ハート・ノッカー-7-
魔神が放った魔術の光が、俺たちに襲い掛かる。
しかし、直前に黒い影が俺たちの前に立ちはだかった。
「ふっ!」
気迫と共に、魔術を弾き飛ばす人影――ブリガンテのおっさんその人であった。
おっさんと魔神が対峙する。
「あはは、キミは確か、ブリガンテ……だったかしらね。
私、おじ様みたいなタイプ好きよ、なんてねーあはは!」
「悪いが私にも好みというものがあってな」
おっさんが拳を構える。
しかしおっさんの巨体よりもなお巨大な体躯を揺らし、魔神は見下ろす。
「ふん……悪いがキミ程度では相手にならんよ」
言うなり、魔神は蜘蛛の脚でおっさんに襲い掛かる。
しかしそれを腕で受け止め、そのまま流す。
蜘蛛の脚が執拗に攻撃を続けるが、すべておっさんの鋼の肉体の前には届かない。
「どうした、その程度か?」
「あはははは! それはこちらのセリフかしら。さっきから受けてばかりみたいだけど」
確かに、おっさんは反撃する事なく、ただ魔神の攻撃を受けているだけだ。
その隙を、コボルトの戦士が攻撃しているが、魔神には届かない。
おっさんの破壊力があれば、あの魔術障壁も打ち抜けるはずだが……
「まさか……呪いのせいなのか?」
「…………」
「あは、あははははは! ぜぇんぶ調べてるわよ、あなたたちの事はね。
私は新しいダンジョンに入る前はきちんと宝箱の位置を調べるし、ボスと戦う前は攻略サイトをチェックするのよ。
だからさぁ――アナタが呪いによって女に攻撃出来ない事も、知ってるのよ」
まさかおっさんの呪いの隙を突いてくるのか。
ていうか、あんな化け物みたいな相手でも、女と判定されるのかよ。
無敵を誇るおっさんの攻撃力が封じられてしまう。
「だが、お前の攻撃もまた私には届かん」
「あはははは! 無駄無駄無駄よそれもね。これはどうかしら、ね!」
そう言うと、魔神は口から何かを吐き出す。
それは目に見えぬほどの小さな針のようだった。
刺さったところで痛みすら感じないほどの針。
だが――
おっさんはその針を拳で払う。
「あはは、必死じゃない。でも――弱点だもの、しょうがないわよねぇ」
「…………」
おっさんは答えず、ただいつも通り冷静な目で相手を見据える。
「いかなる攻撃にも耐える呪い『絶対不変』……だったかしら。
でも、それはあくまで『攻撃に対して自動的に発動する』だけよね。
つまり――アナタが攻撃と認識出来ないものに関しては、一切発動しない」
それは、先ほどのように傷とすら認識しないような攻撃に対しては、何の効果もない、という事。
相手はおっさんの能力を完全に調べ上げてきているらしい。
それが魔術士としての能力なのかもしれない。
「さっきの針、避けて正解よ。怪我はしないけど、毒はたっぷりだもの。
その不死の肉体、毒までは防げないのでしょう? 毒は見えないものね。
たとえ直接受けなくても、私の周囲は常に毒が撒き散らされている。
いつまで耐えられるかしらね、あはははははは!」
これはおっさんとは相性が悪すぎる。
しかしおっさんは臆する事なく立ち続ける。
その姿に、笑い声を上げていた魔神は眉をひそめた。
「ふぅん、背中の傷は戦士の恥とかそういうつまんないプライド?」
「たとえいかなる箇所であったとしても、傷は戦士の誇りだ。
だが――貴様のような誇りを持たぬ者に背を向ける訳にはいかん」
「ならそのちっぽけな誇りを抱いたまま腐れ死ね!」
魔神の魔力が肥大していく。
毒で一気にケリをつける気か。させるかよ。
俺は物陰から飛び出して銃を取り出す。
だが、取り出したのはいつものようにスナイパーライフルでもアサルトライフルでもない。
ベネリM4スーペル90――つまりショットガンだ。
散弾銃は、他の銃器とは違い、大きな銃弾――装弾を使う。
この実包の中には小さな弾丸が込められており、これを撃ち出す事で、広範囲に攻撃をする事が出来る。
面に対しての制圧力は高く、シンプルな構造ゆえの耐久力も高く、室内での戦闘にも向いている。
