが、声を掛け。答えるようにヘムも、
「伯父さん、さぼっ…てたって。お母さ、んに、言っとく…けど」
「ヘムお嬢さん、いつの間に13枚もの大型……第八階梯魔法ですとっ!」
ヘムの周囲には、打上げられた羊に向けてジャー曰く、13枚もの大型刻唱陣が展開。射出面の角度が変更され、
「軌道修正。<魔女の一差し指>残存…インク、無し。…ガンド…露払い。する、から。第八階梯魔法<吹雪を纏う螺旋槍>展開……完了」
背後から聞こえる荒れ狂う吹雪が、力を留め今か今かと、起動されるのを待っている。
そして、
「だ…から、行っ…てっ!」
言葉と共に、9本の荒れ狂う吹雪が上空高く打上げられた羊。いや、哀れにもプセウドテイの贄となった魂達のなれの果てに向かい突き進んでいく。
残り4本は、俺の左右を抜けて、2本がプセウドテイの両足を地に縫い止め。
更に2本が大腿を刺し貫ぬき、氷結破砕しブセウドテイがバランスを崩す。
それを合図に俺も、
「<四極の切り札>っ!」
全身の隅々まで力が乗り、身体を少し傾け、剥き出しになった地面を蹴る。
一陣の風の如く。
「ありがとうございます」
1歩目で、エルフの。ヘムの伯父さんの横を駆け抜け。
「おう、青年。俺の分までガガッと、殴ってきな」
笑い声が過ぎ去る。
2歩目で、プセウドテイの足下に到達。
「我の邪魔を、我を、そんな。そんな目で見るなあああああああああああああっ!」
大口を開き、速度を優先したのだろうか。赤黒い怨嗟の昏い輝きが溜まりきらずに、俺目掛けて撃ち出され、
「<遅延>っ!」
無い。
留まりし水の古代語魔法<遅延>発動し、プセウドテイの身体に青白い電流が走り、強制的に一呼吸の間が開く。
「あがっ!なんだっ!何をしたっ!!」
その身に起こった事を理解出来ていない様子だが。
3歩目は、腰を落として飛び上がり。プセウドテイの振り下ろした右腕の上腕部を蹴って外側に弾き飛ばす。
反動で、逆方向。更に左側の腕を蹴り、更に上へ飛ぶ。
一拍の間を開けて吐き出された怨嗟の咆吼は、最低限の威力でも被害をもたらす。
直線上は、今まさに、新たに生み出され空に打上げられ無かった羊の群れと、ジャーを始めとした皆が攻防を繰り返している場所。
マズったっ!
あの程度の咆吼なら、今の状態なら痛い思いはするが耐えられたはず。
飛び上がる中、横目で確認出来るのは、乱戦状態から抜け出したジャーが鉾鎚を投げ捨て、両手で盾を構え、
「ご安心下され、皆々様ですぞっ!」
盾を怨嗟の咆吼の射線上において、赤黒い昏い色が盾にぶち当たり蝕んでいく。
「こなくそっ!元気が出る要素が、欲しいですぞっ!」
結構余裕がありそうじゃねぇか……。
更に乱戦から飛び出した帝国の兵達がが、ジャーの背中を押し。
何かを囁いて。
「元気出たでーすぞおおおおおおおおおおおおっ!」
叫び、怨嗟の咆吼の収束物を天高くかち上げるところまで完遂し、盾が砕け散ると共に。
背を支えていた兵士達と共に吹っ飛んで行く。
そんな中で俺に向かって、親指を上げるジャー。
「了解、ジャー」
プセウドテイの砕けた頭蓋を踏みつけ、さらに高く飛び。
身を回して、見下ろせる位置まで、そして見据え構える。
「何処に行く、貴様ああああああっ!」
大口を開けたまま、目の無い筈の顔が俺の方を向き。
餌から、ガキ。そして貴様に昇格かよ、嬉しくねえなぁ……、あと。
「其処かよ、糞野郎」
大口を開け、プセウドテイの口腔の奥に。黄色く濁った目をした赤い肉の人型が居て。
俺に見られたと感ずいたのか、慌てて奥に引っ込む。
『存外偉そうだけれど、小物ぞ……』
「違いねえ、ノーヴァ」
ふと、行きかけた時に目端に緑の踊る風現れる。
踊るように身を震わせる風霊からは、
「ガンドっ!ちょっち遅れて済まんっ!風よ、<風跳>をガンドにたのむぞいっ!」
最高のタイミングで、ゴブリさんの支援。
やれる。
