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苦手な方はご注意ください。

鮮血の殺戮姫は、バナナの皮が原因で街娘Aになりました。

作者: 千条 悠里

 深い森の奥、獣達の断末魔が立て続けに響いては消えていく。

 獣に相対する討伐者は、右側面から飛び掛ってきた狼の首を斬り落とし、返す刃で背後に迫る別の狼の脳天を叩き割った。

 狼、といってもそれは通常の狼ではない。魔物として存在する人類の脅威する存在、モンスターの一種である。

 辺り一面に散らばる狼の死体は、冒険者の強敵としてまず名の挙がるシルバーウルフと呼ばれるモンスターで、冒険者ギルドにおける危険度認定も高く設定されている存在だ。

 

 頑丈な肉体。統率された群れ。俊敏な連携攻撃。高名な冒険者パーティであろうとも油断すれば全滅もありえる、そんな危険な存在。

 ――その群れを、たった一人で殺戮している女性がいる。

 大自然の中で鍛えられた屈強な肉体を、生物の急所たる箇所への容赦ない一撃で葬る光速にして縦横無尽の剣閃。

 相手がいくら群れようとも物ともしない、常軌を逸脱した戦闘能力。

 どれほど俊敏な動きで迫られようとも、それよりも尚早く、尚速い疾風の如き体捌きで迎え撃つ。


 彼女の名はアイナ。家名はない。故郷もモンスターに滅ぼされてもう存在しない。

 冒険者ランクSにして孤高の単独戦闘者ソロ鮮血ブラッド殺戮姫プリンセスと畏怖される冒険者だ。

 彼女の行動理念はひどく単純――より多くのモンスターを葬ることである。

 冒険者になった者は、その理由は数あれどほとんどの者がモンスター退治に明け暮れることになる。

 名声のため、富のため、強くなるため。理由は人ぞれぞれであり、結末もまた然り。


 しかしアイナの場合、モンスターを殺すことがそもそもの目的だった。

 故郷を滅ぼされて孤児院に引き取られてからずっと、そのためだけに生きてきた。

 幼い頃から訓練を繰り返し、成長して孤児院を出てからは冒険者として実力に見合う敵を延々と殺し続けてきた。

 成長するのは殺戮のため。手にした富も殺戮のため、名声など知ったことではない。

 それが冒険者アイナの日々であった。世話になった孤児院への寄付を行いはするものの、心は常にモンスターの殺戮を求めている。

 築いた屍の山は数知れず。討伐数も並の冒険者が生涯で殺しうる数を遥かに凌駕している。

 今もまた、森林地帯の奥地に巣を作ったシルバーウルフの討伐を単独で受領して、それも間もなく終わる。

 晒される屍の数は最早数え切れるものではなく、血の臭いが咽るほど漂っている。


「……足りない」


 だというのに、アイナは呟く。まるで足りないと。

 返り血に染まり、赤黒く染まった装備に気も留めずに生き残りのシルバーウルフへと斬りかかる。

 あまりに圧倒的な存在に恐怖したのか、最早向かってくるシルバーウルフの方が珍しい程。

 それでも一切の容赦も慈悲もなく、その命を刈り取っていく。


「もっと、もっと殺させろ……!」 


 一匹でも残せば、成長したそれはやがて人を襲う脅威になるから。

 ――自分の故郷を滅ぼしたモンスターも、遠い昔にどこかのお優しい冒険者様が見逃したモンスターの子供であっただろうから。

 だから、既に仇となるモンスターが別の冒険者に目の前で仕留められても尚、殺戮姫は死の舞踏を止めない。

 どれほどの殺戮を繰り返そうとも、その心が満たされることはないのだから。



   〇



 ギルドに討伐完了の報告と、モンスター討伐数をカウントする魔法の水晶を提出して、アイナはギルドを後にする。

 報告前に返り血を浴びた装備類は外しており、今は普通の街娘が着るような普段着に身を包んでいる。

 討伐中に着用していた漆黒の魔獣の皮のコートではなく、ありふれた布で縫われたゆったりとした服装で街を歩いていた。

 血を連想させる深紅の髪と瞳はは生まれつきのものであり、それはどうしようもないが、それを除けば彼女の顔を知らぬ者にとってはただの女性でしかない。

 普段腰に下げている双剣も今は鍛冶屋に打ち直しを依頼しているため、手元にはない。

 冒険の必需品となるポーション等の備品も買い溜めているため、リュックも持ち合わせていない。


(……今日は満足できなかった。次はもっと大物を狙おう)


 しかしその脳内を占めるのは、次の冒険……という名の殺戮の舞台のことである。

 今回討伐したシルバーウルフの数は実に247体。ソロどころか生半可なパーティーでも不可能な数字。

 だがギルドより賃貸される魔法水晶の精度は確かであり、そのカウント数を誤魔化す術はない。

 しいて言うならギルドでも確認されていない未知のモンスターに関してはカウントできないが、そんなものは例外中の例外である。


(もっと殺したい……もっと刻みたい……もっと、もっと――)


