極限事象-3-
スライム。
ゲームなんかではお馴染みのモンスターだが、しかし実際目の前にすると薄気味悪い。
半透明の体に、まるで子供の落書きのような顔が描かれていた。
「まままあ、そう警戒せずとも良いでござるよ。拙者に敵意はないでござるからな」
「……ござる?」
謎の語尾をつけたスライムは、俺たちに向かってそう告げた。
しかし見るからに怪しいヤツに、そんな事を言われても信用出来るはずもない。
「お前は何者だ? 敵じゃないって言ってるが……」
警戒を緩めずに詰問すると、スライムは笑ったまま答える。
「拙者、名をスラ左衛門と発す。見ての通り、チンケなスライムでござるよ」
「スラ……左衛門?」
なんつうか、色々な世界観をぶち壊している気がする。
俺とアムダも顔を見合わせたが、しかし相手はそんな事はお構いなしだ。
「実のところ、貴殿らがここに来るのを一日千秋の想いで待っていたのでござる。
いやはや、よくぞ参られた。むさくるしいところではあるが楽にされよ」
「……色々と突っ込みたいところがあるが、まず一番重要な点だ。お前は……魔神、なのか?」
俺の問いに、スラ左衛門と名乗ったスライムはころころと転がりながら告げる。
「いかにも。拙者こそ、十二の魔神が一柱でござるよ」
その言葉に、アムダは武器を構え、おっさんも体から闘志を発する。
俺たちが臨戦態勢に移ったのを見て、慌ててスラ左衛門が言う。
「あいや待たれよ。先ほど言った通り、拙者に戦う意思はないでござるよ」
「なに?」
「確かに拙者たち魔神と、貴殿らは争い殺し合ってきた。それは事実でござる。
しかしまあ、拙者の意見としては、これ以上は無意味なのでござる」
「どういう意味だ」
「先だってアカツキ殿を倒した貴殿らと争うつもりはない、という事でござるよ」
スラ左衛門は少しだけ寂しそうに答えた。
もっとも、スライムの表情は相変わらず笑顔のままだったが。
「個々の戦闘力だけで見ればアカツキ殿は我らの中でもトップクラスでござる。
そんなアカツキ殿を倒したそなたらと、正面切って戦うのは愚策なのでござるな」
「そんな事言って、どうせ後ろから不意打つつもりじゃねぇのか」
「くはは、拙者、こう見えても侍でござる。武士に二言はないでござるよ」
「まずそのござる口調が怪しいんだよ」
「これはキャラ付けでござる」
「キャラ……付け?」
「アニメや漫画で、語尾が特徴的な女の子がいたり、そんな感じでござる」
いきなりのぶっちゃけ話に思わず戸惑う。
姿といい、話し方といい明らかに今までの魔神とは違っている。
「今でこそスライムの姿でござるが、拙者、元の世界では人間だったでござるよ。
このスライムの姿、そしてスラ左衛門という名前はゲーム内のキャラでござる」
「ゲーム?」
「VRMMOというのをご存じでござるか? 限りなく現実に近いヴァーチャルリアリティ。それを利用したゲームがVRゲーム。
拙者はこのVRゲームでMMORPGをやってたのでござるよ」
「……どういう意味でしょうか」
アムダが小声で俺に尋ねてくる。
まあ分からないだろうな、アムダたちには。もっとも、俺だってVRゲームなんてものは知らないんだが。
「拙者がやっていたゲームは豊富な種族と職業がウリで、自由にキャラメイクが出来たのでござる。
そして拙者が選んだのは、スライムと侍という、相反するキャラだったのでござるな」
おどけたように、スライムがころころと転がる。
「何せ、刀を装備しないと力を発揮出来ない侍と、何も装備が出来ないスライム。
この二つの強烈なアンチシナジーは、まさしく不遇職と呼んでいい代物でござる。
全国一億二千万人の不遇職ファンも歓喜なのでござるよ」
段々と話の方向性がどこに向かっているのか分からなくなってきた。
しかしスライムは気にせずに続けていく。
「このござる口調もロールプレイ。役に成り切って楽しむ遊びでござるよ。
こういうキャラ付けってのは、ゲームにおいては重要なのでござるよ」
何というか、毒気の抜かれる話だ。
「そんな訳で、拙者はこのスラ左衛門というキャラを作り、VRゲーム世界でぶいぶい言わせていたのでござる。
