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水浴びと着替えを済ませ、今まで着ていた服を洗濯…水に浸けて叩いて絞っただけなのが。を小屋の木枠に掛けて乾かしている。
ジャーは、食事を済ませてから寝ると言い、朝食までの間やることが無い。
ぶっちゃけると、暇だと言う事なので。
俺は、水場の縁に座り込み。
ジャーは、小屋の太い柱に座りながら凭れて眼を瞑っているが、起きてはいるようだ。
ヘムは、洗い場でしゃがみながら水底を見つめており…、お腹が空いて魚でも狙ってんじゃなかろうか?と、思わせる雰囲気。
俺は、
「そういえば」
と、前置きした上で。目の前に居る”魔法”が使える二人に、
「魔法って誰でも使えるようになるらしいが、一応”記憶喪失”だからな、まったくもってその辺りの知識が無い」
間髪入れず、片目を開けた<高潔なる豚人>氏が、
「ほう、魔法ですか、ガンド氏それならば、…はっ!」
ジャーは、無言で見ているヘムに気がついて慌てて口を噤む。
面白いなぁ、外道共に合わせてみたいが、どんな化学反応を起こすやら。
特に、ヘムは弄られるだろうか…、ジャーは、不幸なことになりそうで、それは面白い。
ヘムが立ち上がり、歩きながら此方へ。
魔法かぁ。
神秘の力であり、俺の居た世界には全く存在しない、科学とは別系統の”技術”。
ゴブリさんが、風を操る様に。ヘムが氷を産み出すように。ジャーが、人の傷を癒やすように。
子供の頃から漫画やアニメなどを見ながら、一度は使って見たいと思っていたのだが。
「ん、じゃ。まず、ガンドが…、魔法の…知識と。理…解が無い前提で、<古代語魔法>だけ、…お話…するね?」
「ヘム、よろしく頼む」
俺の隣、濡れていない水場の縁に座り込み、手に水を掬いながらヘムは話し出す、
「昨夜少し…、教えたね、憶えて、る?」
「確か、<古代語魔法>、<精霊魔法>、<神聖方術>の三つが主要な魔法大系…、だったよな?」
「ん、合ってる。他…にも、色々あ…るけど…。使える人…そんなに…居な…いから、今…は、省くね?」
続くのは、全ての魔法は、術式と言う”流れを整える言葉”や、”流れを可視化する陣”で術者の思い浮かべる心象風景を、現実に発動させる為の…、つまり計算式みたいなモノであり。
「この術式がイメージの具現化助ける物なら、確りしたイメージを持っていれば術式無しで発動させる事も、出来ないことも無い訳だ」
「ん、単純な…現象なら、ほら…ね」
ヘムの人差し指の先に、いつの間にか、小さな氷の粒が浮いている。
その氷は、ヘムが指を鳴らせば霧散し。
ジャーは、それを見て大きく拍手、
「相変わらず見事な、素晴らしい無詠唱ですなっ!相性の良い属性…っ!!」
「まだ、説明してない、箇所あるから…、変に…割り込ませると、判らな…くなる…から。黙って…て」
ヘムはそう言うと。
暫く無言の圧力で、ジャーを牽制しながら。
完全に、口を両手で押さえたジャーを確認すると、頷き。
「続け…るね、ここから大事」
続いたのは、驚くべき事に。
基本的に、全ての力の出所は”世界を循環回帰する根源な力”であり。これを理の力、すなわち”理力”や魔法を使うための力”魔力”と称しているらしい。
「って、事は。基本的には”本元”は一緒?」
「そ、だよ。術式は、まった…く、異なる…のに、ね?」
同じ力を、異なる術式で行使すれば別系統の魔法大系に変化する。これは、全ての魔法大系が別の大陸。別の時代。別の種族によって産み出されたからで。
古代語魔法は、西方大陸で数百年前。一大勢力を誇った魔法王国”ジェダス”が産み出したものだが、自分たちの産み出した<名も無き語る事憚られる禁術>によって一瞬のうちに滅び去ったと言われているらしい。
侵攻を受けていた近隣諸国でも、対抗策として同じ研究がされ。大量の文献が今も各地に残っていて最も学びやすい環境が整っている。
現在、主に攻撃魔法と言えばこの古代語魔法を指すと言うほど。
だけども、各位階に存在する<禁術>。そう呼ばれる術式だけは、あらゆる意味で使うことも、その術式を求めたりする事も禁じられている。
この古代語魔法の特徴は、自身の中に蓄えられた魔力を使ったり。高値で取引されている、天然の高純度<根源>の塊である秘石の中身の<根源>を一度体内に取り込み、扱えるように”変換”して行使する魔法大系であり。
「考え無しに連発すると、自分の魔力総量を超えて枯渇したり、財布の中身が薄くなるか」
と、言ってから、<根源>が何処にでもある物ならば。
ちょっと待てよ、コレって。
「自分の中からじゃなくて、<根源>。外部から直接魔力を取り出して行使する事も出来るって、そう言う考えられるな」
ジャーが、俺の疑問に答えるべく手を上げて、
「その理論は様々な時代と場所で、長年研究されてきましたが厳しいですな。秘石のように高密度なら兎も角、広く薄く存在する、生の<根源>を体内の<脈>を通さず収束行使するのは天賦の才。その才を持っていても<魔力>に変換するのは、よっぽど濃密な<根源>が漂う場所。それこそぽこじゃか秘石塊が生成されるような鉱脈上か”神域”と呼ばれる場所でないと、集め終わる前に日が暮れてしまいますぞっ!」
才能を持っていても厳しいか。やはり世の中、そこまで甘くない。
ジャーの言葉から考えるに、<根源>を取り込み、体内の<脈>ってので<魔力>に変換して使いやすくしていると。
「出来るなら、魔法使いたい放題だと思ったんだけどな、甘いか」
一度は誰もが考える事ですっ!と、ヘムを伺いながら答えるジャー。
しかしヘムは、多少不満そうではあるが、
「ん、ジャー。ありが…と。私…だと、慣れ…た刻唱陣前…提の説明に、なっちゃ…う、から」
