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天井に吊り下げられた魔法の燭台の明かりの下。
明かりが有れば、影が出来る。
床一面に広げられた、様々な形をした物が影を生み。
ヘムに許して貰い、痺れた足を胡座を組み変えながら、俺が見ているソレはと言うと、
「鱗に、鉱石に、小瓶に入ったゼリー状の何か。あと、蛙の卵みたいな物体…」
今の長椅子前が怪しい素材で埋まっている。
「全部、ガンド…の、腕の材料…だよ?全部…使っちゃって…ないのも、あるけど」
と、見せられるのは。
俺の破損して千切れた両腕をベースにした義腕の材料の数々。
曰く、火竜の翼部上部にある筋組織片。大陸北部に生息する多眼蝙蝠の皮膜。地下断層帯に巣を張り巡らせるナチャ蜘蛛の縦糸。生命の流れの伝導率が高い賢者の鉱石と、呼ばれる物を冶金し製造した、賢人鋼。竜の鱗と生命の宝珠を砕いて混ぜ、錬金術で水溶液にした物など。実に数十種類以上あり。
中でも、微妙に痙攣している物体に目が行く、
「この、動く繊維の塊は?」
しっかとねっとりと絡み合う、白い繊維の塊を指さしヘムに聞いてみると、さも楽しそうに、
「えと、ね。ビホルダー…って目玉の魔物の…視神経束…だよ?断裂した…神経をコレで…繋いだの」
と、次々と。どの様に使用したのかを説明してくれる。
最後に、羊皮紙を広げて使い切ってここに無い材料。
すなわち、俺の両腕の中に使われている材料が記入されており。
採取地域不明の龍眼一対、火悪魔の爪、遺失繊維一束などな…ん?
「えーと、ヘム?」
「ん…、判らないのある?」
ぶっちゃけると、全部判らん。
しかし俺は、左端の文字らしき物を指差し、
「これは…?」
明らかに、この世界の文字とは異なる様式であり、ヘムの書いた文字としても余りにも不慣れな字…、と言うよりも、絵が描かれている。
ヘムは、少し考えて。思い出したかのように、はっとした表情をする。
そうして、少し複雑そうな事情がある表情をしながら、
「これ…、実は貰い物で…。どんな…金属特性あるかは、聞いた…けど。文字読めなか…ったけどね、布袋に掠れたインクで書いてて…一生懸命…写したの…ガンドは…読める…の?」
読めるとは言いがたい。
ヘムが写したのは、多分だが漢字。しかも、かなり古い漢字だ。卜占用の甲骨文字とか、青銅器などに刻まれた金文に近い物。
確かに、記号にしか見えないが。
アルファベットの基礎になってるルーン文字も記号扱い出来るよな。
「ヘム、ちょっと読むが、期待はしないでくれ。俺の普段使ってる文字の古代言語版だ」
彼女は、
「古代言語」
と、息を飲み。その目は正しく好奇心に溢れた、研究者の目だ。
鼻息が少し荒くなり、勢い良く羊皮紙を俺に手渡す。
受け取った俺は、暫く書かれた文字をじっくり見ながら、近い漢字を当てはめていく作業に入るがコレがまたややっこしい。
甲骨文字や、金文と言えば、紀元前2500年前後から紀元前1600年前後の代物で。
下手すれば、甲骨文字は同じ文字でも形が違うと言う事を聞いたことがあり、せめて古文であればまだ読める形になってるんだが。
嘆いても仕方ないので。
あれやこれやと、悩みつつも。一つ。また一つと、読んで…じゃないな、。左右逆になったりしているので、パズル感覚で組み合わせて行けば、
「てん…流れる?河かこれ。あーっと、逆か。ちんさだ…違う。ていかな。これは、嘘だろ。まさか、しんちん…てつ!」
羊皮紙には、原盤の布袋にも、だが。
あり得ない金属名が書かれていたことが判明した。
俺の世界では、物語上の架空の金属でありながら。オリハルコンとも、ヒヒイロカネとも同等に…とは、言えないな知名度低いし、相応に扱われる、
「天河鎮定神珍鉄っ!西遊記の如意金箍棒の破片か何かか、これっ!!」
何であるんだよ、何でも有りか異世界。
ヘムは、そわそわしながら、
「ガンド…それ、何?」
かぶり付くように、俺の目の前までやってくる。
近い近いっ!