何しろこのスライムという種族、とにかく弱くて何の取り得もない故、レベルを上げるのにも一苦労でござるよ。
周囲からは役立たず、地雷だと言われても、拙者は持ち前のコミュ能力を使って、この究極の不遇キャラをレベルカンストまで持って行ったのでござる。
いやぁ、聞くも涙、語るも涙でござる。こう見えてもそれなりに有名プレイヤーだったもんで、レベルがマックスになった時は、ゲーム中のプレイヤーが祝福してくれたのでござる」
「はぁ……」
「もっとも、レベルをマックスまで上げても、スライムは弱いままでござったがな、くはは」
笑いどころだったらしいが、俺たちにはよく分からない。
アムダなどは先ほどからどうしたもんかとこちらを見ている。
「まあそんなゲーム世界を謳歌していた拙者であるが、ある日、突然ゲームではない別の場所にいたのでござる。
それがこの世界であり、十二人の英雄の一人として呼び出された訳でござる。
そこから先は、そなたらも知っての通りでござるな」
「他の連中もそんな感じなのか?」
「拙者のようにゲームの世界と思ってる者もおれば、元々の世界で超人めいた力を持った者もいる。
それぞれ事情は違えど、類稀な力を持っていたという点は一致していた。
そして、神を殺した拙者らは、神の力を継承した。その代わりに大きな代償も得た」
「代償?」
「強すぎる能力は人を滅ぼす。神の力は人間の器には大きすぎるのでござる。
故に拙者らは神の力を行使する度に、人間としての理性や肉体を失っていくのでござる。
我らはこれを、『魔神化』と呼んでいる」
「魔神化……それが魔神の正体か」
「いかにも。人間としての倫理や理性を失い、他者に対する残虐性が増長していく。
貴殿らが今まで戦った魔神は、そういう性格の者が多かったであろう?」
確かに、ガガスグルーやアカツキといった連中は、明らかに理性を失っていた。
あれが神の力を手に入れた代償なのか。
「そして精神の変調の果ては肉体に及ぶ。
こうなってしまえばもはや後戻りは出来ん。
純然たる神となり、ただ本能のまま破壊の限りを尽くす。
それがこの世界に呪われた拙者たちの姿でござるよ」
意思疎通の出来た魔神は比較的、魔神化が進行していなかったんだろう。
最初に倒したエヴァーレイスなどは、完全に魔神になってしまっていたのか。
「そうして破壊の権化となったアカツキ殿ですら、貴殿らには勝てなかったのでござる。
正直な話、拙者の力は魔神の中では最低クラス。神とは言えスライムでござるからな。
それに拙者は、殺さずの誓いを立てた平和主義者なのでござる。
他の魔神とは違い、争う事はあまりしたくないのでござるよ」
平和主義者ねぇ。
魔神が言うセリフとは思えない。
「じゃあどうするつもりだ?」
「そこで提案なのでござるが、ここは一つ、停戦をしてはいかがでござる?」
「停戦、だって?」
スラ左衛門の口からは思いもよらぬ言葉が飛び出し、俺たちは顔を見合わせた。
「拙者はそなたらに手を出さん。そして貴殿らもこちらには不介入。それでどうだろうか」
「信用出来ねぇな。奏を攫ったり、やりたい放題してたくせによ」
「それは拙者ではなくオルティスタ殿がやった事。
無論、関係ないとは言うつもりもないが、少なくとも拙者が前面に出ている以上はオルティスタ殿も大きな力を出せんよ」
「……どういう意味だ?」
俺の言葉に、スラ左衛門は意外そうに目を丸くした。
「ほぅ……これについてはまだご存じでなかったようでござるな。
拙者らが魔神の力を引き出せるのは、常に一人だけ、という事を」
「な、に?」
思いがけない告白に、しかしスライムはそのままの調子で続けていく。
「そもそも拙者らは皆、女神アルスフィオナから力を受け継いだのでござる。
拙者にしろオルティスタ殿にしろ、大本の力は同じなのでござるな。
それ故、拙者らが魔神としての力を使う場合、同時に行使する事が出来ないのでござる。
同じ水源を使っている水道のようなもの、と考えれば分かりやすいでござるかな?」
今まで魔神たちと一体ずつ戦っていたが、それには理由があったらしい。
