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この丘の上の一軒家の玄関から、見渡せる風景の丁度中央に位置するのは旧バル王国北西部に位置するエルベ村。
俺は、ヘムが言っていた家財道具の積み込み手伝いと。
「ガンド…腕。荷物運び…馴らし、丁度良い…かも」
と、言うことで向かう事にしたのだけども。
玄関先で、ヘムを待っていると軽装だけども幾本も短剣や鉤付きフック。様々な<仕事道具>を所持したゴブリさんが現れる。
聞けば、
「森や街道に最近、不可思議で奇異な魔物が現れてるでな、ちょち様子を見てくるでな」
と、玄関で薄い鉄板を爪先に張り付けた小さな紐靴を履き。
「えーと、コカトリスみたいなのですか?」
「いんや、目の無い、乱杭歯の牛か羊でなぁ。何でも食いおるので焼き払っても肉は臭いし、倒してもぐずぐずに溶けて大地に臭い染みを作って消えてしまうんじゃ。ここ最近は集団で人を襲うでなぁ…村や疎開途中に襲われたら、ちょちかなわんでなぁ」
指先で、頭を掻きながらゴブリさんは言う。
「確かに、相手は獣で。俺達の事情なんて、関係なく襲ってきそうですし…えーと牛かぁ」
―どっかで、居たなぁ。
キマイラは、色々混ざってるし山羊か。アウンズブラは近いが、凶暴でもなし、寧ろ癒やし系。件は、予言するだけで即死するから除外だし…。
唸っていると「異世界で似た、魔物はおるかの?」と聞かれ、更に考え込む。
目の無い…羊。
伝説上の怪物で、牛か羊…凶暴なのが、そういえば居たな。
「中国という国の神話に、確か<饕餮>…、何でも貪り喰う怪物の伝承があった筈です」
体は、牛か羊で、曲がった角に、虎の牙を持ち、人の爪と顔を持つ猛獣の話。脇の下に実は、両目あったりと、奇妙な造形をしていると言われている。
細かな差違はあっても、特徴が似通っているのは偶然か?
「ほっほっほ、なるほどの。脇の下に目か…見かけたら蹴り上げてひっくり返して確認してみるかの」
ゴブリさんは、立ち上がり。
爪先で地面を軽く蹴り、調整する。
歩きだし、そうじゃなぁと一言。
俺に振り向き、一定の距離を開けてから、足を止める。
「ほっほ、ガンド。まぁ、おんしが<転移者>と言うことは…暫く隠し通したほぉが、良いじゃろ」
と、声色を低くして言う。
俺は、黙って聞くことを選択し、頷く。
続けて、
「<転移者>は、この世界に無い知識や技術を持っちょる場合が多々あるでな。それを手に入れようと無茶したり画策する輩が多いでなぁ」
にやりと笑う顔、しかし目は鋭い。
俺を試すかの様で。
今、言われた事を考えろ。
ゴブリさんは、何か意味を…、
「あ」
思考は刹那を走る。
しまった、ゴブリさんに何気なく<饕餮>の伝承を答えた事、これは異世界の情報の一つに当たる。
目敏い者なら、俺が<転移者>だと気がついて、最悪情報を引出す為なら手段を選ばないかもしれない。
そんな想像が、頭をかすめ、
「気がついたようじゃな?」
「…はい、かなり不味いですね…俺の状況」
ゴブリさんは、深い溜息を一つ。
「ガンドや、目覚めたばかりで言うのは酷じゃが…この大地は力無き者には厳しいんじゃ。だからこそ、己の身を守る為の力を、少しずつで良い…持つんじゃよ?」
「はい!」
「ほっほ、良い返事じゃ」
そう言うと、ゴブリさんは、
「行ってくるでのぉ、ガンド。そうじゃ、今日からヘムと一緒に村の中心部で寝泊まりんしゃい。いつ、帝国からの護衛が来て、疎開が始まるかもしれんでなぁ」
踵を返して、家の裏手に向かう。
そういや、その方向は…。
俺の倒れ居たらしい、森の方向へひょこひょこと、軽い足取りで向かうゴブリさん。
その後ろ姿を見送りながら、
「身を守る為の力かぁ…」
権力に、財力。身を守る様々な力はあれど、多分ゴブリさんが言った力と言うのは。
「戦う為の力って事なんだろうな」
赤銅色の両腕を見ながら、
「喧嘩なんて、中学生の時以来だぜ、まったく」
愚痴る。
中学の頃は、荒れに荒れた時期もあるが命のやりとりなんて物は無く。
逆に、喧嘩もせず内申点も良好で、教師からの評価も高い…そんな生真面目な高校生活だ。
そんな生活の中に、切った張ったの出来事があるわけも無く。
「自分を守るか…、平和な日本だと考えられねぇなぁ」
下手すりゃ、人を殺す事になるかもな。
その時、俺は割り切れるか?どうだろうか。
拳を握り開く事、数回。
家の前の、少し広くなった場所まで歩を進め、意を決して構える。
構えは、見様見真似の拳闘術。
足の位置を広めに取り、腰を沈めて打ち合い前提。お互いどちらかが倒れるまで殴る様な、荒っぽい喧嘩しか俺はしたことが無い。
拳を握り、軽く右、左と腕を突き出す。
七日間眠っていた分、体が重いとか、気怠いとかそういうことも無く。
軽い。
今までで、一番軽い。
幾度も幾重にも拳を振る、振り続ける。
次第に一定のリズムで繋がる乱打となり、一撃毎に拳が空を切り裂く速度も加速度的に上がり始め。
鞭を振るう様な、鋭い音が断続的に響き始める。
音の発生地点は、拳の先端。
その先端から、薄く白い雲が引き始め…甲高い衝撃音と共に、窓が壁が大気が揺れる。
その衝撃は、俺の身を打ち、思わず尻餅をつく。
「へ?」
大気が…割れた?
