ハート・ノッカー-13-
帝都プリエストの王城の一画。
薄暗い部屋の中に数人の人間が円卓を囲んでいた。
円卓の奥に座る女性――オルティスタが口を開く。
いつものように白いドレスを身に纏っている。
「……ガガスグルーの感応が途絶えました」
オルティスタの言葉に、一同の視線が向く。
雪のように白い女は、彼らを一瞥し、言葉を紡ぐ。
「異界の来訪者に倒されたようです」
「ふむ、それは残念でござるな。いやはや、ガガスグルー殿には拙者、期待しておったのでござるが」
机の上に置いてあった小瓶が喋る。
正確には、その小瓶の中に入っていた青色の液体が、である。
しかし一同は液体から声が聞こえてきた事に対しては何も反応しない。
いつも通りの光景であった。
「それで……ガガスグルーが抜けた事による作戦の遅滞はあるのかな?」
オルティスタから見て右列の席に座っていた男が問う。
黒い軍服を着た優男であった。
「いいえ、作戦に遅滞はありません。いくつかのスケジューリングの調整で戻せるでしょう」
「では結構。彼女も命を賭した甲斐があったでしょうな」
「白々しい……」
軍服の男に異を唱えたのは、その対面に座る女だ。
赤髪赤目、どこまでも赤い姿。
「仲間が死んだんだ、もう少し労りってもんはないのか?」
「仲間? ふっ、これは異な事を……
我らに仲間だ友達だ、そんな感情があると思うのかね、グロリアーサ?
人は生まれながらにして孤独である。我が国の哲学者フリードリヒもこう言っている」
「あんたに無くても、あたしにはあるさ」
「まあまあ、ご両人とも喧嘩は控えるでござるよ」
小瓶の中の液体が両者の争いを止める。
コポリ、と中の液体が泡立つ。
「そもそもガガスグルー殿は魔神化の進行がこのところ、大きくなっておりましたからな。
遅かれ早かれ、こうなる事は分かっていたはずでござる。違いますかな?」
「……ちっ、分かってるさ。スライム野郎に言われなくてもな」
グロリアーサと呼ばれた女はその言葉に、静かに顔を背けた。それが答えだ。
「……ですが彼女のおかげで、新たなるステージへと昇る事が出来ました」
「と言うと?」
「匣の鍵が覚醒した、という事です」
オルティスタの言葉に、軍服の男と赤い女が視線を向ける。
「鍵――つまり姫宮奏の魔術因子が第六霊界へと届きました」
「なるほど。それは素晴らしい」
「このまま戦火が広がれば、自ずと匣の鍵としての覚醒を迎えるでしょう」
「では、ガガスグルーの手掛けていた匣探しの任務はどうするのかね?」
インカラレシオの問いに、オルティスタは答える。
「その任務は、アカツキに引き継いでもらいます」
「ほう……アカツキ君か。彼も魔神化が著しいと聞いていたが……」
「現在は薬で鎮静化していますが、いつまで持つか……。
彼の場合、以前から薬物投与による肉体覚醒を使っていたので、限界は近いでしょう」
「まあアカツキ殿であれば安心でござろう。純粋な戦闘力であれば、我々の中でもトップでござるからな」
「残る魔神はこれで六人だ。悠長に事を構えている場合でもない。本当に女神の匣は開くんだろうな、オルティスタ?」
「……私を疑うのですか、グロリアーサ」
「そこの優男が言ってたように、あたしらに信頼関係なんて無いだろう。あるのは同じ目的を持った集団、それだけだぜ」
「……姫宮奏が第八霊界へと至った時、彼女は世界の壁を超越します。
その時こそ、女神の匣は開かれるでしょう」
「だが、ケットシーかそれを黙って見ているとは思えないがね」
インカラレシオの言葉に、オルティスタは黙考する。
「彼の者はこちらに干渉は出来ません」
「まあそれならいいさ。匣を開き、あたしたちは元の時代、元の世界に戻る。それさえ叶うなら、何だってしてやるさ」
「その通りでござるな。拙者たちは運命共同体にして、神殺しの咎人である。もはや逃れられぬ大罪を背負っているのであるのならば、共に参ろう」
「全ては、この呪われた運命から逃れる為に」
そしてオルティスタが告げる。
「全ては、終わりなき絶望の輪廻を終わらせる為に――我らは魔神となりて、世界に反逆いたしましょう」
魔神ガガスグルーを倒して二日ほど経った。
魔神から受けた傷跡は、大体修復出来たと言っていいだろう。
グラシエルの治癒魔術と奏が作った解毒薬で、コボルト族の被害は最小限に抑えられた。
一番重症であったカーヴェイさんも、かなり動けるようになっている。
「……そろそろ行くのかね」
まだ体に包帯を巻いているカーヴェイさんが、俺たちに向けて告げる。
「すいません、これから復興に向けて動くのに、俺たちだけ抜けるみたいになってしまって……」
「なに構わんよ。元々、貴殿たちはその為に来たのだろう」
そう、俺たちは準備を終えてコボルト族の所領を離れるところであった。
ガガスグルーの来襲によって先延ばしになってしまったが、ひと段落ついたってのもある。
「毒による重症者はもう大丈夫だと思います。元々生命力の強い種族ですし、後は普通の治療で問題ないはずです」
「すまぬな、世話になった」
まあ色々あったが、とりあえず何とかなったな。
親切にしてくれたカーヴェイさんたちと別れるのは名残惜しいが、しかし魔神の連中も色々と動いているようだ。
ゆっくりとしていられる状況でもなさそうだ。
「それで、どちらに向かうのだ?」
「一旦教会の本部に行く事になりそうです。その後、エルフの森に行く予定です」
「そうか。我らの同朋にもそなたらの事は伝えておこう。各地にいる同朋が力になるはずだ」
「ありがとうございます」
敵になる人もいれば、こうして仲間になってくれる人もいる。
世の中ってのは分からないもんだな。
そんな事を考えている時だった。
「族長! 報告が!」
集落の入り口から息を切らして走ってくるコボルトがいた。
その表情は何やら険しい。
また何か起きたのか?