「同時に力を使えるなら、そもそもこのようなまどろっこしい手は使わんでござるよ。
それに人によって魔神化の進行度合いも違う。
実のところ、魔神化の進行の早さと、能力の強さは比例するのでござるよ」
「つまり、力が強いヤツの方が早く魔神になる、と?」
「その通りでござる。故に、今残ってる魔神は比較的力の弱い魔神ばかりなのでござる。
エヴァーレイス殿、レヴァストラ殿、アカツキ殿……。
皆、優れた戦士でござったが、それ故に拙者らよりも早く魔神化が進んだのでござる」
何かを懐かしむような響きがそこにはあった。
こいつらにも仲間という概念があった事に、今更ながら驚いた。
「つまり……もう戦う力がないから停戦しようと、そういう訳か?」
「身も蓋もない言い方をすればそうでござるな」
「そんな話を聞いて、こっちが分かりましたと言うと思ってるのか?」
こちらとしてはこれを好機として、一気にケリをつける事だって出来るんだ。
「ふぅむ。まあそこは貴殿らの善意に期待するしかないでござるが」
「それにお前らはこの世界で戦争を起こそうとしているんだろ。
この要塞を乗っ取ったのだって、こいつで人間や亜人を襲うつもりなんだろうが」
こいつの言う停戦ってのはつまり、そういう虐殺を見逃せという事に過ぎない。
そんな話、飲める訳がない。
そう思ったが、しかしスラ左衛門はくくくと笑みを浮かべた。
「何やら勘違いをしておるようでござるな。
拙者に与えられた役割は、『何もしない』でござるよ」
「何もしない?」
「そう、何もしない。人と亜人の戦争はもう止められない。
拙者たちが今まで蒔いていた憎しみという名の種はもう芽吹いたのでござる。
後はただそれを見守るだけ。ほどなく人間たちは亜人領へと攻め込むだろう」
「なっ!?」
「人間たちが今の今まで攻め込めなかった理由の大半は、このヘルモンドゲートの存在。
こうして動き出し警戒しておるだろうが、すぐにこちらから攻撃してくる事はないのに気付くであろう。
であれば後は人間たちの取る行動は一つ。大軍を率いて亜人領へと侵攻するのでござる」
スライムがこちらを嘲笑いながら揺れていた。
「拙者は何もしない。ただ見守るだけでござるよ。人と亜人の争いの果てをな」
「てめぇ……」
「拙者らが焚き付けたとは言え、それがこの世界の選択なのでござる。
拙者が何もしない事を見逃してほしいのでござるがな」
「ふざけるな! 結果的に戦争が起き、大勢の人が死ぬ。それを見過ごせるか!」
「ふぅむ……不可思議でござるな。
何故、貴殿がそれほど激高するのか、拙者には分からんでござる」
とぼけたような表情で、スライムが告げる。
「この世界の住人は、別にそなたとは何ら関係のない存在であろう。
それが死んだりする事を、何を悲しむ必要があるのでござろうか。
戦争なんてのは、どこの世界でも平然と起きている事。
ただ目に見えぬ場所で、顔を名前も知らぬ者が死んでいるだけでござるよ。
むしろ、それを救いたいと思う心が傲慢なのではござらんか?」
「…………」
スライムの言葉に、俺は言い返す事も出来なかった。
「それでも俺は……」
「別に貴殿らが気に病む必要もあるまい。この世界が滅びるのは必定。
元の世界に戻りたいのであろう?
もし停戦を受け入れてもらえるのならば、そなたらが元の世界に戻れるよう最優先で調整させてもらおう」
それは、とても魅力的な提案でもあった。
これ以上戦わずに、ただ元の世界に戻れると言うのならば。
それはきっと、甘美な誘いなんだろう。
だが――
「……気に食わねえな」
「うん?」
「確かにさ、この世界は俺たちとは関係のない世界だ。
人間だ亜人だとずっと戦争してる馬鹿みたいな世界だよ。
でもな。そんな世界でも、俺たちが世話になった人たちがいる。
人間にも亜人にも、優しい人たちがいるんだ。
そういう人たちを、関係ないからと見殺しに出来るほど、俺は腑抜けちゃいねぇんだよ!」
俺は正面から言い返す。
俺の言葉を受け、スラ左衛門が少しだけ表情を変える。
「ふむ……さすがは英雄、と言ったところでござるかな。
誰にも認められず、敵意すら向けられるこの世界で、何を守る必要がある?
