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神を殺すのに必要な弾丸の数は  作者: ハマヤ
-虚無の弾丸-
83/102

追憶

「――主任! ジョン主任!」


 呼びかけられ、微睡からジョン・スミオンは覚醒した。

 椅子に座ったまま、少しばかり眠っていたらしい。時計を確認すると、10分ほど時間が過ぎていた。


「連日働き詰めですからね。何日家に帰ってないんですか?」

「少なくとも今月は一度も家には帰ってないよ。冷蔵庫に入れてあった牛乳がどうなってるか、考えたくもない」


 後輩の研究員と軽口を交わし、ジョンは軽く伸びをする。

 虚数魔術研究所の主任研究員であるジョンにとっては、この研究所は自室よりも長くいる場所になっていた。


「それでエド、何か用か?」

「ああそうだ。所長がお呼びですよ」


 エドワードの言葉に、ジョンは少し眉をひそめた。

 しかし呼ばれている以上無碍にも出来ない。

 立ち上がり、所長室へと向かう。

 研究室を出て、白く清潔感のある廊下を歩いていく。

 すれ違う研究員たちはジョンの姿を見つけると、軽く挨拶をする。

 所長室の前に立ち、ドアを数度ノックすると、中から入れという声が聞こえてきた。


「失礼します」

「うむ、まあ座りたまえ」


 奥にいた初老の男性が室内のソファを示したが、ジョンは結構ですと否定した。

 サリエル・フランドル所長。

 ジョンたちと違い、生粋の魔術士ではなく、どちらかと言えば政治家寄りの人間で、その政治力を買われ、研究所の所長の地位についた。

 考え方の違いからジョンとは対立する事もしばしばあったが、少なくとも彼のお蔭で潤沢な研究費用を使える点もあり、その点は評価していた。ジョンにとっては好きな類の人間ではなかったが。


