その夜を越えて-2-
「王子様、ねぇ」
突如現れたオークの王子様を名乗る青年は、俺たちを助けてくれるらしい。
一体全体、どういう状況かは分からないが、ここは流れに乗るべきだろう。
まあ、牢屋の中にいるのも飽きてきた、というのもある。
「話は後です。まずはここを脱出しましょう。
牢の鍵を手に入れてきたので――」
「ああ、鍵は要らない」
俺はそう言って、おっさんに目配せをする。
俺の言いたい事を理解してくれたのか、一歩前に出て、牢の格子に手を掛ける。
「……ふん!」
おっさんが軽く力を入れると、まるでゴムのように鉄の格子はひしゃげてしまった。
さすがに王子様も、これには唖然とした表情を見せる。
「その……凄いですね」
「まあな。出ようと思えばいつでも出れたんだ」
その気になれば、アムダの神剣で切り裂く事も、奏の魔法で吹っ飛ばす事も出来た。
まあ大事にするのもあれなので、おっさんにひん曲げてもらうのが一番簡単だろう。
「話には聞いていましたが、心強いですね」
「……話?」
「ひとまずはここを抜けましょう。今なら見張りの兵に見つからずに抜けられるはずです」
イベル王子の言葉通り、牢の外に出ると、見張りの兵はいなかった。
その隙に、俺たちは牢から抜け出す。
通路を少し進んだところで、イベル王子がこちらを振り返る。
「ここから隠し通路を通って、街の外れに向かいます。少し距離はありますが、ここからなら安全に外に出られると思います」
「それはありがたいけど、隠し通路なんて教えてもいいのか? 王族にのみ伝わってるとか、そういう感じなんだろ」
「ええ、ですがこうした方が信じてもらえると思いますので」
そう言って通路の壁を探り出すイベル。
「まあ……今はその言葉を信用しておきましょ」
奏やアムダたちも特に意見は無いらしい。
隠し通路に、俺たちは入っていく。
内部は暗く、イベル王子の用意した灯りで、何とか足元が見える程度だ。
「コウモリとか出そうだな」
「止めてよ……あたし後ろにいるわ。出たら追い払ってよね」
奏先生はそういうのが苦手なようだ。
「……コウモリ?」
「バシュトラは見た事ないか? 羽が生えてて飛ぶネズミみたいなやつ」
「……ドラゴン?」
「お前は飛ぶ動物は全部ドラゴンにしちゃうんだな」
そうこう言ってると、前の方からコウモリらしき動物の鳴き声が聞こえてきた。
前を歩くアムダが、突然剣を一閃する。どうやら飛んでいるコウモリを落としたらしい。相変わらず凄い腕前だ。
「これがコウモリですね」
そう言ってバシュトラに見せるが、俺が思ってたコウモリよりも大きい。
異世界だとコウモリまででかいのか。
初めて見たバシュトラは興味津々にコウモリを見ている。
「……これ、美味しい?」
「いや、食えないだろ」
「食べられますよ」
「うむ、食えるな」
「え!?」
俺が否定すると、アムダとおっさんが何を言ってるんだと言わんばかりに告げる。
マジかよ、これ、食えるのか。
異文化コミュニケーションであった。
後ろを見ると、奏がかなり嫌そうな顔をしている。奏先生も、コウモリを食すのは勘弁してもらいたいようだ。
「まあ、今日は逃がしてやってもいいんじゃないか、な?」
名残惜しそうだったが、バシュトラは先ほど捕まえたコウモリを逃がしてやる。
これで今晩の食卓にコウモリが並ぶ事はないはずだ。
そんな緊張感のない会話を交わしながら、俺たちは隠し通路を進む。
数十分ほど歩くと、やがて行き止まりに辿り着く。
「ここの壁を開けると、外に出られるはずです」
再び壁を触り、何かを操作する。
石の壁が、ゆっくりと音を立てて動く。
「ここは……井戸か?」
壁の先は干上がった井戸の底のようだった。
空を見上げると、日の光が見えた。
「街外れにある古い井戸に繋がっています。そこに縄梯子があると思いますので、それを使って上がってください」
イベルの言葉通り、井戸の壁に縄梯子が掛かっていた。
わりと古い縄のようだが、大丈夫だろうか。
「先に昇ってよ。例の気持ち悪いFPS昇りとかなら安全でしょ」
