その夜を越えて-4-
「将棋……崩し……」
シャングドラが疑念の目をこちらに向けてくる。
勢いに任せてかなりぶっ飛んだ事を言った気もするが、言った以上、突き抜けるしかない。
俺はこくりと頷いた。
「ああ。血の流れない決闘、と言うべきかもな」
血が流れる将棋とか嫌すぎる。
もちろん将棋崩しが何か分からない俺以外の連中は、頭にハテナを浮かべている。
リザードマンたちも互いに顔を見合わせている。
「ルールは簡単だ。この山になっている将棋の駒を、指一本だけ使って取り外していく。
その際、崩したり音を鳴らしたりすると失敗。
交互にやって、手に入れた駒の数が多い方が勝利となる。
その他の細かいルールはやりながらやっていこう。
よし、じゃあ先攻後攻を決めるぞ」
「ちょ、ちょい待て」
シャングドラが慌てて口を挟む。
「なぜそんな自然と勝負をするような流れになっとるんじゃ」
「え、やらねぇの?」
やる気満々で始めようとしてたが、相手はそうじゃなかったらしい。
困惑したような表情を浮かべていた。
「そもそも、将棋崩しとやらで決着をつけねばらならない? ぬしゃの用意したもんでは、不正をするかもしれん」
「不正って、将棋崩しだぜ? 不正のしようがないだろ」
「だから将棋崩しをわしは知らんと言っておる」
「だから説明したじゃねぇか。何が分からないんだよ」
「将棋崩しで勝負する事が分からんと言っておろうが!」
「じゃあ将棋の方がいいのかよ。そっちの方がルール難しいぜ」
「そういう話じゃない!」
分からん奴だな、と言わんばかりに吼える。
それはこちらのセリフだ。
「分かったこうしよう。ハンデとして、先攻はそっちに譲ってやるよ」
「なに?」
「それで文句ねぇだろ? それとももっとハンデ欲しいのか? 小指で戦ってやろうか?」
挑発するように俺が告げると、シャングドラが不敵な笑みを浮かべた。
子供が見たら一発で泣きそうな、そんな笑い方だ。
「舐めた真似を……。いいじゃろう、ぬしゃの企みに乗ってやろう。
その将棋崩しとやらで戦ってやろうではないか。ただし――」
シャングドラがこちらを睨む。
「これだけ愚弄したんじゃ。わしが勝てばぬしゃの命だけでは済まんぞ」
結局血なまぐさい将棋になってしまった。
しかしまあ今更泣き言を言っても仕方ない。
「いいぜ。そっちの先攻だ。まずは好きな駒を指一本で取っていきな」
「使う指はどれでもいいんじゃな?」
「基本は人差し指なんだが……あんたら、そもそも人間と指の数も関節数も違うっぽいしな。好きな指でいいぜ」
俺の言葉に、シャングドラは指を一本突き出し、将棋駒の山から、一枚、取り除く。
将棋崩しの序盤は単調だ。
山から崩れた駒を除けていくだけで、失敗する危険はほとんどない。
取る駒によって特殊効果があったりするローカルルールもあるが、そもそも漢字を知らないであろうシャングドラに説明しても分からんだろう。基本、駒は全部同点だ。
「まずは一枚」
「先は長いんだ、チャキチャキ行くぜ」
交代し、今度は俺が駒を除けていく。
会話もなく、ただひたすら交互に駒を取っていく。
何回目かの後、先に転機が訪れたのはシャングドラの方だった。
「……むぅ」
簡単に取れる駒はもう無くなっており。駒が微妙に重なったり立っていたりしている。
ここから先は、見極めが必要になる局面。
「この立っているコマも、取っていいんじゃな?」
「ああ。ただし途中でコケたりしたらその時点で交代だ」
シャングドラは横向きで立っている金将を狙っているようだ。
周囲のリザードマンたちも応援している。
「叔父貴、ファイトですぜ!」
「うるさい! 気が散るじゃろうが!」
「す、すいやせん」
怒られていた。相当集中しているようだ。指先がプルプル震えている。