「ほっ、褒められたでありますっ!これは、一生に残るメモリアルっ!!好感度爆上げですぞっ!!」
だから、それが好感度を下げると。
こいつ、恋愛ゲーさせると、爆弾処理失敗して、教室出た瞬間に刺されるな。
喜んで、すこし会話に混ざれなさそうなジャーは、意識の外に置いて。
「じゃ。説…明続け…るね?」
ヘムは、なぜ一度<根源>を体内に取り込むのかと言う部分の説明に入る。
<根源>を<魔力>に変換する<脈>。この体内を巡る回路のようなものは、個人差により変換しやすい属性と言う物があるらしく。
ふと、属性と聞き、
「属性って、何種類ほどあるんだ?」
思い浮かぶのは、ギリシャ発祥の四大元素や、中国の五行相克に陰陽などなど。ゲームだと、月や樹と言った属性もあったりして、含めれば数多く増え続ける。
世界創造系のゲームだと、属性?と首を捻る様な物もあるから、頭を抱えることになりかねない。
「ん、そう…だね。色々…あるけど」
古代語魔法で良く使われるのは、六属性と、それに含まれない魔法。
<火>、<水>、<風>、<地>の基本四属性と。<光>、<闇>の高位二属性が、六属性と言われており。
含まれない魔法は、共通魔法もしくは、生活魔法と言われる低位に位置する魔法群にあたる。
基本的には理解出来るが、
「ヘムの使ってる、<氷>って属性は?」
先の四大属性は<水>はあっても、<氷>は無かった。なら、その魔法は特殊なのかと言う疑問を口にする。
答えは、簡単なようで簡単でなく。
「私の、<火>の…ね、力は、熱を…奪う事しか…出来ないの。それと、…ね。<水>の力を…、合わせて、作り出す…<合成魔法>の…一種、なん…だよ?」
「なかなか、難しいな」
合成魔法やら、専門的な説明が出てきたが。なにより<火>は熱するだけで無く、熱を奪う。つまり、温度を制御する事が可能な属性な訳だと思うのだが、若干引っかかりがある。
「ヘムは、熱を奪う事しか出来ない…、どういう事だ?」
「……」
ヘムが言い淀む中。
「はい、こっち注目っ!」
ジャーが、またもや手を上げて発言権を得る。
「ヘムお嬢さん、その辺りは初心者向けではありませんぞっ!第七階梯辺りでは全く使われない専門用語でございますよっ!!ガンド氏初心者カムバックでございます。はい、ガンド氏、<火>の変異属性体質。この言葉だけ頭の片隅に置いておくと後ほど、何時かきっと捻りますぞっ!」
先程褒められて言語関連に不備を起こしつつも、色々此方のフォローをしてくれるのは助かるのだが。
「出会って二日程度で言っちゃ悪いが、本気でヘムに絡まなければ優秀で。なにより知識もあるのに、ヘムに絡むと色々破損するのはなんでだ?」
「それが、私めでございますですからっ!」
親指を上げて、にやりと暑苦しく笑うジャーから顔を逸らし、
「…ヘム、続きを頼む」
「ん、…わか…った。<脈>の続きから、するね」
ごく自然に、ヘムと頷き合い。
しっかし、俺はよくよく地雷を踏むようで、変異属性体質。この話は暫く無しだな。
さて、話は戻って。
<脈>により、使いやすい形で体内に内包され蓄えられた<魔力>。
俺が判りやすいように、考えればゲームのマジックポイント。それが、相当する気もする。
ゲームじゃ無いんだから、レベルが上がった能力が増えたっ!万歳と言うわけにも行か無い筈で、初期値のみで勝負と言われたら厳しい物があり、
「個人に内包出来る総量ってのは、増えるのか?」
「ん、個人差か…な。生まれつき…ね、極端に少ない…人も、多い人…も居るけど、修練…次第かな?あと、ね。修練を…怠ると、減るよ?」
「減るのか」
なんか、筋肉みたいだな。と呟けば。その言葉に反応したジャーが。
「言い得て妙ですなっ!まさに、まさにっ!修練を怠れば萎む筋肉の如く、魔力も日々修練なのでございますよっ!」
「…、ガンド。ジャーが、喜ぶ…気をつけ…て。調子…乗る…ダメ」
そのようで。
ここで、各種属性との相性。
個人差が確実に現れてくる。そう、変換しやすい属性と、変換しにくい属性が顕著に表れる。
「特殊…事例を除いて、最低一つ…は、相性が…良い属…性は、ある…よ?」
「特殊事例…、と言うと?」
ヘムは、答えを言わず、
「少し…、考えてみる?間違えても…、大丈夫…だから」
問題タイムって事か。
最低一つでも相性の良い魔法があるにも関わらず、特殊事例として上げられるのは。
考えうるに、『相性の良い属性がまったく存在しない』もしくは、『魔力を全く持たず、魔法そのものが使えない』の二つ。
前者は、属性の無い古代語魔法は使えそうだが。
後者は、魔力そのものを持たない為、魔法の恩恵に預かれない。
俺は二つの考えをヘムに提示してから、
「多分、前者だと思うんだが、どうかな」
ヘムは、引っかけ問題に上手く引っかかった生徒を見るように、
「ん、答えは…ね。魔力も…問題無い…のに、全ての属性…生活魔法も、なぜか発動しない…でした」
「そりゃ、見事に特殊事例過ぎるな。だけど、その人は一般人として?」
まだ見ぬ村長以外、魔法が使えないこの村みたいな場所なら、何も問題ないだろうが、一抹の不安が過ぎる。
「ん。この体質を持った…冒険者が、西方の…暗黒時…代。魔法…至上主義の時代に居たんだ…よ。始ま…りの冒険者、オーウェル・カティス。冒険者…協会の創始者の…一人」
魔法至上主義の時代なら、その人の家柄次第では想像を絶する地獄になる。事実上魔法が使えないと言う事は、人でなし…、蛮族同様の異物だ。
…苦労しただろうなぁ。
その人がどのような人生を送ったのか、興味が出てこの魔法基礎(?)講義が終わった後、詳しく聞かせて貰おうと隣に座るヘムに声を掛けようとして、止まる。
ヘムは、恋する乙女のような反応を示していて。
どうなってる?