「ひどい言われようだな」
もちろん、FPS昇りを使ったのは言うまでもない。
井戸から這い出ると、一人の男性が俺たちを迎え入れる。
それは――
「ドーン!」
「いやー、お久しぶり……というほどでもないですね」
旅の商人ドーンであった。
オークの人質にされていたはずだったが、俺たちと同じように逃げていたのか。
井戸から出たイベル王子がドーンに親しげに話しかける。
「もしかして……ドーンさんの言ってたオークの友人って……」
「ええ、イベル王子の事です」
「ドーンには、色々と商品を融通してもらい、人間域の事も聞いてました。
皆様の事も、ドーンから聞いていたんです」
なるほど、俺たちの事を知ってる素振りだったのはそのせいか。
「とりあえず詳しい話は小屋の中でしましょう。
ここは街の者もほとんど訪れないところなので、見つかる心配は少ないはずです」
近くにあった無人の小屋に入り、部屋に置いてあったテーブルにつき、俺たちは一息を入れる。
どうせ話は聞いてないので、バシュトラたちに外の見張りを頼んだ。
「しかし話に聞いていた以上に皆さん、すごいですね。
牢は簡単に壊しますし、その……梯子の昇り方もすごいですし」
ちらっと俺の方を見てイベル王子は言う。
いや、俺だって普通に梯子を昇る事だって出来るんだぜ。
「皆様をお救いしたのは他でもなく、父王スプーキーを止めたいからです」
「戦争を?」
「ええ。父は百年前の戦争を再び引き起こそうとしています。何があろうと、それだけは止めなければいけない」
イベル王子の言葉は静かではあるが力強い。
「そもそも、どうして宣戦布告なんて話になったんだ? あまり具体的な話を知らないんだけど」
「先日、教会が大陸に一つの触れを発しました。魔神と呼ばれる災厄について」
「魔神?」
今更な気もするが、教会が魔神の何を話したんだろうか。
「彼らはこう告げたのです。魔神とは、人間に対する害悪に他ならない。そこには亜人の存在も含まれる、と……」
「そりゃあ……無茶苦茶な物言いだな」
「ええ。教会の挑発であるのは目に見えています。父も本来ならばそれを受ける事は無かったと思います。
しかし、リザードマン族やコボルト族が相次いで襲撃を受けたと聞き、戦いを決意したようです」
「教会は亜人たちが魔神と呼び、本物の魔神が亜人を襲撃、ですか。ややこしいですね」
アムダの言うとおり、かなりこんがらがった様子だ。
事件の中心にいる俺たちですら理解の範疇の外なんだ。
他の連中からすれば、どうなってるかは検討もつかないだろう。
オークたちのように、混乱して戦いに乗り出すのも無理からぬ事なのかもしれない。
「……もしかすれば、それが彼らの狙いなのかもね」
ぽつり、と奏が漏らす。
「どういう意味だ?」
「確証がある訳じゃないんだけど……。
列王会議で会った魔神――オルティスタは何かを企んでいるようだった。
あの場であたしたちを捕えようと思えば出来たはず。そうしなかった理由があるのよ、きっと」
魔神が何を考えているかは分からないが、ろくでもない事は間違いないだろう。
ただドンパチやってた今までの方が楽だったが、面倒な連中だ。
「それに、父はリザードマン族の族長と古くからの付き合いがあります。
彼らは魔神に集落を襲われ、多くの民が犠牲になったようです」
「確か、族長たちは列王会議に参加してたんだったっけ?」
あの場にいたのか正直覚えていないが。
「ええ。列王会議自体が罠だったと言っています。
主だった者が不在だった為に、戦う事すら出来なかったようですので……」
「リザードマンたちは今、こちらにおられるんですか?」
「父と共に戦の準備を進めているはずです」
となるとリザードマンの方をまず説得した方がいいのか。
しかし、どういって止めるべきか。
そう悩んでいた時だった。
突然、小屋のドアが開く。
バシュトラだ。
「どうした?」
「……囲まれた」
「へ?」
「そのようだ」
おっさんが窓から外を睨む。
俺には分からないが、どうやら囲まれているらしい。
オークの兵士たちにバレていたのか。
