寄る辺なき
朝早くから、オークの首都ハークランドの大広場で作業が行われていた。
物々しい雰囲気で作業は進められ、周辺の住民たちは何事かと眺めている。
やがて、彼らの作業が終わり、それが姿を現した。
それは絞首台であった。
「なぜこんなところに処刑台が?」
人々がひそひそと噂話に盛り上がる。
好奇心旺盛な子供たちが近付こうとしたが、オーク兵に威嚇される。
厳重とも呼べる警備に、どれほどの凶悪犯に対するものかと恐怖と疑念が高まっていく。
そして、昼を告げる鐘が鳴った時、その人物が現れた。
「あれは……」
「もしかして、イベル王子?」
兵士たちに連れられ姿を見せたのは、オーク族の王子イベルであった。
心優しく、率先して民衆たちに加わるイベルは、民からも人気は高かった。
それがなぜこんなところに。
誰もその疑問の答えを持ち合わせてはいなかった。
そして、さらに民衆の間から驚きの声が聞こえた。
「スプーキー王だ」
王にして、イベルの父でもあるスプーキーが、護衛を引き連れ、広場に現れたのだ。
彼は即席で作られた輿に掛け、厳しい視線をイベルに向ける。
その雰囲気から、民衆はすべてを察した。
つまり、王が王子を処刑するという事。
「一体どうして……」
誰かの呟きは、悲しく響く鐘の音に消された。
「イベル王子の処刑執行の準備が整いました」
スプーキーは護衛の親衛隊長の報告を受け、鷹揚に頷いた。
「うむ、そのまま執り行え」
「その……本当によろしいのですか?」
ためらいがちに告げた隊長に、スプーキーは睨みつける。
「何がだ?」
「王子は民衆たちからの人気もあり、聡明な方です。この国には必要な方のはず。それに――」
あなたの大事な息子です、と続けようとしたが、親衛隊長は押し黙る。
王の瞳が、今まで見た事もないほど、暗く淀んでいたからだ。
「イベルは朕を裏切り、国を欺いたのだ。死罪以外ありえぬ」
「ですが……いえ、分かりました」
この問答は既に何度か交わされており、隊長も王の叱責を恐れ、それ以上告げるのを止める。
スプーキーが王位についた頃からの付き合いではあるが、しかし今の王は以前に比べると余裕を感じられない。
民からも信頼の厚い王の姿はそこにはなく、ただどす黒い何かに突き動かされていた。
「用意を進めろ」
「はっ!」
部下の兵士に指示を出し、親衛隊長は処刑台で待つイベルに近付く。
隊長の顔を確認すると、イベルが少し笑みを漏らした。
この王子とも、生まれた時からの親交があり、単なる臣下以上の感情があった。
「……すみません、あなたには辛い仕事をさせてしまった」
「いえ、これも公務ですので」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かる」
自らの処刑だというのに、イベルは隊長の事を気にかけている。
その気遣いに、思わず顔を背けた。
「今からでも、陛下に謝罪を。そうすれば……いえ、私の一命を賭しても、王子の助命を請願いたします」
「ありがとう、カッツ。でも構わない。私は、私に恥じる事なく、今ここにいるのだから」
「ですが……」
「それに私はまだ諦めていない」
そう告げると、イベルは空を見上げた。
雲一つない、青い空が広がっている。
「きっと、彼らは来てくれると、そう信じているから」
その言葉に、親衛隊長は小さく頭を下げる。
そして振り返り、兵士に指示を伝える。
「準備は終わったか?」
「は、いつでも大丈夫です」
「そうか……では定刻通りに始めろ」
淡々と準備が進められていく中、イベルだけが穏やかな表情を浮かべている。
先ほどの言葉に嘘はない。
彼は信じているのだから。
「王子、処刑台へ……」
「分かった」
促され、王子が処刑台へと立つ。
広場に詰めかけた民衆から、悲鳴にも似た声が上がる。
