01
――薄暗い室内に響き渡る断末魔。
石畳に仰向けになって倒れている俺の隣に、深々と胸に剣が突き刺さったまま魔王ロデスの巨体は倒れた。
俺の背中に奴が倒れた際の振動が伝わってくる。
ロデスにとどめの一撃を与えたのは良いが、俺は奴の最後の抵抗に合い弾き飛ばされ石畳に叩きつけられたらしい。
叩きつけられた際に口の中を切ったらしく鉄の味が広がってゆく。
少し息苦しいが、どうやら内臓や骨に異常は無い様だ。
俺は一度深呼吸をし、さらに一呼吸間をおいてからゆっくりと立ち上がる。
戦闘の際、天井に開いた大穴からうっすらと日の光が差し込んできて俺の顔を照らす。
確認するように倒れているロデスを見ると、奴の体は塵のようになり日の光の中に消えていく途中だった。
次第に消え行くロデスの胸から長剣『栄光の剣』がズルリと抜け落ちる。
(終わった……んだよな?)
体の節々が痛むが、この痛みは目の前の光景が夢ではない事を教えてくれている。
後ろを振り返ると共に戦ってきた仲間達が歓声を上げて喜んでいた。
いつも戦闘になると相手からの攻撃を一手に引き受け、守りの要となってくれていた、巨漢のガイルが感極まったのか涙を流して泣き出している。
(あいつとの付き合いはそこそこ長いけど、泣いている所なんてはじめて見た…)
幼馴染のカリンが満面の笑みを浮かべて、手を振りながら俺を治療しようと駆け寄ってくる。
(あいつとの付き合いが一番長いんだよなぁ。昔から良くお兄ちゃん、お兄ちゃんって俺の後をついて歩いていたっけ…結局ここまで着いて来たんだよなぁ…)
俺はカリンに対して微笑みながら軽く手を上げ答える。
(魔物もこれでおとなしくなるだろう…たった今、俺は…いや俺達は魔王を倒したんだ! これで世界は元通り平和になる)
ロデスの骸はほぼ完全に消え去り、俺が足元に落ちていた『栄光の剣』を拾おうとしたその時…。
…ドクンッ!…
突然、奇妙な感覚に襲われる。
…ドクンッ!…
何かがおかしい…。
…ドクンッ!…
グニャリと視界が歪み意識が遠のく。
…ドクンッ!…
「……間に………石……!」
…ドクンッ!…
誰かの声が聞こえる…。
…ドクンッ!…
そして…俺は…
――(…ここはどこだ? 一体なにがどうなっているんだ!?)
今まで気を失っていたのだろうか?
気が付くと俺は全く見覚えのない場所に倒れていた。
なぜこんな場所に倒れているのか身に覚えがない。
いずれにせよ、このままでは埒が明かないのでまずは周囲を観察してみる。
時間帯は昼のようだ。
木々の間から太陽が頭上に差し掛かっているのが見える。
どこかの山中なのだろう。
周りには生い茂っている木々や草花しか見えない。
続けて注意深く聞き耳を立ててみるが特にこれといって人や魔物がいるような気配もなかった。
まだ完全に安心はできないが、この付近の危険の有無を確認して少しだけ落ち着いた俺は、次に自分について簡単に記憶の整理をしてみた。
俺の名前はミツルギ・ユウト。
気心の知れた仲間達と旅をする冒険者だ。
今までいくつかの町や村を魔物の脅威から開放した事があり、そのせいか巷では勇者なんて呼ばれたりしている。
そしてつい今しがた、世界を脅かす諸悪の元凶とも言える魔物達のの王、魔王ロデスを倒して…倒して…どうなったんだ?
そこからの記憶が無くなっていた。
あの時、急に奇妙な感覚に襲われて意識が薄れて行った事は覚えている。
その後誰かの声が聞こえたような気がしたのだが、まったく聞き覚えの無い声だった。
(そう言えばカリンや他の皆はどうなったんだ!?)
俺は冒険を共にしていた仲間達の事を思い出す。
魔王を倒した後の記憶がすっかり抜け落ちているのが気にはなるが、それよりも皆の事が心配だ。
慌てて再度周囲を調べてみるがやはり人がいる気配は無い。
(皆大丈夫なのだろうか?)
そうは思ったが俺の現状もかなりヤバイ。
身に着けていたはずの装備一式と荷物が全て忽然と姿を消していた。
衣服はロデスと戦った時よりもボロボロになっている。
(気を失っている間に何があったんだ? …荷物を誰かに盗られた?)
いや、それはない…と思う。
周囲に自分以外の誰かが居た痕跡は無いように見えた。
だが実際に持ち物は全て無くなっていて丸腰の状態だ。
これでは出会った相手に殺してくださいと言っているようなものだ。
仲間の事も気になるがまだ危険が去ったとは限らない。
まずは周囲を探索がてら手近な物で武器を作り、人里を目指して移動する事に決めた。
適当な木の枝とツル、そして形の良い石を見つけて石斧を作り、取りあえずの武器とするがかなり心許ない。
(『栄光の剣』とまではいかなくても、せめて金属製の剣でもあれば…)
だが無い物はどうしようもない。
念の為、もう一挺石斧を作ってから移動を開始した。
どちらに進めば良いのか全く見当も付かないのでそこは運任せだったが俺は運が良いらしい。
暫く歩くと小川に行き当たった。
喉が渇ききっていた俺は早速小川に顔を突っ込んで水を飲む。
ただの小川の水だが体の隅々まで染み渡るような美味さだ。
!?