 ぼんやりと、そんな思考に支配されていたからだろうか。

 アイナは足元に誰かが捨てて放置したバナナの皮に気付かず、思い切り踏んづけて。

 思考に没頭する中で起きた出来事だったせいか受身も取れず、後頭部をまともに強打する。

 あまりの激痛に、アイナの意識はそのまま闇に落ちた。



  〇



「だ……大丈夫ですか?」


 呼びかけられた声に、アイナの意識が浮上する。

 どうやら気絶していたらしい、と自覚すると共に後頭部に激痛を感じた。どうやらその箇所を強くぶつけたらしい。


「う、動いちゃだめです! 頭を打ったときは安静にしていないと……」


 そう言ってアイナの身を案じるように見つめているのは、冒険者の格好をした少女だった。

 長く伸ばされた青髪が風になびき、きらきらと太陽の光を反射して宝石のように輝いている。

 彼女の姿に見覚えはないが、冒険者ならギルドで見かけたことはあるだろうか。

 ――そう記憶を探ろうとして、自身の身に起きている異常に気付く。


「あ、あの、お嬢さん。つかぬことをお聞きしますが……」

「は、はい、何でしょう? あ、お医者様なら今、私の友達が呼びに行ってますよ」


 医者も重要なのだろうが、それ以上に確認したいことがある。

 アイナが、何度思い出そうとしても思い出せないこと、それは――。


「……私の名前って、なんでしょう?」

「へ?」


 自分の名前も、生い立ちも、思い出も何もかも。

 自分自身に関わることが、思い出せなくなっていた。

 問われた少女は、唖然とした表情でアイナのことを見つめていた。



  〇



「記憶喪失、なのですか?」


 アイナは自分を診察した医者の言葉に、そう聞き返した。

 名前については冒険者として登録した人物に発行されるギルドカードのおかげですぐに判明した。

 とはいえ、そのカードに記載された自分の名前を見ても何ひとつ実感が沸かなかったが。

 記憶の消失したアイナにとっては、自分が冒険者ランクSだとか何とか言われたところで、信じられないことだった。


「頭部を強打した影響で、記憶を失う症例は少なからずあるんです。

 アイナさんの場合もそれでしょうね」


「け、けどアイナさん、言葉とか冒険者とか、色々と覚えてますよ?」


 付き添いとして傍にいてくれる少女――ミルクが医者に疑問を投げかける。

 本来なら何の関わりもない少女ではあるが、記憶喪失のアイナにとっては唯一と言っていい知人であるため、医者も付き添いを許可したのだ。

 無理に守秘義務などに当てはめて引き離して、不安からくる精神的ストレスを与えるべきではないという判断だ。


「思い出などの記憶を喪失しても、日常生活に必要な記憶……例えば文字や言葉、一般常識などは残っている場合も多いんですよ。

 アイナさんの場合もこれが当てはまりますね」


「あ、あの……結局私は、元に戻れるのでしょうか?」


 アイナはおずおずと手を挙げて、自分も質問する。

 医者はその言葉に悩むように唸り、やがてはっきりと答えた。


「分かりかねます。私が担当してきた患者さん達にも、ある日あっさり記憶を取り戻した方もいれば、記憶喪失のまま別の人生を真っ当された方もいます。

 記憶喪失の原因は多々あれど、特効薬と呼べるものもなく、記憶がいつ元に戻るかは医者でも判断できないんですよ」


「そ、そんな……なんとかならないんですか!?」


 ミルクが自分のことのように悲しそうな声で問い質す。

 しかし医者は首を横に振る。


「後頭部の怪我は治癒魔法で完治しました。しかし記憶を元に戻す魔法というのは存在しないんです。

 対策としては、リラックスできる環境で療養したり、自分の記憶に関わるような物事を見聞きする、といったことくらいでしょうか」


 結局はその後、いくつかの薬と「また様子を見せに来て下さい。お大事に」と言われて、診察は終了した。



  〇



 診療所を出ると、ミルクの友人であるという少年、ラムドが暇を持て余した様子でベンチに座って待っていた。

 扉を開けて出てきたミルクとアイナを見つけて、ラムドは顔を綻ばせて立ち上がり、彼女達に駆け寄る。

 彼の活発な動きにつられるように金色の髪がぴょこぴょこと犬の耳のように揺れ動いていた。


「よおミルク、それに、ええとアイナ姉ちゃん! 待ちくたびれたぜ!」

「もう、ラムド! すいません、失礼な上に大声で……」

「そ、そんなことないですよ。元気なのは良いことなのです」


 近くにいるのに大声を出すラムドにびっくりするアイナだが、申し訳なさそうに謝るミルクにフォローする。

 二人は幼馴染らしく、お互いに冒険者として二人でパーティを組んで生活費を稼いでいるらしい。

 齢は14,5といったところだろうか。世間的には大人と子供の境目として扱われる年齢で、冒険者として活動を開始する人物も多い年代だ。

 アイナはギルドカードに記入された情報が確かなら20歳。この中では一番年上ではあるものの、記憶がないためあまり年長者としての自信はない。


 ミルクとアイナは、ラムドに医者の言葉を伝える。

 アイナの記憶喪失のこと。特効薬はなく、いつ元に戻るか分からないこと。

 それを聞いたラムドはしばらく悩む仕草をした後、名案を思いついたとばかりににかりと笑みを浮かべた。


「じゃあさ、闘技場いこうぜ!」

「……あの、ラムド? なんでそうなるの?」


 ラムドの突然の提案に、戸惑うような呆れるような表情になるミルク。

 しかし、彼の説明する理由は中々筋の通ったものだった。


「だってアイナ姉ちゃん、冒険者なんだろ? しかもSランクの。

 そんだけ高ランクなら戦闘もすごい慣れてるだろうからさ、闘技場のモンスターとの戦闘を観覧すれば普段見慣れた光景がたくさん見れるだろ?

