ハート・ノッカー-12-
コボルト族の村に帰ってきた俺たちを待っていたのは、熱い歓迎であった。
賞賛の声を掛けられ、自分たちが勝ったんだと改めて実感する。
グラシエルの手当の甲斐あってか、症状の軽かったコボルト族たちは、動けるようになっているようだった。
そして、俺たちを迎える集団の先頭には、族長のカーヴェイさんがいた。
「ラルーズ!」
俺たちの後ろにいたラルーズの姿を見つけると、カーヴェイさんは走り出す。
「父上!」
ラルーズもまた父親を呼ぶと駆け出し、二人は固く抱き合った。
色々あったが、何とかなったな。
「ありがとう、勇者殿。貴殿らがおらねば、我らも、そしてラルーズもどうなっていたか……」
「いやぁ……そう言ってもらえると心苦しいですが」
あまり褒められ慣れていない俺としては、カーヴェイさんの言葉に冷や汗をかいた。
「その……魔神との戦いで森をちょっとばかし燃やしちゃったんですけど。
いや、悪いのは魔神の奴なんですけどね。俺たちもまあ、ちょっとだけ燃やしたかな、と」
「ちょっとというか、半分以上燃えてますけどね」
アムダがいらん突っ込みをしたので、見えないように足を踏む。
さすがに森が燃えている事はコボルト族たちも知っているらしい。
まあ村からも普通に見えるしな。
一応、こちらに延焼しないように配慮はしたんだが……
「確かに、我らはこの森と共に育ち、森と共に生きてきた。
森が燃えた事は残念ではあるが、しかし我らも森も、まだ生きている。
生きていれば、また何度でもやり直す事は出来るだろう」
そんな男前なセリフを言うカーヴェイさん。
思わず俺たちが燃やしましたと自白してしまいそうになる。
「まあ、今度から森を燃やす時は前もって言ってもらいたいものだがな」
バレていた。
ははは、と乾いた声で笑う俺たち。
まあカーヴェイさんたちも特に怒っていないようなので、ここは彼らの好意に甘えておこう。
「とりあえず、魔神から抽出した毒のデータで血清を作ったんで、症状の重い人から投与していきましょう」
「ああ、すまない。世話になる」
カーヴェイさんが奏に頭を下げたその時だった――
「死術ネクロ・コッペリア!」
魔術が響いた。
それはどこから聞こえたのか。
ただ間違いなく言えるのは、その声は、俺たちもよく知る魔神の声だった。
「父上!」
ラルーズが叫ぶ。
見ると、カーヴェイさんが苦悶の表情で蹲っている。
「ぐ、がぁ……」
倒れ込んだカーヴェイさんの背から何かが膨れ上がっていく。
そして背中から隆起したそれは、人の形を取った。
女の上半身――魔神ガガスグルーの姿を。
カーヴェイさんの背に陣取っている魔神が、両手を広げて笑い声を上げた。
「あは、あははははははははは! 戻ってきた! 戻ってきたわよ! ゴミクズ共!」
「なっ!?」
「これが私の奥の手、死術ネクロ・コッペリア!
相手の肉体を奪い、我が物にする魔術の秘奥!
これでこのワンコちゃんの体は私の物、あはははははは!」
魔神の嘲笑が響く。
確かに倒したはずだ。なのに何でこいつがここにいるんだ。
「最後の自爆は目くらまし? でも魔術反応も消えていたわ」
「教えてあげるわ小娘。魔術の先達としてね。
私の肉体なんて、とうの昔に滅んでいるのよ」
「……まさか!」
奏は何かに思い当たったのか顔を上げる。
「冬虫夏草みたいに他者に寄生して生きていく能力……
最後の自爆は、自分の胞子を飛ばす為のものね」
「あはは、ご明察ぅ。故に私に死は無い。生も存在しない。あるのは他者を支配する悦楽だけよ」
マジかよ。
最初の蜘蛛の姿も、あれは別の生命体を乗っ取ってたって事か。
「ぐあああああああ!」
カーヴェイさんが吼えると、その肉体が巨大化していく。
あれは、魔神と戦った時にも使っていた『天狼光臨』という技だろう。
見る見るうちにカーヴェイさんの体は巨大な狼へと姿を変えた。
そして、その背にはガガスグルーの姿があった。
「あははははは! いいねこれ。実に良い肉体だわ。
馴染む、馴染むぞぉってか? あははははははははははは!」
アムダが神剣を取り出し、構える。
バシュトラ、おっさんも同じように。
だが――
「おや、戦う気かな? あはは、ならば良い事を教えてやろう。
私とワンコちゃんは既に物質的、魔術的に繋がっているの。
それを無理やり取ればどうなるか、頭の悪いキミたちにも分かるんじゃないかな?」
つまりそれは、カーヴェイさんも死ぬという事。