そのような感情は、自己満足に過ぎぬよ」
「自己満足だろうが構うかよ。俺は俺のやりたいようにやる。それだけだ」
「くくく、これはしたり。拙者の勘違いのようであったか。そなたならば、懐柔出来るやもと思ったのだがな」
スライムはゆっくりと転がりながらこちらを見ている。
いつの間にか、笑みは消えている。
「交渉は決裂でござるな。いやはや、拙者は平和主義者なのでござるがな」
「……ならば一つ問おう」
そう発したのは無言で後ろにいたおっさんだった。
一歩前に出ると、鋭い眼光でスライムを見据える。
「この要塞の至る所から漂う死臭は何だ? この地には、オークの兵士がいたはずだが」
おっさんの問いに、スライムは再び笑顔を作る。
それは先ほどまでの人の良さそうなものではなく、ただただ不気味な笑み。
「うん? ああ、連中には死んでもらったでござるよ。所詮は犬畜生……豚畜生と言うべきかな?
くはは、ここにいた連中は全員一切合財慈悲も無く無残に惨たらしく死んだでござるよ」
淡々と言葉を続けるスラ左衛門を見て、俺は確信した。
こいつは見てくれや話し方から理性が残っているように見えるが、そうじゃない。
こいつも今までの魔神たちと同じように、既に人としての心を失っている。
「先ほど、殺さずの誓いを立てたと言っていたはずだが?」
「そうでござる。だから拙者は手を出していない。この要塞の力を使って殺したのでござるよ。
こうしてなぁ!」
突然、おっさんの立っていた場所の天井が崩落する。
無数の瓦礫が雨のように、おっさんに降り注いだ。
「糞ったれが!」
横に飛んだ俺はAK-12を取り出し、すぐさま照準をスライムの青透明な体に合わせる。
AK-12は同じAK系列であるAK-47やAKMの後継銃であり、AK-47の利点であった耐久性はそのままに、様々な局面で使用可能なようにカスタマイズされている。
弾薬は5.45×39mm弾を使用し、大型のカスケットマガジンにより、アサルトライフルとしては驚異的な60発という装弾数を誇る。
引き金を引き、マズルファイアと共に必殺の弾丸がスライムの肉体を穿っていく。
ほんの数秒で青色の液体だけの姿に変わり果てていた。
「……これしきでくたばるとは思えないが」
「くはは、その通りでござる」
こちらの言葉に応えるように、床のひび割れから青い液体が染み出してきた。
液体が一つに集うと、それは先ほどのスライムの形を作った。
ちっ、やっぱり簡単には死なないか。
「おっさん、無事か」
「問題ない」
崩れ落ちた瓦礫を砕きながら、おっさんが現れる。
俺たちは戦闘状態のまま、スライムと対峙する。
「くはは、これはしたり。このスライムのひ弱な体では真正面から相手するのは骨が折れるでござる。
まあスライムには骨など無いのでござるがな、くはははは」
「つまんねぇギャグなんて言ってる場合かよ」
「戦いには常にユーモアでござるよ。
スライムというのは不便でな、熱にも寒さにも弱く、電撃や衝撃でも簡単に死んでしまうのでござる。
ただ一点、人間を凌駕している点があるのでござるよ」
弾みながら、魔神が告げる。
「魔力生命体である故、魔力の供給さえあれば、拙者は無限に再生復活出来るのでござる。
このヘルモンドゲートの魔力結晶に取り付いた拙者は、もはや不滅でござるよ」
「つまり、その魔力結晶とやらを破壊すればいいんだろうが」
自分で自分の弱点をペラペラ喋ってるじゃねぇか。
「くはは、まあそうでござるな。それが出来れば、の話でござるが」
スライムはそう言うと、いきなり溶け出した。
青色の液体となったスラ左衛門は、そのまま床の割れ目へと消えていった。
声だけが、室内に響き渡る。
「拙者は奥で待っているでござるよ。ではでは、御免でござる」
その言葉を残し、ここから気配は消えた。
少しの沈黙の後、俺たちは武装を解除する。
「今まで以上にふざけた野郎みたいだな」
「確かに要塞の奥の方から何か大きな魔力を感じます。おそらくそれが魔力結晶でしょう」
「それを破壊すれば、奴も滅びるだろう」
「だな」
俺たちはスライムの野郎が待つであろう要塞の奥へと進み出した。