なぜ、王子が処刑をされようとしているのか。
誰も答える事は出来ない。
処刑を下そうとする、兵士たちですら知らぬ事だ。
イベルが人々を見渡すと、ゆっくりと語り始めた。
「オークの民よ、あなた方は今、岐路に立たされている」
その声は決して大きくはなかったが、不思議とよく通った。
「人間と亜人、長く続いた争いは、今もまだ禍根と共に残っています。それはあなた方もよく知る通りでしょう。
闘争によって生まれた怨嗟と差別は、決して消える事なく、燃え続けているのです。
ですが果たして、本当にそれは良いのですか?」
処刑台の上から、イベルは民衆たちを見渡す。
不安げな彼らの瞳を見て、イベルは続ける。
「ある人たちと出会いました。彼らはこの国の人間ではありません。それどころか、この世界の人間ですらない。
遠い異国、異世界からやってきた異邦の方々です。
考え方も歴史も文化も異なる彼らですが、しかしその根底は決して相容れない訳ではありませんでした。
彼らは私以上にこの国を案じ、そしてこの世界を案じていたからです」
スプーキーが忌々しげに兵士に檄を飛ばす。
恐らく、イベルの演説を止めさせろと告げたのだろう。
しかし彼は止めない。兵士たちも止めなかった。
「今、この世界には未曾有の危機が迫っています。
あなた方も噂話で聞いた事があるでしょう。魔神が現れたのだと。
馬鹿げた話だと笑う方もいるでしょう。ですが、魔神と戦う者がいるのです。
私が出会った彼らは、この世界の人間ですらないのに、魔神と戦う宿命を背負っています。
なぜか? 私には分かりませんが、きっと答えは一つだけです。
私たちが腰抜けの臆病者だからです」
ざわめきが広がっていく。
「私たちは臆病だから、戦争などという、とても簡単な手段に逃げてしまいました。
本当に戦うべき相手は別にいるのに、目を瞑り、安易な道に逃げ込んだのです。
私たち亜人は、確かに悲しい歴史を歩んできたかもしれません。
でも、この百年、簡単な道ではなかったですが、人間と亜人は共に歩めたではありませんか。
我々オークは、彼らと共に、大きく発展する事が出来たではありませんか。
それは戦争なんかよりもとても難しい道です。戦争なんかよりももっと傷つく道かもしれません。
人によっては戦争から逃げる臆病者だと罵るかもしれません。
でも私は――」
最後にイベルは小さな笑みを浮かべた。
清廉で、嘘偽りのない言葉だった。
「私はその行為を、逃げだなんて決して思わない」
ぱちぱちぱち。
小さな拍手が民衆たちの中から生まれた。
兵士たちが止めようとするが、しかし決して止まない。
拍手が連鎖していき、やがて洪水のような音になる。
「もうよい! 刑を始めろ!」
スプーキーは立ち上がり、兵士に指示を出す。
慌てて処刑を遂行する兵がイベルに近付き、首に縄をかけた。
後は台座を作動させるだけで、イベルの体は宙に浮き、そして絞刑が終了する。
兵士の顔には躊躇いがあった。先ほどの王子の言葉によって生まれたものだ。
「構いません。あなたはあなたのやるべき事を行ってください」
慰めるように、イベルは言う。
その言葉に、兵士はイベルから離れ、小さく首肯した。
イベルが瞼を閉じる。
思い出すのは王子としての日々、父との日々、そしてつい先日会ったばかりの新たな友人。
「やれっ!」
合図の言葉と共に、イベルの首を絞める縄が張りつめられる。
民衆たちから小さな悲鳴が上がる。
そして、縄によってイベルの体が宙に浮かぼうとしたまさにその瞬間だった。
「あっ!」
縄が――切れた。
支えを失ったイベル王子は、その場に尻もちをつく。
一体何が起きたのか、分からなかった。
まさか縄の強度が足りなかったなんて、そんなはずもない。
兵士も途方に暮れたその時だった。
「あれ……」
誰かが空を指差した。
