その夜を越えて-3-
オーク兵の襲撃を退けた俺たちは、ひとまず街の民家に隠れていた。
この民家はイベル王子の知人の物らしく、心配はいらないとの事。
「それで、リザードマン族と接触をするにはどうすりゃいいのかな」
「今、リザードマンたちは城の横にある館に滞在しているはずです」
「ではそこに殴り込みを掛けますか」
物騒な事を言うアムダ。
相変わらず武闘派集団であった。
「出来れば話し合いで解決したいが……」
「シライさんのそういうところ、僕は好きですけど、多分無理だと思いますよ」
アムダは何かしら確信めいた事を言う。
「それはどういう意味だ?」
「言葉通りですよ。一族の仲間を殺された彼らに対し、何と言って止めるつもりですか?」
「それは……」
それは生死というものを理解した発言だった。
俺のように、戦場から遠く離れたところで育った人間には理解しがたい重み。
「……それでも、俺は止めたいと思う」
「分かりました。それならば何も言いません」
そう言ってアムダは引く。
俺の考えが甘いのか、アムダの考えが正しいのか、それは分からない。
でも、とりあえずは会って話してみないと何も始まらない。
「夜であれば、館に近付く事も出来るでしょう」
「ひとまずは夜を待つ、という事か」
「でも、この人数でぞろぞろと行くのは危険じゃないかしら」
奏の言葉ももっともだな。
大所帯だと動きも取りにくいし、何かあった時の為に、外に残すメンバーも必要だろう。
「言いだしっぺだから俺は行く」
「では、私も行きましょう」
イベル王子が言う。
でも、危険かもしれない場所に王子様が行くってのはどうなんだろうか。
俺の考えが分かったのか、イベルは少しだけ笑う。
「大丈夫です。族長のシャングドラは私も幼い頃から良くしていただいています。
私がいればいきなり斬り掛かってくる事もないはずですよ」
それはつまり、王子がいなけりゃ斬り掛かってくる可能性があるって事ですかね。
わりと思いつきで発言してしまったが、早まったかもしれない。
「シライさんだけじゃ不安よね。アムダかブリガンテさん、どちらか行けるかしら」
「なら僕が適任でしょう。構いませんか?」
意外にもアムダが立候補した。
「ブリガンテさんだと目立ちそうですしね」
「……確かに」
おっさんの場合、訪問というよりはカチコミだな。
角材とか似合いそう。
「俺とアムダ、イベル王子の三人か」
「……ソフィーリスも連れて行って」
「ソフィーリスをか?」
こくり、とバシュトラは頷く。
その後ろに控えているソフィーリスはいつもの笑顔なので、何を考えているかは読めない。
まあ戦力的にはありがたいが……。
「役に立つ」
「分かったよ。一緒に来てくれるか?」
「ええ、トラ様がそうおっしゃるならば、どこへでもお供いたします」
相変わらずぽややんな感じだが、いざという時には頼りになるのはこれまででも証明済みだ。
これで四人。
話し合いではあるが、何かあった時に対処出来る戦力にはなったか。
「よし、それじゃ決行は今夜だ。リザードマンたちの所へ行き、戦争準備を止める」
「もし、話し合いが通じなければ?」
「決まってるさ。その時は、肉体言語を使うまでだ」
「つまり?」
「いつも通り、ぶん殴ってでも止めるだけだ」
「本当にいつも通りですね、それ」
「逆に得意だろ、それ」
「得意というか、それしか出来ませんね」
「さすがアムダ先生。話し合う気が最初からゼロでいらっしゃる」
俺たちは出たとこ勝負だ。なるようになるさ。
そんな馬鹿な会話に、奏あたりは頭を抱えていた。
「まあなるべくそういう事にはならないようにしたいけどな」
「そう言って、いっつも危ない橋を渡ってるのよね」
「ふっ、そうだな」
さすがにもう慣れたもんで、一筋縄ではいかない事は既に見抜いていた。
イベルとドーンだけは、俺たちのノリに付いていけないようだったが。
「そうだ、これを渡しておきます」
そう言ってイベルが俺に差し出したのは、四角い箱だった。
「なんだこれ?」
「中には砂糖菓子が入ってて、シャングドラはこれに目が無いんです。