風の足場に、足裏を掛け。
「てめぇは、俺の一番気に食わない事を。親と子を引き離し、己の歪んだ欲望を満たすため利用した事だよ糞野郎っ!てめぇが言ってた見返すだの、無能だなんだのなんてのは関係ねぇっ!」
右腕の装甲が展開し、内包圧縮されていた純粋な焔が溢れ流れ出す。
更には右手首の周囲に、小さな刻唱陣が8つ展開。一つだけが赤く輝き。残りは、薄くぼやけていて。
「残弾数……最初っから1かっ!」
少ねぇな……、これはどうかしねぇと次が無い。
『ガンドの魔力を判りやすく量で表示してみた、今はそれが限度ぞっ!しかし威力は一撃必殺。妾と小娘の複合属性<火雷>が込められた……ガンドの世界では確か弾丸と言う物ぞ?』
弾丸って。
これじゃ、機動甲冑のアームパンチか。良くて単発式のリボルビングステークだぞ、あと俺の記憶でもアニメ番組の記憶を読み過ぎだ。
「けど、判りやすくて良いな」
実に単純明快。
要は、あの半壊状態の頭に叩き込んでぶち抜きゃ良いって訳だ、俺には丁度良い。
プセウドテイを単純に”ぶち貫く”だけで事足りる訳だ。
さて目下の、
「来るなっ!来るなっ!!くるなぁあああああああああああああああっ!!」
叫びを上げ、やはり喉奥に怨嗟の咆吼を溜め始めるも。
構いやしない。
「まぁ、四の五の言わずに……ぶっ飛ばさせろっ!」
風の足場を蹴り込み、三つの法で俺の限界を超え。
過剰なまでに強化された脚力は。
プセウドテイの苦し紛れに振り上げられた両腕を、視界がぶれて瞬間移動を体験したような感覚を得ながら抜ける。
行き過ぎたっ!
目の前にはプセウドテイの大顎。
口腔内には、昏く濁りきった感情の発露が見える。
それが、突然一段下がり。
頭を垂れるように、頭蓋の頂点が露わになる。
「さて、雑魚退治だけじゃ駄目だよな……、って事でヘムに宜しく。むっちゃくちゃ妹怖いんだよっ!」
下では、家族内事情を吐露し、仕事をし終わったヘムの伯父が。
両手剣で、プセウドテイの足首と両膝を砕いて、後ろに下がっていくのが見える。
『何という剣技ぞ、両手剣を片手で。刹那に、頭が下がる角度を見切って砕きおった!』
ノーヴァの絶句もさておき、
「捉えたぜ、糞野郎っ!」
拳の先が、頭蓋から、背を抜けて、尾骨を抜ける中心線を捉える。
「やっ、やめ、あや、やめろおおおおおおおおおっ!やめてくれぇええええええっ!」
その言葉をてめぇは、何度聞いた。
それで、てめぇは、止めたのか。止めてねぇだろうがよっ!
「この一発は、俺のじゃねぇ……」
プセウドテイ。てめぇに喰われて散った人達に、あの天に昇る<魂>に捧げる送り火だと知れっ!
残弾表示の刻唱陣が拳の先に全て合一。
高圧の電気が圧縮したような放電が始まる。
『やれい、ガンドっ!小娘も、こら興奮せずにっ!』
了解、ノーヴァ。ありがとな、八雷。ヘムも、ジャーも、ゴブリさんも。ヘムの伯父さんに、皆も。
コイツにコレを叩き込む権利をくれてっ!
「<迦具土>ッ!」
叩き込んだ。
ノーヴァの言葉の通り、火と雷が同時に発現。
鋭い轟音と閃光共に、プセウドテイの胴を真っ直ぐに断ち割った。
●
気がつけば、雨は止み。雲間から二つの月が顔を覗かせる。
月光にプセウドテイの巨体が、照らされ。焼き切れたように真っ二つになって、左右に崩れ落ち。同じくして周囲の羊共も崩れ落ち……変わりに、崩れた場所から光球が踊り空に昇り始める。
そのプセウドテイの左右に分かれた中心で、俺は、
「てめぇか、糞野郎」
痩せ細った下半身とプセウドテイの内蔵が繋がった男。
いいやプセウドテイに、喰らった命を血肉として供給していた、禁術の使用者の顔面を熱を湛えた右手の平で掴み。
指の隙間からは、黄色く濁った目が覗く。
「話せ、話せば判る。力が欲しいなら。そうだ、我の禁術の一部を授ける。だから、やめて、やめろっ!やめろ!!!!」
何を都合の……、良いことをっ!
