ハート・ノッカー-11-
燃え盛る炎に照らされ、森は赤く染まっていた。
熱風によって焔が上がっていく。
どこを見ても炎が渦巻く光景。
まさに、この世の地獄を思わせる。
「どうした……顔色が悪いようだが」
青ざめた表情を見せるガガスグルーに対し、ブリガンテが告げる。
轟轟と音を立てて炎が広がっていく。
「しょ、正気なの……こんな事……」
「無論、正気だとも。お前を倒す最も確実な手段だ」
『まあ俺のナパーム爆撃は、おっさんには効果ないしな。
爆撃後の炎には当たり判定があるみたいだが、そこはおっさんの無敵パワーで何とかなる
死ぬのはお前だけだ』
シライの声に、魔神は周囲を見渡す。
あのスナイパーはどこから見ているのだろうか。
しかし今の彼女にそれを調べる手段はない。
魔力を封じられ、周囲を炎に阻まれている。
「…………」
無言でガガスグルーは後ろに跳ぶ。
とにかく、この森から抜け出さなければいけない。
炎は彼女にとって、弱点の一つだ。
こうして炎を撒かれている以上、相手もこちらを研究してきている、と彼女は判断した。
ならば今は退くのが得策。
時間さえ掛ければ、もう一度魔術が使えるようになる。
そうすれば、こんな奴らなど――
「がっ!?」
そう思った時、突如彼女の体を爆炎が包み込む。
地面が破裂し、爆風と砂礫が彼女の体を襲った。
ダメージよりも、思考が狂う。
何が起きたのか、と混乱している彼女に、声が聞こえる。
『あっと言い忘れてたけど、この森には地雷をいくつか撒いてるぜ。
よーく気を付けて歩いた方がいいぜ』
その言葉に、対人地雷を踏んだのだとガガスグルーは悟る。
そして彼女は理解する。
自分が連中の罠に入り込んだ事を。
それは油断であり迂闊であり甘えであった。
冷静知略を主軸とする彼女にしてみれば、自惚れであったとしか言いようがない。
目を閉じ、精神を集中させる。
彼女の武器は魔術でも毒でもない。
奥の手を使えば、十分に勝ち目はある。
「……あはは、少し落ち着いてきたわ。
中々やるじゃない。
炎に地雷……アイディアは悪くないわね。
でも残念ながら、どちらも私を殺すにはあと一歩足りないわ」
彼女は話しながら周囲に目を配る。
どれだけ策を弄したところで、魔神を倒すには直接的な攻撃を仕掛けるしかない。
地雷はブラフだ。彼女はそう判断する。
森全体に地雷を仕掛ける時間はなかった。
「あはははは! ならば私の勝ちだ!」
魔神が跳躍する。
炎の中を抜けるように走り出す。
地雷の事を考えれば木に張り付いた方が安全だが、しかし燃える木はいつ倒壊してもおかしくはない。
疾走。森の中を駆ける。
その巨体には似合わず俊敏さで、彼女は炎に包まれた森を突き進む。
ちらりと背後に視線を移すが、追手の姿はない。
ブリガンテでは、彼女を追う事は出来ない。
加速していく。最高速度で森を駆ける。
もはや森の獣ですら彼女の姿を捉える事は出来ないだろう。
このまま森を抜ける。それが彼女の作戦だ。
この先にはコボルト族の採掘場がある。
そこまで行けば炎からも逃れられるし、またKM-4による魔術攪乱も緩和されるはずだ。
魔術が使えるようになれば、彼女にとって敵はいない。
「まあ……向こうもそれを思っているはずよね」
シライたちも、魔神が採掘場に逃げ込むのは予想済みのはずだ。
ガガスグルーならばそこに伏兵を配置し、逃げる相手を迎え撃つだろう。
分かっているからこそ、彼女は相手の思惑に乗る。
「あはははははは!」
魔神の笑い声が木霊する。
激しい炎に包まれた森に、深く深く。
どれだけ走り続けただろうか。
炎の勢いは増していく。熱波が魔神の体を照りつける。
もうすぐ森の端。そこまで行けばすべて解決する。
そう思った時だった。
ぞくり、とガガスグルーが殺意を感じたのは偶然ではなかった。
それは長年からくる勘によるものか。
あるいは、少しだけ戻ってきた魔力によるものか。
だからこそ、彼女は咄嗟に飛び退いた。
「――――フッ!」
一瞬遅れて、魔神がいた地点に斬撃が放たれる。
飛び退いていなければ、魔神の肉体は一閃されていたであろう、強烈な一撃。
それは、茂みの中から飛び出したバシュトラによる槍撃であった。
「なるほどね、病人を伏兵として置いてた訳ね」
「…………」
槍を構えるバシュトラの顔色は良くない。
魔神の毒を食らってダウンしていると思ったが、どうやら奇襲の為に姿を隠していたようだ。
だが、バレてしまえば奇襲など、ただの的にしかならない。
「あははははは! 惜しかったわねぇ。キミ一人じゃ何の意味もないじゃない!