 いきなり冒険者としてクエストに出るよりは、モンスターがどんなものなのか安全なところから見ておいた方がいいだろうしさ」


「な、なるほど……ラムド君はすごいのですね、よく考えてるのです」


 感心したアイナは思わずラムドの頭を撫でていた。


「ね、姉ちゃん。くすぐってえよ」


 慌てつつも年上の女性に褒められて満更でもない様子のラムド。

 そんな彼の様子が面白くないのか、ミルクがぷくっと頬っぺたを膨らませてラムドの手を引っ張る。


「もう、でれでれしないの。闘技場いくんでしょう? 早く行きましょう」

「お、おい引っ張るなよミルク。どうして怒ってるんだよ?」

「怒ってないわよ、もう!」

「やっぱ怒ってるじゃねえか!」


 ぎゃあぎゃあと言い争いながら先へと歩いていくミルクとラムド。

 しばらくぽかんとしてそんな二人を見ていたアイナだが、はっとした表情で二人の後を追いかけだした。


「ふ、二人とも、置いていかないでなのです~!」


 なんとも年長者らしくない、情けない声を出しながら。



  〇



 わあああ、と賑やかな歓声が闘技場には満ちていた。

 ここでは冒険者達が腕試しのために、捕獲されたモンスター達と戦闘を行うようだ。

 街の郊外にあるとはいえ、ダンジョンやフィールドなど危険な場所まで行かなくても戦闘経験を積める為、利用者からの人気も高いらしい。

 最も、戦闘を行う以上命の危険はどうしても伴うのだが。


 そんな闘技場の観覧席で、アイナ達は屋台で買った焼き鳥を手に試合開始の時間を待っていた。

 闘技場に到着した際にはちょうど試合が決着したところで、次の試合への準備時間だったのだ。

 なので空き時間の間に腹ごなしをしながら、待つことにしたのだ。


「ふわあ、すごい人なのです。……あ、これおいしい」

「だろー? ここに参加する冒険者は腕に自慢がある奴が多いから見応えあるんだぜ!」

「危なくなっても救護班の人達が助けてくれますから、外よりは安全ですしね」


 鉄串に刺さった焼き鳥をもぐもぐと頬張りながら、闘技場のことを話題に会話を交わす。

 そうやって話している間にも、会場に司会者の女性の声が響き渡る。

 魔法で声を闘技場内に響かせているようだ。


「皆様、お待たせしました! 次の試合の準備が整いましたよー!

 今回戦いに挑むのは、今話題の期待の新人、冒険者ランクDのハヤトだー!

 Dランクと侮るなかれ! 彼はなんと冒険者デビューしてまだ2日目の新人! そして今まで受けたクエストは全て単独での受注!

 ソロでEからDまでこんな短期間で駆け上がった実力はずばり未知数!

 その脅威の実力を、この大歓声の中で見せ付けることができるのでしょうか!

 さあ、対するモンスターは……ゴブリン4匹のパーティだー!