「それで、研究の方はどうかね?」

「芳しくはありません」


 何の研究か、とは問い返さなかった。今話題にする事は一つしかないからだ。

 率直に返すジョンに、サリエルは小太りの顎をかいて不満そうな顔をする。


「上から成果を出せとせっつかれてね。ロシアの移民船団計画もまもなく実行される。それも含めてだな」

「冷戦はもう終わったと記憶しておりますが」

「技術戦争は永遠に終える事はないだろう。対立こそ発展の父だ」

「しかし事は人類の生存にも関わります」

「だからだよジョン君」


 貫録のある声で、サリエルは告げる。


「これは世界全体の危機だ。だからこそ、迅速な成果を求められる。違うかね」

「…………」

「それに聞けば、既に動物実験では成功しているのだろう? ならば次の段階に移行しても良い頃合いだ」


 サリエルの青い瞳がジョンを射抜く。

 それが本題か、とジョンは嘆息した。


「成功と言っても、無数の失敗によって成り立った偶発的なものです。まだ確定的な要素が――」

「先ほど言った通りだジョン君。既にそういった事態ではないのだよ」


 ジョンの言葉を打ち切り、サリエルが言う。


「上は結果を求めている。それは全世界の人間の望みでもある。我々にはそれを為す義務があるのだ」

「…………」

「魔術因子の移植実験を第二段階――人間に適用したまえ」

「ですがそれは」

「これはお願いではない。命令だ、ジョン主任研究員」


 有無を言わせぬ口調に、ジョンは黙るしかなかった。


「先ほど、交通事故があったようだ。乗用車と大型車の衝突で車は大破。乗員は死亡したが、後部座席に座っていた六歳の少女が奇跡的に助かったらしい」

「……それが」

「検査の結果、魔術因子適合性は良好と判断され、こちらに搬送された。既に手術の準備が始まっている」

「まさか……その子に因子移植を行うつもりですか!」


 怒りに声を震わせるが、目の前の老人には響かない。

 結果を出せ、それだけを彼は求めていた。


「それがこの国の正義なんですか? 大人のやる事なんですか?」

「正義は民意が決める事だ。個人の感情など与り知らぬ事だよ」


 ちっ、とジョンは舌打ちをして背中を向ける。


「どこに行くのかね?」

「……その子の手術へ」

「どうするつもりだ」

「どうせ止めても無駄なのでしょう? だったらせめて自分の手を汚すくらいの覚悟はあります」

「そう言ってくれると思っていたよ、ジョン君。移植手術を行うスタッフには、既に君が参加する事は伝えてある」


 最初から、ジョンがそう決断する事を見越していたサリエルは、満足げに頷いた。


「それで、その女の子の名前は……」

「カナデ・ヒメミヤ。彼女が我々の希望の鍵となる事を、祈っているよ」






 西暦2022年。虚数魔術研究所は全世界的なマナの枯渇を発表した。

 魔術の元であり、生命の源たるマナの減少は、世界的な危機として、すぐさま原因の究明がなされた。

 しかし様々な側面からのアプローチも空しく、原因は不明。マナの枯渇は着々と進んでいった。


 西暦2025年。ロシアの研究機関がマナの減少は星の寿命であるという論文を発表した。それに伴い、人類の生存圏を地球から別惑星へと移す計画を発表。人類移民船団計画の始まりであった。


 西暦2026年。虚数魔術研究所の研究員、ジョン・スミオンが平行宇宙の観測に成功する。

 それはかつてから提唱されていた多元連立世界を実証する事に他ならなかった。

 また、魔術を使う際に開く回廊であるアストラル・ネットワークこそ、異世界同士を繋ぐ門――スミオンゲートであるとし、ゲートを開き、世界と世界を繋ぐ事が出来れば、マナの供給が元通りになると考えられた。