俺は、意味も分からず動きを止め。
「素手…じゃない、義腕だが。夕方6時からの子供向けアニメ<番長ロボダイン>の全力痛恨唐竹割りと同じく雲を引いてたよな…すぐ、ぐわぁ!って全身装甲砕かれるのが魅力的とか…わからん」
まぁ、両腕をじっと見つめれば、金属の装甲を重ね合わせた影の場所。
そこから薄く淡く紅い光が漏れ出し、俺の心臓と同じ鼓動で点滅している。
「この腕、隠し機能とかでガオン系暴走とか、ドクロ的爆発…しないよなぁ…はっはっは…」
右手で顔を覆い、
「冗談抜きで、どうなってんだ…コレ」
腕のことも、ヘムに聞かないと…今晩食事時…は、無理か…あの食べっぷりを見ていれば無理かねぇ…食事後にでも聞いてみるか。
様々な事を考えつつも。後ろで、かすかに物音が。
玄関を見れば、ヘムが小さなリュックサックを背負っているだけ。
時間が掛かった割には、結構荷物が少ないな、とは感じつつ。
立ち上がり。一度屈伸をして体を伸ばし、一気に背伸びまで持って行く。
「とりあえず、ヘムの準備が整ったかな」
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まず、玄関に現れたヘムの第一声が、驚きの声色を含んだ、
「ガンド、家…揺れた…何した?」
だったのは、当然だと思う。
ありゃ、俺でも驚いた。
「まぁ、腕の馴らししてたら、大気を割った…って判るか?」
「ん、わから…ない」
だろうなぁ。
昼過ぎには、村の中心部で手伝いを開始したいので、説明は追々するとして。
ヘムが革の半長靴の履き、紐を縛っている間に、服装が少し変わっている事に気がつく。
上から順に、先ほど着ていた白いローブは変わらないが…。
前ボタンを全て外し、前が大きく足下まで開いて野暮ったい雰囲気が無くなり。
薄い白い麻のシャツは、レース刺繍が襟首に施されている。
腰から下を見れば、分厚い本や小さな袋などが帯革でしっかり固定されていて、更には短めのズボンからすらりと伸びた褐色の脚が、これまたすばらしい。
もう一度言う、じつにすばらしい…って、俺は命の恩人に対して何考えてるんだっ!
首を振って、邪念を払う。
ヘムは、首を傾げるながら。
「どう、した…の?」
「いや、大丈夫だ」
大丈夫じゃないけど、大丈夫だ。
いかん意識を他に向けないと、そうだ。
「そういえば、結構時間が掛かっていたけど…荷物はそれだけ?」
「ん、空間湾曲術式が永続付与された鞄…全部、収納…した。ガンドの世界、無いの?」
うわ、すっげぇ便利そう。
「無いなぁ、それどれぐらい入るんだ?」
「収納口に…入るなら…生きている物以外は…なんでも。重さも、空の時と同じ。でも、容量超えると…閉まらなくなる…よ」
容量制限有りだが、便利そうだ。
「ちなみに、お値段は?」
「んと、帝国の工房で…共通大金貨10枚くらい…かな?」
「共通大金貨って単位が判らないんだが。一枚で何が出来るんだ?」
「えと…ね、一枚で…地方都市なら…4人家族が半年遊んで暮らせる…よ?」
悠々自適に暮らせるとなると、日本だと…大体600万円くらいか。いいや、多く見積もって1000万円としよう。10枚だと、一億円…って、高ぇっ!
「ヘム、実はお金持ちとか?」
ヘムは首を振り、
「実は、これ…冒険者協会から…借りてるの…月々共通銀貨1枚…だよ?」
ヘムは、さらっと流したが。
世界共通硬貨の種類の中で一番高いのが、共通大白金貨。
ここから順に、共通白金貨、共通大金貨、共通金貨、共通大銀貨、共通銀貨、共通大銅貨、共通銅貨とあり。
全て、100枚で繰り上がると言う事。
それを加味すると、共通銀貨一枚と言うことで…一万分の一で借りれる訳で。
こういった道具は、下手に購入するより、レンタルしたほうが安い場合もある訳だ。
ヘムは、その魔法のリュックサックを下ろして。膝を付き中身を漁り、何かを取り出す。
ヘムの両手には見覚えのある、見間違えようのない、
「ガンド、服はダメだった…けど」
そう言って俺に向かって差し出されるのは、大学の合格発表の時に被っていた、黒鍔の学生帽と革の学生鞄。
すなわち、俺が七日前に。この世界に落ちてきた時の衣服と持ち物の一部だ。
これ、被ってたら目立つよなぁ。
ゴブリさんの忠告を思い出しながら。
ヘムから学生帽を受け取り、鍔の部分に指で少し触れて、
「ヘム、頼みがあるんだけど」
「ん…何?」
学生帽を、ヘムに差し出し、
「ゴブリさんから、言われたんだけど。俺が<転移者>だって事を、俺が自分の力で身を守れるまで隠せって、だからその力が付くまで預かっておいて欲しいんだ」
ヘムも思い当たる節があったのが、
「わかっ…た、預かる…ね?」
そういうと、彼女は帽子と鞄を丁寧に受け取り、再び魔法のリュックサックの中に入れると、背負い直し立ち上がる。
俺は、立ち止まったまま、右手を影にして太陽を見上げていると。
ヘムは、俺の隣まで着て。
「じゃ…行こっ…か?」
言って左手を取り、握る。
それから引っ張られる様な感じで、ヘムも、俺も自然に歩き出すのだが、
「ちょっ、ヘム恥ずかしいって!」
何事かと、ヘムを見れば。
彼女が、ちょっとはにかみと、いたずらを含んだ表情で、
「頭、撫でられた…お返し…村まで、コレで…ね?」
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へムと手を繋ぎながら歩くこと、体感時間で20分と少しの間。