触れそうな距離まで、接近する彼女に、
「俺の隣国の古い創作に出てくる、天の川の砂鉄の名前でね」
「天の…川の砂鉄?」
ヘムは、天の川を理解していない様子なので、開け放たれた窓から少しだけ見える夜空を指差し、
「あの、帯状に集まった星々が天に流れる川のように見えるから、天の川」
「ん、素敵な…それに詩的な…表現」
偉大な先人の表現がお気に召した様子で、先を促される。
「まぁ、その天の川の砂鉄で造った伸縮自在の棒なんだが。多々只管に重くて、使い所が海の底を整地する程度しか無かったらしい」
その後、孫悟空に強奪されて天界大暴れ事件勃発って流れは伏せておく。
「ん、確かに…大きさの割に重い鉄の…欠片。数枚を…全体的に覆う様に錬金術で刻印加工…したけど、良く伸びて薄くて…今。ガンドの両腕と肩甲骨…覆ってる赤銅色の…金属が…そうだよ?」
薄明かりでも、鈍く光る赤銅の腕を確認しながら、
「これが、ねぇ…」
見た所、何の変哲も無い…とは言い切れないが、触覚あるし。それでも、見た目だけは赤銅色の金属板を薄く貼り合せた腕だ。
甲冑用に使われる鉄製の長手袋程もごつくは無く。
耐久性や、実用性に関しては昼間の労働…、殴ったのは事故だ。で、十二分に確認済み。
謎の発光現象に至っては理解の及ぶところで無い、
「色々置いておくとして、伸縮自在って事は。まさか、変形とかしないだろうな…ジャキーンとか言って」
伸びる腕を思い浮かべて、無いな。と、打ち消す。
変形機構ってのは、耐久性に難があり幾多の浪漫兵器が設計されたものの、実用段階に至った物は皆無。
辛うじて、陸防の500型系列の多機能型戦車に戦車形態から起立形態への、簡易的な変形機能が採用されたと報道であったばかり。
耐久性云々と、専門家が討論を繰り返していたが…その時は受験勉強で詳しく内容を記憶していない。
起立形態の撃ち下ろしは、浪漫兵器のそれではあったけど。
なんにせよ、ジャー殴って、壊れないなら耐久性十分。
俺の常識では、変形機構は組み込まれてないと見る。
逆に、これで変形機構が組み込まれてるなら。それは、形状を最適化して組み替える変態、進化とも取れる状態にあると言え。
俺とヘムの周り見れば、ふんだんに怪しい生体部品が置かれているので…まぁ、可能性はある。
ヘムは、窓の外を。先ほど教えた天の川と見ながら、
「ん、使った…素材の割…に、とって…も、圧縮されて…小形になってる…から、そう…だ」
彼女は、空を見上げていた窓際から立ち上がり、床面に置いた素材を避けながら、俺の右横へ。
正しくは、俺の右腕に触れる為に横に来て座る。
「ガンド、龍眼…開けるね…」
「開けるって?」
言うが早いか。
右腕の上腕部、その甲部分に手の平で触れ。確か刻唱陣と言った、薄く蒼く淡く光る複雑な幾何学模様が何層にも渡って描かれている。を、展開する。
ヘム側の刻唱陣が、刻みを入れる様な形で回転し始め、一定の刻みを入れた所で、薄く朱色に変わり。
その行為が、
「金庫の鍵を開ける…みたいだな」
目の前で刻唱陣を展開しているヘムは頷き、
「ん、中の…龍眼に設定した、属性を含んだ…多重刻唱陣で<特別鍵>…してるから…。第十二階梯魔法級でも…そうそう、開かないよ?」
言ってる合間に。2枚目が、淡い黄色に。3枚目が、薄い青緑に変化。最後の4枚目が、白い光を放つと刻唱陣が音も無く割れ。
「ん、ガンド。開くよ」
義腕の上腕部装甲が、音も無く左右に滑り展開。
整備用の開口部からは、腕の中身が見える。
自分の腕の中身の第一印象は、
「意外と、整理整頓…各部位毎に纏められてる?」
黒い遺失繊維で各々覆われた筋肉繊維があり、銀色に光るのは橈骨と尺骨の代替品となっている賢人鋼。ビホルダーの神経と青いゼラチン質の血管群を覆うのは、ナチャ蜘蛛の縦糸と多眼蝙蝠の皮膜を加工した物で…と、説明を受けながら。
各部が俺の心臓の鼓動に合わせて動いている。
「でね…、この奥に…」
ヘムの言葉の前に、其れは姿を現す。
奥深く筋肉繊維の間。埋もれる様に、蹲る様にある、瞼を閉じた眼の様な物体。
それが、せり上がり、うっすらと瞼を開け。
両腕の隙間から、紅い光が漏れる。
…発光現象の正体は、コイツか…。
眺めていると俺と、其れ。
お互いの眼が合った。
視線が、外せない。いいや、外さない。ここは、外したら”コイツ”に負ける。
自分の腕に。
何処の誰かか知らんが、討伐された龍の目玉如きに舐められてたまるかっ!
眼は、じぃと俺の瞳の奥を心まで見通すように。
幾分経ったか。
なんて、考える暇さえ無い。
時間経過など構わずに、根比べが続く。
ふと。部屋に月光の光が確りと差し込み。それは、眼を。笑うよう満足そうに細め。両腕の継ぎ目の隙間から挨拶をする様に、紅い光が漏れる。
一応は、挨拶出来たか?
ふぅ、疲れた…。
腕の中に潜む龍の眼に、
「よぉ。相棒…、知ってるかもしれんが。巌戸・拳蒔だ、よろしく頼む」
黄色い皿の様な眼見開き、紅い光を吹き上げ、吐き出すが、勢いが緩い。まるで、鼻で笑う様な。
…っ、前言撤回。
こいつ絶対馬鹿にしやがった。
再び瞼を閉じ。再び蹲るように、埋もれていく。
「ちょっと、待て!こんにゃろ…何時か見てろよ、コイツ」
完全に潜り込むと、開いていた装甲が自動的に閉じ。紅い光を、俺の鼓動に合わせて数度吐き出すと、先ほどと変わらない赤銅色の輝きが月明かりに照らされている。
彼女。ヘムは、月明かりに横顔を照らされながら、
「お話、出来た…ね?鍵もね、自分で掛けたみたい、刻唱陣…理解してる…」
嬉しそうに、語るヘムなのだが。
「ヘム…、コイツ。性格に難ありだぞ…」
苦笑。
だけど相性は良さそうだ。まぁ…似た者同士って所だが。
「捻くれちゃいるが、悪い奴じゃ無いって、判っただけでも重畳だなぁ」
「ん、良かった…よ。あと、ね、さっき、変形、言ってた…よね。変形するかも」
「するのか…しちゃうのか」
いや、まだ”かも”の状態だ。それに、
「内部見たけど変形機構とか組み込んで無かっただろ?」
中身は、人間の体の内部をほぼそのまま踏襲したもので。変形機構など、無駄な部分等は一切無かった様に思える。
「神珍鉄で、良いの…かな。武器や防具にね、使うとね。扱う人にね、最適化された…姿になるって…、譲ってくれた…小父さん言ってた」
何者だ、その小父さん。
神珍鉄をぽいっと、気軽にヘムに譲るとか。
斉天大聖孫悟空が<転移者>として。いやいや、あれは実在の人物じゃあ無いはずだ。
それじゃ、コレは何だろうか…、知識も理解も追い付かない状況だ。
が、神珍鉄はある。
詮索するのは今後に、機会があればとして。
彼女は、
「強い感情に、呼応して。求める、意思に、答えて」
それは…。
「龍と、ガンドが…必要な時に…必要な姿に変わる…かも」
俺次第…って訳か、あと相棒。