「どうした、騒々しいな……」
「先ほど狼煙による報告を受けまして……」
そう言うと彼はカーヴェイさんに小声で何かを告げる。
最初は落ち着いた表情で話を聞いていたカーヴェイさんも、少しずつ顔色が変わっていく。
報告を聞き終えたカーヴェイさんが、俺たちに向かう。
「……良くない報告のようだ」
「何があったんですか?」
奏が問うと、少しして重い口を開く。
「オーク族が人間族に宣戦布告したらしい」
「え!?」
正直、俺たちには事の重大さがよく分かっていなかった。
しかし、その話しぶりから察するに、かなりの大事のようらしい。
まあそうだよな。戦争を仕掛けるって話なんだから、重大でないはずがない。
「オーク、それにリザードマンがそこに加わっているようだ」
「そういえば、先の魔神がリザードマンを襲ったとか言ってましたね」
アムダの言葉に、おっさんも軽く頷いた。
「オークたちは、それは人間たちによる襲撃であると言っているようだ。それに対する報復であると」
「……厄介だね」
確かに、今の魔神たちが人間側の陣営にいる事を考えれば、そう思われるのも仕方ないが。
「でも、いくら何でもオークたちだけで戦争なんて出来るんですか?」
そもそもオークとリザードマンというのがどんな種族なのか知らない俺にしてみれば、まるで見当のつかない話だ。
「オークは大陸の中央付近に比較的大きな国を築いている種族だ。人間を除けば、最も数多い種族でもある。
リザードマンは反面、さほど人数はいないが、我らと同じく、傭兵業を生業にして各地に分布している」
「じゃあ、オークたちだけでも十分戦争は可能、という事ですか?」
奏の言葉に、少しだけ言いよどんだ後、カーヴェイさんは答えた。
「……ヘルモンドゲート要塞を使えば、可能だろう」
その名前はかつて何度か耳にしていた。
百年前の戦争で、亜人たちが協力して作り上げた最強の要塞だったか。
「現在、要塞の管理をしているのはオーク族だ。まあ管理とは名ばかりで、連中が無理やりその所有権を主張したに過ぎないが」
「それをオーク族が使う事は可能なんですか?」
「……不可能ではないだろう。元来は整備にエルフやゴブリンの技術が必要ではあるが……。
連中がそれを使用出来るようにしているのは想像に難くない」
となると、その要塞を使って連中は人間側とやり合うつもりなのか。
「もし再び戦乱が訪れるとなれば、百年前とは比べものにならん犠牲が出るはずだ。人も亜人も、等しくな……」
「どうにかして、止める方法は無いのか?」
俺の言葉に、しかしアムダが反論した。
「逆に考えれば、好都合かもしれませんよ。戦争になれば、動きやすくなりますし」
「でも……何の関係のない人も犠牲になるかもしれないんだぜ」
「それはこの国の為政者の責任ですよ。僕たちが関与すべき問題ではないでしょう」
アムダはあっさりとそう告げる。
恐らく、これが俺とアムダ……いや、アムダたちとの認識の差なんだろう。
どっちが正しいとかではなく、日常の中に殺し合いがあった人間と、平和に生きてきた人間の差、それだけに過ぎない。
自分でも甘いのは分かっているが……
俺がそう考えていると、アムダが小さく息を吐いた。
「……はぁ、そんな顔されたら僕が悪者みたいじゃないですか」
「え、変な顔してたか俺」
「ええ。今にも自分ひとりで突っ込んでいきそうな、そんな顔でしたよ」
相変わらず顔に出やすいようだ。
仕方ないですね、とアムダは溜め息交じりに言う。
「ではこうしましょう。僕たちの目的地をオーク族の領地にしましょう。そこに行けば、何が出来るのか、そして何も出来ないのか、分かるはずです」
「まあ、それも一つの手ね。女神の匣が亜人族が管理しているのであれば、オーク族の領地に行く必要があったし」
「……いいのか、それで?」
バシュトラの方を向くと、ちびっ子は相変わらずどうでも良さそうに頷いた。
多分、どうでも良いんだろう。
「私もシライの意見に賛成だ。何か出来るのであれば、やって損はなかろう」
「おっさん、ありがとう」
「ふっ……そなたが我らの先導なのだ。黙って俺についてこい、くらい言ってもいいんだぞ」
おっさんは笑いながら、いつぞや俺が言ったセリフを反芻する。
最後に奏を見据えると、彼女は静かに笑みを浮かべた。
「ブリガンテさんの言う通りね。リーダーはあなたよ。あたしたちは全力でそれを支援するわ」
「ですね。まあ危なくなったら逃げればいいだけです」
「……そうだね。アムダ、すぐ逃げるもんね」
「え、バシュトラさん? 僕、なんか悪い事しましたっけ?」
「……シライが言ってたよ。逃げ足だけは凄いって」
「そういや、今回もアムダ、言うほど仕事してないものね。森で木を切ってただけじゃない」
「いやいやいや、ちゃんとラルーズ君を助けてましたよ」
「そうだったかしら?」
「記憶にない」
いつも通り、アムダが弄られているのを見て、自然に笑みが漏れる。
「よし、じゃあオーク領を目指す。それでいいな?」
「もちろん、異議は無いわ」
「僕は色々不満はありますけどね」
不満たらたらのアムダに、バシュトラがぼそりと呟いた。
「……アムダは小さいね」
まったくだ。