最初は心の中で、母方の実家が奉る<菊理媛尊>に「我を気持ちを鎮めたまへ、邪な気持ちを払いたまへ」なんて祈りながらも、まだ村の中心部にまで道半ば。
ふと、丘の中程辺りで、菊理媛尊様は縁結びの権能をお持ちでないかと思い出す。
「あ、ダメだ」
物事を括る、取り纏めの神。
日本古来の初ヤンデレ事件。伊弉諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせる程の権能だ…、最終的には離婚したが。いかん、菊理媛尊様一回パスで。
うんうんと、唸る俺を見てヘムは、
「ん…?」
疑問を含む、一音を口にし、立ち止まり、
「まだ、体調…悪い?」
手を握りながら離そうとしないヘムは、身長差で俺を見上げるようにして、首を傾げる。
「いや、何でも無い…体は何ともない。というか、現在進行形で恥ずかしい」
「ん、村の真ん中…まで、ダメ」
ヘムは、笑うと正面を見据えて歩き出す。
次は、父方の実家で祀る大岩。一説によると、黄泉平坂を塞いだ岩戸ともされる<千引きの岩>の化身にお頼み申す。
俺の名字の巌戸は、岩戸がはっきりと語源と明記されており。
何かしらの理由があり、忌避読みで巌戸となったとの事で。
千引き岩の化身様とは、結構近いような感覚がある。
だから化身様、日本最古のヤンデレの愚痴を繰り返し聞かされても、耐えた耐えきった。
その精神力を俺にお分けください、つか分けてっ!
そんな、我ながら変な事を考えながら。最終的に、よく考えたら異世界に権能が届くのかどうかの思考ループに陥り、
「ガンド…村だよ?」
ヘムに声を掛けられ気がつけば。
既になだらかな丘を下りきり、村の入り口には木の櫓と看板が設置されており。アルファベットを崩した様な文字で刻印された、
「あー、なんだ読めない…」
「ん、左から…単音でエ・ル・ベ。エルベ村と読む…ガンド、会話…出来るのに…読めない?」
「言われてみれば、ヘムやゴブリさんと話せたのに。文字が読めないってのは…」
お約束的な言語翻訳機能が異世界転移で付与された…とか、ないよなぁ。
「ヘム、言語翻訳関連の魔法ってあるのか?」
「ある…<翻訳>。南方大陸…取引で使われてる…言葉覚えるより…早い」
「そんな便利な魔法があるなら、言葉の勉強しなくても良いのか?」
「ううん、…違うの。<翻訳>使うと、失礼に当たる国もあるし、文字も違う…から。旅商人も冒険者も一杯勉強する…よ?」
「言語差を補う魔法はあれど、文字までは翻訳出来ないし勉強必須。この世界、結構大変そうだ」
「文字、教える…よ?」
「ありがとう、ヘム」
ふぅ、幼馴染みの外道連中がこの会話を聞いていれば、「合法ロリ褐色金髪女教師の秘密のじかんよぉっ!事例発生よっ!!ガンちゃん逮捕よっ!逮捕っ!!」とか、叫んで周知の事実にされるんだろうか。居なくて好かった。
それはさておき、入り口の櫓を潜り抜けると、人気の無い家々が並び薄ら寒く感じる。
この辺りの住人は既に疎開した様子で、窓の外から室内を見れば。
…家財道具を一切合切持ち出して、蛻の殻か。
「なぁ、ヘム。この辺りの人は、疎開したのか?」
「ん、疎開…したか、村の東側に…移動したよ?」
いつ、帝国の護衛が来ても良いように。
言い換えれば、この不安定な情勢で襲撃等に遭っても護れる様に…か。
不安定とは言え、
「ここの皆は、住み慣れた土地を離れる事をどう思ってるんだ?」
疎開。意味的には、人的損害を少なくする為の分散避難でしかない。
けれど、村を捨てる事には変わりは無い。
「補償…とか、無いだろ?」
「ん…、生きて…いれば、やり…直せる…」
「確かに」
俺もそう。生きてさえすれば何とでもなるが、
「けど、先立つ物。つまりお金は…」
お金の問題がついて回るのは、何処でも一緒だろう、が。
「帝国が、バル王国から…流入して…くる、避難民の受け…入れを、始めた…のも大きい」
「避難民受け入れって…」
現代でも、移民や避難民。その受け入れで社会問題にまで発展している地域だって有るというのに。
「北部…未踏領域開拓団…バル王国の避難民で…構成…開拓開始から数年は…租税免除の確約。支度金も出る…陛下の個人資産から…」
陛下の資産って、
「ずいぶん、太っ腹な皇帝…帝国だから、皇帝陛下だよな。個人資産って、バル王国の希望する避難民全てまかなっても大丈夫なのか?」
「陛下、公務の…気分転換に…魔物とか、乱獲しだす…から。鎧龍とか、大猿とか…この前は…宝石がお腹に一杯詰まった<七色宝蛙>のおっきい版…協会に持ってきてたから、多分…」
そりゃ、良い趣味で、お金も貯まるか。
臣下の皆さんの胃が死にそうではあるなぁ…、大変そうだ。
ヘムは、少し興奮気味で、目が輝いている。
そこで一つ、
「ヘムにとって、陛下って?」
「憧れ…かな?」
なるほど、ヘムがここまで憧れるって、ちょっと会ってみたいな。
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更に歩みを進めれば家と家の感覚が比較的広く取られており、中心部までは残り20m程。
近づけば、中心部から東側よりの部分。廃材を使用したと見られる簡素な防壁が張られ、その奥に人影が幾つも見えて。
その中にの一人が、こちらに気がつき手を振り。それに合わせて、周囲の人も手を振り始め。
近づけば一番最初に手を振った人の輪郭が、はっきり見えてくる。
特徴というか、顔は…垂れ耳の豚?