「どうした、震えているぞ?」
「ぬしゃも黙っとれ!」
まるで悪役みたいなセリフだったが、相手の平常心を失わせる事は成功したようだ。
盤外戦術は将棋の華だぜ。
震える指先を抑え、シャングドラが金将を取ろうとする。
しかし、ほんの少しの指のブレが、他の駒に触れてしまい、結果的に駒を倒す事になってしまう。
「ぬあっ!」
「交代ね、じゃあ俺がこれ貰っとくぜ」
倒れた金将駒を、俺は悠々と取る。
シャングドラの顔に怒りが生まれたのが分かる。
「ぐぎぎ」
「悪く思うなよ、これが将棋崩しなんでね」
「分かっとる!」
再び駒を取り合う。
俺の方が一枚分リードしているという心理的余裕がある分、楽だ。
粗方取り終えた後、最終局面に達する。
駒の数は残り少なく、ガッチリと組まれている為、先に失敗した方が大きく不利になる。
逆に言えば、リードしている俺でも、失敗すればチャラになるし、この局面だと一気に不利になるかもしれない。
「ぬしゃの番じゃな」
にやりとシャングドラが笑う。向こうも俺がミスをすると睨んでいるのだろう。
確かに不通に考えれば取れる駒は無い。
だが、よく山の重なりを見れば、抜ける駒は存在する。
そう、玉将の下にある歩、これが狙い目だ。
一見不可能のように見えるが、しかしそのすぐ横にある駒が支えになっており、上手く歩だけを抜けば崩れる事はない……はずだ。
問題は、わずかでも失敗すれば、大きく山が崩れてしまう。
気持ちを落ち着ける為に俺は一度深呼吸。
「……よし、行くか」
指を伸ばし、歩を取ろうとした時、対面のシャングドラが俺に告げる。
先ほどの意趣返しのつもりだろう。
「良いのか? ぬしゃの命が掛かっておるのだぞ? 震えておるんじゃないか」
「……俺が取ろうとしてる駒はな、"歩兵"って言って、まあその名の通り、このゲームで一番弱い雑魚キャラな訳だ」
「ふん?」
「でもな、だからこそ俺はお前さんにこの言葉を送るぜ」
指先に神経を集中させ、歩駒に人差し指を当てる。
そして――一気に駒を引き抜く。
「なっ!?」
山は……崩れない。
俺の読み通り、歩を引き抜いても駒同士が支えとなり、崩れる事は無かった。
歩をシャングドラに見せつける。
「歩の無い将棋は負け将棋ってね。
震えてる? 銃の引き金より軽いのに、指が震える訳ねぇだろうが」
これで俺が一気に有利になった。
シャングドラは親の仇を見るような目つきで、残り少なくなった駒の山を見る。
ここで崩せばもう終わりだ。
相手に残された道は、崩さないように駒を取るしか残されていない。
「お、叔父貴……その端の駒なら……」
「黙っとれっちゅうとるやろうが!」
部下の言葉も聞き入れず、シャングドラが駒を取ろうとする。
しかし、それはあまりにも強引過ぎた。
俺と同じように一気に引き抜いたものの、バランスを崩した駒は崩壊。
後は山ではなく、ただの駒の散らばりであった。
「俺の勝ち、だぜ」
「ぐぐぐ……」
「大人しく部下の言う事を聞いてれば、まだ道はあったんだがな。
言ったはずだぜ、歩は大事にしろってな」
「……めん」
「ん?」
シャングドラが俯き、何かを呟いている。
「……認めん! こんなもん、わしは認めんわ!」
そう言って机をひっくり返す。
立ち上がり、白色のリザードマンがこちらを見据える。
その顔は、まさに鬼のような形相だ。
「認められるか! 負けじゃと? ふざけるな! わしは認めん!」
「そりゃ話が違うだろ。最初に了承したじゃねぇか」
「黙れ! 人間風情が下らん策を弄してからに! わしは負けておらん!」
咆哮一閃。シャングドラが天を仰ぐ。
何をしようとしているのか分からないが、少なくとも尋常な事態ではないようだ。
「お、叔父貴がキレた! 逃げろ!」
「巻き込まれるぞ!」
その様子に、リザードマンたちも我先にと逃げようとする。