友好の印という形で出せば、彼らも話を聞いてくれるのではないでしょうか」
「なるほど、ジャパニーズ・テミヤゲってやつだな」
もらった小箱を荷物の中にしまい込む。
とりあえず、一旦は終わりか。
「じゃあ夜まで休むとするか」
「あのー……」
解散しようとしたところ、ソフィーリスが手を挙げて質問をする。
何かと問うと、彼女はお日様のような朗らかな笑顔でこう告げた。
「結局、何をすればいいんですか?」
今までの長々とした話を、彼女は聞いていなかったらしい。
微妙な空気が辺りに漂う。
「……ちなみに、バシュトラは今までの話聞いてたか?」
「……ちょっぴり」
悪びれる様子もなく、バシュトラが答える。
「どこまで聞いてた?」
「……コウモリは食べられるところまで」
「それ一個前の場面だからな」
「トラ様、私は聞いてましたよ! このとーへんぼくが気持ち悪い感じでハシゴを昇ってました!」
「お前も同じくらい前の話だからなそれ」
結局、ドラゴン娘たちに説明するだけで、それから数十分の時間が要したのだった。
夜が更け、闇に紛れてリザードマンたちの館へと進む。
俺たちが脱走した事は既にバレているだろうが、意外に街に兵士たちの姿は少なかった。
そういう訳で、結構すんなり館までは辿り着く事が出来たのだった。
「歩哨とかもっといるかと思ったんだが、少ないな」
「ですね。斬り合いを想像していただけに、拍子抜けといったところですか」
「そんないつもいつも斬った張ったばっかじゃな」
何にせよ、無事に到達出来て良かったというところか。
俺たちの姿はフードで顔を隠し、見るからに不審者という姿であった。
唯一、顔を出しているのがイベル王子であるが、しかし王子様が顔出しで歩いていても問題はないのだろうか。
「あれか。オーク族はみんな同じ顔だからバレないのか」
「いや、一応、私たちからすると違う顔なんですよ。むしろ人間の顔の違いの方が分かりにくいです」
なるほど、そういうもんらしい。
ともあれ、無事に目的地に到達した俺たちは、館の前にいるリザードマンの門番に話し掛ける。
リザードマン。その名の通り、トカゲによく似た姿をしている。
身長は高く、軽く見積もっても二メートル近くはあるだろう。
すらっとした肉体ではあるが、鋼のような鱗が特徴的だ。
ドーンたちの話によれば、リザードマン族は亜人の中でも戦闘的な種族であるらしい。
「……何の用じゃ?」
「私はオークの王子、イベルです。シャングドラ殿にお目通りをお願いしたい」
王子直接の取次ぎに、しかしそのリザードマンは特に気にした様子も見せない。
少し考えた後、彼は扉から一歩ずれて道を空ける。
通っても良い、という事なのだろうか。
「……叔父貴なら奥におる。お前が来たら通せと言われとる」
「叔父貴?」
「シャングドラ族長の事です。リザードマンたちはそう呼んでいるようです」
なんていうか……危ない組織みたいだ。
そんな事を思いながら、先頭を歩くイベルに付いて行く。
館の中に入り、廊下を進んでいく。
数人のリザードマンとすれ違ったが、こちらを観察するような、そんな視線を感じた。
「この奥ですね」
廊下の奥の扉の前に立ち、確認するようにイベルが言う。
こくり、と俺たちが頷くと、ドアに手を掛け、ゆっくりと開く。
「……うお」
思わず声が漏れてしまうほどの光景だった。
奥の部屋は広く、中央に長机が置かれている、食堂のような部屋だった。
部屋の中には、何十人ものリザードマンが一言も発せず、直立している。
そしてその一番奥に、一人だけ椅子に座っているリザードマンの姿があった。
「久しいのお、坊。何年ぶりじゃけえな」
「この間会ったばかりですよ」
「そうじゃったか。年取ると忘れっぽくなっていかんな」
椅子に座るリザードマンが、イベルに話し掛けてくる。
座っていても、他のリザードマンと違う事が見て取れる。
一回りか二回りほどその体躯は大きく、一番の違いは皮膚の色だ。
他のリザードマンたちが緑色の鱗であるのに対し、その男はまるで雪のように白い鱗だ。