かつて、選択修得した現代社会。現代視覚文化の項目「くっ殺」表現で一世を風靡し、なぜか半ページではあるが記載された<豚人>と似ているが。
あれは、腹回りがぼよんと太くて筋肉質で中肉中背。
向こうに見える豚顔の人は、腹回りがスッキリして筋骨隆々で、イメージが全然違う。
ヘムは、手を繋いでない方の手で、手を小さく振り。
俺に、
「あれ…冒険者協会の…ジャー・ピグさん。<高潔なる豚人>…って言う種族の人」
ゴブリさんの件もあり、俺は先入観を除外。
更に近づけば、俺よりが体格の良い豚顔の人が着ているのが、金属の鎖を編み上げたチェインメイルと呼称され分類される物だと気がつく。
それは、体に密着し筋肉の陰影がよりはっきりと浮き出て。
いわば、インナースーツを着ている感じにも見える。と言うことは、あの上の鎧でも着込んで戦う重戦士タイプの冒険者なんだろう。
「ヘム、あのピグさんって戦士なんだよな?」
驚いたことに、ヘムは首を横に振り、
「ん…、ジャー・ピグさんは、本職は方術士。正確には、回復術式の専門家…」
なんだと、あれだけの肉体を持ちながら、回復専門っ!
「じゃ、じゃぁ。あの筋骨隆々な肉体は?」
「種族全体としての体質…それと、たしか趣味」
だめだ、やはり俺の常識がまったく通用しない…訳でもないか。米国や欧州のゲームでは、回復役は鎚矛と盾を持つ重装型が一般的だ。
防壁まで間近に迫り、お互いの姿形が確りと見られるようになり。村人がヘムを見て安心しているのがよく分かる。
東側を守る壁の内側に入れば、先ほど手を振っていたジャー・ピグが、直ぐそこまで着ており、
「ヘムお嬢さん、お帰りであるっ!」
まずヘムに挨拶。
まぁ、顔見知りなんだから、判る。判るのだが。
「おおう、森で倒れてたらしい青年っ!元気になったであるな」
かなり大きな声で、聞き取りやすく、友好的に言葉を掛けてくる。
視線には、なぜか強い力が籠もっており。
「我が名は、ジャー・ピグ。冒険者協会に籍を置く一介の冒険者であるっ!」
と、妙に爽やかさを一面に押し出している印章が強い。
まぁ、初対面だし。警戒しているのだろうと考え、
「巌戸・拳蒔と言う、よろしくお願いします」
握手を申し出ようとして、ヘムと手を繋いでいた事を、ピグさんの姿形を見た衝撃から忘れ去っており。
ヘムと、俺の握った手を持ち上げてしまい。それを、ピグさんが凝視。
その持ち上げた、二人の手を指さし震える声で、
「ななななな、なんですとっ!ヘムお嬢さんに七日間も完全看護されて、ウラヤマシイ。いや、同じ屋根の下で暮らして、ウラヤマシイ。それだけでも、ウラヤマ…大きな罪だというのにっ!」
なんだんだ、この豚人。いきなり演説と地団駄を踏み始めたぞ。
ヘムも、諦めた顔で俺を見て、
「また…、はじまった」
「は?」
ピグさん。いやもうジャーで良いか。の、良く通る声の演説は続く。
「我々の偶像崇拝の対象であるあるっ!ヘムお嬢さんと、あまつさえ手を繋ぎながら、人気の無い村を通ってきただとぉっ!!くっそおおおおおおおおおおっ!!いやらしいいいいいいいっ!!」
何言ってんだ、この豚人。種族名に<高潔>って付いてるの嘘だろ?