一斉に空を見上げる。雲一つない青い空。
そこに、何かがあった。
白い鋼鉄の竜。
何も知らない民衆たちには、そう見えたに違いない。
「竜?」
「そんなはずない、あんなの見た事ない」
それもそのはずだろう。
この世界にはない技術によって生み出された航空機。
二基の回転翼によって飛翔し、大空を舞う鋼の魚鷹。
知識ある者がその場にいれば、その名を叫んだだろう。
CV-22"Osprey"。
その威容と共に音もなくオーク首都ハークレッドの空を舞っていた。
「命中、ちゃんと縄を撃ち抜いたわ」
「任せとけ」
スコープから目を離し、にやりと笑った。
俺たちが今いるのは、CV-22の機内。
その側面ドアを開け、そこから狙撃銃を構えていた。
「しかしまあ、よくも飛んでるヘリから狙撃なんて出来るわね」
「ゲームじゃよくやってたよ」
「ゲームの話でしょ、それ」
「ゲームで出来たら出来るもんだ、俺の場合はな」
「本当に、人間離れしてきたわね」
呆れたように奏が言う。
「まあ後はこいつの性能のおかげでもあるかな」
そう言って俺は、構えた狙撃銃PSG-1を叩く。ドイツH&K社の高性能軍用狙撃銃だ。
ボルトアクション式の狙撃銃に比べると、機械部品の多いオートマチック式は精密狙撃に向かない。
その欠点を解消すべく、ガンスミスの手作業で製作されたPSG-1は、高い命中精度を誇る。
まあその反面、値段も高価な上、やたらと重いんだがな。
「向こうがこっちに気付いたみたいね」
「気付いたところでどうしようもないだろうな、こっちは空の上だ」
そう、俺たちが今いるのは、CV-22の中。
一般にはオスプレイと呼ばれる航空機に機乗していた。
オスプレイは回転翼自体の角度を変える事で、垂直離着陸出来るヘリコプターと高速平行移動出来る固定翼機の両方の特性を併せ持った航空機だ。
「しかしまあ、本当に乗れるものね」
そう言って感心しているのは隣にいる奏。
このオスプレイ自体は俺のポイントアクションの能力で出したものだが、それに乗ろうと言い出したのは他ならぬ奏である。
本来はオスプレイが上空で勝手に戦うタイプのポイントアクションなのだが、奏が、「あれだけ精巧なら搭乗出来るんじゃないのか」と言い出して今に至る。
実際、俺と奏の二人が乗っていても特に問題なく飛行していた。輸送機としての側面もある為、機体内は結構広い。
なぜ俺だけでなく奏も乗っているのかは謎だが、乗ってみたかったから、だそうだ。オスプレイに乗ってみたい女子高生魔女娘というのも世も末だ。
「大体こういうもんの内装はテクスチャを張ってるだけってのが多いんだが、無駄にリアルだな」
「前々から思っていたんだけど、あなたのその能力は、虚数魔術に近いものがあるわね」
「そうなのか?」
「ええ。本来、無から有を創る事はありえない事よ。それはつまり、何らかのシステムが作用しているはず」
よく分からないが、奏としてはもう少し詳しく調べたいらしい。
俺からすれば便利だから使っているというもんだが、学者肌の彼女からすれば意味不明な理屈で作動するのは我慢ならないらしい。
「そう考えると、俺が銃を取り出すのも、虚数魔術なのかもな」
「かもしれないわね。少なくとも、類似の機構である事は間違いないわ」
そういうもんだと思っていたが、よくよく考えるとトンデモな能力だもんな、これ。
とりあえず今は意識を眼下に向ける。
PSG-1の狙撃により、イベルの処刑を阻止する事は出来た。後は彼を助け出すだけだが。
そう考えていると、広場で小さな爆発が起きた。小規模だが連鎖した爆発。
アムダたちだとすぐに理解出来た。
混乱に乗じて、アムダたちがイベルの救出の為にオーク兵と衝突したのだろう。
「オークの民よ! 今、ここで立ち上がるか、それとも座して滅びを待つか、あなたたちが選ぶのです!
