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一年ほど前に日本はある【感染症】が流行し、人々はパニックに陥り隣人さえも信じられない未曾有の事態が発生していた。
その感染症の正体にして、元凶は吸血鬼と呼ばれる一人の少女だった。
どこからやって来たのかも分からないその少女は、寂しさを紛らわせるために、仲間を増やすために、人を吸血鬼へと変えようとした。
完全に吸血鬼に変わった者は少数で、多くの者は不完全な【吸血鬼もどき】となった。吸血鬼もどき達は人としての理性を完全に失い、新たに人を襲い、そうして事態は大きくなっていった。
この事態に国は対策委員会を設立し対処した。多くの研究者達や医師がこの問題に取り組んだ。吸血鬼もどきの研究は進み、多くの吸血鬼もどきは処分された。
その光景を見た本物の吸血鬼である少女が自ら名乗りを上げ、命を引き取ったことで事態は収拾した。少女は最期に「寂しかったの。ごめんなさい」と泣きながら言った。
元凶である少女が死んだことで、彼女から吸血鬼に変えられた人間も吸血鬼もどきも灰になり消えていった。ただ、彼女が死ぬ前に覚醒していなかった者達は、その命を絶やすことなく今も生き続けている。楓もそのうちの一人だ。
楓はこの山奥の病院に勤める看護師だ。初めに吸血鬼が襲った村の近くにこの村は位置している。灰目の村は封鎖され誰も出入りが出来なくなっていた。しようとするものも居なかった。
この村では感染症を恐れるあまり、それまでいた医師や看護師、村の若者達が村を出た。残された動けない者や高齢者を見捨てることは出来ず、篠原夫妻はこの村に留まった。
そんな頃にやって来たのが楓だった。看護師として働かせてほしいと篠原夫妻に頭を下げたのだ。手が足りなくて充分な診察も出来なかった篠原医院は、楓の活躍により立て直すことが出来た。楓の仕事ぶりは凄い物だった。看護師ながら症状の判断は的確で、患者への気配りも素晴らしい物だった。楓はあっという間にこの村に馴染みこの村の一員となった。
楓がこの村へとやって来たのは、真実を知るためだった。楓はこの村へ来る前は委員会に属していた。だが委員会の非情なやり方に嫌気が差し、僅か数週間で委員会から逃げ出し、真相を自身の目で確かめる為、初めの事件が起こった近くのこの村へと来たのだ。
独自に調べた情報や委員会から持ち出した資料、それに篠原夫妻の協力もあって楓は真実の一歩手前まで辿り付いた。楓はどうにか吸血鬼もどきとなった人間を、元には戻せないだろうかと考え始めた。篠原院長に頼み込み薬の開発を委員会の資料を基に共に進めた。何個か試作品を作ったものの、それが本当に有効なのか試すことは出来ない。楓は行き止まりに当たったのだった。
そうこうしている間にも感染症は日本全域に広がりを見せていた。日本はパニックへと陥っていった。政府はその原因が吸血鬼であると明かした。初めはそんな夢物語信じる人も少なかった。だが連日の様に報道されるその内容に、人々は吸血鬼の存在を信じ始めた。
連日の吸血鬼についての報道を見て、自分の無力さにどうしようもない憤りを抱えながらも、楓は日々を過ごした。
ある日楓の元に友人が訪ねてきた。その友人、愛生は楓の唯一無二の親友だった。元々幼い頃から親の転勤でろくに友達も作れず、社会に出てからも楓は人付き合いを避けてきた。そんな人生の中でも楓にとって愛生だけは特別な存在だった。
愛生から吸血鬼に噛まれたと告白された楓はショックを受けた。どうして愛生が。愛生じゃないといけなかったのか。楓はそんな思いで頭を満たされた。愛生は家族に迷惑を掛けたくなくて、こんな山奥まで来たのだと言い、楓に助けを求めた。
数日間楓は愛生の面倒を見た。愛生は吸血鬼もどきとして覚醒しかけていた。すごく喉が渇くと楓に言った。楓は愛生になら殺されてもいいと自分の血を捧げた。
だが愛生は楓を殺さなかった。寸での所で愛生は吸血を止めたのだ。親友の血を吸ってしまった罪悪感に押しつぶされ、愛生は自ら陽の光に当たり灰となった。
楓は愛生を救えなかった自分を恨んで呪った。
愛生から聞いた話で真実を知った。少女の事も知った。愛生は本物の吸血鬼に吸血された一人だった。少女は初めの事件が起こった村に今も居ると愛生は言った。
楓は喪失感を抱えながらも少女に会い、少女と話した。少女はただ寂しさを抱えていただけだった。楓はそんな少女を恨むことは出来なかった。この喪失感をどこに向ければいいのか楓には分からなかった。
篠原夫妻に全てを話した楓は自分が発症した時は、自らを実験台にしてほしいと申し出たのだ。だが楓はすぐには発症しなかった。
楓が少女に出会ってから数日後、テレビで少女の死が報道された。楓は衝撃を受けた。人を救うために真実に近づいたはずなのに、まだ救えたかもしれない命も巻き込んで少女は死んだのだ。そのきっかけとなったのが自分であるなら、なんていう事をしたのだろうと楓は自分を責めた。この事件で日本の人口は四割ほどにまで減ってしまったのだった。
しばらくは吸血鬼の話でテレビも持ちきりだった。だがその話題が収まった頃、楓の体にも異変が起こったのだ。楓は吸血鬼の特性を体に持ち始めたのだ。楓と同じような人々が、助けを求め委員会を頼った。委員会は吸血鬼もどきを人間に戻す薬の開発に成功したと発表していた。まだ症状の浅いものはそれで助けられると報道されたのを楓は見ていた。ああ、助かる人がいてよかったと楓は思った。
だがその薬では人間に完全に戻すことは出来なかった。数日のうちは人間として生活していた人々も、日が経つにつれ吸血鬼の特性を取り戻していった。
そのことを重く見た政府は、第二の吸血鬼を産まないために感染の恐れのあるもの、発症したものを隔離する措置を取った。隔離とは名ばかりの、実際は処分であった。
楓はその事を委員会に居た時の同僚から聞き知った。篠原夫妻に協力してもらい、何とか特効薬の開発に励んだものの成果は得られず、時間だけが過ぎた。
それから楓は薬で症状を抑え今までの日々を過ごした。だがもう時間切れだと楓は分かっていた。日に日に渇きは増していくばかりで、日中は眠気にも襲われるようになった。我慢できないほどのものではないが、それもそのうち理性が利かなくなることを楓は分かっていたのだ。