ジャーは、腰の帯革に挟んだ短杖を取り出し、掲げ。
「ラーダ・ク・ウェル冒険者協会、ヘム・ネザーランド後援会を知るもの来たれっ!!」
そう叫ぶと、家の中から待機中だったのだろうか。
金属鎧で完全装備。鉄槍と鉄盾に<龍に弩弓、そして下側に山>の紋章の入った兵士が3人ほど転げるように飛び出してくる。
その3人と、ジャーが声と短杖の先。兵士達は鉄槍の柄を合わせ、
「我ら、ヘム・ネザーランド後援会。ヘムお嬢さんに近づく者は…」
そこで、4名の後援会会員の動きが止まる。
周りで見学していた村人は、いそいそと自分の作業に戻り始めているのが、なんとなくシュールだ。
「えっと、どうなってるんだ?」
その理由が、俺の隣にある事を理解。
俺の横では演説に耐えきれなかったのか、機嫌の悪そうなヘムが、
「ガンド…ごめん、黙ら…せる」
俺と繋いだ手を柔らかく解き、両手を前へ。
ヘムの正面に次々と魔方陣(?)らしきモノが多重展開を開始。
足下からも、幾重にも魔方陣が現れ立ち上がっていく。
ヘムは、幾つもの魔方陣に指で触れながら、時には、足先で魔方陣に触れ、鍵盤を弾くかのような高速の指裁きで魔方陣を加工していく、
「通常詠唱排唱…四連連続刻唱陣に切り替え展開…完了。続いて対象多数化、抵抗魔術、打消魔術排除描込み完了…ピグさん、しつこい…のは、嫌い…前も言った」
目の前の四人がたじろぐが、動かない。
いや、動けない。
四人の足下が、既に霜が降り、加速度的に凍り始めている。
ジャーは、まだ耐性があるのか、足首程度までしか凍っていないが。
兵士3名は、もう腰上まで凍り始めている。
ジャーが、ちょっとまってと言うように両腕を前に突き出し、
「ヘムお嬢さん、だだだだ、第四階梯魔法は、話し合いで耐えるのは、きつい!あ、そうだ<抵抗>か<打消>…って、術式陣に排除術式組み込まれてるっ!流石ですね、つんだあああああああっ!!」
忙しい男だな。
ヘムは、ゆっくりと正面の四方に小型魔方陣の付いた、一層複雑な陣の中央に手を押し当て、
「問答…無用。第四階梯魔法<冷厳なる氷棺>」
押す。
すると、煌めく四本の氷の槍が小魔方陣からおのおの飛び出し、4人の胴にぶち当たると一気にその部分から凍り始め、周囲の水分さえも凍らせ始める。
氷霧が晴れた後、大人一人分を内に閉じ込めるだけの、直立した透き通った蒼い氷柱に成長しているものの。
全員、顔の部分だけは空いており呼吸などは問題なさそうだ。
「手加減…は、したよ?」
凄い。
魔法は、ゴブリさんが指先で回して見せた風しか、まだ見ていなかったが。
俺も、少し興奮気味になっているようで、
「ヘムも、魔法使い?」
と、聞いてみる。
彼女がはにかみなら、少し機嫌が良くなったのか笑顔と取れる表情で首を縦に振り、
「私…、詠唱すると…つまっちゃう…から。代わりに…刻唱陣…描いて魔法…発動させるん…だよ?」
俺が、凄いなぁ…と言いかけた途端、
「ヘムお嬢さんは凄くて、可愛くて、それをそれおおおおおおっ!」
氷の砕け落ちる音が、暫く続き。白い靄の中から現れる豚人。
「どっせぇぇぇぇえい!」
氷の棺を完全に砕きり、
「ヘムお嬢さん、耐性貫通術式を忘れてましたねっ!この、ジャー・ピグ。回復や守護術式では一歩も二歩も先んじていることをお忘れかっ!」
手加減したとはいえ、兵士3名が未だに氷から脱出出来ないばかりか、身動き出来ない状況で。
一人だけ、ヘムの術式を理解して咄嗟に<耐性>ってのを付けて耐えたって事か。
「なるほど、一応…優秀なんだ…このジャーは」
「だから、手に負え…ないし、しつこい」
「理解できましたかな、ガンドとやら!!そして…」
ジャーが、大地を蹴り込みまっすぐ俺に向かって走り、
「嫉妬ぱうわぁああああああああっ!千年殺しいいいいいいいいっ!」
などと、供述し…結構突進速度が早いなっ!
気がつけば、既に目の前っ!
ヘムの対応なども、間に合わないが。
俺は迎え撃つ様に、右腕を引き。足先から足首、脹脛、膝、太腿、そして腰。背骨を通し、肩、腕、手首、右拳の先端に至る力の道筋を付けて。
カウンター気味に、ジャーの顔面側部に赤銅色をした拳を叩き付ける。
叩き付ける瞬間に、義腕の前腕部装甲が微妙に展開し、紅く淡い光の残光が拳の振り抜いた先まで伸びて消える。
手応え的には、会心の一撃。が、人間相手には、
「や、やりすぎた!」
俺の想像を遙かに超えた威力に、そして展開に頭も心も追い付かないが。
ジャーは、殴られて空中で一回転、二回転、三回転と半分回転し、空き家の壁に激突して動きを止め。
親指を立てながら、
「やっ、やりますな…ガクリ」
ジャー自身が意識を落ちる表現を行った後、本当にうなだれて完全に動かなくなるが。
あー、大丈夫そうだな…。
あのタイプは、これぐらいじゃ怪我しないなぁ…ギャグ補正で。
しかし、この腕。絶対新人類抹殺システムでも搭載している様な、発光現象が見て取れた。
冗談抜きで言えば。
…力を使うことを喜んでる?