 冒険者の討伐対象の定番にして新人殺しと悪名高い彼らに、ハヤトは単独で勝利することができるのでしょうか!」


 司会の声に反応して大歓声が響く中、ゆっくりと試合参加者がそれぞれの門から闘技場に踏み込む。

 北門側からはゴブリン達が鎖に繋がれたまま誘導される。試合開始と共に鎖から解き放たれるらしい。

 そして南門側からは件の冒険者、ハヤトが入場してくる。

 鋭いながらに幼さの残る目付き。しかし油断も隙もなく剣と盾を構える姿からは確かな実力を感じさせる。

 少々小柄ではあるが端整な顔立ちから、女性客達の歓声が一際大きくなった。


「2日でDランクかー! 普通なら最低ランクのEからDへのランクアップに早くても1ヶ月はかかるらしいから、すんげえ強いんだろうな!」

「そうだね。私達も今はDだけど、ランクアップまで一年は掛かっちゃったし……アイナさんはどれくらいでランクアップしたんですか?」


 ミルクの質問の声にアイナは応えない。

 その視線はゴブリン達へと向けられていた。

 記憶を喪失して、思い出も過去も忘却した彼女だったが、魂の奥底がざわつくように意識が研ぎ澄まされていく。

 どのようにすればあのゴブリン達を殺せるのか。隙、体格、所持する武器、果ては天候から地形まで考慮した殺戮方法が脳内を駆け巡っていく。

 そんなアイナの様子を怪訝そうに見つめて、ミルクは再び声をかけた。


「……アイナさん? もしかしてご気分が悪くなりましたか?」


 その言葉にはっとして、アイナは正気に返る。

 先程まで思考を埋め尽くしていた殺意も薄れて、ミルクに微笑み掛ける。


「な、なんでもないのです。ごめんなさい、ぼーっとしてました」

「い、いえ。いいんです。けど体調が悪くなったらすぐ言ってくださいね」

「おい、始まるぜ!」


 二人の会話をぶったぎるように、ラムドが大声を出す。

 ちょうど彼の声に合わせる様に試合開始の銅鑼が鳴らされた。

 鎖から解き放たれてハヤト目掛けて駆け出すゴブリン達。

 対するハヤトもまたゴブリン達へと疾駆しながら、タイミングを見計らってジャンプする。

 前衛役のゴブリン達の頭上を軽やかに飛び越えて、着地と同時に後衛に陣取っていた弓使いのゴブリン2匹を素早く切り払う。

 瞬く間に2匹を仕留めたハヤトは踵を返して、残り2匹のゴブリンへと突進する。

 振り返ったゴブリン達が武器を構えるよりも早く、駆け抜けながらの回転切り。

 残心の後、剣についた血を振り払って鞘に収める。

 キン、と剣が鞘に収まる音に遅れて、2匹のゴブリンの首が地に落ちた。


「――瞬殺! 冒険者ハヤト、圧勝です!」


 わあああ、と熱狂の声が闘技場に響き渡る。

 ゴブリンは初心者でも相手できる存在、と侮られがちではあるが、その実力は決して低くはない。

 高い繁殖力により群れというより軍隊と呼べる人数を瞬く間に生み出し、数と容赦のない暴力を振るうことで辺境の村くらいなら一晩で滅ぼしてしまう存在。

