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「こっちだ、ほらさっさと歩け」
楓が連れて来られたのは周りには何もない高い建物だった。まるで塔に幽閉される気分だ、と楓は思う。
「ここがお前の新しい家だよ、お嬢さん。気に入ってくれると嬉しいがね」
東堂は厭らしい笑顔で楓に話しかけた。東堂は委員会の人間だ。それも委員会の中では地位がある方だ。吸血鬼もどきに対してはある程度、東堂の権限で自由に何でもできるのだ。
「しかし、お前希少種か? 他のもどきとは少し違うようだ。もしかするとお前は吸血鬼に、新たな女王になるかもしれんな。おお怖い。これは早めに処分しておかないと! だが安心しろ。お前の体は隅から隅まで俺が調べてやるからな。叫んでも泣いても誰も助けにはこないぞ? 素敵だろ? はは、はははっ」
楓は東堂を睨んだ。楓を捉えていた男達に早く部屋に入れと背中を押され、部屋の中へと楓は押し込まれた。部屋の扉の前に看守らしき人が二人いるのを楓は見た。
部屋の中は殺風景とは程遠い物だった。そこはまるで幼い子どもの部屋の様にごちゃごちゃとものが置いてあった。大きなボールや積木、たくさんのぬいぐるみ、壁はそれ自体が一枚の絵の様に空や木々が描かれていた。悪趣味、と楓は小さく零した。
楓はこれからどうしようと考えた。自分が生きていても害にしかならないのは承知している。だが楓に人を襲う気は無い。そうなるくらいなら愛生と同じように自ら陽の元に出るつもりだった。そんな自由も今は奪われしまった。最期は自分でと考えていた楓にとって最悪のシナリオだった。
コンコンと扉をノックする音が部屋に響いた。楓は扉の方へ恐る恐る近づいた。
「これを! 早く受け取って」
「鍵? 貴方は看守ですよね? 何故?」
「俺は貴方に感謝しているんだ。こっちのもう一人の看守もそうだ。貴方あの少女と話したのだろう? 俺は彼女の最期に立ち会っていた。貴方の事を言っていたよ。正直あの子には同情した。だが相手は吸血鬼だ。貴方が説得してくれたって、だから自分は居てはいけないと分かったって……。貴方がこの国を救ったんだよ。俺は家族を今回の件で亡くした。だがあの少女と向き合ってどうしていいか分からなかった。貴方が居なければあの子も自ら出て来なかった。そんな貴方が……、吸血鬼もどきだからと、あの男に壊されるのは見ていられない」
「私は何も……」
「貴方を逃がせばどうなるかくらい分かっている。また日本中パニックに陥るかもしれない。だが貴方はそういう人ではないのだろう? 貴方はきっと人を襲ったりしない。それに正直、貴方以外のもどき達の処分だってどうかと思っている。政府は救う事を諦めたんだ。委員会のやつらの多くは、そんなやり方についていけないと意を唱え始めているんだ。救うために立ちあがったはずだと」
「私も同じ気持ちだった。だから委員会を辞めて……。その先であの子と出会いました」
「そうか。やっぱり貴方は正しいと思う。俺には辞める勇気が無かった。……たまたま俺たちは脅威から逃げることが出来たが、自分がそうならなかったとは言い切れない。家族が処分されるのを見て、共存の道もあったのではと思ってる。まだ発症もしていなかった家族を殺され、委員会に恨みも抱いている。真実に一番近づいた貴方なら俺達みたいな思いをする者を救えるのではないか? その道を見つけられるのではないか?
