極限事象
アグラ要塞でアカツキを倒してから二日が過ぎた。
俺たちはファラさんと共に亜人たちの守る巨大要塞ヘルモンドゲートへと向かっていた。
その途上、前線基地の一幕で、俺たちは休憩している。
ここを越えればヘルモンドゲートは目と鼻の先である。
昨日は一日中馬車に揺られての移動だったせいか、体の節々が痛い。
しかしまあ、戦闘での傷はもうすっかり治っていて、我ながら凄い回復力だな。
「…………」
そんな事を考えていると、いつの間にか隣に奏が立っていた。
朝だからか、その瞳はどこか悲しげに見えた。
「おはよう」
「……おはよ」
挨拶を返す言葉もどこかぎこちない。
何かやったっけな。そう自分の記憶を掘り返してみても、特に何も思い当たらない。
そんな事を考えていると、奏が口を開く。
「……どうしてあんな事をしたの?」
「あんな事って?」
「アカツキとの戦いの時よ。あなたは自爆を恐れず攻撃したり、敵の炎の中に突っ込んだりしたわ」
なんだそんな事か、と思ったが奏の顔色は真剣そのものだった。
俺は佇まいを正すと奏に向き直る。
「俺の力は知ってるだろ? あの程度だったら別にすぐに治るし……」
「そういう事じゃないわ。分かってる? あなたのその力は普通じゃないのよ」
彼女の剣幕に気おされ、俺はたじろいだ。
「普通じゃないって言われてもな。
俺からすりゃ奏とかおっさんの方が化け物みたいに見えるぜ」
「あたしにしてもブリガンテさんにしても、その力の根底には確かな魔術の式が存在するわ。
ブリガンテさんも言っていたはずよ。あの人の力は祝福であり呪いであると。
あたしやアムダにしたってそう。強い力にはその代償が必要なのよ。
でも……あなたの力は法則を捻じ曲げ、人としての在り方をも変えてしまっている。
それは魔術なんかじゃない。人知の超えた奇跡と呼ばれる類のものよ」
俺には違いが分からないが、しかし奏にしてみれば、それは大きな違いなんだろう。
だが、今更そうですかと聞けるはずもない。
「じゃあどうすりゃいいんだよ。戦うなって事か?」
「そういう訳じゃないわ。ただ……人である事を忘れないでほしいの」
それはえらく抽象的なお願いではあったが、しかしどこか悲痛な響きもあった。
よく分からないが俺には頷く以外の選択肢は残されていなかった。
少しして、奏が視線を逸らす。
「ごめん……いきなりこんな事、言うべきではなかったわ。
でも、この間のあなたの戦いを見ていると、きっとあなたはいつか、その力を過信する。
あなたは兵器でも銃でもない。人間なのよ」
「……ああ、分かった」
なぜだか分からないけれど、ずきりと胸の奥が痛んだ。
「……今後の事を話し合いたいからテントに戻りましょ。アムダたちも揃ってるはずだわ」
「ああ」
彼女は話を打ち切ると、テントに向かって歩き出した。俺もその後を追う。
テントの前で彼女は一度足を止めると、振り返らずに言う。
「それと……助けてくれたのは純粋に嬉しかったから……ありがとう」
「……ああ」
彼女はそれだけを言うと、歩き出す。
天幕の中に入ると、おっさんとアムダ、そしてウルスラの姿が見えた。
「バシュトラたちは?」
「どこかに遊びに行きましたよ」
「元気なやつらだ」
まあバシュトラには話し合いの場は暇かもしれないし、大丈夫だろう。
「バシュトラ様の分は自分が参加する。問題はなかろう」
ウルスラがそう言ったので、他の面々も特に異論はなかった。
車座に座ると、まず奏が俺たちを見回して口を開いた。
「あたしが囚われている間、オルティスタたちからいくつか話を聞いたわ。
まずはその整理をしましょうか」
「確か……オルティスタはこの世界を『スミオンゲート』と言ったんでしたよね」
昨日の段階で概要だけは聞いていたが、正直意味が分からない。