そして、彼こそが――十氏族の一人、リザードマンの長、氷点のシャングドラであった。
「して、こんな夜更けに何の用じゃ? ぬしゃの相手をしとるほど暇じゃないんじゃがね」
「お話したい事があります」
「話というのは、その後ろの人間たちの事かいね?」
ぎろり、とシャングドラの瞳がこちらを向く。
どうやらバレていたらしい。
諦めてフードを外し、改めて対面する。
「ご存じでしたか」
「ぬしゃの親父から連絡があっての。ぬしゃが人間の逃亡に手を貸したとか……」
「彼らに非はありません」
「非はなくとも人間じゃ。それはすなわち敵じゃ」
シャングドラの声は重く響く。
「敵は殺す。もはや人と亜人の戦は避けられん」
「私はそれを止めたいのです。彼らも同じ気持ちです」
「ならば仲間を殺されたわしらの恨みはどうなる?」
「それは……」
「わしらとて戦いが何も解決せんちゅう事は理解しとる。
じゃがの、戦いでなくば、わしらの痛みは消えんのじゃ」
その言葉に、周囲に立ち並ぶリザードマンたちが一斉に叫んだ。
室内に反響する怒号。
それこそが彼らの恨みであり、痛みであった。
「復讐をするにしても、事態がもっと分かってからでも……」
「そんな悠長な事はしとれん」
「ですが、今争いをしても、勝ち目なんてありません!
百年前、亜人十氏族が集ってなお、引き分けたのです。
オークとリザードマンだけじゃ、勝機など……」
「それでも構わん。わしらの恨みで、一人でも多くの人間を道連れに出来るなら、武人の本懐よ」
その瞬間、誰かがくすりと笑った。
その笑い声は小さかったが、不思議と室内にいた誰にも届いた。
「誰じゃ、今笑ったんは?」
「すみません、僕です」
そう言って手を挙げたのは、アムダだった。
こんな緊迫した空気の中、こいつはいつも通りの笑みを浮かべている。
マジかよ。
「人間が、わしらを馬鹿にしとるか?」
「まあそうですね。愚かだとは思います」
「何を!」
「だってそうでしょう? あなた方は戦って死ねばそれで満足なのですから。
周囲の意見も情勢も関係なく、ただ死に場所を求めているだけ。
あなた方の戦は自己完結している。どこにも未来はない、単なる愚行でしかない」
アムダの言葉に、周囲にいたリザードマンたちの殺気が高まっていくのが分かる。
おいおい挑発なんてやめてくれよ、と思ってる俺の思惑とは裏腹に、彼は続ける。
「武人の本懐などと言いながら、その実、格好良く死んで体面だけを気にしているだけですよね」
「貴様ァ……」
「僕はね……あなた方のように命に頓着しない連中が嫌いです。反吐が出るほどに。
戦争ですから死ぬのは当たり前です。殺し合いは良くないなどと綺麗ごとを言うつもりもありません。
ですがあなた方は殺し合いすら否定し、単なる自殺行為に過ぎない。
武人? いいえ違いますよ。単なる臆病者の集団だ」
その瞬間、周囲にいたリザードマンが刃を抜き放ち、アムダに斬り掛かった。
一瞬の出来事だったが、アムダはそれすらも予測していたのか、軽くいなすと、その反動でリザードマンを壁に叩きつける。
ひりつくような空気だ。
「言われて怒るのは図星だからでしょう?」
「ぬしゃに何が分かる? 仲間を殺されたわしらの痛みが!」
「分かりませんよ。そんな事はあなたたちにしか分かりません。
でもこれだけははっきり言えます。
あなたたちが死んだところで、仲間を殺した奴が喜ぶだけだという事が」
「なんじゃと?」
椅子から立ち上がりかけたシャングドラが、再び掛け直す。
どうやらこちらの話に興味を持ったようだ。
あるいは最初から、それが狙いだったのかもしれない。
「リザードマン、コボルトの両氏族を襲ったのは人間ではなく魔神です」
「魔神じゃと? あんなものは教会が作り上げた幻想に過ぎん」
「それこそが幻想でしょう。魔神は存在し、現にこの世界に大きな影響を与えている。
ゴブリン族が突然、人間領に攻め入ったのも、すべて魔神の仕業です」
周囲からざわめきが聞こえた。
ゴブリンの話は彼らも聞き知っていたのだろう。
「すべて魔神の仕業じゃと? わしらの仲間を殺したのも、全部魔神だと?