必要な時って、案外直ぐ来るかもなぁ…なんて考えつつ。
立ち上がって、窓の側。夜空の見られる位置へ。月光の差す場所に座り直し。
義腕が月光を浴びる位置に、微調整して…っと。
ヘムも、俺の横に座り。
「ん、とりあ…えず休憩…かな、説明後ね、半分ある…よ」
「半分かぁ…、人体への接続方法とか、まだだよなぁ」
ヘムは、月と天の川を見上げながら、
「ん、先にね、説明するね」
暫く、休憩がてらの月光浴を楽しみつつ。ふと、
「そういや、こいつ…相棒って」
月を掴むように、二つの月の光を浴びるように右手を伸ばし、
「名前ってのは、あるのか?」
制作者であり、隣で星空を見つめるヘムに聞いてみる。
「今の…所、考えて…ないかな。論文…仕様書に纏める為に、仮の名称、は考えてるけど、名前じゃない…ね。ガンド、名前付けてあげて?」
腕を下ろし、組んで、頭捻る。
「名前かぁ」
名前が無いと不便だよなぁ。
名は体を表すとも言うし。
相棒が、名無しの権兵衛じゃ寂しい気もする。
あー、なんだ。
厨二っぽい名前も、思い付かない。ここは一つ、手掛かりとして、
「仮の名称ってのは?」
制作者に聞いてみる。
「ん、試製…龍腕、だよ?」
「龍腕…、直訳するとドラゴン・アーム。しっくり来ないな…名前は追々考えるか」
「ん、決まった…ら、教えて」
「了解」
そんな感じで、月を見ながら色気の無い話をしていると。
丁度真向かい。村長代理宅の屋根の上から、何か抗議する影と、それに伴った奇声が聞こえるが気にしないでおこう。
●
両腕の材料の説明が終わったのは、夜半を過ぎ。深更に及んだ頃。
「結構アグレッシブな接続方法だった…。時間止めて錬金術と魔法で再構成とか…」
人体錬成などの、漫画や物語で得た不穏な想像が脳裏を掠めるものの。
ヘムが言うには、錬金術も魔法も、人が人で有る限り限度があり。
…神々の起こす奇跡ほど万能じゃ無いか…。
そう言ってもなぁ。
錬金術の要領で、損傷部位を置き換える。
説明は単純だが、拒絶反応の出ない異物の生体移植と言う現代科学医療を、同等の物と置き換える事で成してしまう…。
制約や、条件が色々あるとしても。
俺から言わせれば、其れこそが奇跡だろ…まったく。
そんな訳で、現代科学では真似の出来ない力業を実感しつつ、気がついた頃には、月明かりも差し込まくなり。
再び明かりは、魔法の燭台の薄明かりのみに。
ヘムの出した材料を、指示通り。次は硝子の角小瓶を手渡しながら、
「龍眼を始めとした材料の余剰熱量が身体に浸透して賦活…、体内の損傷を治癒を促すか」
説明された事を反芻するが、よく判らない。
ヘムは、手渡した硝子の角小瓶を背負い袋の口に落とし。音も無く、暗い袋の中に消える。
「ん、馴染めば…身体能力…向上も、切り傷くらいなら…数時間で…治癒する…かも」
勿論、切断や部位の破損には対応出来ない。と、過度な信用は禁物と念を押される。
昔から頑丈なのが取り柄とはいえど。
「痛い物は、痛いからなぁ…次、このぬめぬめって。手にくっつかないのにぬめぬめしてる…」
まるで水と洗濯糊、硼砂を混ぜて作るアレの様で。
「ん、精霊の森の…清浄な…小川に生息する、水黴の粘膜…だね。エルフの料理にも…使われる…よ」
「黴…だろ?」
ほぼ透明で、俺の義腕生体部分の保護粘膜になってるコレを食べるのか。
知らなければ、食べられそうなのが怖いなと感じつつ手渡し。
「…う、ん。蜂蜜のシロップ…漬にして、ゼリーとか。野菜と、イールの…煮凝り…は、好きじゃ…ないかも…。ちょっと、…生っぽい…」
ヘムは、そのぬめぬめな黴を手で弄びながら。
「イール?」
「川や…湖沼に…生息する…長細い…川蛇みたい…な、魚かな…」
長細い魚と言えば、鰻や泥鰌を思い浮かべる。似たような料理が確か、
「ああっ!ウナギのゼリー寄せかぁ、あったなぁ英国料理の。俺の世界の国々の中でも、余りにも適当な料理で過ごした時代が有って、美味い料理を作る技術が一般的に衰退した国が」
ある時代とは、英国の産業革命時代で。
あの時期の料理方法を調理実習で再現すると言う、あまりにも危険で、意味不明な授業を受けた経験が知識として生きる。
「焼き過ぎ硬くなった肉。茹で過ぎて、実に水っぽい野菜。豆なんて煮すぎて食感なんてありゃしない。ありゃぁ、食品に対する冒涜だ」
今でも、冷凍食品の消費率が世界最大級って事で、自炊しないそうだが。
ヘムは、首を何度も縦に振り、
「お…、美味しく…ないご飯は、ダメ…だよ…ねっ!」
料理に対し、身振り手振りで話すヘムは、手に持ったぬめぬめ黴を放り投げそうになり、慌てて背負い袋に突っ込むと、
「ガンド…次。そこの草尾獣の…尻尾…取ってくれる?」
少し恥ずかしそうに、俺の左前に置かれている。くるっと巻かれた、巨大な植物にも見える物を指差しながら。
自らの膝先にある背負い袋に、魔法の燭台に照らされ。光に反応するかの如くビクビクと動く、両手でもまだ足りない大きさの青紫の舌。<嘘つき魔女の二枚舌>と言う茸を無造作に掴んで入れる。
俺も肩の筋の接続に使ったとされる、狗尾草の様な特徴を持つ獣の尾を、荒縄で輪っか状に縛った物を手に取り。
「草尾獣かぁ…」
やや乾燥してはいるが、芯の太いネコジャラシと言ったところ、毛も堅めの束子の様。
その手触りを堪能したところで、
「ヘム、取りに来れるか。それとも、行こうか?」
「ん、これ入れ、終わったら…投げ、て」
目の前で、袋の口の限界に近い大きさの物体と格闘中のヘム。ヘムが、その甲殻質な中空の半球を入れる終わったのを見計らって軽く2度ほど投げる動作をし、
「ほいっと」
投げた。
軽く放り投げられた輪は、曲線を描いてヘムの手の中に収まり、
「ん、あり…がと」
次は、丁度手元にある…見た目は唯の赤黒い干肉の束。確かに干肉だが…原材料は、北海にいる海牛…軟体動物の方じゃ無くて、ジュゴンやトドの様な海獣と言うの類いの物だろう。
しかし、干肉と言えば、
「そういや、さっき宴会場で貰った干肉は美味しかったなぁ…これも投げる?」
「ん」
頷きを了承と取り、また投げた。
その干肉を受け取りながら、ヘムが言うには、
「確か…干した肉を、水で戻して…ね。軽く炙ったもの…だよ」
保存の為、塩気が強く辛すぎて硬い干肉。
これを手間は掛かるが、保存食を少しでも美味しく食べる方法なのだとか。
「ちょっとした知恵って奴だな…美味しかったし」
一緒に飲んだ麦酒も美味しかったなぁ…、ここ三年一切飲んでなかったから結構早く酔いが回ったが。
胃から、少し炭酸を含んだ呼気が小さく漏れ。
「っと、すまん」
ヘムは、素材を入れる手を止めて、
「ガンド。冒険者…って、最初にね…教えられる物。何だと…思う?」
「ふむ、冒険者か」
確か、ヘムも、ゴブリさんも。ついでにジャーも冒険者だ。
それが、最初に教えられる事?