俺の腕なのに、俺以外の意思が介在してそうな感覚があり。
傍らに立ち、ジャーが哀れな姿になっている事に、安堵しているヘムが、腕に触れて、
「腕、馴染んで…きた?」
「そうだなぁ…、不具合無く調子は良いんだけど。偶に腕が不思議な発光現象起こしたりするんだが…ヘム?」
「ん、多分…材料の一つ。喜んでる…から…かも?」
「材料が、喜ぶ?」
「ん、使い所…無くて、困ってた…詳細不明…の龍眼が一対…かな、安かった…から、買ってたの」
龍の眼には、意思や力が宿るとかなんとか、聞いた事はあるが。
詳細不明って所が気に掛かるものの、
「危険は、無いんだな?」
「ない…よ?」
ヘムは、即答し、続ける。
「龍眼に…ガンド、嫌われてたら、腕…動かない…よ?」
「それは、確実な判断材料だな」
安全なら、それで良し。
殴った感覚では、耐久度も満点らしい。あのジャーは結構頑丈そうだし、ちょっとでも不具合出るかなと覚悟はしていたんだが。
「ん…、夜ご飯…食べたら材料とか、説明するから…ね?」
「了解、ヘム」
周囲から放置されているジャーが、「うへへ…」とか寝言を言い出したので、完全放置。
さてと、それでは仕事を始める前に。
周りで作業をしながら様子を伺っている女性達に、氷漬けにされた3名の救出活動を笑いながら行う男達。歩哨に立っている帝国…兵で良いんだよな、その人たちに向けて、
「エルベ村の皆さん、ヘムに森で救われたガンドと言いますっ!記憶があやふやで常識がやや欠けている所もありますが。力はご覧の通り有り余っているので、微力ながら皆さんの手伝いをさせてくださいっ!」
大きな声で、宣言し一礼。
周りからは、安堵と拍手と歓声と、好意的な言葉が掛けられる、荒くたに肩を叩かれたりもする。
まぁ、相当信頼されているヘムが連れて来た人間と言う事から、元々警戒もされてなかっただろうが。
ヘムは、小声で、
「ガンド、それっ…て?<転移…者>偽装…対策?」
「一応、隠さないとだから、な?」
勿論、判る人間は判るだろうが。
ヘムは頷き、
「ん…、じゃそこの…人の家の家財…馬車に積んじゃおう…ね?」
指差す先には、軒先に箪笥や木箱が積まれ、2頭立ての幌馬車が止まっている家がある。
その場所では、村人数名でも持ち上がらない荷物に苦労している姿があって。
「了解、ヘム。では、さっと終わらせてしまいますかね」
と、言う物の。
あれ、俺が加わっても持ち上がるのか、心配だなぁ…。
●
夕刻。
ヘムの指示の元。村の通りに面する家の家財道具を、全て幌馬車に積み込むと言う作業は恙なく終了。
見張りの人間を幾人か残しながら、村長代理宅前で木を組み火を起こしその周りで、夕食中。
夕食と言っても、家財道具を大半積み込んでしまった為に、村に残さざるを得ない食料などを消費して今は一種のお祭り騒ぎに近い状況になる。
「ガンド、ありがとよっ!その腕、ヘムのお手製だってすんげぇなぁ!!」
俺の背中をがんがん叩きながら、麦芽を発酵させハーブを加えた明るい琥珀色の麦酒のような物を、冷やさずそのまま飲んでいるのは、この村の村長代理。
つまり、先に持病の悪化で疎開した村長の息子さん。
「お前さんのおかげで、後2日くらい掛かると考えてた積み込みが終わったぜ、がははっ!」
とは、大人数人がかりで持ち上げるのがやっとの木箱を、片手で軽々掴んで持ち上げ。比較的軽い荷物と同じ扱いで、ゆうゆうと運んでいたからだ。
おかげで、重い荷物は俺。軽い荷物は、男達。梱包や仕分けは、女性達と言う役割に自然と移行し円滑に作業が終了した…と言う事で…。
「まぁ、この麦酒は持って行けねぇんでなぁ…飲め飲め、がはは」
と、なんて出来上がった男達に絡まれている訳で。
向こうでは、ヘムが女衆から色々と干し肉や果物を貰い、際限なく胃に収めている。
ジャーは、と言うと。
村長代理宅の屋根の上で、周囲の警戒をしながら食事は最低限。
なんでも、もし戦闘があった場合。腹を割かれて、食い物が漏れると死ぬからだそうで、これは俺の世界の兵隊にも通じる所がある。
それにハイランド・オークは比較的夜目が効くそうで、俺に殴られた傷も自らの術式で癒やし。今晩は不寝の見張りを引き受けたようだ。
「まったくそういう所は、真面目で頑丈な奴だなぁ…」
と、言うのが俺の評価。枕詞に、変態的と付けても良いかもしれないが。
「ふぅ…」
「お、ガンド疲れたかい?」
周りの男衆も、あれだけ動けば疲れるだろうと、笑いながら言うが。
「村長代理、大丈夫ですよ」
話ながらも、目の前のゆらゆらと揺れる火を見つめ思う。
…異世界に来ちまったなぁ…。
基本的な文明レベルは、一般的には中世かそれ以前。魔法等があり、ヘムの造った義腕に至っては俺の世界の技術を遙か越える。
そして、転移者。
転移者は、一般的に知られてない様で、まぁ…生きるのに必要で無い情報だもんなぁ。
気になる点は幾つかあるが、俺以外の転移者ってのは、どんな風に考えて生きてるんだろうか。俺が、この世界に来た意味ってのはあるんだろうか…なんて事を何度も考える。
まず、何をやりたいか。
これが一番困る。
召喚されて、魔王から世界を救うとか。王様になって新しい国を建国してハーレム万歳とか。
…ないよなぁ。
あり得ない事を考え、心で苦笑ながら。
まったく、あり得ないよなぁ。
周りでは出来上がった大人達の、下手だが陽気な歌が手拍子を伴奏とし共に流れ始める。