国家とは王ではない! 民なのだと、あなたたちが声を上げるのです!」
イベルの声が騒ぎの起きた広場に響いた。
その声は、はるか上空にいる俺たちの耳にも届く。
彼は叫び続ける。その言葉が喧噪にかき消されても、なお強く。
やがて、逃げ惑う人々も、イベル王子の言葉に賛同する者が現れ始めた。
「イベル王子に続け! ここは俺たちの国だ!」
「民衆を取り押さえろ! 暴徒どもを鎮圧しろ!」
民衆と兵士たちが激突するのを、俺たちはオスプレイから眺めるだけ。
いや、そうじゃない。
俺は再びPSG-1を構え、銃口を眼前に向ける。
「いたわ、あそこよ」
奏の示す先には輿に乗ったオークの王――スプーキーがいた。
離れているこの距離でも分かるほど、憎悪に燃える瞳でこちらを睨んでいた。
スコープ越しに、視線が交差する。
呼吸を止め、引き金に全神経を集中させる。
そして――狙撃。
弾丸は真っ直ぐと飛び、スプーキーの右肩を撃ち抜いた……かのように見えた。
「ちっ、あの野郎、弾丸を避けやがった」
信じがたい事に、スプーキーは音速を超える弾丸を避けたのである。
完全に捉えたはずだったが、すんでのところで身をよじって回避した。人間離れした芸当だ。
「そんな事出来るの? 漫画じゃあるまいし」
「耳が良いらしいからな、飛んでくる音でも聞こえたんだろう」
「相手まで距離がおよそ1200m、銃弾が秒速800mとして、1.5秒よ。音の速さが秒速340mとして、聞こえるまで3秒半はかかる計算なのよ。ありえないわ」
「となると?」
「見えたんじゃない? まだそっちの方が現実的よ」
現実離れしたこの世界じゃ、もう何が現実かよく分からんな。
そんな事を思いながら銃を構えようとした矢先、奇妙な感覚に襲われる。
それが危険を察知した本能であると気付いたのは、すぐ後だった。
「吹き飛べ人間!」
スプーキーは大きく息を吸った後、上空に浮かぶこちらに向かって何かを吐き出す。
それは巨大な火球だった。
「マジかよ! 避けろ!」
俺の言葉に反応してか、それとも自動的に回避行動を取ったのか、オスプレイが機体を傾ける。
しかし完全に避ける事は出来ず、右翼のティルトローターに火球が当たる。
「ちょ、ちょっと! 落ちないでしょうね、これ」
「安心しろ、オスプレイは片方のエンジンが止まっても、もう片方で飛べるように出来てる。問題ない」
「エンジンどころか、プロペラごと吹っ飛んでいるんですけど?」
「……それはちょっと問題かな」
覗くと確かに翼が吹っ飛んでいる。凄い威力だ。
さすがに片翼では力が足りず、オスプレイはゆっくりと下降している。これは拙いな。
「豚が火を噴いたぞ、あんなのありか?」
「木に登るくらいなら、火を吐く事なんて訳ないんでしょ」
そんな軽口を言い合っている間にも、高度はぐんぐんと落ちていく。
青ざめた表情の奏に視線を移す。
「これはアレだな、プランBだ」
「え、ちょっと正気なの? あたし嫌よ絶対」
「安心しろ。怖いのは一瞬だ」
俺はガシリと涙目の奏を掴んでにやりと笑う。
「それじゃいっちょ楽しくお空の旅に行こうじゃねぇか」
「無理無理! マジ無理だって!」
嫌がる奏を引き連れて、俺はオスプレイから勢いよく飛び出した。
プランB、もちろん言うまでもなくパラシュート降下である。
こんな事もあろうかと、既に背中にはパラシュートを背負っている。
万全の体勢、何の問題もない。
「いやあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
奏の悲鳴だけが、雲一つない空に響き渡った。




