優しい世界の壊し方-3-
「ドリアードの王って……」
思いがけぬところでその名を聞き、思わず俺たちは顔を見合わせた。
そう、俺たちがこの大森林に来たのは、元はと言えばドリアードたちに会う為だった。
「エルフとドリアードは一緒に暮らしているんでしたよね」
「一緒と言うと語弊があるな。同じ森に暮らしているが、ドリアードたちは我々よりも深い森を好む」
つまりエルフよりもさらに奥の森に住んでいるのか。
「俺たちはドリアードにも会いに来たんだ。ぜひその王様に会いたい」
「分かった。では案内する。一度私は里に戻るから、夜にもう一度ここで待っていてもらえるだろうか」
ナナアンナの言葉に俺たちは頷く。
彼女は妹を抱え、森の中へと戻っていった。
ひとまずは夜になるまで待機するとするか。
「折角作ってもらったんだし、あたしたちはお風呂に入るとするわ」
「そういや、そんなもんもあったな」
つい先ほどのやりとりだったが、色々あったせいで忘れていた。
あたしたち、という言葉にはバシュトラも含まれているらしく、奏がバシュトラを胸の前で抱きかかえる。
「バシュトラ、一緒に入りましょ」
「いや、ドラム缶風呂に二人は無理だろ」
おっさんも入れるように大きめのドラム缶とはいえ、二人だときつい。
「いいのよ、女同士、狭いくらいで」
「いいわけあるか。二人同時に入ったら水がなくなるだろ。俺たちも後から入るんだから」
「じゃああんたらも二人で入りなさいよ。そうすれば水も増えるでしょ」
顔を見合わせる俺とアムダ。
思わずその光景を想像してしまった。
「僕は構いませんよ」
「俺が構うんだよ! 何が悲しくて男二人肩を寄せ合ってドラム缶に入らなけばいけないんだよ」
「いいじゃない、仲良さそうで」
「良すぎて余計な心配するだろ!」
悪いが俺にそっちの趣味はないんだ。
そんな事を言ってると、奏に抱えられたバシュトラがもぞもぞと逃げ出そうとしていた。
「……風呂、いや」
「バシュトラ、お風呂嫌いなの?」
こくりと頷く。ソフィーリスが頬に手を当てて代わりに答えた。
「バシュトラ様はお風呂が苦手なんですよ。私たち竜は特に問題ないんですけど、バシュトラ様はちゃんと入らないといけないんで、みんなで押さえつけてたんですよ」
「風呂嫌いとか、相変わらず猫みたいなヤツだな」
「ダメよ、女の子はちゃんとキレイにしておかないと」
ジタバタしていたバシュトラが、逃げれないと悟ったのか大人しくなった。
「まあ臭いよりマシだと思って諦めろ」
「……別に臭くてもいい」
「良くないの。ほら、ちゃっちゃと入るから」
そう言ってバシュトラは奏に引きずられていった。
目隠しの向こうに行く前に、くるりと振り返って奏が言う。
「覗いたら、どうなるか分かってるわよね」
「……一応聞いておくが、どうなるんだ?」
「とりあえず、千切るわ」
にっこりと満面の笑みを浮かべながら、彼女は目隠しの奥へと消えていった。
「……何が千切られるんでしょうね……」
「髪、かな」
「それはそれで嫌ですね……」
微妙な沈黙が男性陣を包み込んだのであった。
結局、夜になるまで代わる代わる風呂に入る事になった。
その間、アムダは風呂焚きという名誉職を与えられ、湯量やら湯加減やらの調整に四苦八苦していた。
最後の方までブツブツ言ってたが、魔法という便利なものを持っている定めだ。
ちなみにアムダの時は俺の火炎放射器で火力を上げてやろうと提案したが丁重に却下された。
「準備はよろしいか」
月明かりにナナアンナが現れ、俺たちを見回す。
月も出ていない暗闇だったが、エルフは夜目が利くらしく、夜闇も苦にしていない。
「ではドリアードの集落に案内する。ついてきてくれ」
そう言って彼女は大森林へと足を踏み込んでいく。
彼女の後を追い、俺たちもついていく。
夜の森は鬱蒼としており、虫の声が響いてどこか不気味だ。
「つうかこんな軽装備でジャングルみたいな森に入っても大丈夫なのかね」
「それはあたしもちょっと思った」
ゲームじゃねぇんだから、いつもの格好でダンジョンに突入するのは危険過ぎるだろ。
しかしナナアンナはそんな俺たちの考えを知ってか知らずか、慣れた足つきで先に進む。
「でっかい虫とか出そうだよな」
「やめてよ、そういうの苦手なのよ」
「アムダはそういうの平気そうだよな」
「ええ。僕の世界だと人間くらいの大きさの虫とかも出ますしね」
さすがはファンタジー世界の住人だ。大きさのスケールも俺たちとはちょっと違う。
というかそれは虫ではなく、もうモンスターと呼ばれる分類なのではないのか。倒すとレア素材とか落とすタイプだろ。
そんなどうでもいい事を話しながら十数分ほど歩いたところ、ナナアンナが足を止める。
「ここらでいいだろう」
「もう着いたのか?」
「いや、ドリアードの住まう森を徒歩で行こうとすると何日もかかるさ。さすがにこの人数で歩くのは骨だ」
そう言いながら、ナナアンナは腰につけた布袋から何かを取り出す。
それは何かの葉のようで、彼女はその葉を手の中で握りしめた。
強く握られた葉から、葉の汁が絞り出され、雫の一滴が地面に落ちる。
その瞬間だった。
「なっ!?」