 西暦2027年。虚数魔術士たちが大規模数式魔術によってゲートを開こうとしたが失敗に終わる。

 多くの術士の魔術因子が崩壊し、死亡あるいは意識不明となった。

 実験結果によって、ゲートの構築には高い魔術因子が必要であり、まさに神の所業と言える。

 それに伴い、虚数魔術によるゲートの接続は不可能という決断が下された。


 そして西暦2028年。ジョン・スミオンは魔術因子の生体移植の成功を発表した。






「お姫様の様子はどうですか?」


 廊下を歩いているとエドワードがジョンに話しかけてくる。

 お姫様が指す人物は一人しかいない。奏の事だ。


「相変わらずだ。我々を認識しているのかどうかすら分からん」

「やはり移植の影響ですかね」

「さぁな。彼女自身が私たちを恨んでいても、おかしくはないと思うがね」


 二人は歩きながら、一つの部屋の前で立ち止まる。

 そこは被験体である奏の部屋。

 軽くノックし、ジョンはドアを開けた。

 殺風景な部屋にベッドが置いてあり、一人の少女がそこにいた。体を起こし、どこか虚ろな目で壁を眺めている。

 一ヶ月前、ジョンは言われた通り、大怪我を負っていた奏に虚数因子移植手術を施した。少なくとも成功したはずだった。

 しかし奏は目を覚ました後も意識ははっきりせず、まるで眠っているような反応だ。


「しかしまあ、怖いくらい綺麗な子ですね。大きくなったらとんでもない美人になりますよ」

「まだ六歳の子供だぞ?」

「オリエンタルって言うんですかね。彼女、東洋人でしたよね」


 国籍こそアメリカにあるが、両親は日本出身のはずだ。

 もっとも、親類兄弟は他におらず、事故で両親を失い、まさに天涯孤独の身だ。だからこそ、移植手術が敢行されたのだろう。


「僕の彼女も黒髪にしてもらおうかな。ブルネット、いいですよね」

「お前はあっちに行ってろ」

「はーい」


 エドワードを追い出し、ジョンはベッドの傍らに置いてあった椅子に腰かける。

 すぐ近くに座っても、奏の反応はない。

 確かに綺麗な子だ、とジョンは思った。あるいは、人間を超えた存在に対する崇拝かもしれない。

 彼女に埋め込まれた魔術因子は1000億を超える。常人ならば御する事が出来ないほどの因子。いや、制御出来ないからこそ、彼女は心を閉ざしたのかもしれない。

 対外的には実験は成功としているが、実際のところは何も進んでいない。所長からはそろそろ追試験を行えと毎日小言を言われている。


「さてと……今日は何にするかな」


 ジョンはそう言って鞄を開き、その中から本を取り出した。

 それは六歳の少女が読むには少し早すぎるようなジュブナイル小説であった。

 彼女の事故現場に、似た本が落ちていたと聞き、ジョンが取り寄せたものである。


「これにするか」


 選んだのはファンタジーと呼べるジャンル。

 男の子と女の子が別の世界に迷い込み、色々な難事件を解決していく人気の小説だ。


「――始まりは森の中でした」


 小説を朗読していく。

 何か意味があるのか、ジョン自身も分からない。

 同僚たちは罪滅ぼしだろうと嘲るものもいる。それは事実だろう。

 大人の勝手な都合で彼女の意思も無視し、移植手術を行ったのだ。それは人倫に悖る行い。

 謝罪であり贖罪であった。


「…………」


 本を読む声が止まる。

 語りかける事になんの意味があるのだろうかとジョンは自問する。

 意味のない行為だと分かっている。でも――


「……それで、エルフの女の子はどうなったの?」


 それは小さな声だったが、はっきりとジョンの耳に届いた。

 顔を上げると、奏の丸い瞳がジョンを見詰めている。

 怖いくらいに美しい、とエドワードが評した通り、まるで現実離れした彼女の瞳がジョンを射抜く。


「あ、ああ……続きだな」


 ジョンは慌てて物語の続きを読んでいく。

 それがジョンと奏の初めての邂逅であり、きっと永遠に色あせぬ事のない記憶の物語であった。







 2032年。マナの枯渇現象は止まらず、深刻なマナ災害を引き起こす。

 ロシアの第一次移民船団が外宇宙をめざし出発。続く第二次、第三次移民船団計画も予定される事となった。

 マナ災害によって作物が育たず、重篤な食糧不足が発生。また暴動などによる治安悪化により、一部では紛争状態に発展する。もっとも、マナの不足により戦略魔術士が活躍出来ず、小規模な紛争に留まった。