そんな体で何が出来るのかしらね?」
笑い声を上げながら、ガガスグルーは少しだけ使えるようになった魔力で周囲の気配を探る。
周囲に気配はない。
伏兵はバシュトラ一人のようだった。
彼女は勝ちを確信する。
視線を先に移せば、もう森の端も見えていた。そこを抜ければ炎からも抜け出せる。
「邪魔よ、消えなさい。黒術サイコメア」
魔神が魔術を放つと、黒い闇がバシュトラの体を覆う。
少なくとも魔術を放つレベルにまで回復はしている。
魔術に抵抗しているバシュトラを尻目に、魔神は出口へと向かって走る。
森の際まで来ると、炎の勢いは大分弱くなっている。
私の勝ちだ。ガガスグルーがまさに勝利を確信したその時だった。
「――――え……」
銃声と共に、凶弾がその肉体を撃ち抜いた。
「びゅーてぃふぉー……」
思わず呟くほど、完璧な狙撃。
射撃時の衝撃でスコープは覗けていないが、見なくても分かる。先ほどの弾丸は間違いなく、魔神の肉体を抉った。
俺は排莢を行い、さらに射撃体勢へと移る。
地面に伏せ、体で固定するように、俺は無骨な狙撃銃を構えていた。
バレットM82対物狙撃銃。それが今、俺が扱っているライフルだ。
その名の通り、人や生物ではなく、物を撃つ為に作られた兵器。
いや、そんなものは結局のところ建前でしかない。単に威力が高すぎて、人を撃つには強すぎる、それだけの話だ。
人間であれば掠っただけで腕が吹き飛び、まともに当たれば胴体を引き裂く威力。
相手が魔神であったとしても、無事で済むはずはない。
「あ……ああ……」
照準の先で、魔神は呻き声を上げて崩れ落ちる。
その顔は、そもそも何が起きたのかすら理解していないようだ。
それもそうだろう。
逃げ切ったと思ったら、いきなり撃たれたんだからな。
「……逃がすかよ」
さらに引き金を引き、弾丸を放つ。
再び轟音と共に12.7x99mm弾が射出され、魔神の肉体に直撃。
ドス黒い体液を撒き散らしながら、蜘蛛の肉体が吹き飛んだ。
無理もない。
何しろこの12.7x99mm弾は、本来は機関銃での制圧射撃に使うような銃弾だ。当たれば吹き飛ぶのは当然の帰結。
そんな弾丸を二発も受けたのだ。ガガスグルーにはもはや立ち上がる力は残っていない。
「さてと……」
俺は隠れていた茂みの中からゆっくりと立ち上がり、動けないガガスグルーへと向かう。
こちらに気付いた魔神は、驚愕で目を見開いていた。
多分、俺の姿を見て二重に驚いた事だろう。
何しろ今の俺の姿ときたら、全身が葉っぱに覆われた森の妖精スタイルだからな。
「な……何よそれ」
「これか。ギリースーツって言うんだがな。これ、見た目以上に暑くて、来るのが遅いから汗かいちまったぜ」
そう、俺が今着込んでいるのはギリースーツだった。
狙撃手が森林や山岳などで迷彩を施す為に着る戦闘服であり、現地の植生を利用し、枝や葉を全身に装着する事で周囲に溶け込み、目を欺く。
これを着て茂みや草むらに隠れると、パッと見では判別出来ないほどの高精度なのである。