その時何かの気配がした。
すかさず辺りの様子を探ってみる。
気のせいかとも思ったがさらに様子を探ってみるとかすかに水のはねる様な音が聞こえる。
(何かいるのか!)
俺は咄嗟に石斧を構えると気配のする方へと近づいていく。
少し小川を上った所にそこそこ大きな岩が連なっている場所があり、その岩の向こう側から水がはねるような音がさらに大きく聞こえてきた。
どうやらこの向こう側に何かがいるのは間違いないようだ。
幸いな事に向こう側の奴は俺の事には気が付いていないらしい。
それならば奇襲をかける形になりこちらが優位に立てる。
だが問題は相手の数と正体だ。
相手によってはさっさと逃げる方が良い。
俺は岩陰から相手を確かめるべく極力気配を押し殺し、そっと頭を出してみた。
「あっ!」
岩陰の向こう側を覗き込んだ俺は、不覚にも声を出してしまった。
当然向こうも気が付く。
(………)
目の前に現れた突然の光景に俺の思考は完全に停止していた。
多分相手も同じなのだろう。
「……………」
「……………」
お互い見つめ合ったまま金縛りにでもあったかのように無言で立ち尽くしている。
透き通るような白い肌。
日の光に光り輝く腰まで伸びた金色の髪。
髪に隠れてわかり辛いが大人の女性というよりはまだ少女のように見えるボディライン。
目の前で水浴びをしている少女はとても幻想的で綺麗に見えた。
目を逸らそうとは思ったが、なかなか逸らす事が出来ない。
気が付かないうちに俺は彼女の方へと二歩三歩と歩み寄っていた。
「……!!」
ようやく俺は我に返り目を逸らす。
「えーっと……」
口がきけるようになって俺は今、自分が非常にマズイ状況に居る事を悟った。
(岩陰から覗いてみたら確かに誰かいた。
だけどそれが裸の女性だなんて普通想像出来るか?
世の中にはラッキースケベなんていう現象が存在するとかいう話は聞くがそんなものは作り話だとばかり思っていたんだ。
まさか自分がこんなベタな状況でその現象に遭遇するなんて思わないだろ?誰でも良いからそう言ってくれ!!)
俺は誰にとも無く同意を求めるが当然返事など帰ってくるわけが無い。
代わりに帰ってきたものは彼女の悲鳴とナイフだった。
悲鳴と共に飛んできたナイフを俺は間一髪でかわす。
かわしたナイフは俺の頬をかすめて後ろの岩に突き刺さる。
(死ぬ…かわさなければあれは確実に死んでるって…。)
頬をかすめた傷から微かに血が滲み、頬を冷や汗が伝い落ちる。
「お、俺を殺す気か!!」
抗議の声を上げる俺に、
「ええ、そのつもりよ!!」
彼女の返事は即答だった。
彼女は近くにまとめて置いてあった荷物から剣を手に取る。
パッと見でもわかる。
細身だがかなり立派な剣だ。
先程のナイフの腕前も悪くない。
どうやら今の武器では俺に勝ち目は無さそうだ。
俺は両手を上にあげて降参の意思を示す。
彼女は剣を構えてこちらの様子を伺っている。
出来る限り彼女を刺激しないように、まずは説得を試みる事にした。
「すまない、知らなかったんだ」
「ええ、誰でもそう言うでしょうね」
彼女は冷ややかな眼差しでこちらの様子を伺っている。
こうしてみると俺とほぼ同じか少し年下に見える。
整っているがどこか幼さが残っている顔立ち。
キラキラと輝く瞳が印象的だ。
このような出会い方ではなくもっと普通に出会っていれば…そう思わずにはいられない。
だが、現実は違う。
視線がチクチクと突き刺さるように痛い…。
「いや、本当なんだ!大体こんな場所で女性が水浴びをしているなんて誰が思う?」
「……」
「知っていれば絶対に覗いたりなんかしない!」
俺は視線に臆する事無く真顔で彼女を見据える。
「……」
彼女は無言で俺の言うことを聞いている。
その後も俺はなんとか説得を続け…
「お願いだ!信じてくれ!」
「…わかったわよ、仕方ないわね」
渋々といった感じだがどうやらわかってもらえたようだ。
(良かったうまくいった…)
ホッと安堵のため息を漏らす。
だが、そこに一瞬の油断が生じた。
「ところで…そろそろ服を着た方が良いんじゃないのか?」
どうしても気になっていた事をつい言ってしまった。
彼女はまず剣を手に取った。
身の安全を守るためだろう。
もし俺が彼女の立場でも同じ事をすると思う。
だが、以後の行動を彼女はまだしていない。
つまり彼女は…。
「やっぱり死ねっ!!」
直前まで俺の頭があった位置を剣が刺し貫く。
「すまない! 本当に悪気は無いんだ!」
かなり危険な突きをかわし、再び危機的状況に陥ってしまったこの事態を収拾する方法を考えていた時、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
「悲鳴!?」
俺と彼女、二人はほぼ同時に反応した。
(声からすると女性。場所はそれほど遠くない)
悲鳴はなおも聞こえてくる。
今度は男性のようだ。
俺は悲鳴が聞こえた方向を特定すると石斧を手にする。
一方、彼女は素早く服を着ると再び剣を手にした。
「近いわね!」
「ああ、どうやらあっちの方角だ」
俺は悲鳴が聞こえてくる方向を指差す。
「一時休戦ね。そこで大人しく待っていなさい!」
それだけ言うと、彼女は悲鳴の聞こえた方に向かって駆け出した。
だが俺は言われたからといって大人しく待っているつもりなど無いので、すぐに彼女の後を追って駆け出していた。