ふざけた事を抜かす! そのような戯言、聞き入れる気もない!
そうやって人間は嘘と虚ばかり吐きよるわ!」
シャングドラが合図をすると、周囲にいたリザードマンが一斉に刃を抜き、こちらに付きつける。
一触即発の空気だ。
話し合いに来たはずなのに、なんか知らんがアムダの挑発でやばい事になっていた。
どうするんだ、と俺がアムダの顔を見ると、いつも通りのイケメンスマイル。
小声で俺はアムダに尋ねる。
「おい、何か策があるのか?」
「いやぁ……売り言葉に買い言葉でこんな事になっちゃいました、ははは」
なっちゃいました、じゃねぇよ。
もはや話し合いが通じる状況じゃなさそうで、目の前のリザードマンは目が血走っている。
何とか冷静になってもらおうと、俺は荷物をゴソゴソと漁る。
と、指先に何かが触れた。
それは、小さい箱だった。
そういえば、出掛けにイベル王子が手土産にと俺に小箱を渡したんだった。
これを使って場を収めるしかない、と思い俺は取り出した。
「ま、まあここは一つ、これでお怒りを抑えていただければ……」
「なんじゃそれは」
「いやぁ、つまらないものですが」
「つまらんもんなどいらん」
ジャパニーズ・ケンソンが通じない相手だった。
しかし、ここで引く訳にもいかない。
俺は机に上に小箱を置き、シャングドラに見えるように蓋を開ける。
そこには色とりどりの砂糖菓子が……入っていなかった。
「あれ?」
箱の中に入っていたのは、ジャラジャラとした将棋の駒だった。
手に取って調べる。
間違いなく、将棋の駒だ。そしてこれは歩である。
「え、砂糖菓子は?」
「そう言えば、出掛ける前にバシュトラさんが荷物から何かを取り出して食べてましたよ」
なにそれ聞いてない。
恐らく万年腹ペコのドラゴン娘たちが餌の匂いに釣られて食べてしまったのだろう。
そしてバレてはいけないと思って、その場にあった将棋の駒を代わりに詰めたに違いない。
その光景が、簡単に想像出来た。ナイス浅知恵。
「それで、何のつもりなんじゃそれは」
「えーっと……これはですね」
まさか食べられちゃいました、と言えるはずもない。
もうこれは押し切るしかない。
「これはだな、将棋の駒だ。俺の国に伝わる、決闘の儀式で使う道具だ」
「ショウギ……」
「魔神がいるとかいないとか、ウダウダ言っても始まらないんなら、これで白黒つけようじゃねぇか!
俺はシャングドラに勝負を申し込む!」
そう叫び、小箱をひっくり返して、机の上にダンと叩きつける。
そして、箱をひっくり返すと、将棋の駒が山となって机の上に盛り付けられた。
一同が駒の山を凝視する。
「勝負じゃと? 一体どうするつもりじゃ」
「将棋の駒があって、俺とお前、二人の決闘者がいる。だったら勝負の方法は一つしかないだろう」
そう言って俺がビシリ、とシャングドラを指さした。
「勝負の方法は――将棋崩しだ!」