「ねぇジョン、これはどういう意味?」


 姫宮奏がジョンの研究室に来るや否や、彼女が本を開いて尋ねてきた。

 彼女が手にしているのは虚数魔術に関する学術書だ。この研究所の所員でも読むのが難儀するほどのもの。


「また変なものを読んで……こいつは虚数式の代数処理に関する優先式だ。神話代数処理というやつだな」


 ジョンが教えると、なるほどね、と奏は本に書き込みを入れる。

 同じ研究室にいたエドワードが二人を見て笑う。


「まるで先生と生徒ですね」

「あらエド、ジョンが先生ならエドだって先生のはずよ。あたしにもっと教えてくれてもいいんじゃない?」

「それはちょっと……」


 エドワードとて優秀な虚数魔術士ではあったが、しかし奏の吸収力は半端でない。

 以前、奏の疑問に付き合う為、エドワードは一日書物室にこもって勉強し直したほどだ。以来、奏の勉強には付き合わない事にしていた。


「虚数魔術って面白いもの。それに便利だわ」

「だが、その便利さが人を滅ぼすかもしれない」


 ジョンはコーヒーを口にし、そう呟いた。

 世界のマナの枯渇の原因は定かではないが、ジョンは虚数魔術による弊害と考えていた。

 虚数式は世界の法則を歪め、再構成し直す魔術だ。


「これ以上、魔術は使っちゃダメって事?」

「人は文明を捨て去る事は出来ないよ。これはプロメテウスの火だからね。

 マナの枯渇が魔術によるものならば、それを打開する知恵も魔術の中にあるはずだ」

「……あたしは手伝わなくてもいいの?」


 控えめに口に出したが、ジョンはただ笑うだけで返事はしなかった。

 奏が心を取り戻したあの日から、既に四年が経過していた。

 その過程で、奏はジョンから魔術因子移植の話を受けた。

 最初はよく分からなかったが、彼女が虚数魔術について勉強するようになった時、事の重大さに気づいたのである。

 人が本来持つ因子をはるかに凌駕する彼女は、人の希望である。

 にも関わらず、ジョンは奏が積極的に魔術を学ぶ事を良く思っていないようであった。おそらく、彼がいまだに罪の意識を持っているのだと、奏は感じていた。


「最近は上の方もあんまり言わなくなってきましたしねぇ。所長も忙しそうだし」

「移民船団計画が順調だし、我が国もそちらに傾くのかもしれないな」

「宇宙に行くの?」

「行けるのは一握りでしょうけどねー。主任はともかく、僕は無理でしょうね」

「行くならば若いやつが行くべきだ。私はここに残るよ」

「じゃああたしも」


 奏が手を挙げたが、二人は苦笑するだけだった。


「宇宙に行けば、解決するの?」

「根本的な解決にはならないよ。そもそもマナとはどうやって生まれるか、分かるか?」

「ええと、命が生まれて死ぬ時に発生するもの、だった?」

「そう。マナは生命活動に密接に関わっている。この広い宇宙にマナのある惑星は稀だ。命の無いところには発生し得ないからね」

「じゃあ宇宙に行っても意味がないって事?」

「そういう訳ではない。仮に人間の居住出来る惑星が見つかれば、その地のマナを使う事が出来る。だがこの問題の解決には至っていない。人がマナを使う限り、同じくマナの枯渇が起きるだろう」

「どうすればいいの?」


 奏の質問に、ジョンが答える。


「人は増えすぎたんだ。マナの循環を超えるレベルで人は満ち、魔術を使ってしまった。その結果、マナの供給が追い付かなくなってしまった。マナが増えないから生命も増えず、そしてマナも生まれないという悪循環に陥ったんだ」