 4匹だけとはいえ、ソロで挑むには無謀な相手。それなのにハヤトは汗ひとつかかずに殲滅してみせた。

 それは冒険者ハヤトの確かな実力を示すには十二分な成果と言えた。


「皆様、惜しみない拍手を――おや、何か騒がしいような」


 司会者の戸惑うような声の後。

 モンスター搬入口である北門から凄まじい足音が鳴り響き、降ろされた鉄格子を突き破って1匹のモンスターが現れた。

 赤い毛並みに包まれた、人の数倍を誇る巨躯。獰猛な唸り声を鳴らす口からはぼたぼたと涎が零れ落ち、野生の凶暴さを感じさせる。

 ――危険度ランクB、真紅クリムゾン凶熊ベア。ゴブリンなど比べ物にならない脅威が、そこにはいた。


「な、え……何これこんなこと台本にない……ト、トラブル!?」


 司会者すら戸惑う事態に、観客達に動揺と悲鳴が広がる。

 危険度ランクBは、街が緊急警備体制に切り替わる程の脅威的存在を示すモンスターのランクだ。

 ソロどころかパーティでの討伐も困難。高ランクならともかくとしてDランク冒険者では、束になっても叶わない、生き残れることを祈って逃げるべき存在だ。

 しかし今、ハヤトに逃げ場はない。闘技場の入門口にあたる門には鉄格子がされている。開けるべき看守はあまりの事態に逃げ出してしまったらしい。


 先程までは余裕の表情を浮かべていたハヤトにもさすがに焦りが見える。

 後退する隙など与えず突進してきた真紅クリムゾン凶熊ベアの側面に素早く飛び込み、すれ違い様に斬撃を加えるハヤト。

 しかし血のように赤く染まる体毛はさながら天然の鎧の如き硬質を誇り、鋭い剣閃を受けようとも僅かな傷を負うだけだった。

 逆に、硬い物体を切った手応えにハヤトの動きが鈍り、その隙をつかれて巨躯から繰り出される鋭爪の一撃に晒される。

 かろうじて盾でガードしたようだが、大きく弾き飛ばされて盾も粉砕されてしまった。


「ぐっ……がああ!?」


 致命傷ではないようだが、苦悶の叫び声を上げながら地面を転がったハヤトは体勢を整えきれていない。

 左腕に激痛が走っているのだろうか。盾を持っていた左手を震わせながら、なんとか立ち上がろうとしている。

 真紅クリムゾン凶熊ベアは勝ち誇るように威嚇の雄たけびを上げながら、ゆっくりとした足取りでハヤトに近づいていく。


「ちょ……救護班何してるの!? はやく、はやくしないと……あああ!」


 司会者の悲鳴じみた声と観客達の阿鼻叫喚が重なる中。

 真紅クリムゾン凶熊ベアは、ゆっくりと掲げた腕を振り下ろす。

 ――その一撃の餌食になりかけていたハヤトの身体を。

 目にも留まらぬ動きで駆け寄ったアイナが軽々と抱きかかえて、豪腕の繰り出す必殺の一撃を回避して飛び退いた。

 傍にいたラムドとミルクにも、いつ観客席から闘技舞台へ飛び出したのか分からない程の一瞬の出来事だった。


「こ、これは! 冒険者ランクS、鮮血ブラッディ殺戮姫プリセンスアイナが!

 身を挺して冒険者ハヤトの危機を救ったあああ!

 ……け、けどアイナはなんと一切武装をしていない、防具も武器もない丸腰だあ!