「巫山戯るなっ!」
繋がった、今だ蠢く肉を足で踏みつけ。
「な、止めろっ!止めろ……っ!」
俺の右腕を、骨と皮と腐汁で塗れた両手で掴み抵抗する。
指の隙間から見える目が、孤を描き、
「なんてなぁっ!<魂啄>、あれ、あ。何故、<魂啄>何故発動しないっ!発動しているのに何故命を吸えないっ!身体に触れているのにっ!!」
そりゃ触れている場所は、基本的に龍の住処。
ノーヴァは、わざと聞こえる様に、
『やはりな、卑小なる小鬼にも劣る演技笑わせて貰ったぞ?その<魂啄>は素肌に触れねば効果は薄い……。そして、その腕は1匹の龍と1柱の神が宿る、中途半端では効果が出る訳あるまいぞ?』
コロコロと笑い煽る。
「誰だ、誰が卑小なる小鬼だっ!出て来い、出てこいっ!!!!がああああああっ!離せ、はなせぇえええええっ!」
渾身の力を込めようが、俺と俺の相棒達は揺るぎもせず、たじろぎもしない。
皆、遠巻きで見守る中。
足音が近づいてくる。
重量級の両手剣を軽々と担ぐエルフが、俺にウインクを一つして、鼻先に人差し指を立てる。
要するに、静かに聞いておけって事か。
そして、俺の掴んだ相手を前に、
「誰か知らないが、中途半端。実に的を得ている。<魂喰らい>。<幽体化>。<眷属隷属>の禁術三法を行使出来て一番重要な屍解法。大量の魂を受け入れて血肉としても、”禁術行使者”の肉体と同等の大きさに留める肉体操作が中途半端。<不死王>とか見ろよ、巨人か、そして腐ってるか、ないだろう?」
うっすらと笑っているのに冷たい。
俺の両腕が冷える感覚と共に、ティルフィング。ヘムの伯父が俺が掴んでいるプセウドテイに、声色を変えぬまま語りかける。
「でだ、お前を滅ぼす前に、一つ二つ聞きたいことがある」
両手剣を担いで肩を叩きながら、
「お前さん、イゼルの誰と内通してた?報酬は、禁忌の魔法書の一頁あたりか?」
黄色の濁った目が見開かれ、
「あ、相手は知らんっ!使い魔経由でっ!相手は、誰かは!助けろっ!!離せっ!くそっなぜだっ!魔法がなぜ発動しない!なぜだぁ!!」
俺の腕を叩き、引っ掻き。身を捩り逃れようとするが、
『諦めの悪い輩ぞ……、八雷は、ふむマガツヒが居たら蹴り倒してる?』
「しっ!」
……俺も言いたい事も、殴り倒したいのも我慢してるんだ。静かに聞いててくれ、
「まぁ、良い。次だ、お前さん……<亡者の階級>の<偽神>の頁の間違えだらけの写しを内通相手から貰ったんじゃないか?」
写し。
その言葉に反応したのか、暴れるのも忘れ。眼球がティルフィングの方向に動く、
「ひへ、間違い、へは、写し……だと、アレが……原版と、違うのかっ!」
担いだ両手剣を、振り下ろし低く笑い、
「<亡者の階級>を含む原版”群”は、俺と”黒衣”が頌都地下で見つけた大墳墓ごと氷付け。取り出そうとすれば俺の契約精霊が微睡みの中から手を伸ばすって寸法で。まぁ、ここ百五十年は破られてないし原版は”黒衣”が重要な部分をわざわざ削って細工済み」
内通者をどんな状態になっても生かしてるとなると、オカマ野郎の線は無しかと呟き。
「はぁ、大量殺人と禁術行使罪と人間なら色々と手続きがあるんだが。既に人で無し……」
溜息一つ。エメラルドグリーンの髪を右手で掻き上げながら。
俺を見て、
「青年、けじめはどうする?」
ティルフィングは、俺に。
自分で止めを刺すかを、聞いている。
どうする。
俺は。
その時、ノーヴァが、
『残存魔力ほぼ無しで、龍気を練る体力も限界。<四極の切り札>を始めとする効果が切れた今。妾としては、早く残りの魂を空に還してやりたく……』