そうね、と前置きして奏は続ける。
「でもそう考えると色々と辻褄が合うのよ。あたしたちを混乱させるなら話は別だけど、普通に考えればオルティスタが無意味な嘘をつく必要性はないわ。
だからあたしも、ここがスミオンゲートであると考えてる」
「じゃあさ、俺たちが最初に集められたあの白い空間――ケットシーの野郎がいたあの場所は何なんだ?」
「それを考える前に、まずあたしの話をしてもいいかしら」
「奏さんの?」
「ええ。あたしの過去の……そして大切な人の話よ」
そう言って奏は自分自身の過去を語り始める。
奏の世界にはマナが枯渇し、世界が滅びに向かっていた事。
彼女の魔術因子の大半は、後天的に移植されたものであるという事。
そして、彼女に移植手術を施した人物こそ、彼女にとって養父でもあるジョン・スミオンであった事。
「本来ならあたしの魔力を使い、閉じられていたスミオンゲートを開くはずだった。
でもあたしの代わりにジョンがその命を引き替えにゲートを開いた。
それにより、多元世界のマナが廻り始めた」
「つまり、この世界を作ったのはジョン・スミオンって訳か」
「ええ。その証拠に、この世界にはその名残がある。
昔ジョンが読んでくれた本に、十二の種族が冒険する物語があったのよ。
この世界は、どこか似ているわ」
「だが、今この世界には人間も含めて十一の種族しかいない」
おっさんの指摘に奏も頷いた。
「失われた種族は猫のケットシー……さすがに偶然にしては出来過ぎじゃない」
「確かにな。つまりあいつは元々、この世界の住人だったって事か?」
「そう決めつけるのは早計だけど……少なくとも、このスミオンゲートの管理者を名乗るのであれば、関係がないとは言えないでしょうね」
「管理者と言えば……女神の話もありましたね」
アムダの言葉に、奏がそれを引き継ぐ。
「オルティスタたちは女神アルスフィオナと呼んでいたわ。
本来、この世界の管理者は女神であり、自分たちがその力を奪ったと……」
「って事はだ。今現在、あの猫野郎が管理者を名乗っているんなら、魔神たちと同じように奪ったって事か?
いや、もしかして、あいつ自身が魔神って可能性もあるよな」
「僕たちの倒すべき魔神は十二体。まだ知らぬ魔神も多いですから、あながち間違いとも言えませんね」
「でもそうなると最初にあいつが言った言葉が引っかかるわ。
あいつ、十二体の魔神を倒せって言ったのよ。十二の英雄がそのまま魔神になったのであれば、数が合わないわ。
まさか自分自身も殺せなんて言うつもりなのかしらね」
それは確かにそうだな。
「でも魔神たちもケットシーに対し怨みを持っているようでしたね」
「仲間って感じはなかったな」
あいつの正体については考えても答えは出なさそうだ。
「最初の話に戻るけど、あたしたちが最初に集められたあの場所は、おそらくこの世界の上位次元に位置していたはずよ。
だからこの世界には存在しないはず」
「違う次元ねぇ。まさに神様って感じだな」
「この世界がスミオンゲートだとすると、魔神がここを滅ぼすと全世界に波及するというのも頷けるわ。
多元世界ってのは恐らく、このスミオンゲートを中継して繋がっているのよ。
だからここが滅びれば、繋がっている他の世界全てにも影響する。
そして、あたしたちが呼び出す事が出来たのも、説明出来るわ」
「何でだ?」
「簡単に異世界召喚なんて言うけど、はっきり言って世界の壁を超えるのなんて神……ううん、神ですら出来ないわ。
世界が違えば理が違う。それを捻じ曲げるのだから、無茶苦茶な話よ。
でも、ここがスミオンゲートであり、世界と世界を繋ぐ門であるならば、少なくとも別の世界からこの中継点へは呼び出す事が出来る。
だからあたしたちもこの世界に適応出来たのよ」
一口に召喚と言っても、そんな簡単なもんじゃないらしい。