ゲームブックや、VRMMO寄りの知識なら、武器の取り扱いなんかだろうけど。
そういえば、VRMMOで最初に取ったスキルがあったなぁ…確か、
「野草とかの知識とか」
体力回復剤の見分け方を付与するスキルだが…どうだ。
思いつきで、言ってみたが。
ヘムは、笑顔で、
「惜しい…けど。少し…足りない…かも」
惜しい、それに足りないか。首を捻り、他に思い当たる事…、発展させて錬金術って訳でもなさそうだ。
唸りながら、幾つか組み合わせても、しっくりこない。
駄目だ、判らん。
ゲームと中途半端な神話知識しか持ち合わせない俺は白旗を揚げて、
「ヘム、判らないっ!」
両手を挙げて降参する。
それを見たヘムは、苦笑し頷いてから、
「冒険者で最初に、教え…られるのは。実は、食材の…採取方法や、…調理方法。つまり…料理。だから、ガンド…の言った事…惜しいの」
確かに、惜しいなぁ。
そうだもんなぁ。野草も採取しなきゃだし、料理方法も知らないと灰汁が強くて、食べられないし…って、
「料理っ!?」
確かに、料理は大事だが。冒険者と言うと、もっとこう…荒々しく直火で焼いた、骨付きのマンモス肉に齧り付くイメージがある。
「そう料理…だよ。と、少しお腹…空いた…かな」
小声で、お腹空いてきた。らしき台詞を零すヘムに、あれだけ食べたのにまだ食べるのかと、質問したくなるのを堪え、
「確かに、暖かい旨い料理は気力維持に繋がるって聞いたことがあるな」
これは、日本の国防陸軍の野外炊具牽引車の喧伝の一文を又聞きしただけだったが。
「うん…、美味しいご飯…。やる気出る…よ。それに、熟練も…、新人も…、仕事無い時…一緒にご飯食べる…から、打ち解け…やすい」
確かに、同じ釜の飯を食うと言う諺があり、一緒に食べた仲間は今でも、友人…いや外道軍に取り込まれたが。
一理あるとは思う。
しかし、俺の思い浮かべる冒険者と言えば、単独行動で都市付近の魔物の掃除…討伐が多い印象が有り、
「俺は、もっとこう、最初は、武器の扱いとかだと思ってた」
「それも…大事」
手の止まっていた、ヘムは先ほどの干肉を鞄に入れた後、俺を見ながら、
「武器の…扱いも大事。でも、食材の、見極めと、調理…は、下手を…すれば仲間も…巻き込んじゃう…から」
「食材の見極めと調理方法で、仲間が巻き込まれる…」
まさか、食中毒じゃねぇだろうな…。
普通のメシマズでも、死にはしないが。
あ、極度のメシマズなら、死ねるな。洗剤で米研いだり、可愛いからってシチューにピンクの入浴剤投入とか、この世界には無いと思いたい。
基本的に食材が傷んでいたら、直接的に言うならば腐敗した食材を使用したら、それは危険だし。
食べ合わせでも、腹を下すことはある。
特に、火を通しても残留するような細菌性や、自然毒による食中毒はやばい…確かにやばい。
俺は、確かめる様に、
「食中毒」
多分、当たりだろうなという確信はある。
ヘムは、満足した表情で、
「当たり、だよ」
ヘムは、腰の帯革に吊り下げた小冊子を一冊、手にとって開き。
「食中毒が…如何に危険か。冒険者…協会創始者の日記…に書いてる…から」
小さな、手のひらサイズの冊子を見る為、床にある素材を跨ぎ避けて、ヘムの隣へ移動。
ヘムの両手で開かれた冊子を、覗き込み、
「これが…」
箱の様な魚が挿絵として描かれた、この世界の文字が細やかに米粒の様に書かれた小さな冊子。
これも羊皮紙に、活版印刷のような技術で印刷されてる様だが…。
印字もはっきりしてて、読みやすそうなのだが、
「…ヘム…俺、すまん読めない…」
残念ながら、俺はこの世界の文字が読めないので、挿絵の魚が、どういう意味なのかも判らず。
ヘムは、失念していたようで、
「ん、ごめん…なさい」
二人で気を取り直し、ヘムにゆっくりと読み上げて貰うのは。
冒険者協会設立の立役者の一人。アーサー・アレクサンドロ・アンデルセンと言う、魔法使いの日記の一部。冒険者の蘊蓄が書かれた部分を抜粋し纏めた物だそうで。
『本日、グラーフが料理した魚鍋で私を含む仲間全員が、痺れや嘔吐に下痢と言った症状に見舞われる。偶然通りかかった、エルフ氏族の女性ロードが解毒魔法を複数回行使して、ようやく我々全員は死の危険性から逃れることが出来た。ロードから聞けば。黒い風船の様な魚はその内臓に猛毒を持ち、少量でも摂取すれば死に至るとの事。グラーフが、この魚を適当に捌いて適当に鍋に突っ込んで煮たのが、そもそもの原因である。後ほど、ロードの氏族の村に案内され同じ魚を調理した物が食卓に上がり恐怖するも、長老衆が言うには、この魚…内臓を取り出して処理し。身を食せば美味である。調理法としては…』