俺では、この糞野郎を潰すのに。
「……お願いします」
今のを俺は、苦虫でも噛み潰した顔をしてるんだろうか。それとも殺さずに、手を汚さずに済んだと言う安堵の顔をしているのか判らない。
プセウドテイの顔面を掴んだ手が、指が離れ。地を蹴って一歩下がる。
けれど、ティルフィングの緋色の背から聞こえる声は、
「任された」
力強く。
大きく剣を振り上げて、
「青年、済まないが洗濯代は帝国軍近衛に請求してくれ」
プセウドテイが、その極厚の刃を見つめ、腕を交差し身を守ろうと、
「あ、やめっ!」
言い終える事無く。
「奥義・天衣無縫の一太刀ッ!」
触れた刃が、プセウドテイの腕を、顔を、胴を断ち割り。腐れた血が飛び散り、繋がる全てが爆ぜ割れた。
●
暗い部屋の中で、避難民に紛れ込ませた間諜。その魔法具からもたらされた視覚と音声。
それを壁面に映し出された映像を見る二人の影。
「これは、君の仕込みかな、軍師殿?」
年若い声と、
「いぇいぇ、殿下ぁ。アタクしならぁこーんなぁ。稚拙な、下の下策なんて使いませんわぁ。内通者なんてぇ、裏切り者はぁ処分するに限りますぅ」
野太い、それでいて女性を意識した男性の声。
「おそらくぅ、殿下の兄君の誰かが。アタクしが、殿下に雇われる前に起こした策動だとぉ思われますわぁ」
さも、面白くないと言った声を上げる。
「はは、まったく王位継承権を失った兄達の残り火か。そうだ、僕が本国に召還されている間に勝手をした輩は?」
「アレ、ですかぁ。帝国側の使者を斬った愚か者ですが。此方から手打ちと言う事でぇ、アタクし流のお詫びの品をご用意してますわぁ」
指を鳴らすと、扉を開け。侍従が押し車で幾つかの木箱を恭しく運んできて、一礼。そそくさと、部屋から退出していく。
「それは?」
「お詫びの、勝手をした愚か者の首。その塩漬けでございますぅ」
蓋を一つ開け、ごつい手が中身を掴んで取り出し。
壁面から反射した薄明かりに浮かび上がるのは、高齢の男性の首。
それを無造作に振るのを見ながら、
「はぁ、南部方面に行軍中の大兄上が羨ましいよ。あちらは、兄上を立てる為の忠犬の群れ。僕の所は、野心剥き出しの駄犬だらけだ」
まぁまぁと、野太い声は言い。
「それと、殿下の捜し物の為にも、暫く膠着状態を続けておいた方が。提案ではございますがぁ……宜しいでしょうか?」
突然に口調が堅くなり、
「聞こうか」
それを気にする様子も無く、続きを促す。
「全軍北進を停止。黄金の三角州南岸の軍事線上で、一時的な休戦を結び。帝国側に”色々”と苦労してもらう為に、暫定国境線を維持。黄金の三角州を緩衝地帯として設定し、緩衝地帯の中で何事が起きても我が方は一切関知しない。如何でしょうか殿下?」
恭しくも、頭は垂れず。
今だ間諜が送ってくる映像を見ながら、
「確かに、計画の為にも時間稼ぎは大事だね。それに、継承権を失った兄上達が僕よりも鬱陶しく思ってるあの人を、帝国側が暗殺したことにする計画に巻き込まれては適わないから……ね。それで取り纏めを頼むよ」
年若い声の持ち主は、立ち上がり。暗がりの中の木箱を一瞥すると、ドアノブに手を掛けて部屋から出ようとし、
「あらん、どちらぇ?」
軍師と呼ばれる声が、声色を元二戻し。首を手玉にしながら問いかける。
それに、ドアノブを回しながら、
「城の屋上。映像を見たら雲間が見えていてね、空を見に行くのさ」
扉を開けて、廊下からの明りにはっきりと映し出された横顔は、赤髪の幼い表情をした少年だった。
●
少し早めに次話が完成しましたので。
10/13 21:00頃に投稿します。