俺は、反応に困り。
ヘムの姿を見て、「生足ですぞー、眼福眼福」と、いろいろ問題がありそうな至福の喜びを感じている<高潔なる豚人>(笑)に声かけ、
「ジャー、どゆこと?」
ここ二日のヘムとは、ほど遠い行動に疑問を示す。
そうですなぁ。と、ヘムから視線を一切外さずに。
「ヘムお嬢さんもそうですが、最近の若い冒険者達は。もちろん私めも含めてですが、『始まりの冒険者達』と言う冒険譚を読んで幼少期を過ごしてきたのですよ…、ヘムお嬢さんは主人公であるオーウェル・カティスの大ファンなのでございますっ!」
なるほど、引っかけ問題に託けて、少し語るつもりだったのかな?と、思うのだが。
そりゃ、好きな人物の物語を心ゆくまで語りたくもなる気持ちも分かる。
俺も、色々語りたくもあるが。
そうだな、俺が語るなら。第二次日露戦争末期まで長らく露西亜に占拠され続けていた、北海道北部を奪還すべく獅子奮迅の活躍をした。それにも関わらず、近年までその存在が秘匿されていた”最底辺”と呼ばれた第999機動甲冑大隊の最後の生き残り。蒲田・玄翁元軍曹を上げるだろう。
近年までとは、戦後70年経ち。戦時資料が公開され”最底辺”の活躍と、その存在意図が明らかになると。
その壮絶な戦いぶりと共に、蒲田・玄翁元軍曹が上官の策略により懲罰部隊である”最底辺”に転属させられた事や、部隊内での人間関係など余りに泥臭く魅力的であった為、数多くドキュメンタリーが作製され、小学生の頃は食い入るように見ていたもので…。
その蒲田・玄翁の伝説が産まれたのは、露西亜軍一部将校がジュネーブ条約を無視し、撤退時邪魔と成る捕虜の虐殺を実行しようとした稚内特別収容所へ。
”最底辺”部隊最後の20名の仲間と共に、あり合わせの武装しか無い機動甲冑を纏って突撃をしかけたのだったっ!
この時の『鬼の目にも涙はあれど、奴らに一切の慈悲は無し。時間が無い、敵陣突破を敢行し、これより生命の危機にある友軍将兵の救出に向かう』と、無線に向こうに淡々と報告しながらも、決死の覚悟で強行突入す場面は胸が熱くなり…。
「ガンド氏、何を高速で呟いてるかまったく判らないですが、かむばーっく!」
はっ!いかんいかん、憧れの過去の英雄に想いを馳せていた。
戦中時代の近所の爺さん連中から、この”最底辺”と、蒲田・玄翁氏に関しては只管聞かされた憶えも有り、親近感を憶えていたのもあるんだろうが。
「すまん、大丈夫だ」
ジャーのお陰で、助かった。危うく映画版のエンドロールまで思い出すところだったぞ、まったく。
その、なんだ思考していたのは、短い時間…だと、思われる。いや、思いたい。
さてと、隣のまだ恋する乙女状態で思いを馳せるヘムを呼び戻すため、
「ヘム?」
声を掛け、肩に手を掛けて軽く揺らす。
幾度か揺らしていると。
はっとした、表情で俺を見て、
「ん、続きから、えと、ね。ジェダ…イ城の隠し通路…って、あ。…ごめん…なさい」
いや俺も、一瞬トリップしていたからと思いつつ、
「はっ、ヘムも好きな歴史上の人物とか思いを馳せると楽しいよなぁ、やっぱり」
「うん、…凄く…楽しい」
「なら、その人の事、今度教えてくれな?」
ぱぁっと、明るくなった笑顔のヘムは、
「ん、わかっ…た。資料…用意する…し。そだ、ガンド、そうだ、文字読める…ように、なろうね」
やはり、知識量を増やす為には、何事も文字が障害になるか。
これは、早急に勉強しないとなぁ。
「何処まで、…説明した…かな?」
「相性辺りかな?」
「ん、ごめ…ん、…続けるね」
残りは、最も肝とされる。
古代語魔法発動の重要な部分。
発動方法は単純に、内包された<魔力>を詠唱や刻唱陣によって形にすると言う事。
イメージを、属性を付与し、加工する工程を経て、かつ発動の鍵となる行動。
詠唱なら言葉を、刻唱陣なら発動鍵を作動させる事で、
「そのイメージが魔力によって現実となり発動するって事か?」
なら、相性が合わなかったり、魔力総量が足りず、使用するに値しない場合はどうなるのだろうか?
「その、相性…場合、発動…しないか。分不相応な…場合。最悪、制御…出来な…くて。手元で…暴発する…から、…階梯によっては…、死ぬかも」
暴発と聞いて思い浮かべるのは、何故か工事現場で特撮の撮影中火薬量を間違えて、ヒーロー側が空高く舞い上がる図であり、基本的に、
「爆死?」
「ん、魔法に…よる、かな?」
例えば自分の実力を大きく見せようとして、数階梯上の<石化>と言う魔法を暴発させた魔法使いは、石化した後、衝撃で砕け散った事例もあったそうで。
魔法を使える様になっても、自分に合った階梯の魔法を使うと誓う。
しっかし、相性や、自分がどれだけの魔力を内包しておけるか判らなければ、怖くて使えず。
二人に対して、
「じゃあ、その相性ってのは、どうやって調べるんだ?」
「ん、とね」
ヘムは、何かを言いかけるも、止まり。やや考えて、
「手持ち…、ないかも」
呟きに答えるのは、ジャーで。
「第七階梯までの物なら、一つ持っているのですが、いかがしましょうか?」
「帝都で、自作のを渡す…から、お願い」
「ほ、ほんとうでございますか、ひゃっはああああああああああああっ!ぶらう゛ぉーでございますよっ!!」
何かの受け渡しの条約でも結んだのか。
ジャーは、とても嬉しそうに小躍りするかの如く、立ち上がり。
「では、不肖私めが、供出させて頂きましょうっ!」
●
供出って何をだ?質問する暇の無く。
ふっふっふと、ジャーは意味ありげな笑い方をして、近づいてくる。
「何も言わず、取り敢えず、コレを軽く、かるーく握って下さい」
ジャーが腰の革袋から取り出したのは、拳ほどの白く濁った細かい傷の付いた半透明のごつごつした石。
言われるまま受け取り、力を入れず優しく握る。
「え?」
握った瞬間から、手の先から力が吸われる感覚がして、
「ふおっ!」
身体全体の平衡感覚が崩れ、膝を付く。
「ジャー、…ガンド、冒険者…じゃ、ないよ。洗礼…しちゃ。ダメ」
「おっと、思わず何時ものノリと、ヘムお嬢さんとの絡みが多いので、少し嫉妬ぱうわぁーが、じりしりとっ!」
ジャー、ちょっと憶えてろ。
しかし、負ける物かと意識を保ちつつ、暫く耐えていれば。
手の中にある石が、手の中で滑らかな丸みを帯びて小さくなっていく。そして、一度合図するように、淡く光り。
その合図を境に。吸われる気配が…、無くなった?