「数は百人ほどだ。どうする?」
「どこかから逃げれそうか?」
「いや……四方を囲まれている。戦いは避けられんだろう」
「そうか」
「オークの王子を人質にして逃げる、という手もありますよ」
「それは無駄でしょう。裏切った僕を、父が助けようとするはずがありません」
悲しげにイベル王子が告げる。
「兵たちも、僕がいても関係ないでしょう」
「となると、道は一つだ。戦って切り抜ける」
俺の言葉に、一同が頷く。
「あと、これは個人的な意見だけど、なるべくオーク族に被害は出したくない」
「向こうがこちらを殺すつもりで襲い掛かってきても、ですか?」
「ああ。俺たちの敵はあくまで魔神であって、この世界の連中じゃないからな」
イベル王子には助けてもらった礼もある。
何より争いを止めに来た俺たちが、戦いを拡大させる訳にはいかない。
理解したのかしてないのか分からないが、アムダが小さく笑う。
「なるべく頑張ります」
「期待してるぜ」
にやりと俺も笑う。
まあこいつらなら出来ると思ってのお願いだからな。
まず最初に小屋から飛び出したのは、バシュトラだった。
矢のように飛び出したバシュトラは、近くの茂みに向かって突っ込んでいく。
「…………」
そして、槍を横に一閃。
すると、茂みから数人のオーク族が弾き飛ばされた。
気付かれていないつもりだったのか、突然の襲撃に相手も目を回している。
その隙に、バシュトラは次の標的へと跳躍。
「くっ! 攻撃開始だ! 奴らを血祭りにしろ!」
隠れていた他のオーク兵たちが、物陰から姿を現す。
おっさんとアムダも小屋から飛び出し、一気に乱戦になる。
「やれやれ、手加減して戦うのは苦手なんですけどねぇ」
アムダはそう言いつつ、笑みを絶やさない。
襲い掛かるオークたちをひらりと避けると、片腕を空に掲げる。
「剣よ、我が剣よ。
其は刹那よりも鋭き咢。
なれば我が問いに答えよ。
曰く、汝の届かぬ者、ありやなしや。
万呼天雷――ヴィーチェ・クライフ!」
アムダの右腕から雷が放たれ、それが一本の剣の形を作る。
刀身に電流の走るその剣を、オークに向ける。
そしてそのまま、走り抜けて斬撃を繰り出す。
「ガッ!」
「ご安心を。この神剣は斬れないんですよ。ただ少しばかり痺れますけどね」
アムダに斬られたオークの兵士がばたばたと倒れていく。
見た感じ、血は流れていないので、感電しているようだ。
その横で、おっさんが兵たちの矢を雨のように受けているが、けろりとした表情。
まあおっさんは放っておいても大丈夫だな。
アムダたちの戦いを、俺と奏は高見の見物である。
「……お二人は戦わないんですか?」
「まあな」
俺と奏の能力だと、手加減をするというのが難しい。
それに乱戦だと身体能力に劣る俺たちじゃ、思わぬ事故を巻き起こすからな。
こういうのは、荒事担当に任せておけばいい。
「その、ありがとうございます。仲間にご配慮いただきまして……」
「こっちも助けてもらったもんがあるし、気にしなくてもいいぜ」
「そうよ。そもそも戦ってるのはあたしたちじゃないし、全然気にしなくてもいいわ」
「はは……そうですね」
百人程度の兵士では、あいつらの相手になりようがなかった。
見る見るうちに数が減っていく兵士。
数の利点を使おうにも、捉える事が出来ず飛び回るバシュトラ。
いかなる攻撃も寄せ付けないブリガンテのおっさん。
そして、舞うように華麗に戦うアムダの三人によって、ものの十数分で戦う意思のある者は残っていなかった。
「ば、化け物だ……」
倒れた兵士の一人が、恐怖の入り混じった声を上げる。
アムダたちが戻ってくる。
「これで、良かったですか?」
「上出来だ」
片手を出してハイタッチ。
「このまま一気に城を攻め込みます? 意外にいけるんじゃないですかね」
「……突撃」
「いやいや、さすがにそれは被害が大きすぎるし、何より根本的な解決になってない」
「じゃあどうする?」
奏の問いに、俺は考えていた事を述べた。
「リザードマンたちに会いに行く。彼らの誤解が解ければ、何とかなるはずだ」