世界が一瞬で移り変わり、生い茂る森の中に立っていたはずの俺たちが、いつの間にか開けた場所にいた。
周囲には木々が生えているので森であるのには違いないが、先ほどまでいた場所とは少し違っている。
「転送魔法の一種ね。特定の道具を使って、それに関連付けられた場所に飛ぶようになってるのよ」
「なるほど。最後に泊まった宿屋に飛ぶアイテムみたいなもんか」
「よく分からないけど、それね」
適当な相槌を打つ奏。
とりあえず俺たちは一瞬でドリアードたちが住む森へと飛んだらしい、というのは理解した。
夜のはずなのに、どこか明るい。
よく見ると地面に咲く白い花が発光しているようだ。
「なんだか幻想的なところね。それに魔力も感じられる」
「まさに秘境だな」
「お客さん、かな?」
鈴のような女性の声が聞こえ、俺たちは振り返る。
そこには、人間離れしたような美しい女性が立っていた。
薄いヴェールを身に纏い、薄紫の髪をなびかせ、穏やかな笑みを浮かべている。
しかしパッと見て彼女は人ではない。
樹の亜人ドリアード。
彼女の足元からは木の根が伸びており、どこか花の香りを漂わせていた。
「プリムローズ様!」
ナナアンナがドリアードの姿を見ると、その場に膝をつく。
どうやら彼女こそ、目的の人物であったドリアードの王らしい。
「まさか王様が向こうからやってくるとはな」
「王なんてのは便宜的なものさ。誰もやりたがらないからボクがやっているに過ぎない」
「ボク? もしかして、男なのか?」
俺の疑問に、彼?はくすりと笑った。
その姿もどこか淫靡めいていた。
「ボクらに雌雄のくくりはないよ。こうして人の姿をしているけれど、その実、ボクらは草木に近いのさ」
楽しそうにドリアードは告げる。
そして居並ぶ俺たちを見回すと、落ち着いた声で言う。
「はじめまして。ドリアードの十氏族、プリムローズさ。
久しぶりに訪れた人の客人だ。歓迎するよ」
言葉の後、視線をナナアンナに向けた。
「それにしてもエルフの戦士も一緒とは、何かあったのかな?」
「そうだ。色々と頼みたい事があるんだ」
なんとなくのんびりとしたプリムローズの雰囲気に酔いしれて、本来の目的を忘れるところだった。
「タイニィゲートを知っているか?」
「無論さ。かつて亜人たちによって作られた難攻不落の要塞。ボク自身もあれの建造には加わったからね」
「え? だってあれは百年前に造ったって……」
「ボクらは長命な種族だからね。エルフたちよりも長い時を生きる。
ボク自身、300年ほど生きているよ」
見た目はまだ二十代にしか見えないが、本当に樹木のようなんだな。
「だったら話が早い。あの要塞が魔神に奪われたんだ」
「魔神に?」
「それで要塞に潜入した時、奥に魔力結晶があって、それが要塞を覆う結界を作ってるって話みたいでさ。
あれを解除出来るのはドリアードだけだと聞いてここまで来たんだ」
「……なるほど」
少しだけ、プリムローズの雰囲気が変わった。
先ほどまでの穏やかな感じとは違い、少しだけ棘を感じる。
「なるほど、なるほど。確かにそれはボクらの――いや、ボクの領分だね」
「もしよければ解除方法とか、解除出来る人を紹介してもらえないかな」
「その必要はないよ」
そう言うと、プリムローズは俺の瞳を覗き込む。
「結界を解除出来るのはドリアードの中でも、ボクだけだろうからね」
「え?」
驚く俺の姿を見て、プリムローズは笑う。
「要塞の内部に入ったという事は、魔力結晶も見たんだろう?
そしてその中にドリアードがいた事も知っているはずだよ」
「ああ、確かに……」
「彼女は、ボクの母と呼ぶべき人なのさ。だから、彼女の結界を解除出来るのも、同じ魔力を受け継いだボクにしか出来ない、という訳さ」
そう言われると、結晶石の中にいた女性とプリムローズはどことなく似ているような気がする。
平均的なドリアードの姿を知らない俺には、なんとなくしか分からないが。
「じゃあ話が早いわね。お願いします。力を貸してください」
奏が頭を下げると、しかしプリムローズの反応は違っていた。
「悪いけど協力は出来ないな」
「え? それはどういう……」
「言葉通りだよ。それ以上の意味はないさ」
穏やかだがはっきりとした口調で彼女は告げる。
それは完全な拒絶であった。
「で、でも、タイニィゲートが稼働してなきゃ人間と亜人の戦争が始まっちまうんだぜ」
「それならそれで構わないさ。人と亜人の歪な関係は正されなければいけない。
どちらかが滅びるならば、それが女神アルスフィオナの定めた運命なのさ」
その名を、プリムローズは自然に呼んでいた。
「女神アルスフィオナって……」
「ボクらドリアードは長く生きる種族だ。だからこそ、アルスフィオナの事を知る眷属もいる。
他の亜人よりも、女神についての想いは強い。
この歪んだ世界こそアルスフィオナの望んだ世界なのかもしれないね」
くすくすとプリムローズは笑い、視線をこちらに向ける。
鳶色の瞳が俺たちを射抜く。
「女神が望んでいるから、俺たちに手を貸さないってのかよ」
「そういう訳じゃないよ。もっと単純な理由がある」
プリムローズはくるりと背を向ける。
そして振り返ってこう告げた。
「ボクはね。キミたちニンゲンが、この上なく嫌いなのさ」