ジャーは、見計らった様に、
「大体その辺りで、良いでしょうな、お疲れですぞガンド氏。では、その石を渡していただけますかなっ!」
「ああ、ほい…っと。妙に、いや激しく疲れたが…」
ジャーに、ふらつきながらも、掌に乗る大きさになった石を渡す。
力が吸われて、意識を耐えることに集中していて気がつかなかったが。
その石は、深く美しい透き通った琥珀色に変化しており、中央には静かに佇む小さな青い宝石。更には中央の青を軸に動き回る紅い光点が見える。
俺は肩で荒く呼吸を整えながらも、ジャーの手からヘムの両手に、手渡された石を見た。
不思議な色合いで、見れば飲み込まれる。そして、知らない気がしない、自分自身を見ているような、違うような。
「綺麗だな、その宝石」
俺は、小さな人工の宝石くらいしか見たことは無いんだが、素直に綺麗だと思い感想を漏らす。
「で、それは?」
それに答えたのは、宝石を持ったヘムだった。
「ん、これが。属性相性と…、同時に魔力総量を…限界ま…で、吸い上げな…がら調べる。最初の…制作者の名前から、<マルグリットの万色水晶>と…、呼ば…れる<神聖方術>の幾つかの…術式を<刻印術>で石に彫りこん…で作った魔法具」
空に、日の光に掲げられた、より一層美しく輝く<マルグリットの万色水晶>に感心しながらヘムの言葉に耳を傾け、
「ガンドの…、属性と、魔力総量の…、指標になる…よ?」
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<マルグリットの万色水晶>。
冒険者協会発足前後の時期に作製され、当時の魔法使い達から二つの声。絶賛と悲嘆が各地で聞かれたと言う一品らしく。
使用者の魔力の全てを一度吸い上げ、その力で魔法具自身がその身を削り磨き上げる。
魔力の総量が大きければ大きいほどに、比例するかのように研磨されると言う。
この大きさの<万色水晶>だと、小指の爪ほどの大きさまで削れればおよそ、第七階梯。それ以上だと、完全に削れて無くなってしまうらしい。
「大体、この掌に握れる大きさならば、第三階梯上位から、第四階梯ですな」
「ん、ほとんど…第四…階梯だと…思う…よ?」
下から数えて、4番目か5番目の階梯か。
「最初としては、どうなんだ?」
ヘムは、俺を見て、
「極めて…、普…通?」
らしい。異世界に落ちてきても普通とは、俺に伸びしろがあると前向きに思いたいのだが。
「ジャーを殴った時とか、相棒が<魔力>っぽい物を放出してた気もするが」
二人が水晶を検分している間、呼吸を落ち着け、じっと両腕に目を落とす。
多分だが、両腕に眠る相棒は吸われている時に、龍眼自身の持つ魔力を発さずにいた様で。
俺自身の魔力総量が正確に計測出来る様、力を押さえていた感じがする。
「二人とも、俺の属性ってどんな感じなんだ?」
一番気になるのは、それなんだよなぁ。
”魔法の矢”とか、”これでもくらえっ!”などと、攻撃魔法を思い浮かべるけれど。
どんな属性と相性が良いのか、とても気になる。
「はい、…ガンド。大体…、判った…よ」
手渡された琥珀色に変化した魔法具が掌に乗り、
「ん、とね。主軸となる属性は。琥珀…色だ、から<土>で、ね」
<土>と聞いて、
「俺の名字の巌戸のガンの部分が、巨石の意を持つ言葉だから、納得はだよなぁ」
落ちていた木片で、地面に<巌>と言う字を書く。
「そ…、なんだ。不思議…な符号…だね」
「読めないでありますが、複雑な文様…文字でございますか、ガンド氏?」
まぁな、俺もこの土地の文字読めないしと返し。
琥珀の中を覗き込むまでも無く、
「んで、この元気に琥珀の中を動き回る紅い光点と、逆に一切やる気の無さそうな青は…」
「ん、<土>より相性が…劣るけど」
ヘムに、前置きして言われたのは。
動き回る紅い光点。
これは、<火>の身体賦活関連の魔法に相性が良いとされる指標。しかし、ここまで動き回る物は珍しいらしく。
「えと、もしか…したら、元々の…素養も…、ある…けど、龍腕の影響…かも」
なんて言われると、それまた納得するしかない。
次の、このやる気の無さそうな、中央から全く微動だにしない青の宝石。
「いやはや珍しいですな、<停滞の深青>とはっ!」
そういうのは、眼を見開き解説したそうなジャー。
ヘムを見て、頷き。
「ジャー、頼む」
言うやいなや、腰の短杖を持ち、
「では、私めが説明させて頂きますぞ、ガンド氏。<停滞の深青>とは、<水>属性の一種で。大地の奥深く止まる地下湖の水底の色とされておりまして。そう、ガンド氏の主軸となる<土>と<水>は基本的に<水を堰き止め澱ませる土>と言う意味では、基本的に相性は悪いのですが。この<停滞の深青>は珍しく好相性な<濁らず留まる水>なのです。そうっ!本来なら流れゆくはずの<水>なのですが、これは揺らぐのみで留まる性質を持っておりますっ!この事から、物の動きを遅くする、停滞させる等の特性を持っておりまして。古代語魔法では、相手の行動を一拍ほどの間、阻害する<遅滞>や、動きを遅くして、移動する事や、武器を振るう行動を制限する<鈍重>などなど、使う状況によっては非常に有利な魔法が揃っておりますが、ひっじょーに、地味でございますなっ!!」
どうですかっ!ヘムお嬢さんと、振り向くのはヘムの方向。おーい、俺に聞かせてるんじゃ無いのかよ、ジャーめ。
