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優しい世界の壊し方-2-

「妹から離れろ!」


 怒声と共に現れたのは弓を構えたエルフの女戦士であった。

 金色の髪を肩で切り揃えており、どこか精悍な顔つきの女性。


「妹って、もしかしてこの子の姉ちゃんか?」

「みたいね」


 矢をつがえ、その鏃はまっすぐこちらに向けられている。

 彼女の殺意に満ちた瞳もまた、俺たちを見据えていた。


「ちょっと待って。あたしたちに敵対する意思はないわ」

「黙れニンゲンが! 貴様らの言葉など信用出来るか!」


 吐き捨てるように言うと、彼女の視線が横たわるエルフの少女に向けられた。

 一瞬だけ怒気が弱まったのは、妹の姿を見つけて安堵したからだろうか。


「少し話を聞いて。この子を勝手に連れてきたのは謝るわ。

 でも、彼女の病はすぐに処置しないと――」

「妹から離れろと言っている」


 聞く耳持たないとはこの事だろうか。

 どうしたもんかと思っていると、いつの間にか近寄っていたアムダが小声で話し掛けてくる。


「ひとまず彼女を大人しくさせましょうか」

「そう、だな……。いや、奏に任せよう」


 ここで無理やり事を運ぶのは簡単だろうが、後に禍根を残すのも良くない。

 今更話し合えば通じる、なんてお花畑な考えは持っていないが、だからと言って出来る事があるなら少しでも賭けてみたい。

 俺がそんな事を思っていると、奏が一歩前に出てエルフの女戦士に話し掛ける。


「あなたはこの子の姉みたいだけど、この子をどうするつもり?」

「どうする、だと? 医者に連れて行くところだったんだ!

 それをお前たちがさらって行ったんだろうが!」


 エルフはバシュトラを睨みつける。そりゃ怒るのも無理はない。

 しかし奏は腑に落ちない表情だった。


「医者に連れて行くならなぜここまで悪化してから連れて行くのよ。

 もっと早い段階で処置をしていれば、すぐに快癒する病気よ。

 たとえこの世界の医療水準が低くても、手遅れになる事はないはずなのに」

「お前たちには関係ない!」


 取りつく島もなくエルフは激高しているようだ。

 しかし奏も弓で狙われてなお、一歩も引く気はない。


「あたしの目の前で苦しんでる人がいる以上、人間とかエルフとか、それこそ関係ないわ。

 彼女を助けたいのなら、その弓を下ろしなさい」

「ふざけるな! エンジュは……妹は術医のところに連れて行く。ニンゲンに好き勝手などさせない」


 その言葉に、奏はさらに語勢を強める。


「この病気は治癒魔術では快復しないわ。適切な薬剤の投与がないと……」

「黙れ! 妹は精霊の加護を受ければ治る! 女王様もそう仰られている。

 ニンゲンの薬など、使えるものか!」


 それは悲痛な叫びにも似ていた。

 構えられた弓矢は今にも放たれそうなほど震えている。

 しかし奏はそれを真正面に向き合い、一歩も逃げる姿勢を見せない。


「精霊の加護を受ければ治ると、女王様が仰ったんだ。だから……」

「だからこのまま妹を見殺しにするつもりなのあなたは!」

「違う! 私は見殺しなどにはしない!」

「どれだけ治癒魔術を受けたところで、体内のマナが暴走し、より大きなダメージを受けるわ。

 これほど重症化しているなら既に何度か治癒魔術を受けたのでしょう。

 精霊の加護はあなたの妹を楽にした? 現にこうして苦しんでいるじゃない!」

「黙れ黙れ! それ以上愚弄するならば!」


 エルフの戦士が今にも矢を放ちそうで、俺は思わず飛び出そうとした。

 しかしそれを、おっさんが片手で制する。

 ここは奏に任せろと、その瞳は告げていた。


「精霊の加護があれば妹は治るんだ。今は苦しくても、きっと!

 ニンゲンの薬など使わなずとも、治ると言われたんだ!