ちなみに俺の手製……ではなく、おっさんに作ってもらった。何でも出来るおっさんである。
「ようやく、どてっぱらに風穴を空けられたな」
「ど、どうして……」
それはどういう意味の言葉だったのか。
恐らく、『どうして魔術検知で調べたのに、そこにいるのか』と言ったところだろう。
まあ無理もない。
俺も索敵レーダーで調べて敵がいないと思って突っ込んだら、角待ちされてたって事はよくあるからな。
突入する前は索敵レーダー無効の敵がいないかどうか調べてから突っ込む。これが現代FPSの鉄則である。
「奏が言うには、俺には魔力が無いらしい。だから魔力検知にも引っかからないんだとさ」
「な……何よ、それ」
信じられないと言った風に、魔神が声を上げる。
「最後の最後に油断したんだな、お前は。
魔力が使えなくなった段階だと、お前は周囲に気を配り、地雷や待ち伏せにも対応してみせた。
だが、魔力が使えるようになった瞬間、それに頼り、確認を怠った。
戦場じゃ間抜けから死んでいくそうだ。
お前の事だよ、ガガスグルー」
俺の言葉が聞こえているのかいないのか、ガガスグルーが怨念のように呟く。
「ふざけてる。ありえない。この私が……この私が! カスどもに!」
魔神が這うように逃げようとする。その姿はまさしく虫のように無様だ。
俺は再びバレットM82を構えて、引き金に指をかける。
だが、トリガーは引かない。
こいつには、もっと絶望を与えてやるのが相応しい。
ゆっくりとだが確実に魔神は歩き続ける。
森さえ抜けられれば助かるとでも思っているのだろう。
やがて、魔神が森を抜け――その光景に言葉を失った。
「え……?」
そこは何もない採掘場であったはずだ。
しかし魔神が目にしたのは、採掘場を埋め尽くす数の銃口。
機関銃という機関銃が置かれ、夥しい数の銃口が、彼女の姿を捉えていた。
そして、機関銃の傍らには奏が立っていた。全て、奏の魔術に呼び出された銃砲だ。
携帯端末を操作しながら、歌うように告げる。
「魔術ってのは、こう使うもんなのよ、時代遅れの魔女さん」
「…………くそドブスがぁぁぁぁ!」
「――その言葉、そっくりそのまま返してあげるわ」
その瞬間、機関銃が一斉に火を噴いた。
採掘場を埋め尽くすほどに置かれた機関銃から吐き出される弾丸が、ガガスグルーの肉体を引き裂いて行く。
弾丸の嵐。凄まじい轟音。
魔神は咄嗟に魔術障壁を張り巡らせる。だが、圧倒的な火線の前に意味はなかった。
機関銃が全ての銃弾を撃ち尽くすのに、そう時間は掛からなかった。
あとに残されたのは、空薬莢と、下半身が引き千切れ、上半身だけになった魔神の姿だった。
「はぁ……はぁ……この私が、この私が!」
魔術障壁によって上半身だけは守れたようだが、蜘蛛の部分はもはや肉片すら残っていない状態だ。
もはや身動きすら出来ない魔神に向かい、俺は歩いていく。
手にしているのは、ショットガンのベネリM4。
銃口をガガスグルーの頭に向ける。
「終わりだ」
「あは、あはははははははははは! この私が終わり!?
ふざけた事を抜かす。私が誰だと思ってるんだ!