 これはいかにSランクといえど危険すぎるー! ……ねえこれ演出じゃないのよね、だったら救護班仕事して! これ絶対やばいですって!」


 周囲の騒ぎなど構う様子もなく、アイナは抱えていたハヤトの身体を闘技場の壁に寄り掛かるように座らせて、真紅クリムゾン凶熊ベアと向き合う。


「に……逃げろ。あんたまで、死んでしまう」


 ハヤトは恐怖と激痛に震える身体を必死に支えながら、アイナにそう呼びかける。

 今のアイナはどこにでもいる街娘の格好で、司会者の言うように戦闘用装備を何一つ身に着けていない。

 そんな女性に身を庇われて、自分の巻き添えにしてしまうことはハヤトには受け入れがたがった。

 例え、そのために自分が見捨てられることになったとしても、だ。

 だからこそハヤトは、アイナに早く逃げるようにと促したのだが。


「逃げる必要なんて、ない」


 しかしアイナは、まるで怯えひとつ見せずに真紅クリムゾン凶熊ベアに向き合う。

 ぞくり、と。ハヤトの背筋に寒気が走る。それは余りにも濃密な殺意。背を向けていても尚感じさせられる程の殺気が、ハヤトの身体を凍らせた。

 その殺意は決してハヤトに向けられたものではない。アイナが真紅クリムゾン凶熊ベアに向けているものだ。

 だが、ただ近くにいるだけのハヤトですら、恐怖に飲み込まれる程に渦巻く殺意が、アイナの全身から噴き出していた。


「危険度Bだろうがなんだろうが、殺せば死ぬ」


 それだけ言い残して、アイナは突撃する。

 姿が掻き消え、影すら追えぬ神速の進撃。アイナは瞬く間に真紅クリムゾン凶熊ベアの足元へと踏み込む。

 二足で直立する真紅クリムゾン凶熊ベアの体躯は人間など足元にも及ばぬ巨躯。しかしアイナは一切躊躇わない。

 真紅クリムゾン凶熊ベアが豪腕を振り上げる。そして全速で振り下ろされる右前足。

 アイナはその必殺の一撃すら利用してみせた。軽やかに飛び上がり、鋭爪を避けるだけでなく、真紅クリムゾン凶熊ベアの振り落とした右前足を足場にしてさらに跳躍。

 そして腕を振り下ろすために開けた胸部へと、己の拳――そこに握り締めた鉄串を叩き込む。

 先程食べていた焼き鳥の串に使われていた、どこにでもある鉄串であり決して武器などではなかった。

 何の変哲もない鉄串で刺す程度では、本来は真紅クリムゾン凶熊ベアに傷ひとつつけることもできない。

 だがアイナは一呼吸前の跳躍の際に全身の筋肉を力強く、そしてしなやかに伸縮させることで凄まじい突進力を得ていた。

 さらには鉄串を打ち込む際に手首を内側に捻りこみ、螺旋状コークスクリューに回転させることで抉り込むように貫通力を高めていた。


 パイルバンカー、と呼ばれる武装がある。

 金属製の槍や杭を、火薬等を用いて高速射出させて敵を打ち抜く、非常に強力な武器だ。

 至近距離でなければ射程が届かないという難点はあるが、その絶大な威力は全身鎧フルプレートアーマーで武装した騎士ですら一撃で絶命させうるという。

 ――アイナが成したように、真紅クリムゾン凶熊ベアの心臓を一撃で穿つことだって可能であろう。