「以上があたしがこの世界がスミオンゲートであると確信する理由よ。
何か意見はある?」
「意見と言われても……なぁ」
俺とアムダは顔を見合わせる。
正直、だからどうした、というのが本音であった。
別にここがどっかの世界だろうがスミオンゲートだろうが、違いがあるようには思えない。
しかし魔女である奏にしてみれば、大きな違いらしい。
そう思っていると、横で聞いていたウルスラが右手を上げる。
「一つよろしいか」
「ええ、どうぞ」
「確認したいのだが、現在、魔神を七体撃破した、という事でよろしいか?」
「ええと……この間のアカツキで七体だな」
残りは半分以下か。
「では我々の現時点での大目的は残る魔神の殲滅という事か?」
「それは……そうだな」
「では、仮にケットシーと敵対した場合、どうなるのか」
ウルスラの言葉に、俺たちは考え込んだ。
今まで悪態はついていたものの、言葉としてあの猫野郎を敵と認識した事はない。
だが今までの発言から鑑みるに、少なくとも何か重要な事を隠しているのは間違いない。
あいつが善意から世界を救う為に俺たちに魔神を倒させているならばまだ分かるが、もし裏があるのであれば……。
「その場合は戦うしかないでしょうね」
アムダはあっさりと言い放つ。
アムダにしてみれば、敵が魔神だろうが管理者を名乗る輩であろうが、関係ない、という事なのだろう。
目の前の邪魔な相手を斬って捨てるだけだ。
「他の面々にその覚悟はおありかな」
「つまり、そういう事態も想定しておけって事か」
「職分柄、最悪の事を考える性格でね。バシュトラ様も関係している以上、目的ははっきりさせた方がいい。
自分は軍人ゆえ、戦うか戦わないか、それでしか物事を考えられんのでな」
もし最悪、そういう事態になれば戦うしかないだろう。
改めて言葉にすると、おぼろげではあるが、目標が見えた気がする。
俺はみんなを見回す。
「とりあえずこんなところか。まあ今はヘルモンドゲート要塞の異変を調べる訳だが」
亜人たちの最後の砦が突然足が生えて動き出した。
そんな馬鹿げた報告を受けたものの、しかしそれが現実に起こりうる事を俺たちは知っている。
魔神の仕業であれば、俺たちの戦うべき相手だ。
現時点での目的を話し終え、俺たちは一旦解散する。
立ち上がろうとすると、隣にいたアムダが思案めいた顔をしていた。
「どうした? 何か考え事か?」
「いえ……先ほどの奏さんのお話の中で気になる点がありまして」
「気になる点?」
女神とか魔神に関する話だろうか。
そう水を向けると、アムダは違いますと首を振った。
「奏さんの世界で、マナの枯渇現象が起きたと、そうおっしゃってましたよね」
「ああ、そういえばそうだな」
マナというものがいまいち分からない俺には、そもそもどういう現象なのかは分からないが。
「実は僕の世界でも似たような状況が起きたんですよ。
マナが枯渇し、そして魔王が世界を滅ぼそうとした」
「マナが無くなるってのはよくある話なのか?」
「さあ、どうなんでしょうか。他の世界の事なんて今はじめて知りましたし。
僕と奏さんの世界で起きたんですから、それなりによくある事なのかもしれませんね」
「マナが無くなるってのはどうなるんだ? よく分からないんだが……」
「マナと生命は密接に関係していると言われています。マナが枯渇すれば、生命は存在出来なくなるでしょう」
「空気みたいなもんか」
「また世界が存在しているのもマナが在るから。そう提唱する学者もいるくらいです。
マナが尽きれば世界が滅びるのは道理でしょう」
なるほどなと頷いた頃、テントの中に兵士が入ってくる。
どうやらそろそろ出発するらしい。
俺たちは話を切り上げ、ヘルモンドゲート要塞へと向けて再び旅立った。