その鍵はその部屋の奥へ続く扉、全てに使える。頃合いを見て逃げてくれ。裏口に出られるはずだから。東堂が用意した部屋だ。何か仕掛けがあるかもしれない気を付けて」
「ありがとう。私はもう長くないわ。でも最期まで人として生きます。私が居たあの村の、篠原医院を訪ねて。彼らならきっと……。……本当にありがとう」
楓は看守が何故そこまで自分に親切にしてくれるのか分からなかった。楓は、自分は何も感謝をされることはしていないと思った。ただ自分のしたいように、自分が納得できるように真実に近づいただけだった。少女の事も説得したつもりはなかった。ただ話をしただけだった。
どんな理由であれチャンスを貰ったのだ。楓は最期の時間を自分の好きなように生きる為、ここから逃げ出す決意をした。どうせ逃げきれはしないだろう。今や国全体が敵だ。でも、それでもここでじっと終わりを待つことは楓には出来なかった。
楓は渡された鍵を握りしめ、趣味の悪い壁に埋め込まれたドアを開けた。陽はまだ登っていない。
扉の奥にはまた部屋があった。その部屋は空間が歪んでいるように天井も壁も斜めになっていた。どうしてこんなにおかしな部屋ばかりと楓はふと疑問を抱いた。だがそれを考えている暇はない。
東堂に薬の投与を遮られたためか、楓は自分が人間ではなくなっていっている事を感じていた。頭の中に直接語り掛けてくるような、どうしてか分からないけれど吸血鬼に対しての知識が自分の中で膨らんでいく感覚に楓は戸惑っていた。
自分の中の人ではない部分が楓をここから出そうと、力の使い方を囁いてくる。楓はそれが恐ろしかった。楓の感覚は研ぎ澄まされていった。
吸血鬼はカメラや鏡にも映らない。では自分はどうなのだろうと楓は思った。先ほどから監視カメラが設置されているのに、楓が居なくなったことを騒いでいる声は聞こえなかった。楓は無意識のうちにその能力を使っていた。人の目を誤魔化す能力を。
楓は次々と扉を開けていった。どの部屋もおかしな、悪趣味なものばかりだった。進んでも進んでも外に出られる風ではなかった。この建物には窓もなくまるで迷路だ。
楓は感覚を研ぎ澄ませた。耳で人の、空気の流れを、音を、感じる方へと進んだ。次の部屋の鍵を開け入った。部屋へ入った途端、楓はすかさず身を隠した。
「東堂……」
その部屋の先には楓が逃げたことを知り、楓を追う東堂の姿がある。
次の部屋を抜ければ外へ出られると楓には分かっていた。楓には聞こえるのだ。外の音や、東堂達の話し声も。
「あの女……! くそっ! すでに覚醒していたのか?! 見た目も思考も人間と変わらなかったぞ! どういう事だ? おいっ、聞いているのか榛名! お前の能力で早くあの女を見つけ出せ! 見つけられないのならばお前はもういらない、処分だ!」
「そう言われても……。東堂さんが作ったこの塔の中じゃ、僕の耳も聞こえないんだよぉ。しかもその女って僕より能力が上なんでしょ? そんなの僕が見つけられっこないよぉ」
「希少種のお前を飼ってやってる恩を忘れたのか?! 四の五の言わずさっさと見つけ出せ!」
東堂の話を楓は息を殺し聞いていた。東堂との距離は十分にあるが、東堂の近くに居る榛名と言う男、あれは自分と同じ吸血鬼もどきだと楓は確信した。そして今の楓の様に人間を超えた能力を持っていることも確信した。下手にあの榛名と言う男に近づかない方がいいと楓は思った。だがあと少しでこの塔から出られるのだ。楓には引き返すという選択肢が頭には無かった。
楓の頭の中にイメージが浮かぶ。ここから出る為のイメージが。楓は自分が恐ろしくなり、その場で自分を抱きしめしゃがみこんだ。
そんな能力は知らなかったはずだ。そんなことが出来るなんて、しかもそれを自分は疑っていない。そうすれば誰も傷つけずここから出られるのは確実だと楓は思う。楓は自分がこの短時間でどんどん人間ではなくなっていく感覚に怯えていた。
本当に自分自身の意思でここを出ようとしているのだろうか。吸血鬼に変えられてしまったため、その血が自分をそのように誘導しているのではないのか。自分はここで殺された方が世のため人のためではないのか。本当に正しいのは東堂達の方ではないのか。分からない。頭の中を駆け巡る疑問に楓は答えが出せなかった。
一つだけ楓が確かに抱いている感情があった。まだ生きたい。死にたくない。自分の生きる権利を奪われたくない。楓は生に執着した。それが楓の答えとなり、楓は立ち上がりこの塔から出る覚悟を決めた。
この塔から出るには、今東堂と榛名が居る部屋を通る事。その先に外への通路がある。もちろん警備も万全だ。そこを通り抜ける為にもこの部屋を利用する。楓は今いるこの真っ白な部屋を調べた。楓の能力をもってすれば調べるまでもなかった。
部屋の奥には大きな一枚の壁が、床から天井に掛けて設置されており、その壁は真ん中を固定されて上下にぐるぐるとまわっている。巻き込まれればただではすまない危険な物を、何故置いているのか楓には理解できなかった。
その他にも大きな柱や、檀上の様になっている壇が数か所。まるで体育館か何かだと楓は思った。柱に遮られていることで、一つの部屋なのに何本もの道が出来ているように楓は感じた。
さっきのイメージ通りにすればいけるはずと楓は行動へ移した。