確かに、判りやすかったが。それに、説明の中に五行思想の相克に近い要素が含まれていて。そう、色々と気になったんだが。
強いて言えば、この停滞する<水>。
何処かで聞いた事のある話だ。
…えーと、どこだったか。
喉元まで出かかっているのに、思い出せない何とも言えぬ気持ちになり。
辞めた。
その内、思い出すだろうと。
横で、ヘムに説明が長いと言われ。反省してますですぞーっ!!喜んでいるジャー。
俺は、ジャーに習って手を上げて、
「要するにだ、俺の出来る事はだ。<土>の古代語魔法は相性抜群で、自己強化系の<火>と、対象を弱体化させる<水>が使えるって事だよな?」
今までの説明を統合すれば、大体こんな感じか。
俺の横にヘムは、座り。
「ん、合って…る。共同製作…する、立場としては、土…、金属加工に期待」
両手を取り、握る。
「改めて…よろしく…ね」
その小さな手を握り返し、
「此方こそ、よろしく」
これで、きっちりとヘムとの共同研究の流れ…、大概俺が教えて貰うんだろうが。
出来たのは、凄く喜ばしい事で。
ジャーが、また。
「なんですとっ!共同研究だなんて、なんてイヤラシい響きですぞっ!夜のと、前置きするととっても卑猥ですぞっ!だめですぞっ!!ああ、駄目ですぞぉおおおお!!」
と、壊れ始めたので一度意識の外に切り捨てる。
ヘムは、俺の手を取りながら、立ち上がって。
スン、と鼻を鳴らす。
「ご飯、の…臭い。お腹…すいた…から、行こ?」
確かに、向こうからチーズの焼ける美味しそうな朝食の匂いが漂ってきた。
●
体内時計では、おおよそ午前7時から8時の間。
朝食は、昨日騒いだ場所で、車座になりながら、帝国軍の携行食糧から酸味の強い棒状の乾パンと、火で炙って溶かしたチーズ添えが用意されていた。
右手には、パンを掴み。
一口囓れば、かみ砕けないほどでは無い物の。
「堅い」
と、思わず感想を漏らしたくなるほど。
更には咀嚼している最中、乾パンだからなのか、口の水分が奪われてかなり食べにくい。しかし隣のヘムもジャーも、村人も平気で咀嚼し嚥下しているので、石や木では無いのは確かだ。
左手には、昨日麦酒がなになみと注がれたジョッキ。今は、麦酒の代わりに薄い紅茶とも烏龍茶とも取れる味と色をした帝国産の茶葉を煮出した物が半分ほど入れられ湯気を立てている。
ジョッキの中身を啜り、
「紅茶のようで、烏龍茶のようで…、不思議な味だな」
口内を湿らせてから、また囓る。
飲む、囓る、偶にチーズを付けて塩の味を楽しみ、また囓る。
こうすると、まだ食べやすくなるが。
そういや、ゴブリさんの料理が旨かったから、この食事は少し味気ない。あの茸茶は、あまり飲みたくないが。
ヘムは、既に食事を終えている。
俺の食事量の数倍のパンを、その胃に収め。陶器のカップの中身を啜りながら、
「ゴブリ…、さん。どう…したのか…な」
やはりヘムも気に掛かるのか、村の外を気にしているが。
「だな、ゴブリさん昨日朝一番で出かけて、一日経過してるしな…、何か問題でもあったのか?」
丁度、ジャーも不寝の番のテンションが下がり、暖かい物を摂取したお陰で眠いのか、欠伸をして。
「ですなぁ、私めも気に掛かるので少し仮眠を取る前に、<戦女神>様に<神託>で聞いてみますか」
ジャーは、早速と言って腰の鞄から、小さな銀色の剣を象った装飾品を取り出す。
俺が興味深げに見ていると、
「ガンド氏、これは<戦女神>様の信徒の証。発祥の地ウルクにちなんで<ウルクの銀剣>と呼ばれるものですぞっ!」
小さな銀の両刃剣。その柄頭には通し穴、そこに革紐が通されている。
それは、一見すれば十字の様にも見えるが、鍔の部分中央には、同材質の輪が重ねられていて。
ケルト十字にも見えるそれを、太陽に掲げるジャーに、
「神様と直接対話出来るのか、ジャー?」
「そこまで仰々しく、大それたものではございませんぞ?」
横目で、それでいて得意げに答えるジャー。
<神託>とは、<神聖方術>の基本方術であり。
古代語魔法が、自分のイメージを具現化し発動する魔法大系なら。神聖方術とは、捧げることで神の力を対価として借り受ける魔法大系なのだそうだ。
そして、常々見守り、己に力を貸してくれる神々に感謝として自分の<理力>…、先程教わった古代語魔法的には<魔力>を奉納する代わりに、ジャーならば<戦女神>や、その眷属神が、
「良くあるのは、その日の運勢ですな。あと吉や凶の方向を教えて頂ける事もありますぞ?」
ちょっとしたお告げをしてくれるらしい。
にしても、此方の世界の神様は、俺の居た世界と違がって人々と”近い”印象を受けるが。
「では、少し奉納する理力の量を奮発いたしまして」
銀色の剣を、再び確りと太陽に掲げ、太い声で、
「邪悪討つ銀剣。ウルクの地にて、我らを鍛え見守る<戦女神>に、日々の感謝の祈りを込め、我が理力を御身に捧げまする、<神託>」
祝詞のような言葉を、太陽に向かい放ち言い終えると。
ウルクの銀剣と言われた、<戦女神>の象徴から。ジャーの掲げた手の中から、光りが漏れ出して。
「ジャーの、頭の上で光輪を形成して…回る?」
時間にして、刹那。
光りのしぶきを上げて、弾ける。
しかし、神託を聞き終えたジャーの表情は焦りの色が濃く、立ち上がり。
「っ、まずいですなっ!ヘムお嬢さん、準備をっ!」
その声を聞いて、まず帝国の兵が動く。
続いて、村長代理や、村の男衆が。