 何も知らないお前が――!」

「知ろうともしないのはあなたでしょ!」


 奏の叫び声が辺りに響き渡る。


「魔術は奇跡でもなんでもない。魔力と数式を掛け合わせた化学変化に過ぎないのよ。

 だからこそ、魔術を使う者には大きな知識と責任を要求されるの。

 知識とは偉大な先達が残した知恵の集成であり、それを蔑ろにする事は、すべての発展に対する冒涜よ。

 そんなもの、あたしは認めない! こんな下らない因習で命を落としていいはずがない!」


 奏はそう言うと、右手で自分の胸を示す。


「あなたがそれを望むのならば、あたしを殺せばいいわ。

 その弓と矢で、すべてを発展を否定し、あたしとその子を殺しなさい」

「私は……」


 矢の先が揺れる。それは彼女の心のように。

 一秒、二秒と時が過ぎていく。

 沈黙の中、最初に動いたのはエルフの戦士であった。

 弓矢を下ろし、消え入りそうな声で告げる。


「妹は……助かるんだろうか」

「もちろん。誓うべき神を持たないけれど、あたしの誇りに誓って」

「頼む……妹を、アンジェを助けてくれ!」


 その言葉と同時に、奏はすぐさま虚数魔術によっていくつかの薬剤と注射器を取り出す。

 手慣れた手つきで少女の右腕に、薬剤を投与していく。

 少しして、奏が笑みを浮かべる。


「はい、おしまい。これで大丈夫よ」

「ってそれだけ? もっと医療漫画みたいな手術シーンが始まるもんだと一瞬思ったんだけど」

「別に抗生物質投与するだけなんだから、そんな事起きるはずないでしょ。

 適切な処置さえ施せば、怖い病気ではないんだから」


 呆れたように言うと、奏は視線をエルフの女戦士へと移す。


「これで良くなるわ。重症化してたから、すぐに完治しないでしょうけど、後は様子を見ていくだけでいいと思うわ」

「本当、なのか?」

「ええ。少なくとも、今日中には熱は引いて落ち着くはずよ。

 この病気は元の魔力が高いと重症化しやすいんだけど、その分快復も早いのよ。

 一週間もあれば動けるようになるわ」


 奏の言葉に、彼女は糸の切れた凧のようにその場に座り込む。

 ずっと張りつめていた何かが切れたようだ。


「すまない。本当に何と言って詫びればいいか……」

「謝罪の言葉よりもお礼の言葉の方が好きよ、あたしは」

「……ありがとう」


 どういたしまして、と奏が答える。

 目に見えてエルフの少女の呼吸も落ち着いてきており、奏の言葉通り、すぐに良くなりそうだ。


「アンジュのこんな穏やかな寝顔を見るのも久しぶりだ」

「アンジュちゃんって言うのね。あたしは姫宮奏。この子はバシュトラ」


 バシュトラが小さく頷いた。


「君にも礼を。先ほどは動転していてすまなかった」

「まあいきなり妹連れさらわれたらそりゃ仕方ないわな」


 まあ結果オーライという事で良かった。

 当のバシュトラはさほど気にしていない様子だが。

 その後、俺たちの自己紹介を続けていく。


「私はナナアンナ。そして妹のアンジュだ。妹はまだ成人前だが、私はエルフの近衛兵団に属している」

「エルフの近衛兵って言うと、昔会った事あるな」

「近衛隊長のクロフェルさんでしょ」


 列王会議の時、知己になったトトリエル女王と、その近衛隊長のクロフェルさんを思い出す。


「そういやそうだったな。元気にしてんのかね、あのお姫様も」

「クロフェル隊長をご存知だったか」

「ご存知って言うか、まあ複雑な事情があるな」


 まさか命を狙った暗殺者扱いされています、とも言えない。


「少し聞きたいんだけど、先ほどの風邪の薬はこっちの世界にはあるはずよね。

 どうして使わずに魔術治療にこだわっていたの?」

「それは……」


 ナナアンナは少し口ごもった後、顔を上げる。


「先の列王会議から帰られた後、女王様は国政の方針を転換された。

 人間の持つ文化や技術を排斥しろ、と言われたんだ」

「じゃあその方針に従って、人間の作った薬まで捨てたのか?」

「ああ。反対する者もいたが、女王様がそのまま推し進めた。

 あのように強硬に主張される方ではないのだが……」


 彼女の言葉に俺たちは顔を見合わせる。

 人が変わったようになってしまったというオーク王スプーキーを思い出していたからだ。


「やっぱり魔神の精神操作か?」

「そのようね。あたしたちと敵対するよう、人間に対して反感を持たせたんでしょう。

 それが変に作用して、人間文化の排斥に繋がったんじゃないかしら」


 やっぱりオルティスタの精神操作は厄介だぜ。

 俺たちだけを標的にすればいいのに、こうして関係のない人たちにも被害が及んでしまう。


「トトリエル女王を止める人はいないの?」

「分からない。私はそこまで上の方の事情にも詳しくはないから……。

 でも、女王様が言ったんだ。人間の技術を捨てても私たちには精霊の加護があるからと。

 しかし……」


 ナナアンナはちらりと視線をアンジュに向ける。

 敬愛していた女王に対して不信感を抱き始めているのだろう。


「これ以上被害が出る前に、何としても精神操作を止めねえとな」

「そうね……。ねえナナアンナさん。あたしたちを女王陛下の前に連れて行ってもらえないかしら」


 奏の提案に、ナナアンナは少し考え込む。

 人間を嫌っている女王の前に俺たちを連れて行く事を危惧しているんだろう。


「……以前の女王様はどちらかと言えば思慮深く、人も亜人も分け隔てなく愛される方だった。

 列王会議の時に人間に襲われたから、考えを変えられたのかとも思ったけれど。

 あなた方は何か知っているのだろう」


 視線を上げ、ナナアンナは俺たちを見回す。


「分かった。正直なところ、私自身、人間を好意に思っている訳ではない。

 しかしあなた方は妹の恩人でもある。私に出来る事があれば、力を貸そう」

「ありがとう」

「ただ、私は所詮下っぱだから、女王様に会う機会はほとんどないんだ。

 だから、会うならもっと別の方法を考える必要がある」

「別の方法?」

「ああ。女王様のご友人に助力を頼もうと思う。

 あの方なら、女王様にお会い出来るし、きっと力になってくれるはずだ」


 彼女は立ち上がり、妹の傍に近付く。

 かなり落ち着いてきたようで、傍目には眠っているようにしか見えない。


「女王の友達って?」

「ああ。ご存じだろうか。プリムローズ様だ」


 聞いた事のない名前だが、女王の友人という事は、エルフの偉いさんなんだろう。

 ともあれ、現状はその人を頼るしかない。


「では、案内しよう。プリムローズ様は森の奥におられるからアンジュは連れて行けない。

 一度里に戻って休ませてくる」


 ナナアンナは妹を抱きかかえて歩き出す。


「エルフの里よりも奥に住んでるのか、そのプリムローズ様って方は」

「ああ。無論だとも」


 ナナアンナが俺たちを振り返って答える。


「なにしろプリムローズ様は樹の亜人、ドリアードの王であられるからな」


 その答えに、俺たちは思わず顔を見合わせた。

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