…食中毒による、冒険者の危機。それを前半は喚起する物となってるんだが。
「後半が、この風船魚の内臓や毒嚢の取り除き方講座になって。最終的には味批評になってるのは…いいのか?」
「ん、大事な所…ちゃんと…してる。あと、アースリー…著者の愛称だけど…。原本も料理…紀行本としても…有名で…、色々と美味しい物書かれてる…よ?」
ヘム的には、とても良いらしい。
だが、役に立つのは確かで、
「素材の見分けられない…俺も含まれるが。そんな人が作った食中毒で全滅は、洒落にならないなぁ」
俺も、食中毒を患った事はあるが、地獄だった。
これは、皆で密…いや、言うまい。自業自得で秋口に岩牡蠣を生で食べたせいなのだが…、全員が脱水症状などで酷い目に遭い…這々の体で、病院に担ぎ込まれたのも、体重激減したのも良い思い出…いや、阿鼻叫喚の連休だった。
二度はごめんだと、あの時誓ったのだが、
「調理が大事なのは判った…、回復役まで巻き込まれたら駄目だな…」
これは、少しの不注意で全員を巻き込む危険性があるって事を、初心者に認識させる事が狙いかもなぁ。
日記では、複数回行使って書いてたが魔法で治るとしても。奪われた体力や、気力はそのままらしいので、其処を魔物や盗賊にでも襲われたら人生一発退場か…、
「そう考えれば、良く考えられてるなぁ…、最初に料理ってのは」
「ん、そう…だよ?ガンド、本。仕舞う…ね」
ヘムの細い指が、本を綴じ、腰からぶら下げた帯革で直ぐに取り出せるように固定。
乱れたローブの裾を払い。
「じゃ、ガンド。足下の…鱗を纏めた…」
魚鱗の束を指差し、答えるかのように俺が手にとって、
「これか、はいっと」
ヘムは背負い袋に俺の渡した、鉄片の様な鱗に通し穴を開けた<鉄鱗魚の魚鱗>。それを入れながら頷きつつも、
「だから、帝国軍でも。隊商でも…大抵料理番が居る…よ」
「万が一があったら、困るもんなぁっ…。と、手が止まったな…すまん」
「大丈夫…、あと少し…だから」
周りを見れば、少しと言うけれど。
大物は確かに少ないけれど、細かな素材が、特に小袋が多い。
手伝うにしても、どれから手を出せば良いか判らず、
「ヘム、…何をすれば良い?」
乾燥した濃い茶色をした細長いフランスパンの様な物体。砂漠蚯蚓の幼生をまっすぐ伸ばして乾燥させた物で、魔法を素材に浸透させる為の触媒を作る材料の一つらしい。
傍目から見れば、太い枝に見なくも無いが。正面から見れば、細かく鋭い牙が円上に並んでおり、八目鰻に似ていなくも無い。
それを手に取り、ゆっくりと背負い袋の口の縁を沿わせるように押し込みながら。
「んと、ね。袋物…、最後に入れる…から、縛ってる紐…毎に纏めて…くれる…かな?」
言われてみれば、布袋に、革袋…。多分、動物の内臓を加工したと思われる袋。それぞれの口を色つきの紐で縛ってあり。
「わかった、纏めたら。えーとだな。ヘムの側に置くで良いか?」
早速、膝を付いた四つん這いに近い体勢になり。床に置かれた、黒い紐で縛った小袋達を纏めつつ聞けば。
ヘムは、
「ん、それで良い。あり…がと」
「じゃあ、纏めたらヘムの方に持って行くって事で」
ヘムは頷いたのを確認して。
スモックの袖を片袖ずつまくり上げ、肩口で捻り、
「じゃ、やりますか」
●
気がつけば、大物は既に袋の中に入れられて。目の前には袋物ばかり…縛っている紐の色が違う物がと付くが、ヘムと俺の間に並んでいる。
「ガンドの…右に…ある。桃色の紐で…縛ってる小袋束…取って」
「了解」
ヘムは、丁寧に袋の中に納めているが。先ほど大物の類いは、無造作に叩き込んだ物もあったはず。
…何か違いが?
疑問に思い、
「魔法で空間を湾曲して内部広げてるって聞いたけど、ものによって丁寧に収納する理由は?」
疑問を発して、聞いてみる。
俺の方を向いて、ヘムは頷き。
一つ袋を今度は、白い紐で縛った物を手に取り、口を縛った紐を確認し、俺に見せながら逆さまにして背負い袋に入れる。
「ん、今入れ…た袋」
背負い袋を俺の前に、押すようにして差し出すヘム。
「白い紐の袋…考えながら…取ってみて?」
「わかった、白い紐だな」
背負い袋の中身を覗いてみれば、薄明かりに照らされては居るが、底は見えず昏い。
…中は、空か?