はったりに違いない。そう思って俺は奏に視線を移すが、彼女の暗い表情は、魔神の言葉が真実であると物語っていた。
くそ……打つ手なしなのか。
「……私に、構うな……」
巨大な天狼に姿を変えたカーヴェイさんの口から、くぐもった声が漏れた。
それは、意識を浸食される中、強大な精神で抗っている声。
「私ごと……魔神を、殺すんだ……」
「あら、まだ喋る力があるのね。族長だの十氏族だの、名前だけじゃなかったのね。
でも残念だけど無理よねぇ。
お優しい勇者様たちは、犠牲を出して敵を倒すなんて事、出来ないものねぇ」
何か方法は無いのか。
構えた銃は、しかし引き金を引けずにいた。
それはアムダたちも、そしてコボルト族の戦士たちも同じ。
ラルーズの声だけが悲しく響く。
「父上! 父上ッ!」
「あははは! 麗しい親子愛? 反吐が出るほど甘ったるい人情話じゃない。
いっそひと思いに殺してあげればぁ? あはははははははははは!」
くそったれ。
俺は構えた狙撃銃を魔神の頭に狙いを定める。
この距離なら外すはずもない。魔術障壁でも防げはしない。
だが、撃てばカーヴェイさんの命が……
「やるんだ、勇者殿……」
「カーヴェイさん……」
「私の意識がある内に、早く……やるんだ」
呻くようなその声に、俺たちは何も答える事が出来ない。
やるしか、ないのか。
グリップを握る手に思わず力が入る。
せめて、俺が――
「……私がやろう」
俺の肩に手が置かれる。おっさんの大きな手が力強く。
振り返って見たおっさんの顔には、悲壮感も何もない。
あるのは戦士としての目。
「あはは! キミじゃ無理でしょう? 自分の力量を弁えなさい」
「……戦士の子よ、そなたは何を望む?」
おっさんは魔神の言葉を無視し、ラルーズに尋ねかける。
それはこの場には似つかわしくない穏やかな声だった。
涙に濡れるラルーズは、ただ一言だけ答えた。
「父上を……お父さんを助けて……」
その言葉が合図だった。
おっさんの両の拳から光が溢れる。
翡翠色に輝く光が、おっさんの体を包み込んだ。
そして――
「そなたの祈りは、我が拳に届いた」
幼き日の事。
ブリガンテは思い出していた。
時果ての魔女と共に過ごした幼き記憶。
「なあマリア、この『呪い』って本当に役に立つのかよ」
時果ての魔女に授かった三つの呪い。
しかしブリガンテはその力を訝しんでいた。
「私はお前よりも年上なんだ、いい加減、マリアさん、とか呼んだらどうだ、坊や」
「マリアだって俺の事、坊やとか小僧とか呼ぶじゃないか」
「私から見れば、坊やだよお前は。名前で呼んでほしければ良い男になりな」
そう言って、マリアは昼間から酒を飲んでいた。
マリアと共に暮らすようになってから、いつもそんな光景。
時折、ブリガンテに戦いの指導をしてくれるが、それ以外は食事の用意や薪割りなどの雑用が彼の仕事だ。
「で、呪いの事だったか。その力を有用にするも無用にするも、お前次第だよ、坊や」
「でもさ……意味分かんないんだ。
『神話破壊』と『絶対不変』は凄い力だと思うんだけど……
代償もその分、大きいけどさ」
全てを打ち砕く代わりに、女子供には手を出せない『神話破壊』。
あらゆる攻撃を防ぐが、認識外の傷が致命傷に成り得る『絶対不変』。
それらは代償と引き換えに手に入れた圧倒的な力。
だが、三つ目の呪いは他の二つとは違っていた。
言ってしまえば、戦いには不要な力。
しかし、マリアは鼻で笑う。
「私に言わせれば、前の二つの呪いなんて何の役にも立たないさ」
「何でさ。この力があれば、どんな奴にだって負けない。あいつらに復讐出来る」
「ふっ、かもしれんな」
そう言って笑ったマリアの顔は少しだけ寂しげであった。
「でも、いつかお前にも分かる日が来るだろう。
何かを倒す力でも、傷付く事を恐れる力でもない。
本当に大事な力が何であるか、お前が分かる日を、私は楽しみにしておくよ」
それは遠い日の記憶。
魔女の言葉の意味。
ブリガンテは今ならば理解出来る。
その拳に託された希望。
それを叶える為の呪いであり、祝福であった。
「これが我が第三の呪い――『永遠世界』。
人が人を愛し、心の奥底から誰かを助けたいと願った時、我が拳は神の意志を超越する。
壊すのではなく、耐えるのでもなく、誰かを救う為の力。
それこそが第三の祈り、祝福の拳」
ブリガンテは歌うようにその拳を掲げる。
緑色の光に覆われたその拳は、あらゆる法則を打ち消す。
死も生も超越した一撃。