戦争の影響で疎開させられるってのに…まったく、気楽な。
これぐらい図太くないと生きていけないのかもな、この世界。
溜息一つ、そして喉が渇いてきたので、
「村長代理、水あります?」
「水なぁ…、コレしかないぞ?」
コレとは、麦酒の詰まった樽の事で。
「…なら、麦酒一杯貰えますか」
「おう、ガンドが麦酒をご所望だ、がはは!!」
村長代理達が確保している麦酒樽から、村長代理が直々に栓を抜き。琥珀の液体が勢いよく、大きな木のジョッキに注がれる。
「おう、じゃんじゃん飲めっ!じゃんじゃんだーっ!」
笑いながら男衆から、手渡されるのは。
俺の知らない香りのする麦酒。
木のジョッキに並々と注がれた、泡の無い常温の麦酒。
一口、呷る。
炭酸は薄く、無きに等しいが。ビールにしては強めのアルコールが喉と胃の粘膜を刺激して、後に何かハーブの強烈な香りが鼻腔内を駆け抜けていく。
それから、二口、三口と喉を鳴らして胃に収め、
「ふっぱぁ…中学の頃は、良く飲んでたんだけどなぁ…ワルぶって」
隣の男から、
「美味いぞ!」
手渡された、干し肉をかじりつつ。
またも考える事は。
突然、異世界とかに来ると、目的を探すのが目的になるんだよなぁ…。
戦争も近いって言うし、観光気分って言うのも、なんだし。
定石の通り、ヘムやゴブリさん。んで、ジャーが所属している冒険者協会に所属してみるのも悪くないか。
この世界のまだ見ぬ技術を探して、各地を回るのもありっちゃ、有りだ。
良くある話で、もとの世界に戻る方法を探すのも良いかもしれない。
…は、なんだ…結構やれる事あるじゃねぇか、俺。
ヘムに助けられなければ、結局死んでいた俺なんだ。
ヘムにまず恩を返す、これを第一目標として生きようか…まぁ、ヘムには秘密だが。
ヘムと言えば、この両腕。
材料に龍眼って言っていたが、
「おーい、両腕。意思が有るなら相談乗れよ…な」
と、指先で軽く金属音が鳴るようにつつき、声を掛けてみるが反応は無く。
この腕のおかげか、この世界で目覚めて一日も経ってないのに、すこぶる体の調子が良い。
不思議と身体能力も上がってるが、慢心はダメ。
慢心し、進んで沈んでからでは遅いとは、どこか有名な提督の台詞だっただろうか?
そういや、ヘムは…。
正面、薪の向こうで女衆から、まだ食事を頂いている。
いや、食事ってより餌付けされてる様にも見える。
自然に、肩を持って首を回し、
「色々ありすぎて、精神的に疲れてるなぁ…ふわぁ」
欠伸が出て、体が縮こまっていたので背伸びをして体を伸ばす、
「少し寝よう」
話を聞く前に、少し寝ておこう。そうしないと、理解出来る事も理解出来ないかもしれない。
そう思えば行動は直ぐに。隣に居る村長代理に、
「村長代理、少し酔ったので部屋をお借りしても?」
部屋を借りる断りを入れる。
すると、
「おう、親父の家の居間が風が通るから、酔い覚ましに丁度良い。そこの玄関入って右側直ぐだぜ、そこにでかい長椅子があるから使うと良い」
風通りの良い場所と聞き、喜んで礼言い。
立ち上がって、皆に寝る旨を伝えながら、村長宅へ。
聞いていた村長代理や、周りの人達。気がついた男衆は空になった杯や、皿を掲げて「お疲れさん」と、俺の後ろ姿見送ってくれる。
ヘムは、俺に気がついたて小さく手を振って、間髪入れず隣の女性から渡された果物を口に放り込む。
そんな姿を見ながら、歩いて数歩。
村長代理の家の道を挟んだ正面、村長宅は直ぐそこに。
酔い冷ましに良い風が吹いたので、ふと空を見上げてみる。
漆黒の夜空に、宝石を鏤めたような天の川と、二つの月が一緒に雲の隙間から顔を覗かせていて、おれの感想はと言えば、
「天の川も、日本じゃ数十年見られないって行ってたが。月が二つってのは、本格的に違う世界だなぁ」
まぁ、異世界ってのも何を今更、と言う感じもしてきて。
「さて、一眠り」
そう思い、開けっ放しの玄関で履物を脱ぎ。
入って、右手の居間を見れば。
かなり広いスペースに、持って行けない家財道具が幾つか。
中には、村長代理の言っていた長椅子が開けっ放しの窓から外を見られる、そんな位置に設置されており。
足を伸ばしても十二分に余裕のある、長椅子には毛布が数枚畳んで置いてある。
「こりゃ、大きくて楽そうだ」
そう思うが早いか横たわり。数枚ある内の一番上を手に取り被る。
ふと毛布からふわり香るのは、干した毛布の他に柑橘系香り。
落ち着くなぁ、何かな…オレンジかこれ、…まぁいいや。
柔らかく良い匂いがする毛布に、包まるようにして俺は暫く睡眠を取ることにした。
●
深夜…って程でも無いが、月明かりが寝ている居間に差し込み、青白く照らされている。
外ではまだ騒いでいる様だが、誰かが玄関から居間に歩き入ってくる様子で。床板の僅かな軋みが、聞こえ眼が覚める。
寝惚けた目を擦り、体を起こしてその方向を見れば。
廊下の影から進み出て、月明かりに照らされたヘムの姿。
小声で、
「ガンド…、寝てる?」
確認する様な、か細い声が聞こえる。
「うーん、あー、寝たなぁ。…ヘム?いや、今目が覚めた…所だが…」
彼女の手には、あの魔法の背負い袋があり、
「腕の材料の…説明に…来たけど…今、大丈夫か…な?」
●
「明かり…点ける…ね?」
ヘムが、部屋の隅に設置された紺色の結晶に指先で触れ。その指先に小さな魔法陣を展開させると、