あれほど大量に入れたはずの材料が見えない。
覗き込んでいた俺は顔を上げて、
「ヘム…中身が…」
「ん、大丈…夫。簡単な盗難…防止…、ちゃんと入って…る」
その言葉を信じて、背負い袋の中に手を突っ込む。手が入る瞬間、波紋の様な波が立ち。波紋を境界線として手の先が消える。
この時点では、物に触れている感覚は一切無く。
「白い紐の袋…白い紐の袋…」
唱えながら、すると即座に手に吸い付く様な、それでいて粗い布地の様な手触りを感じる。
袋の中から、手を引き抜けば。
手には、ヘムが袋に入れた状態。つまり、逆さまの状態で引き抜かれる。
「へぇ…、入れた状態と同じ状況で取り出せるって事かぁ」
感心しながら、ヘムが丁寧に入れていた理由に思い当たり、
「袋物…粉末や液体なんかは、取り出した時点で中にばらまいて零れると大変なことになる…って認識で良いか?」
「ん、そう…だよ。湾曲空間…では、固定される…けど。ばらけて中に…零したりすると…掃除…大変」
「鞄の中に、粉末飲料の粉とか。水筒の中身零すと大変だもんなぁ」
「魔法具…だから。専門の工房に…依頼する…から、高いの。共通…金貨1枚、から…かな」
掃除に、大金貨一枚とは高いが…技術と整備費用を考えれば安いのか。
だが、俺は普通の鞄しか知らないので、
「掃除って…、鞄だから逆さにしてドバッとは…?」
ヘムは、首を小さく左右に振り。
「普通の鞄なら…それで、掃除出来る…けど。湾曲…空間で固定されてる…細かい…例えばね、砂とか。取り除くには秘石の、解除と。んと、次使う為に…秘石の定着…作業が…いる、の」
イメージ的には、どうしても取れない隙間に入った埃や塵を鞄を完全に分解してから、掃除して。再び使える様に縫製し直す感じのようで。
便利そうでいて、魔法具って、
「秘石とか、定着とか…手間が掛かるな」
「だから…、基本的に借りる…のが、主流、なんだよ。私も…工房で…作業場と、道具…借りたら…出来る…けど」
場所と、道具さえあれば出来るらしい。
俺は感嘆の意を持って、
「出来るんだ…。そうだよな、俺の腕も…造ってくれて、命も助けてくれた。ヘムは、世界は違うけど技術者として先輩なんだよなぁ」
真面目に尊敬できる、技術者である目の前の彼女は少し照れた様子で、
「ん、ガンドも。知らない文字とか、知ってる。それ…に、話していて再確認とか…、世界の違いで…色々違うから、楽しいよ?」
今までヘムと話していて、料理を食べている時は勿論だが、やっぱり技術関連の話をしている時は一番目が輝いている。
良いよなぁ…、こういう話が出来るのは。
●
話か。
ふと、ある人とした会話を思い出す。
クラスが違うため、放課後の体育館にある多目的室で、よく話した。
その人は、ある格闘技を学んでいて。
その練習中に、よくお邪魔したものだ。
…マネージャーでも無いのに、ミット打ちの練習を手伝わされて居たってのもあるが。
目の前を通り過ぎるのは、見事な上中下の三段蹴りからの、回し蹴り。
『よーやるわ、無拍子からの三段、んで回し蹴り』
『誰だって出来ますよ、継続は力なり。面白いと楽しいを積み重ねれば、いつかきっと届きます』
なんて、あの人は言いながら俺を前に、自分の技術を磨き続けていた。
楽しいと、面白い。
そして、学び、知る事が、今でも俺の原動力で。
そう、例えば、目の前にあるこの魔法具の<背負い袋>。
これ一つとっても、空間を湾曲させる技術自体が、俺にとっての未知であり。
ぶっちゃけると、この腕…相棒自体も技術から素材から全く判らない。
判らないってのは良い事で、面白いと感じる。
判らなければ、知れば良い。
知ったら、出来るまで苦労しながら試行錯誤だ、それが面白い。
そう、見知らぬ事、知らないことは面白いと楽しいと、俺に教えてくれた人が居た。
その人は、ある事故で両脚を失い。
一番為たかった事を、それでも諦めぬ人。
更に、前を見て自分の知らない領域に、迷い恐れずに足を踏み入れる人。
出会いは、中学3年にその人が、転校して来て、隣の席になった、それだけだった。
文武両道で、明るくて、たちまち人気者になり。
だからか、その生き方眩しくて、最初は反りが合わなくて、苦手で離れて。
それでもその人は、俺の事を気に掛けて、話しかけてきて。
中学三年の夏休み前に、気に食わなくなって、果たし状を送りつけて、青春邦画真っ青の河原で決闘して。
それが、俺にとって最後の”喧嘩”になったんだが。
その人が、喧嘩の後。無残に河原のど真ん中で、蛙の様に這いつくばって、息絶え絶えの俺に、手を差し出し、
『迷いは、晴れたかな?』
続いて、
『拳蒔君、君にとっての”面白い””楽しい”ってなんだい?喧嘩は…、楽しい物かい?』
その時は、答えられなかったが。
俺は、その手を掴んでいた。
確かに、喧嘩して暴れても面白い、楽しいとは感じたことは無かった。
それを気がつかせてくれた人に、それからは必死で、とりあえず追い付くと決めて勉強して。
ここで、知らない事が多くあることを知った。
『楽しい、面白い…、確かにそうだな…』
目標は、同じ高校に進学する、知らない事が多すぎて大変だったが、結果は満足のいく物だった。
学生生活に大きな変化が訪れたのは、その翌年。
高校2年の秋。
その人は事故にあった。
事故の詳細は分からず。唯、その人の両脚が失われた事だけが事実として残り。
話を聞いて、慌てて病院に駆けつけた時、その人は笑って手を振っていて。
だから、俺はその時、
『…なんで、笑えるんだよっ!なんで笑ってられるんだよっ!!あんたなら、練武の全国だってっ!!』
努力したって、脚が無いんじゃ無理だって。
そう、俺は。
諦めるしか無いんじゃないかって、思っていたのに、