故にそれは、魂の祈りでなければ発動しない最後の呪い。
それは他者を傷付ける為の願いではいけない。
誰かを救いたいと、守りたいと、切なる祈りでなければ決して開かれぬ神への扉。
そして――ラルーズの力なき声は、確かにブリガンテの拳に届いたのであった。
「だからどうしたって言うのよ! 祈りだか何だか知らないけど、何も状況は変わってないわ」
ガガスグルーの言葉とは裏腹に、魔神はブリガンテに恐怖していた。
彼の体から湧き上がる力。魔力ではない別の意志。
それは奇跡とも言うべき圧倒的な力の奔流であった。
「お前の拳は私には届かない! そこで腐れ果てろ!」
魔神が魔力を放つ。
ブリガンテは避けない。真向から迎え撃つのみ。
ブリガンテの体から血が噴き出す。
第三の呪いが発動している時、第一、第二の呪いはその効力を打ち消される。
故に、今のブリガンテには無限の破壊力も、絶対の防御力もない。
あるのは、誰かを助けたいという意思の煌めきのみ。
一歩ずつ、大地を踏みしめ、ブリガンテは魔神へと近付いていく。
「倒れろ! 倒れろぉ!」
魔神が両手から魔術を連打する。
それは『絶対不変』の力を失ったブリガンテにとって、耐え難き攻撃のはずであった。
だが彼は歩みを止めない。
ゆっくりと、だが確実に歩を進める。
それに恐怖したのか、ガガスグルーが後退しようとする。
だが動かない。
彼女が今寄生しているカーヴェイの肉体が、魔神の支配を拒んでいた。
「おい逃げろ、動け犬コロ!」
「私も戦士の、端くれ……逃げる事はせぬよ……」
「畜生、ふざけるなゴミクズ共! 私に手を出せばどうなるか、分かってるのか!?」
そしてブリガンテは足を止めた。
魔神の目の前に彼は立つ。
彼の肉体は既に満身創痍。魔神の術によって傷だらけだ。
だが、その心は折れていない。瞳は燃えるように輝く。
「おい、聞いてるのか! 私に手を出せば――」
「受け取るがいい、魔神よ。誰かを救うのは常に人の祈り。
そしてこれが――神を殺す我が拳だ」
ブリガンテの翠に輝く拳が、魔神に向けて打ち放たれた。
おっさんの拳がガガスグルーの体を打ち抜いた。
真っ直ぐに振り抜かれた渾身のストレートは、魔神の魔術障壁すらも掻き消して吹き飛ばす。
そして――カーヴェイさんに取り付いていた魔神の肉体が、引き剥がされる。
「が、は……ありえない、何で……」
大地を転がり、力無く起き上がろうとする魔神。
だが、もはやその肉体は動かないようだ。
魔神が剥がれたカーヴェイさんは無事のようだ。
「ま、魔力が……私の魔力が消える……
嫌だ、死にたくない……まだ、消えたくない」
そこに、今まで魔神が見せていた余裕は無かった。
あるのは滅びを待つ絶望だけだった。
そして魔神が取り除かれたカーヴェイさんは、よろよろと立ち上がった。
無事のようだ。おっさんはカーヴェイさんを殺さず、魔神だけを打ち抜いたんだ。
「こんなものは魔術を超えた奇跡じゃない……人間の身で扱えるはずがない。
おかしい、話と違うじゃない、オルティスタ! こんな呪いは聞いていない!
私を、私を嵌めたのか! ふざ、ふざけるな! 私を贄にするつもりなのか!
聞いてるんだろ、答えろよ! 糞ビッチ!」
魔神が虚空に向かって叫ぶが、何の反応もない。
一体何の事なのか、俺たちには知る由もない。
壊れたように呟く魔神の瞳が、俺を見据える。
それは、絶望に染まった暗澹たる瞳。
いや、彼女が見ていたのは俺ではなく、俺の背後にいた奏に向けられていた。
「お前さえ、お前さえ現れなければ……私は元の世界に帰れたんだ。
魔導人形の分際で! お前なんかが匣の鍵であるはずがない!」
「……鍵?」
「そうだ、お前たちは何も知らないんだ。
匣も鍵も……自分たちが戦う理由すら知らされず、ただケットシーの言いなりになってさぁ!
あはは、人形にはお似合いだ、滑稽だな!」
笑い声を上げたまま、魔神の体が崩壊していく。
「もう、体を維持するだけの魔力も無いようだ。
先に地獄で待っているわ、今代の勇者サマ。
残念、私の冒険はこれで終わってしまった!
あっはははははははははははははははははははは………………」
笑いながら、魔神の姿が消滅していく。
そして――不気味な哄笑が消え、魔神の姿もまた、消えていた。
ようやく、長かった魔神ガガスグルーとの戦いが終わったようだ。
「……最後の言葉、どういう事なんだ?」
「…………」
俺の疑問に、答えられる者は誰もいなかった。
また、謎だけが残った。