ヘムは、ジャーの慌て様を見て、カップを隣に座る村の老婆に預け。
「何…、神託…言われた…の?」
「奮発した甲斐がございました、暇を持て余した<戦女神>様本人より『南方向、このままだと全滅、早くしろっ!!間に合わなくなっても知らんぞーーーっ!!』の三本仕立て、同時に見せられた光景は羊っぽい魔物の群れに追われたゴブリ殿でございますっ!!」
ヘムは、有無を言わせず立ち上がり村長宅へ走る。
白のローブや、道具を取りに走ったのだろう。
俺も、食べかけの乾パンを口に入れ無理矢理に咀嚼し飲み込み。
「ジャー、俺も行く」
自然と、口から言葉が出た。
「実戦経験は、ございますか?」
実戦経験、そんなものは無い。もちろん、命のやり取りもだ。
「ねぇよ、しかし…だ」
俺も、立ち上がり南西の方向を見ながら、
「男なら、やるときやるし。助けられた恩や、服に食事、その恩は返せてねぇからな」
両腕の拳を付き合わせれば、堅い金属音と共に、
「相棒も、やる気みたいだしな」
金属の繋ぎ目から、紅い光が煌々と漏れ出し意思を表示している様だ。
「おおいっ!」
先程立ち上がって、何処かに向かった村長代理が、
「ジャー、持ってきたぞ。おまえさんの装備だ」
村長代理がジャーの装備を引き摺るようにして、持って現れる。
腰に挿した短杖でなく、それは鉄のような鈍い色の鎚矛。それに、丸みを帯びた盾。
手取ったジャーは、方術士と言うよりも、神官戦士に近い印象を受ける。
「村長代理助かりますぞ?それに、これから村を出る準備を」
受け取りながら、村長代理に指示を出す、
「わかった、ジャー。ガンドの兄ちゃんも気を付けてなっ!!」
走り急ぐ村長代理を見ず、俺から眼は離さずに、
「ガンド氏、貴方は冒険者でも無く、帝国兵でもないのです。最悪羊に喰われて人生が終わる。それでも、行く覚悟はございますかな?」
ジャーなりの心配なのだろう。
暗に、死ぬかも知れないぞと、教えてくれている。
煌々と光る龍腕が俺の意思を汲み取り示すように、
「俺は、死なないさ。一回死に掛けて、ヘムに救われた命を捨てる真似だけはしないし」
拳を握り、
「ヘムに造られた相棒がなにより行けって言ってる気がしてな」
龍腕が、その言葉にますます紅い光を吐き出し。
「仕方ありませんなぁ。ぶっつけ本番で命のやり取り希望とは、しかし」
ジャーは、言葉を歩き出し。俺もそれについて行く形で歩き出す。
再び口を開き、
「ですが、勇猛と無謀を取り違える真似だけは…」
「は、それは昔から良く”あの人”に言われてた事だ、あの外道共にもな」
それは、良き友人を持ちましたな。と、こいつやっぱりヘム絡まないと超優秀だ。
少し男二人で歩き、なにげなく会話しながら、村の張り巡らされた柵の出入り口へ。
帝国の兵が、幾人か外を見ながら警戒し。
そこへ昨日凍らされていた一人。今見れば、隊長格っぽい男性が、
「そこの、青年。ガンドと言ったかな、武器は要らないのかね。今なら槍や剣を貸すことが出来るが」
指さす方向の柵に立て掛けられた、鞘に収まった長剣に、斧と槍が合わさったハルバートを始めとした、いくつかの武器が立て掛けてあるが。
試しに、長剣を手に取ると。龍腕が、そこで空気を震わせる唸りを上げる。
「うわっ!」
と、驚いたのは横で弓の弦を張っていた帝国兵。
すみませんと、謝りながら。
戦いが近くなるにつれて、眼が覚めてきた様で、多芸になってきてるな。
「相棒自体が、要らないって言ってるみたい…、ですね。お気遣い有り難うございます」
長剣を戻した後、振り向けば。
俺の両腕におびえた風にも見える帝国兵の皆さん。逆に、一人羨ましがる隊長格。
「ふむ、ヘムお嬢さんも、中々に勢いのある魔法具…、いえ既に<魔導器>として認定出来る物を造り上げた様ですなっ!」
「ですな。それよりも、同志ジャー殿。先程までのヘムお嬢さまの”生足”は眼福でしたな、いやまったく」
駄目な二人組は、くぐもった笑い声を上げて印象的に最悪になる。
そんな中、村の方から走ってくる白いローブの姿が見える。
「ヘムが来たな、ジャー」
声を掛ければ、無言で振り返り、視線はヘム方向へ。
しかし、その顔は残念そうで。
「生足は期間限定でしたか…、がっくしですぞおおおおおおおおっ!」
と、項垂れる。
足音が近づき、俺達二人の前に立つヘムは、
「おまた…せ、どうし…たの?」
説明は、そう何事も簡潔に、
「いや、ジャーがいつも通り駄目になってるだけだ」
「ん、わか…った」
これで通じるのも何かと思うのだが。
「ん、ガンド。本当…に、良いの?」
「ジャーにも言ったが、行くと覚悟を決めたからな」
ヘムは頷き。
目の前でジャーと同じく項垂れている、
「隊長…さん?」
帝国兵の隊長格に声を掛け、笑顔の隊長格が振り向くと、
「これ…より、帝国冒険…者協会所属の、冒険者2名と、民間…協力者1名に、よる状況…把握と哨戒、追撃され…ている冒険者一…名の、救出に向か…います」
対して、帝国の隊長格は、
「現時刻をもって、緊急的にエルベ村の37名をソテツに疎開…、いえ魔物の危機が迫っている為、避難を開始します」
隊長格が、俺を見て、
「ガンド君、君のお陰で馬車への積み込みが比較的速やかに行われた、帝国兵を代表して礼を言う」
手を差し出す暇も無く、
「行たまえ、ヘムお嬢さまもお気を付けて。同志も、無事帰ってきたら秘蔵のコレクションを見せてやろうっ!」