『ははっ、何時か出ますよ』
『あんた、両脚ないじゃねぇか…』
銃器以外の、刀だろうが。斧だろうが。無手だろうが、なんでもありの武術大会。
それに出場する為に、鍛錬と研鑽を積み上げてきたって言うのに。
『あの大会は、年齢無制限。何でも有りなので、一応義肢でも出られるんですよ。だから、何時かきっと、自分の満足のいく義肢が出来れば、出ます、約束しますよ。拳蒔君』
確かに、義肢であっても、参加は出来る。
圧倒的に、不利だ。
でも、それでも諦めない。
こいつ、やっぱり馬鹿だ。大馬鹿だ、絶対諦めない大馬鹿だ。
だから、言ってやった、
『何時になるかって、馬鹿じゃねぇか!!良いさ、俺が造ってやる。そして、ぜってぇ…練武で勝たせてやる。一番てっぺんで面白いって楽しいって言わせてやるよっ!』
『それは、楽しみです』
それから、必死に義肢造りの出来る大学や研究室を探し。
既存技術では、厳しいらしく。
諦め掛けた時、見つけたのが、高校三年の春。大学に新設されたばかりの、自動人形構造学。
新設のご案内と書かれた小冊子を見ながら、ふと自動人形の四肢を、義肢に利用出来ないかって考えて。
その大学の教授に、自動人形の高性能な滑らかに動く四肢を、義肢として使用できないかメールしてみた。
子供の戯言と、言われる事を覚悟で。
返信など、来ないかも…、なんて、内心思っていたりしていた。
一日、二日経ち、やっぱり来ない。
けれど、三日後。返信が来た。
返信内容は、
『返信送れて失礼。本題だけ、手短に。自動人形の交換用四肢を、蹴り技など格闘動作に耐えうる義肢にするのが主題の様子。現状では生体との接続部分を始めとする耐久度等、まだまだ厳しいと思うが、着眼点と発想は、実に、面白い。素材研究の方面から見れば、突破口が開けるかも知れないね』
それから、複数回メールのやり取りをして、この大学の自動人形構造学…更には、その素材研究者を目指すと決めた。
やるべきは、進学するための準備、すなわち受験勉強だ。
そうして、時間は流れて桜の季節。入学するはずだった大学の合格発表を見に行った帰り道、その人に会おうとして…そして、事故に巻き込まれて、
「気がつけば、ヘムに助けられてこの世界に居た」
戻れるのか、判らない。
約束を守れるのかも、判らない。
ヘムの話も、判らないことだらけだ。
俺が。
巌戸・拳蒔が此処に居る意味は、有るのだろうか、それとも無いのだろうか、判らない。
だけど、だからこそ。
●
だからこそ、判らないなりに、前に進むしか無い。
判らないなら、その裏は知ることが出来るって事だ。
なら、する事は一つ。
そう、強く想いを込めて、
「ヘム、この世界の技術って面白いな」
口にする。
これは、俺の決意表明だ。
「どう…したの?ガンド、笑って…る?」
俺が、少し笑っているのを、不思議そうな顔をして見つめる、彼女の眼を見て、
「知らない技術ってのが有る」
目の前の、魔法という未知の技術で造られた、背負い袋を指差し、
「で、目の前にある」
手に持った小袋を上向きに持ち替え、紐が確りと縛られているか確認し、空間湾曲した境界線に慎重に入れる。
腕をそっと入れた境界線に波紋が広がり、中で手を離して引き抜けば、やがて静かな凪となり。
「これは、俺の世界じゃ無かった技術で」
ここに来た意味は、自分で造る。
ヘムに恩返しするつもりで、何か手伝えれば良いと甘く考えていたいたけれど。
「知らない技術ってのは、面白くて、楽しい物…、だよなっ!」
第一の項目。ヘムに恩を返すのは遅れるかもしれないが。いや、ますます借りが増えてしまうが。
新たに決めた、第二の項目。
それは、<この世界の技術を学び、何時の日か戻れるならば。あの人に最高の義肢を造り届ける事>。
目の前には、俺の望む技術を持つ、先人たるヘムが居て、
「ヘム、少し相談があるんだが…良いか?」
「ん、何?」
姿勢を正し、
「ヘム、この世界の魔法や、魔法具の作り方を教えて欲しい」
頭を下げる。
彼女の声は、少し驚き慌てた様子で、
「ん、ガンド。顔…上げて?それに…本気?」
俺は顔を上げて、
「本気。冗談じゃ言わない」
真顔で、そう答えると。
彼女が、じっと俺を見つめる。
龍眼の。相棒の時よりも、張り詰めた時間が流れる。
ヘムの瞳は、揺るがず。
真剣そのものだ。
時折、お互いの呼吸のみが聞こえる、薄明かりの空間が、刹那の時を持って流れる。
「ん、ガンド。判った…よ。」
彼女も、少し考えた後、
「まだ…、私も…ね。全然未熟だから、帝国…工房で、基本的…な、お仕事…出来るくらいまでしか、教える事出来ない…けど、それ…でも良い…かな?」
「ああ、凄く助かる」
ヘムは、基本を教えてくれる様で。
それだけでも、一歩前進出来る。
「じゃ…教える、けど。交換条件…良い…かな?」
「交換条件?」
「ガンドの、世界の事、少しずつで、良いから教えて?」
●
草木も眠る深夜。
二つの月明かりは、双方共に雲に隠れて大地には届かず。
その暗がりに紛れた影が一つ。
「ちぃと、厄介じゃて」
エルベから、儂の健脚と魔法を使い、走って8時間程離れた場所に居る。
ガンドと朝別れてから、エルベの周辺を探索し、街道付近の様子も見て回れば既に夕刻。
異変が無いのを確認して帰ろうかと、考えた時。
契約している風霊が呼んでも無いのに、飛び出し南の方面に頻りに意識を向けていて。
「臭うのぉ」
風に嫌な臭気が混ざっていて。薄暗がりの悪神の眷属とは違う、また別の悪意を含んだ風が南から流れて来るのが気になり、急ぎやって来たのだが。
嫌な予感は、当るもんじゃな。
「<風霊歩>を使って来たが、こりゃちょち不味いの」
間に合わなんだ、か。