あははははは! 畜生ども、ぶち転がすぞ!」
「最後に答えろ。お前らは、前に女神を殺す為に召喚された英雄、なのか?」
俺の問いにガガスグルーは少しだけ表情を戻し、そして――大笑いした。
「あははははははははははは! そうか、そうか。そこまでは到達したのか。
だが残念だったな、それでは50点だ。赤点ではないが、及第点でもないな。
まあ、教えてやってもいいわ……その代わり、条件がある」
「条件?」
「だったらねえ、私を見逃してくれないかしら? あはは、見逃してくれたら何でもするわ。
何だったら、キミのミカタになってあげてもいいくらい」
「…………」
信じられるはずがない。
しかし、魔神からもしかすれば情報を聞き出せるかもしれない。
一瞬、そう思ってしまったのは事実。
そして――魔神はその虚をつく。
もはや上半身だけしか存在しない魔神だったが、時間が経った事によりKM-4の魔術攪乱が消えていた。
そして、この会話の間に、魔力を溜めるのに十分の時間があった。
一瞬の隙をつき、ガガスグルーはこちらに向けて、最大級の殺意を放とうとしているのが見えた。
「死ねッ! 死術ネクロ・コッペリア――」
「――残念だが、それも想定内だ」
その声は、魔神のすぐ後ろからだった。
魔神が振り返る暇もなく、白銀の刃が魔神を貫いた。
「がッ……!? な、なんで……」
魔神を貫いたのは、俺ではない。聖典騎士カルラの剣だった。
剣を伝って、黒い血が滴る。
ガガスグルーの瞳が、憎悪に燃える。
それはそうだろう。カルラの姿などどこにも無かったというのに、背後から刺されたんだからな。
「いなかったはずだ! ここには、他に人間なんて……!」
「先程、そこのシライ殿が言ってただろう。私も、魔力を持たん半端者なんだよ。
敵は五人だけだと錯覚したお前の負けだ」
刃を引き抜き、崩れ落ちるガガスグルーに切っ先を突き付ける。
最後の最後も結局、こいつは自分の力を過信したんだ。
もはやガガスグルーに反撃の手段も気力もなかった。
「あ、あははは……魔力を持たないゴミが二人もいたとはね。想定外もいいところだ、わ」
「これが最後だ。お前らは何の為に戦っているんだ?」
倒れた魔神に近づき、ショットガンの銃口を突き付ける。
この距離ならば、いかに魔神とはいえ、受ける事は出来ないだろう。
にも関わらず、狂ったような笑みを浮かべる。
「あははは! 死ねド低能。これが答えよ。あはははははははははははははははははは!」
「!? 危ない避けて!」
奏の叫び声に、俺とカルラは後ろに飛ぶ。
その瞬間――魔神の魔力が膨れ上がり、そして自爆した。
圧倒的な魔力の放出が周囲に吹き荒れる。
奏が咄嗟に巨大な壁を作り出し、俺たちの前に出してくれたおかげで、爆風は俺たちには届かなかった。
少しして、魔力の暴風が消える。
「……終わった、のか?」
「多分ね」
後には何も残されていなかった。
そこに魔神が生きていた痕跡すら、何もかも。
ただ、魔力を帯びた風だけが、周囲には渦巻いていた。
「釈然としない終わり方だが……勝ちは勝ちか。
映画とかだと、実はまだ生きているって展開なんだけどな」
「止めてよそういうの。今時B級映画でも流行らないわよ」
「かもな」
そして奏は後ろを振り返り、億劫そうにため息をついた。
「それで……この燃えてる森はどうするのよ」
「……一応、燃え広がらないように、アムダに途中の木を切ってもらってたんだが……」
伐採マシンと化したアムダは、文句を言いながらも樹木を切り倒してくれた。
かなり大量に切ったので、コボルト族はしばらく木材に困る事はないだろう。
「それにしても燃え過ぎじゃないかしら」
「ちょっと派手にやり過ぎたかもな」
炎は一向に消える気配は無い。
「さすがに怒られるんじゃない? コボルト族にとっても大事な森らしいわよ」
「……よし魔神が燃やした事にしよう」
「賛成」
俺が右手を差し出すと、奏も同じように右手を出し、俺たちは固い握手を交わした。
ここに、協定が結ばれたのである。
俺も彼女も、悪い笑みを浮かべていた。
そんな俺たちを見て、カルラが小さく溜息をついた。
「……本当に英雄なんだろうか」
勝てばいいんだよ、勝てば。