声を聞きながら、村の外に向かい、大きく一歩。
街道では無く、道無き石灰石の尖塔が伸びる草原へ。二歩目からは全力へ俺たち三人は駆け出した。
●
エルベ村の丁度東側の丘陵地帯。
季節が季節ならば、観光や行楽がてら赴ける、石灰岩が長い時間を掛けて風化した<石灰尖塔>が数多く見られる地域まで、なんとか戻ってきた所までは良かった。
「じゃが、コイツは想定外じゃて」
岩場の影という影に、これほどまでの饕餮の眷属が隠れちょうのは、のぉ。
その数、およそ100から120と言った所で、儂には気付いちょらんじゃろが、此処を抜けるとなると。
風向きも今は、風下。
しかし、ここから先近づけば、足音を消していても確実に気付かれるじゃろなぁ。
ここに来るまでの間、2度。単独で彷徨いている羊を、短剣を投擲し仕留めたが、全て直前に気付かれた。
気付かれた原因は、1度目は偶然もあるが。2度目なら確信に変わる。
「妙に耳が良い。音や震動に関しては、異常じゃの」
光源の届かない洞窟の奥地に生息する野生生物や魔物には、同じ様な特徴が見られるが。
なんにせよ、
「あん時の、無茶な強行突破に比べれば、まだまだやれるかの」
左右の腰の吊した短剣を鞘から抜き、
「此奴等、本体であるあの化け物を待って、エルベ村を襲うつもりじゃろが」
耳が良いなら、潰してやれば良いだけ。
それに、自分らの姿を見て村に逃げ込まれぬ様、潰しに掛かってくるじゃろうて。
少ない時間で、考えを纏め。
小声で、
「…風霊よ、打ち合わせ通り鳴らしちょくれよ?」
不意に現れるのは、風纏った緑の球体。それが、来るりと身を回し。
それを合図に尖塔の先に飛び乗ると、
「ほいさっ!」
次々に尖塔の先に飛び移り蹴り、意図的に音を鳴らす。
「めぇええええええええええええええええええええええええええええええっ!」
気付いた羊共が、次々に声を上げる。
「ほおれ、ほれほれ追ってこいってもんじゃの」
目指すは、此処から見える中で、最も大きな”龍の牙”と言われる見上げるほど大きな石灰の柱。
羊どの中には、太めの尖塔を駆け上がり、
「んめえええええええええええええええっ!」
叫びを上げながら、儂を押さえ込もうと高く飛び上がるが、甘い。大甘じゃな。
「腹が丸見えじゃて、ほいと、頼むぞ<風刃>じゃ」
風霊が身を揺らせば。
詠唱の代行を精霊が担い、短剣を触媒として風が纏わり付く。刃が振られれば不可視の、風の鋭く薄い刃が空を切り、羊の胴体の中程まで断ち、内容物が溢れ出す。
それを確認するまでも無く、次の尖塔に飛び移り。
「あと何発撃てそうじゃ?そうか、4発が限度かの、なら節約じゃな」
風霊との言葉無き会話も慣れた物。
儂には魔法の才はほとんど無く、相性も低位の風の精霊の契約がようやっと出来るのみ。
それでも生き残って来られたのは、
「魔法は。節約じゃから、こうするかの」
足下を追随する羊の群れに、腰に吊した幾つかの小瓶を強く振ってから軽い調子で、後ろに投げ捨てる。
瓶が地面に落ちて、群れはそれをいとも簡単に踏みつぶし。
突如爆音と共に、光りが奔り、炎が上がる。
「ほっほ、ヘム特製の失敗ポーションの廃液じゃて、凄かろ?」
そう生き残って来られたのは、”砂塵”譲りの意地汚さじゃよっ!
爆風に乗って、羊の群れと距離を開けて少しだけの猶予が出来き、後ろを確認すれば。
「全くもって、あれを生き物と考えたくないのぉ」
燃えながらも、意に介せず絶叫を上げて追ってくる羊の群れは、狂気そのもの。
幾多の魔物を見てきたが、炎耐性を産まれながらにして持っている魔物や、元々燃えている魔物に関しては燃えていても平気なのは判るんじゃが。
「それだけ、あれが異質にして、狂気の産物じゃと言う他ないの」
そう、そんな物がエルベの周りを囲んでいる。
偶に群れで、人を襲ったりはしていたが、此奴等の本来の目的は、
「本体の餌となる村の監視じゃな」
と、なると。
出現時期から逆算するにあたり、
「イゼル王国と、小王国連合との戦端が開かれた時期に合うが、制御出来ないじゃろコレはの」
尖塔を先を蹴りつけて、跳ぶ。
イゼル王国じゃなければ、古代遺跡を中身を確認せずに開けた同業者か。
考えながらも、意識は毛先の一本まで尖らせて。
幾度も宙に身を躍らせ、時折。
「おっと、お替わりじゃ」
数匹が突出し、小瓶を一つずつ小出しにしながら群れの進行方向に投げて、踏ませれば連続で火柱が上がる。
「ほれほれ追ってこい、鬼さん此方手の鳴る方へじゃ」
この作戦は、この周囲の全ての異形の羊共を引き寄せ、動きを止める事が肝要。
龍の牙の周りの尖塔を、跳ね回り。
絶叫と、叫声が周囲を包み、
「頃合いじゃの」
龍の牙に跳び移るも、高さも距離も足りず、異形の羊の群れに落ちそうになる。
折り込み済みじゃよ。
腹の底で笑いながら、
「頼む、<風跳>」
異形の羊共の飛び上がった鼻先より上、儂の丁度足裏に風の足場が産まれ。
浮遊感と共に、一気に飛び上がり、更に足場が産まれ、踏み込めば更に浮き上がり。
「ほんに惜しいの、羊共」
龍の牙の頂点に立ち、鞄から虎の子の先程のよりも大きな瓶を幾つか取り出すと、そのまま長く垂れた耳を塞ぎ、
「最大出力の<大音響撃>じゃっ!」
凄まじい、直に聞けば鼓膜が破け、脳が揺れるだけの、衝撃を伴った音撃が龍の牙の直下で響き。
羊共は、耳が良い。
ならば纏めて大音響を聞かせてやれば、動きぐらいは止まるじゃろ?