「じゃあやっぱり人が発展する為には、スミオンゲートを開かなくちゃいけないって事ね」

「そうなるね。ただ今の虚数魔術では、ゲートの接続は不可能だろう。人の域を超えている」


 もしゲートを開く事が出来る人間がいるとするならば、それは人の域を超えた存在である。

 つまり――

 しかしジョンもエドワードもそれ以上は口にしなかった。それが答えであった。







 10歳の誕生日に、ジョンからプレゼントを受け取った。

 綺麗にラッピングされた小箱を開けると、中には携帯端末(サイタブレット)が入っていた。

 奏が欲しがっていた、最新型の携帯端末だ。


「ありがとう! ジョン」


 受け取ると、彼女はすぐさま画面に触れる。


「呪式アプリを開いてごらん」

「これ?」


 呪式アプリは虚数魔術をサポートするアプリケーションだ。

 タッチすると、起動し、そして――


『アプリを開いたよ』


 機械音声と共に、人工精霊が現れた。

 それは奏もよく知っていた。

 ジョンが端末に入れていた人工精霊アンフィニであった。


「アンフィニ!」

「携帯端末だけじゃ味気ないと思ってね。使い古しで悪いんだけどね」

「ううん、うれしい! でも、アンフィニがいなくなっちゃっていいの?」


 アンフィニはジョンが自分で設定したオーダーメイドだ。その能力も知識も他の人工精霊とは比較にならない。


「アンフィニの兄弟とも言えるOSを再調整してるところだからね。間に合えばそっちを奏用に調整しようと思ったんだけど、最近忙しくてね」

「そっか。アンフィニ、今日からあたしがあなたのマスターだからね」

『マスターは奏、了解したよ』


 奏は嬉しそうにアンフィニと話をしていた。

 ジョンは満足そうに頷いたが、しかし気になる点があった。

 それは奏が同年代の子供と上手く馴染めていないという点だ。

 彼女は聡明で人とは違う部分も多い。そのせいか、他者を能力で判断する事が多々あった。


「奏、まだ学校には行かないのかい?」

「行く必要ないわ。だって勉強はジョンやエドたちが教えてくれるもの」

「学校は勉強するだけではないよ」

「じゃあもっと行く必要ないわ」


 そう言って、彼女は携帯端末に没頭する。

 彼女に学校に通うように薦めてはいるが、頑として頷かない。

 ジョンが途方に暮れていると、ガチャリとドアが開いた。

 顔を見せたのは、エドワードだった。少し浮かない顔をしている。


「主任、所長がお呼びです」

「こんな時間に? 悪い、少し行ってくる」


 ジョンはそのまま所長室に向かった。

 部屋に入ると、いつものように部屋の奥の机に座るサリエルの姿があった。

 この数年で髪は白くはなったものの、いまだ矍鑠としている。


「お呼びですか?」

「ああ、ジョン君か。まあ座りたまえ」

「はぁ……」


 どこか普段とは違う様子のサリエルに違和感を覚えつつ、ジョンはソファに腰を掛ける。

 少しして、サリエルが口を開く。


「先ほど大統領府から連絡があった。ロシアの第一次移民船団が突如として通信が途絶えたらしい」

「それは……」

「まだ確定ではないが、何らかのアクシデントが起きた可能性もある。もとより命がけの任務だ、仕方あるまい。だが、今後の宇宙移民船団計画において、難しい局面になるのは間違いなかろう」