冒険者をやっていれば、希にある事じゃが。
我が身が、情けなくなるの、ほんになぁ…。
視線の先。
王国側と、帝国側の丁度中間地点。川沿いの暫定国境沿いの村が燃えている。
村からは、既に人の声は聞こえず。
山羊の様な、牛の様な、獣の声が幾つも聞こえる。
その中でも、一際大きい咆吼が上がる。
燃え上がる村の中心部から立ち上がるのは、
「厄介と言えば、あの巨大な…魔物。ガンドの言っちょった”饕餮”じゃったかの…そのまんまじゃのぉ」
<視力強化>の魔法で視力を強化し、細部まで見通せば。
炎に照らされた、化け物が一層邪悪に写る。
拗くれた角。眼の無い羊。口元は血に塗れた乱杭歯に、先ほどまで人を食らっていたのだろう隙間からかみ砕かれた人の、果てた姿が挟まっている。
前肢を振り上げれば、蹄…否人間の手を連想させる爪。それも血に塗れており、
「相当暴れたの、化け物がっ!」
怒りが込み上げるが、一人ではどうにも成らないと言う事も自覚している。
それに、
「脇の下に、眼…じゃったな」
一瞬だが、確かに見えた。
前肢を振り上げた、その一瞬。
血走った、眼球があるのを確認。
「饕餮に間違い無さそうじゃの」
ガンドの言う、饕餮と言う存在なら、一つ腑に落ちない点がある。
それは、ガンドの世界の。それも、伝説上。架空の生物だと言う事。
「伝説上の、世界を生み出した根源龍達と同じ。お伽噺の存在が、なんぞおるんじゃ?」
そこまで考えて、
「んな、なんじゃとっ!!」
突如、咆吼が上がり。
魔力が収束する流れが、周囲から膨大な力を奪い去る力が饕餮を中心に発生する。
身を引き摺り込む流れ、それは。
「第十階梯の禁術<生命喰>じゃとっ!」
まずい、アレは。
周囲の生命力を奪い、自らの糧とし強化する禁術。
草木であろうと、人であろうと、魔物であろうと平等に、生命を徐々に削り奪われる。
咄嗟に、振り向き走り出す。
命からがら逃げ出すとは、脱兎の如くとはこの事だろう。
走りながら、
「不味いを通り越して、危険じゃ…奴が行く先は、北…、最悪エルベを通って、ソテツ方面かの」
ソテツは、今避難民でごったがえしちょる。
そんな所で、こやつが暴れれば取り返しの付かない…、帝国側としては一大事だ。
王国側の策なら、いや仮定を考えるのは止めじゃ。
冒険者として、最善は。
「足止め、は無理じゃ…。儂、確実に死ぬしのぉ…、止めて1分か2分じゃなぁ」
しがない斥候じゃぞ、儂。
切った張ったは、得意じゃないんじゃ…。
ならば、
「<風霊召還>っ!」
契約している風の精霊を呼び出す。
緑色の風の塊は、身を揺らし、儂の側に現れる。
彼らは、儂より足が速い。
伝令役としては、最高速で伝えられる。
次に、声を記録できる秘石を取り出して、
「ソテツに滞在しちょる我らが”団長”にゴブリから救援要請…エルベからソテツ方面に向けて…北上中の」
魔物と言い掛けて、止める。
<第十階梯>の禁術を使う魔物は、既に魔物とは言えず。
「現在北上中の存在は。ゴブリ・ゴブが、使用禁術より”第四級脅威”と判断っ!討伐対象は、上位魔獣と眷属複数有りじゃ!新規魔獣呼称は”饕餮”とし、エルベ付近を通過するまで現時点より約1日半っ!儂は、エルベに戻り急ぎ出立の準備を急がせる以上じゃっ!!」
秘石に声を封じ、それとは別に風の精霊にもう一つ、魔力の詰まった秘石を渡し。
「全速力で、その魔力全部使っても構わん、奔れっ!!」
風の精霊が、言葉を聞き入れ飛ぶ様に、疾走を開始する。
「団長なら、…いや、儂の出来る事は、全力でエルベに向かって走る事じゃ」
時間稼ぎの罠を仕掛けたところで、食い破られるのは確実。
その暇があるなら、エルベに危機を知らせる方が良い。
化け物め、覚悟しちょれ。
あの薄暗がりの悪神と同じ悪意の塊め、儂ではどうにもならんがの。
貴様は、確実に打ち倒されるじゃろ。
あ奴と同じように。
それまでの間、束の間の暴威を楽しむと良いじゃろて。
怒りを心に秘め、儂は前傾姿勢となり、闇夜の森の中、疾走を開始した。
●
深夜。
俺の体内時計では、午前2時を過ぎた様な感覚で。
俺の決意表明も終わり、ヘムに弟子入り。と言っても、ヘムは工房でもまだまだ中堅で、弟子を取れる立場出ないので、お互い技術や知識を教え合う事で纏まった。
長いが、充実した一日…だったのだが。
燭台の明かりを消して、寝る段階になり、俺は長椅子でもう一度寝直すつもりで、そんな時。
「ガンド、私も寝る…」
と、白のローブをすとんと、落とすように脱いだヘムが言って。
長椅子に座るやいなや、倒れ込むようにして、
「おや…すみ」
目を瞑り。
直ぐに、寝息を立てて寝始めた。
風が通る分、肌寒く。
「はい、おやすみヘム。って、寝るの早いな、まったく風邪引くぞっと」
置いてある毛布を掛けてやると。やはり、肌寒かったのだろう。巻き込むようにして自分の身体を毛布を包み込む。
さて、俺も寝るか。
別の部屋で、寝床を探すにしても、眠気は限界に近く。
長椅子の足下は、板張りだが。毛布を一枚敷けば、身体を痛めずに済むだろうか。
先ほど寝ていた時に使っていた一枚と、新しい毛布を使って寝場所を作り、横たわる。
暗闇の中で。
今日の出来事を頭の中で纏める。
帝国と王国。そして、戦争が始まりそうなので、この村の人は疎開する。
腕には、龍眼と言う物が仕込まれ、意思を持っており確認した。
そして、ヘムに弟子入りか。
帝国の首都を目指す前に、ヘムやジャー。それにエルベ村の人達と、ソテツまで行かないと。
あと、移動までは数日余裕がありそうで。
やっぱり、まだ疲れているのか、眠い。
「んじゃ、おやすみ」
誰に言ったでも無し、つい癖で言葉を発し。
毛布に俺も包まるようにして、眠りについた。
●