儂の横に現れた、風精が身を揺らし。
「ほっほ、そじゃの。仕上げと行くかの」
手に持っているのは、ヘムが作った失敗作でも一等強力な廃液ポーション。
工房長が、秘石より安価かつ、究極的な必殺兵器と語るほどで。
効果は、先程投げた小瓶と同じく大爆発。
その威力は、先程の小瓶の数倍以上で誘爆連鎖するオマケ付き、”陛下”が戯れに投げたら城壁の一部が綺麗に消し飛んだ程の代物じゃ。
それを、
「ほれ」
手首を効かして、一つ軽い手つきで宙に放り出す。すると、地表面に辺り瓶が割れ。
轟音ともに、羊共が宙高く舞い上がり、次々と連鎖して爆発を起こす。
それを周りに計八個きっちり投げ込みながら、
「ヘムも、なんじゃろな。偶にこういう失敗を、中身は確認したが普通の錬金触媒なんじゃがな」
直下で次々と連鎖するように大爆発と、轟音が鳴り響くと共に、羊共が焼け爆ぜていく。
それを見下ろしながら。
やはり、戦いは苦手じゃな。
呟けば、風霊が戯けるように、身を揺らし。
「ほっほ、儂はしがない斥候じゃぞ?”団長”や”旦那”それに、”砂塵”の様に、身体能力的に正面切って戦うのには不向きじゃし、”陛下”や”黒衣”の様に魔法も苦手じゃが」
まだ、動いている羊の方に、普通の廃液瓶を投げ込み止めを刺す。
「生き残る事に関しては、戦友達よりも一枚上手じゃと、そう思っておるぞ?」
直下を見れば、既に元の形を残さず焼け焦げた肉塊が辺りに散乱し、腐敗臭を撒き散らす。
「これじゃな、この後此奴等は消えて無くなるが…」
何処にいくんじゃろな?と、言いかけて頬に痺れる様な感覚。
思わず目を見開き。
突如として真下から、龍の牙の直下から大絶叫が上がる。
「なっ!!真下じゃとっ!!」
目を見開き、凝らして見れば。”饕餮”本体よりも小さな。今潰した群れの羊共よりも、何倍も大きな幾本も拗くれ絡み合った角に、より鋭く醜く生える乱杭歯。胴体は、何故か焼け焦げ煙を上げているが、胸の下から、まだ腕も無く、下半身も無く、
「まさか、まさかのっ!」
グズグズと煮立った腐汁塗れの肉片が、ゆっくりとゆっくりと蠢き重なり合う。
「此奴等、倒されればその場で、より強固な個体に再構成されるじゃとっ!」
手持ちで、倒しきれる武器も、道具も無いが。
倒しきる手は見えた。
完全に炭化した部分は、再構成から除外されちょる。
「再構成されるまでに、多少の猶予、それまでに焼き尽くせるか、戻らぬ位…」
その時、繊維が断裂する音が幾度となく響き。
大羊の両頬が大きく裂ける共に、繊維質な何かが千切れ飛ぶ、乱杭歯が露出し、喉奥にはヌルリとした、生理的嫌悪の衝動を引き起こす昏い光りが灯り。
「くっ、まずいのっ!」
咄嗟の判断で、仮称”大羊”の逆側に、エルベ村方面に。龍の牙から勢いよく、身を躍らせ。
仕方あるまいて、これで残り1回。
「<風跳>を頼むっ!」
自然落下しながら、足裏に風の足場を感じて、踏み込み更に跳ぶ。
二度三度、風の足場と踏みその場から離れようとして。
北側から、此方に走る3つの姿を確認し、
「ほっほ、これは」
倒せる目が出たの。
直後、大羊の喉奥で、収束された昏い魔力の咆吼が、龍の牙の上部分ごと綺麗に吹き飛ばしたのを見た。
●
エルベ村から、草原をひた走り大凡で20分程度。
徐々に爆発音が近くなり、耳を劈く衝撃音が響いたかと思えば、計八回の大轟音を伴った爆発が続く。
「音が近くなってきたなっ!」
俺は走りながら、音を聞き。
両腕が紅い光を放ち始めてから、全力で走っても息切れしない不可思議現象の恩恵を受けながら。
ジャーも、息は荒いがまだまだ余裕がありそうで、盾と鎚矛を背負い走りながらも、
「ゴブリ殿は、風の精霊魔法使い。それも低位魔法しか使えなかった筈ではっ!威力的には、火の中位から上位の精霊魔法を連発している様な爆発ですぞっ!!」
何か、非常事態が起きている事は確かだと言う。
ヘムは、無言だが流石冒険者、軽装なのもあり息切れせず。
いや、違う。
足裏には刻唱陣が展開されており、加速を助ける術式を展開している模様。
そんな中、爆発音が止まり。
正面の高い、10メートル近い石灰石の尖塔の上に、小さな影が見える。
「ゴブリさんっ!正面の高い尖塔の上だっ!!」
姿を確認し安心したのも束の間。
人とも、動物とも言えぬ不快感を混ぜ込んだ様な大絶叫が、大気の振動を伴って響き渡り。
ゴブリさんが、次の瞬間此方に向かって、飛び降り、空中で幾度か跳ねる。
続くのは、
「…っ、何か…来るっ!」
ヘムの声と。
尖塔の上部を斜め下から。昏い、激しい怨嗟の塊を、一気に押し出したかの様な赤黒い色が、抉り穿ち砕き削り喰らい尽くす様に、撃ち込まれるのを俺は見た。
●