「我が国は……」

「少なくとも、ロシアと同じく宇宙移民計画を実行する事はないだろう。計画は白紙となった」


 そう言ってサリエルは視線を窓の外へと移した。

 既に外は暗闇に覆われており、マナ枯渇の影響で街灯もまばらだ。


「そこで、かねてからの計画を実行に移す事になった」

「それは、まさか……」

「ああ。ゲートを開き、異世界からマナを供給する」

「ですが奏はまだ――」

「彼女の魔力は既に高いレベルにあると聞く。スミオンゲートを開くのに十分なほどにな」


 定期的な実験レポートはきちんと目を通していたのであろう。


「奏を犠牲に、門を開くおつもりですか?」

「元よりその予定だったはず。君も四年前、そのつもりで移植手術を行ったのだろう?

 今更親心が芽生えたか? 我々は人の宿業を背負っているのだ」

「……実験はいつ?」

「早ければ来週にでも。もし姫宮奏の能力でゲートを開けねば、また計画の練り直しが必要になるのでな」


 早すぎる、とジョンは思ったが口には出さない。

 明日やろうと一ヶ月後にやろうと同じ事だ。

 世界の為に少女を贄に捧げるという事に代わりはない。


「分かりました。彼女には私から伝えます」

「辛い役目ではあるが、頼むぞ」

「……はい」


 所長室を出ると、真っ直ぐと研究室に向かう。

 部屋の中には奏が一人、先ほどプレゼントした携帯端末を触って遊んでいた。エドワードはどこかに行ったらしい。


「あ、おかえりなさい。どうだった?」

「……ああ」


 曖昧に頷くと、ジョンは奏の正面に座る。

 きらきらと輝くような瞳で、奏はジョンを見上げた。


「今度エドが基地に連れて行ってくれるんですって。基地なんて面白そう。戦車とかあるのかな?」

「そうか……」

「エドって昔軍人だったって知ってた? 戦闘機にも乗った事あるって言ってた。嘘っぽいよね」

「いや、エドは本当に軍人だったさ」


 彼は元々は軍の戦術魔術士で、そこからこちらに引き抜かれてきたエリートだ。


「そうなんだ。じゃあ悪い事言っちゃった。エドは臆病だから戦闘機なんて乗ったら失神しちゃうって言っちゃった」

「まあ、車は安全運転してるやつだからな。意外に戦闘機の操縦も紳士的かもしれない」


 いつも通りの二人の時間。

 この数年、繰り返してきた会話。

 親子とも、友人とも、師弟とも言えぬ不思議な関係。


「……どうしたのジョン?」

「え……?」

「泣いてるよ」


 そう言われて、ジョンが目をこする。いつの間にか、涙が頬を伝っていた。


「エドの彼女のマリーがね、今度パイの焼き方を教えてくれるの」


 奏が話を続ける。いつも通りの笑顔で。


「それに所長さんもね、いっぱい優しくしてくれたの。いつも難しそうな顔してたけど、あたしが遊びに行ったらいろんな遊びを教えてくれた」


 思い返すように、一言一言、彼女は紡いでいく。

 ジョンは涙を抑えようとしたが、しかし止める事は出来なかった。

 彼女は――理解していたのだ。

 自分の役目を、自分の存在意味を、自分の力を。

 だからこそ、彼女は笑う。


「お父さんやお母さんの事は思い出せないけど、でもあたしはこの研究所に来て、いっぱいいろんな事を教えてもらった。

 だから今度は、あたしが返す番。あたしの力で誰かが救われるんだったら。

 あたしは、この力で、門を開きます」


 その瞬間、ジョンは彼女の体を抱きしめていた。

 壊れそうなほど小さな体。


「君は死なせない。たとえ、私のすべてを賭けても。君は生きなくちゃいけないんだ」

「でも……」

「逃げるんだ。実験は来週。その日に一緒に逃げよう」


 聡明な奏にはそんな事不可能だと分かっていただろう。

 でも、彼女は信じる事にした。

 この世界で一番信じるジョンの言葉を。

 それが間違いだったと、彼女は一週間後に知る事になった。






 約束の日。

 奏がジョンに言われた通り、朝早くから研究所を抜け出して、無人の街路を走る。

 いつもは研究所の出口に立っている守衛もいない。

 走って走って走って、彼女は待ち合わせの場所に辿り着いた。

 予定よりも十分ほど早い。


「主任なら来ないよ」


 呼びかけられ、奏は振り返る。

 そこには、いつもの白衣を着たエドワードが立っていた。


「どうしてエドがここに……」

「主任に言われたんだ。君にこれを渡すようにと……」


 そう言ってエドが取り出したのは一枚の手紙。

 それで彼女は理解したのだ。


「ジョンは……ジョンはどこ!?」

「主任なら、既に大規模虚数式の準備に入っている。予定時刻は10時ちょうど。もうまもなくだ」

「どうして……」

「主任は君を選んだ。自分の命と引き換えに、君の助命を所長に願い出たんだ。そしてその結果、主任が門を開く」

「だって、ジョンは!」

「魔術因子が足りないから? そうだね、その通りだ」


 そう言って、エドワードは胸元からタバコを取り出して、口に咥える。

 奏はエドワードがタバコを吸っているところを初めて見た。


「ゲートを開くほどの源流に近付くには100億程度の魔術因子数が必要と言われている。

 常人では不可能に近い数値だ。君のように、移植手術を受けた人間でなければ、ね」


 紫煙を吐き出し、エドワードは続ける。


「時に奏ちゃん、虚数魔術とは一体何か、分かるかい?」

「どういう意味?」

「虚数魔術は普遍的存在を、マナを介してこの世界に固定化させる魔術だ。

 だから普遍的存在ではない物体――つまり生命のような個体差を持った存在を呼び出す事は出来ない。

 僕にしろ君にしろ、この世界には一人しかいないからね」

「…………」


 それは虚数魔術の初歩的な話であり、今そんな事を話している場合ではない。

 しかし奏は彼の言葉を振り切って行く事が出来なかった。


「だったら、もし仮に、人間という存在を普遍的存在に変える事が出来るのなら、どうなると思う?」

「え……?」

「これは何年か前にジョン主任が出した論文の受け売りだけどね。もっともその論文は、非人道的という批判で破棄されてしまったけど。

 個人が個人でなくなった時、人間ですら虚数魔術で呼び出す事が可能になる。それはまさしく、悪魔の秘術だ」


 エドワードの視線が虚空を睨む。


「クローン生命体。人の因子パターンから生み出した疑似的な生命。クローン生命体には心は宿らない。心は特定個人だけが持つ財産だからね。魔力は意思の力だから、クローンは魔力を持たないんだ。

 でもそれでいい。それでいいんだ。クローン生命体はもはや特定個人ではない。どこにでも存在し得る普遍的存在に成り下がった。人の体をしただけの、人の心を持たない、魔術因子の塊に過ぎないんだ」