何かとんでもない事が起きるようだ。
「『狂鱗回帰』!」
シャングドラが叫ぶと、その巨大な体がさらに膨れ上がっていく。
それは先日、コボルト族の村で見た光景に似ていた。
カーヴェイさんが巨大な狼に変容したその力。
力ある亜人が持つ、先祖帰りの能力。
「ガアアアアアアアア!」
そこにいたのは、まるで太古の世界から蘇った巨大な竜。
いや、二足で歩く巨大な蜥蜴。
白銀の鱗を輝かしながら、そこに現れたのだった。
「ああなった叔父貴はもう見境がない! 逃げろ!」
室内だからか、その巨躯を屈めるようにこちらを見ている。
鏡のような瞳が俺たちを見据えている。
これはやべぇ。
「ニガサン」
シャングドラの鎌のような爪がランプの光を浴びてきらりと輝く。
狭い室内で逃げ場はない。
まずいぞこれは。あんなもん、洒落にならん。
シャングドラが爪を振りかぶり、俺が神に祈るしかないと思ったその時だった。
突如、巨大な黒い影がシャングドラに襲い掛かる。
「なっ!?」
それは、シャングドラと同じくらいの巨体の黒い竜であった。
いや、その姿に見覚えがある。
「ソフィーリス!」
ドラゴンに姿を変えたソフィーリスが、俺を守るようにシャングドラの前に立つ。
威嚇するように、喉をぐるると鳴らし、両者が対峙する。
屋内に巨大なトカゲと竜という、ありえない光景が広がっていた。
「ガアアァ!」
先に襲い掛かったのはシャングドラだ。
鋭い爪を振りかざし、ソフィーリスへと突っ込む。
黒竜はそれを正面から迎え撃つ。
「どわ!」
両者がぶつかり、周囲に衝撃が走る。
もうここが室内だろうか二人は気にしていない。
壁や天井が爪やら尾やらが当たり、どんどん崩れていく。
やべぇ、このままじゃ館が崩壊する。
「もう完全に怪獣大決戦じゃねぇか」
「シライさん、今のうちに逃げましょう」
アムダとイベルに付き従い、俺たちは館から逃げ出す。
中庭に出て振り返ると、二人の争いはさらに激化していた。
もはや館の壁の大半が吹き飛んでおり、見るも無残な状況だ。
周りには俺たちと同じように逃げ出したリザードマンたちが、戦いを呆然と眺めていた。
「止める方法は無いのか?」
「ああなった叔父貴は誰にも止められん。止められるとすれば……」
「すれば?」
「力づくしかないだろう」
「そんな分かり切った事を、わざわざ溜めて言うな」
とりあえず、結論的にはソフィーリスに何とかしてもらうしかないらしい。
俺たちは特撮映画の一般市民よろしく、怪獣同士の戦いを眺めるしかない。
噛み付き、切り裂き、殴り合う。
両者の力は拮抗しているようだった。
ソフィーリスの噛み付きを逃れたシャングドラは、少し距離を取ると、低く姿勢を落とす。
「あ、あれは……叔父貴のぶちかまし!」
「叔父貴のぶちかましを耐えた奴は、今まで三人しかいねぇ!」
「結構いるじゃねぇか」
凄いのか凄くないのか今一つ分かりにくいが、とりあえず必殺の突進みたいだ。
対するソフィーリスも頭を低くし構える。
彼女もまた、相手のぶちかましを迎え撃つ姿勢のようだ。
次の一撃で決めるつもりか。
「やったれ叔父貴!」
「必殺のパチキじゃ! 見せたれ!」
いつの間にか、やんややんやとリザードマンたちの応援合戦が始まっていた。
割とノリのいい連中らしい。
「……ガァッ!」
先に飛び出したのはシャングドラ。
一瞬遅れてソフィーリスも突っ込む。
大質量の両者が全速力で頭から突っ込んでいく。
そして――二人の頭突きが交錯する。
その瞬間、力の余波が衝撃波となって周囲に吹き荒れる。
「…………」
頭突きの姿勢のまま動きを止める両者。
どれだけ時間が経っただろうか。あるいは数秒かもしれない。
ゆっくりと崩れ落ちたのは――シャングドラだった。