「<明かり(ライティング)>」
魔法らしき名称を口ずさむと。
「おおっ!明かりが点いたっ!」
居間の天井に吊された燭台に柔らかな乳白色の光がぼんやりと浮き上がり、月明かりよりも強い光で部屋の中心を包む。
四隅は、暗い影となっては居るが、火の揺らめいた影等は無く。
「魔法の道具って便利だなぁ」
そんな俺を見て、ヘムは少し笑うと簡単な原理を教えてくれる。
壁に取り付けられた<明かり>の魔法が刻印された秘石があり。指定された<詠唱>と<魔力>を通すと、その魔力が個別に設定された魔力路を通り指定位置で発動すると言う事らしい。
まぁ、おいおい理解するとして…だ。
ヘムは、長椅子の前に座り込み。背負い袋から鱗やら、鉱石やら、生っぽい繊維の束に、淡く発酵する宝石を取り出し始めており、
「全部取り…出すまで、時間掛かる。その間ね、なにか、疑問…質問…ある?」
と、この際だ。色々聞こうと思っても、何を聞けば良いのか判らない。
そういや、魔法だな。
「魔法は、誰でも使えるの?」
俺らしい、いや何とも<転移者>らしい質問である。
「ん、相性…あるけど…第一階梯…生活魔法くらい…なら、きちんと学べば…使えるよ?」
即答。
最低限レベルの魔法なら、勉強すれば誰でも使えるらしい。
「二つ目。階梯って…何?」
「えっと…ね?」
こんな感じで、ヘムと俺の質疑応答を纏めていくと。
階梯とは、魔法大学院と言う所が定めた階級を示す物で。一切魔法の使えない第0階梯から始まり、生活魔法が使える第一階梯。ちょっとした攻撃魔法が使えるのが第二階梯。普通の魔法使いと名乗れるのが、第三階梯…こんな感じで、徐々に個人的な属性相性と、それに伴う修得難易度が跳ね上がり。
最終的な第一三階梯ともなると、天変地異の様な大魔法を個人で発動させる事が可能で。そんな人材は国家戦力に匹敵する為、所属国家で厳重にかつ、丁重に監視されているらしい。
そして、魔法。
魔法を大まかに分類し、良く使われるのは三種類。
ヘムが、昼間使ったのは己の魔力を使い発動させる<古代語魔法>の変則版。正しくは、<刻唱陣>と言われる詠唱補佐の一種を使用した<古代語魔法>と言う。
自然精霊と契約してその力を行使する<精霊魔法>。
神々と交信しその力の一部を借り受ける<神聖方術>。
他にも、龍族が行使する<龍語魔法>に秘石に刻印を刻む<刻印術>、契約した生物を呼び出し戻す<召喚/召還術>など多岐に渡り。
余談だが相性が悪いのにその道を究めすぎて、後悔したと言う事もあるそうで。
最近では、相性や”どの階梯”まで進める才能が有るのか大まかに調べる方法が取り入れられてる…らしい。
勿論、大まかに…なのは、当人の努力や師の才覚などなど、様々な不確定要素が絡み合う為である。
「魔法が…第四階梯まで…使えれば、大国での士官…有利だよ?」
との事なので、子供に魔法の才能があり、資金力のある親はこぞって魔法学院に入れるのだと言う。
「えーと、ヘムは?その、魔法学院に?」
「ん、私。おとう…さんと、おかー…さんに、それにレイ…チェルにも。教えて…貰ったんだよ?」
彼女が少し取り出す手を止めて、喉をさすり、
「喉の障りの…せいで、発音詰まっちゃう…し、ね?学院、入れなかった…の」
やばい、地雷踏んだ。確実に踏んだと思うぞ、俺。
「すまん、ヘム…事情知らないってのは、言い訳だよな…」
謝らないと。
俺の行動は素早く、長椅子から滑り降りる様に床板に、その時には足をきちんと折りたたみ、頭は床板に付けるように指先は相手の方向を向くようにして、完成。
土下座。
これぞ、日本が世界に誇る究極の謝罪スタイルである。
「ヘム、ごめんなさい。事情知らないとは言え。心配り無き発言申し訳ありませんでしたっ!」
冗談抜きで、謝っても顔が見れないと言うか、発音関係は気になっていたが聞くに聞けない状態でもあったので…、俺って本当に読めねぇなぁ。
頭の上から、
「ん、大丈夫。ガンド…、私ね。学院入れなかった…けど、凄い人に魔法教わった…から。だから、大丈夫…だよ?」
俺は、顔を上げて。姿勢を正し。しかし正座のまま。
「いや、何時か何処かで必ず埋め合わせするからって、俺。ヘムから命助けられたり、腕とかでも全部借りっぱなしだから。必ず」
「ん、その時…来たら、楽しみ…してるね」
この後も、色々聞いてみて判ったのだが。
そろそろ、床が怪しい材料で埋まってきた。
質問もこれが最後だろう、なので、
「んーと、最後。この魔法の燭台って、どれだけ普及してるんだ」
天井を指さして、聞いてみる。
最後の質問に意図は、どれだけこの世界に魔法が浸透しているか、なんだが。
俺の質問に首を傾げ、少し悩んだ様子だったが、俺の質問を理解してくれた様で、
「ん、とね。エルベ村…では、村長さんの家だけ。バルの兵士して…た、村長さんしか、魔法使えないらし…いし、一種の嗜好品…だよ?」
一般的に魔法は、労働者階級までは浸透していないのか。便利そうなんだけど、金銭面で学院とか入りにくそうだしなぁ。
でも。と言葉は続き、
「帝都なら…街灯としてね…、普通…に使われてる…よ?」
「普通…に?」
高いんだろ、燭台。それを、普通に街灯に?
驚きの表情を作りながら、ヘムの次の言葉を聞く、
「ん、普通…に。帝都は、夜でも路地でも…明るい…よ?」
帝国は、やはりお金持ち国家らしい。
●