 だがそれを人の身ひとつで、何の工夫もされていない鉄串を武器にして行える者がどれほどいるというのだろうか。

 多くのものが不可能と断じるであろうその偉業を、アイナは確かに成し遂げた。

 最後の仕上げとばかりに、巨熊の胸元から僅かに突き出ている鉄串の持ち手を押し込むように靴底をぶつけ、その反動で跳躍して巨熊から離れるアイナ。

 心臓を奥深くまで刺し貫かれた真紅クリムゾン凶熊ベアが傷口から血を噴き出して、断末魔を上げながら胸を掻き毟る。

 だがいくら己が爪で抉り出そうとしたところで、根深く埋め込まれた鉄串は引き抜かれる様子はない。

 それどころか自身の鋭爪で傷を広げてしまっている。しかしそれを自覚しながらも巨熊は手を止められないようであった。

 やがて、ごぼりと血の塊を噴き出した真紅クリムゾン凶熊ベアが倒れ伏す。

 その巨躯が物言わぬ屍と変わるまで、時間はそう掛からなかった。


「――圧倒的! まさに圧倒的な戦闘……いや、これは最早一方的な殲滅だああ!

 冒険者ランクS、鮮血ブラッディ殺戮姫プリセンスアイナ!

 まるでこの結末が当然と言わんばかりの、圧倒的勝利を見せてくれましたあああ!」


 静まりかえっていた闘技場が、熱狂の雄叫びに包まれる。

 観客達は先程までの恐怖を拭い去ろうとするかのように歓声を上げて、アイナを讃えるようにその名を叫び続けた。

 そんな、殺戮の舞踏会の中心で。


「……ふえっ? 私、今まで何を……って、私すっごい血塗れです!?」


 終幕を迎えた主演、アイナは。

 自分が浴びている返り血に驚愕して、叫んでいた。

 まるで、たった今自身が引き起こした殺戮のことなんて何も知らないかのように。

 


  〇



「二重人格、ですか?」


 闘技場での出来事の後、アイナは再び医者を尋ねていた。

 そこで診断された結果は、記憶喪失とはまた違う症状であった。

 

「おそらくは戦闘という過酷な環境において、記憶を喪失する前の人格が表に出ていると思われます。

 ……これも、記憶喪失と同じく特効薬はございません。心に作用する魔法のほとんどは禁術のため、魔法による治療法も研究されていませんね。

 行える対策としては、戦闘及び精神的負荷の掛かる物事からしばらく離れて、療養することが重要ですね」


 その後もいくつかのアドバイスを伝えられたが、結局のところ今すぐ解決できることではないらしい。

 しばらく相談や質問をした後、医者に感謝の言葉を伝えてアイナは診療所を出た。

 街中に出て、ふと青空を見上げてみる。

 空には鳥達が穏やかな風に乗って、思い思いに飛び回っている。

 そんな心休まる風景の中、はあと溜め息をついて。


「……これからどうすればいいのやら、です」


 何とも先の見えない現状に、思わず呟いていた。

 不安そうにぼんやりと佇むその姿に、殺戮姫なんて呼ばれるような迫力はない。

 己のこれからに思い悩む、しがない街娘の姿でしかなかった。

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