ずぅぅん、と大きな音を立て、シャングドラの巨体が大地に沈む。
残ったソフィーリスはそのまま天を仰ぐと、甲高い咆哮を轟かせる。
「……勝った、のか?」
「みたいですね」
「お、叔父貴ー!」
倒れたシャングドラに、リザードマンたちが群がる。
頭だからな、下手すりゃ死んでるなんて事もありえる。
「よくも叔父貴を! ぬしゃら、生きて帰れると思うなや!」
「止めや、お前たち!」
いきり立ったリザードマンたちを抑え込んだのは、シャングドラの一声だった。
倒れた姿勢からゆっくりと体を起こし、こちらを見ている。
その瞳には、先ほどまでの怒りはなかった。
「わしの負けじゃ。将棋崩しでも負け、そしてどつき合いでも負けたんじゃ。
これ以上、恥を重ねる事はせん」
「叔父貴……」
「これほど綺麗に負けたんは久しぶりじゃ。姐さん、名前を教えてくれんかの」
いつの間にか、人間の姿に戻っているソフィーリスに、シャングドラが問い掛ける。
「ソフィーリスと申します」
「ええ名前じゃ。それにええ体しとったわ、惚れたぜ、ぎはは!」
「あらあら」
なんかよく分からん雰囲気になっていた。
シャングドラは視線を俺に向ける。
「ぬしゃらの言う通り、わしは死に場所を求めとったんかもしれん。
無様に生き残るより、死んだ方がマシじゃと思っとったんじゃな。
人間を信じた訳じゃないが……ぬしゃの言葉は信じよう。
戦争に参加するのは一旦止めや。それでええんか?」
「ああ、ありがとう」
「ただし、あくまでわしらリザードマン族が戦争を止めるだけじゃ。
オーク――スプーキーの事まではわしには分からん」
「それでも構わないさ。一歩先に進めたんだからな」
色々あったが、当初の目的であったリザードマンたちとの交渉は成功した。
しかし館も半壊してるし、先ほどの騒ぎをオークが聞きつけてるかもしれない。
「ぬしゃらは追われておるんなら、もう行くがええ。オークたちには上手い事話をしておく」
「すまない、恩に着る」
「その代わりと言っては何だがな。将棋崩し……あの駒とやらはもらっておくぞ」
「まあいいけど……瓦礫の下にあるんじゃねぇか?」
「後で掘り起こす。今度会った時、ぬしゃに再戦を申し込む為に練習しておかんとな」
そう言って、シャングドラは牙を剥き出して笑った。
リザードマンの館から、奏たちの待つ民家に戻った時、いつの間にか夜が明けていた。
俺たちを迎え入れた奏たちは、ボロボロの姿を見て、眉を潜めた。
「……一体何があった訳?」
「将棋崩しをしてた」
「はぁ? なんかの比喩表現?」
「いや、本当の話。ついでに言えば、館も崩してきた」
まあ全員無事だったので、終わり良ければ何とやらだ。
疲れて説明するのも面倒ではあるが。
そうしてると、奥からバシュトラが姿を見せた。
「あ、バシュトラ、ちょっとこっち来い」
「……なに?」
「なに、じゃねぇよ。お前、リザードマンに持っていく土産、食べただろ」
「……食べてないよ」
明後日の方向を見ながらバシュトラがうそぶく。
「嘘つけ。口元に砂糖、付いてるぞ」
そう言うと、バシュトラが口元をゴシゴシと拭う。
「ってほら、やっぱり食べてたんじゃねぇか!」
「……騙された」
「それはこっちのセリフだ。しかも菓子の代わりに将棋の駒を詰めるなんていう、小賢しい真似しやがって。おかげで大変な目にあったんだぞ」
「違う。それ入れたのは私じゃない」
心外だと言わんばかりにバシュトラが言う。
「じゃあララモラか?」
「ララモラも一緒に食べたけど……駒を入れたのはソフィーリスだよ」
「なっ!?」
俺は思わず振り返り、ソフィーリスの顔を見る。
先ほどまで激戦を繰り広げていた彼女は、しかしいつも通りの笑顔を浮かべて一言。
「あらあら、バレちゃいました?」
とだけ告げたのだった。