「…………」

「彼ら/彼女らはただ魔術因子を捧げるだけだ。何十、何百という肉の器を繋ぎ合わせ、門に捧げる。

 門に届くには1000億という膨大な数の魔術因子が必要だが、そんなものはどうとでもなる。

 一人で1000億持てないのならば、1000人で1000億を用意すればいい。主任はそう考えたんだ」


 それは悪魔の所業だ。

 命を命とすら思わない行い。


「どうして……」

「分かりきった事だ。君を助ける為だよ」

「どうしてあたしなんかを……」

「さぁ、それは分からない。僕にも、そして主任にもね。

 世界を守りたいという気持ちよりも、君を救いたいという気持ちが勝った、それだけだ」

「どうして!」

「僕はかつて軍人だった。それなりに人を殺してきたけど、それを悪だと思った事はない。むしろ正義を遂行したと思っている。

 今も同じだ。君を救えるのなら、不特定多数の命など、数えるにすら値しない」

「でも、いくらクローン生命体を作り出しても意味ないわ。魔術を行使する人間が必要だもの」


 心を持たない彼らには、それが出来ない。魔術は引けば弾が出るトリガーのようなものだ。

 だが、クローン生命体は魔力を持たない。魔術因子を持っていても、魔力を持たない彼らでは、トリガーを引く事が出来ない。


「そう、誰かが引き金になる必要がある。すべての罪を背負い、クローンたちと共に門を開く魔術士がね」

「まさか……ジョンがそれをやるつもりなの?」

「そうだ。主任がやると言った。僕や他の研究員も手を挙げたが、最終的に主任がやる事になったよ。

 自分が考えた理論だから、自分がその罪を背負うつもりなんだろう」


 その刹那だった。

 天に向かって一筋の光が貫いた。

 その光は方角から察すると、研究所から溢れ出たものだ。

 そして奏は理解した。

 あれは魔術の光。創生の光だ。

 門が開き、膨大なマナが溢れているのを、奏にも理解出来た。


「魔術が実行され、門が開いたようだ。実験は成功だよ」

「どうして……どうしてよ……。ジョンはあたしと一緒に生きてくれるって……」

「君に、主任が最期に言ってたよ」


 そう言ってエドは笑った。涙を流しながら、優しく微笑んだ。


「幸せになりなさい」






 2032年。虚数魔術研究所の研究員、ジョン・スミオンの功績により、マナ枯渇現象に終止符が打たれる。

 この実験により命を落としたが、彼の名は世界中に刻まれる事となった。

 ジョン・スミオンは英雄となったのだ。世界を救った英雄に。

 しかしゲートが開いたのは一時的なものでしかなく、人類が同じ速度で歩み続ければ、再びマナ不足を引き起こす事になるだろう。






「これから先、どうするつもりだね?」


 虚数魔術研究所の所長室で、サリエルが訪問者の奏にそう尋ねた。

 奏は黒い瞳を所長に向ける。


「……学校に行こうと思います」

「そうか、それがいい」

「ジョンの手紙に、そう書かれていました。もっと人を信じなさいと」

「なるほど」


 そう言って、サリエルは机の引き出しから一枚の書面を取り出した。


「書類上の話ではあるが、君とジョンは養子関係という形にある」

「はい」

「今後の事を考えれば、再び誰かの養子という形が良いと思うが、どうだろう?」

「……やっぱり、あたしはジョンの子供がいいです」

「そうか。まあそう言うと思っていたが。しかし君はまだ幼い。知性は私よりもあると思うがね。

 色々と面倒な事もあるだろう。もし何かあれば、私やエドワードに話をしなさい」

「ありがとう、所長さん」

「それもジョンから頼まれた事だ」


 今回の功績で、サリエルはもっと上のポストが用意されたと伝え聞いた。

 しかし彼はそれを断り、虚数魔術研究所に残ったとも聞いている。

 それは彼なりの、ジョンに対するけじめなのかもしれなかった。


「一つだけお願いがあります」

「何かな、言ってみなさい」

「もう少しだけ、この研究所にいてもいいですか?」


 その質問に、サリエルは少しだけ驚いた様子だったが、すぐに破顔した。


「無論だとも。君に与えてあった個室はそのまま好きに使いなさい」

「ありがとうございます」

「もう少しだけ、と言ったが、何か当てがあるのかね?」

「そういう訳じゃないんですけど……」

「ではいつまで?」


 そう問うと、奏は少女には不釣り合いな笑みを浮かべた。


「あたしがスミオンゲートを開くまで。父の意思はあたしが継ぎます」












 追憶。

 研究所内に残された会話記録より。


「ねえジョン、あの本読んでくれない?」

「本?」

「ええ、あたしたちが最初に会った時に読んでくれた本」

「ああ、あの小説か。どこにしまってたっけな。奏はあれが好きなのか?」

「だって面白いもの」

「そうか。男の子と女の子が異世界で冒険する話だったかな」

「そう、それでその世界のいろんな種族の人と出会ったり戦ったりするの」

「よく覚えてるじゃないか」

「だって何度も読んだもの」

「じゃあ読む必要ないじゃないか」

「読んでもらって新たな発見があるのよ」

「はいはい。お、あったこれだ。十二の種族が生活する世界か」

「ねえ、この世界が本当に色々な平行世界が存在するなら、こんな世界もあるのかしら」

「そうだね。世界の連続性という観念から見れば、確率は低いかもしれないけど、きっとあるはずだ」

「だったら素敵だわ。エルフがいたり、ブタさんがいたり、木の妖精がいたり、楽しそうね」

「そうだね」

「ねえジョン……ゲートが開いたら、一緒にいろんな世界を行きましょう」

「そうだね、きっと、それは素敵な事だよ」

「約束よ」


 ロストメモリー。


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