しかし反面、細かい狙撃は不可能で、また武器の特性上、射程もそれほど長くはない武器である。
俺が取り出したベネリM4はイタリアのベネリ社が作ったセミオートマチック散弾銃だ。
米海兵隊でも採用されており、次世代ショットガンの代名詞とも言える武器である。
俺がこれを使うのは威力もさる事ながら、何よりその特性である。
実はFPS世界におけるショットガンは、現実世界の実物に比べると、異様に射程を短く設定されている。
極端な話、一定距離を散弾が進んだ後、空中で消えてしまうレベルだ。
今回はそういう特性を生かし、流れ弾が周囲に当たらないという点を考慮して使用する事にした。
「食らえっ!」
魔神の側面から近付き、ベネリM4を撃つ。
今までの銃に比べると腹に響くような衝撃が俺の体に走る。
放たれた12ゲージショットシェルが散弾を撒き散らす。
距離は10mほど離れてはいるが、散弾は全発命中。
魔術障壁は撃ち抜いたものの、威力が殺され、魔神に大きな痛手を与える事は出来なかった。
ちっ、この距離でも威力減衰が大きい。もっと近付く必要がある。
「あはは! 面白い事やってるじゃない」
魔神がぎろりとこちらを向く。一睨みで石にされそうなほど鋭い眼光。
ショットガンの一番の弱点はこの射程の無さだ。
俺は再び転がりながら逃げて物陰に飛び込んだ。
逃げ込んだ先には奏が渋い顔でいた。
「ショットガンじゃない、そんな物も使えるのね」
「ああ、だが……」
「どうしたの?」
「FPSにおいてショットガンってのは二種類しかない。
弱過ぎて糞の役にも立たないか、強過ぎて修正食らった後、結局役に立たなくなるか、そのどちらかだ」
「……ちなみに今使ってるのはどうなの?」
俺は無言でショットガンを構え、遮蔽物から魔神に向かって射撃する。
先ほどよりも距離が離れている分、散弾が魔神の障壁を撃ち抜く事は出来なかった。
お返しとばかりにガガスグルーが魔術を放ち、俺は慌てて隠れる。
「……どうやら修正済みのようだ」
「全然駄目じゃない」
仕方ないだろ、ショットガンてのは基本的に弱く設定されてるマイナー武器なんだから。
「そういう奏は何してるんだ? いつものドンパチはどうした?」
「こんな場所で出来る訳ないじゃないの」
「それはまあそうか」
「一応、今は魔神の毒を中和してるんだけど……完全には無理ね」
「そんな事出来るのか、相変わらずインチキくさい能力だな」
「相手の毒自体が魔術っぽいから何とかね。ただ向こうの方が力は上だから、長くは出来ないわよ。
あたしとアムダで村に被害がいかないようにするわ」
「となると、こっちでどうにかするしかないって事か」
再びショットガンを構えて様子を窺う。
魔神の蜘蛛の脚が、意志を持ったように、おっさんとカーヴェイさんに襲い掛かっていた。
カーヴェイさんはそれをかいくぐるように魔神に近付き、槍斧を振るう。
蜘蛛の肉体に一撃が入った。
「あらら、女の子を傷つけるなんて、責任取ってもらおうかしら」
「ではこちらも本気で行かせてもらうとしようか」
そう言うと、カーヴェイさんは手にしていた槍斧を地面に突き刺す。
そして両の腕を胸の前で組むと目を閉じる。
「『天狼光臨』!」
言葉と共に、カーヴェイさんの肉体が急激に肥大化していく。
見る見るうちにその体は、魔神を超える大きさへと変化していく。
まるで巨大な狼のようだった。
銀色に輝く体毛が、美しく煌めいた。
「へぇ……先祖返りかしらね。たまに力の強い亜人はそういう能力を持ってるらしいけど。
でも大きくなっただけじゃ、私には勝てないわよ、あははは!」
巨狼となったカーヴェイさんは答えず、そのままガガスグルーに向かって突進する。
速い。巨体に似合わない電光石火の突撃。
それは魔神にとっても予想外だったのか、防御が間に合わない。
丸太ほどもある爪で、魔神の肉体を抉る。
魔神のどす黒い血が、大地を染めた。
「あは、あはははは! やるじゃないワンコちゃん。さっすがは族長さん!
最高にハイって気分だわ! あはははははははは!」
狂ったように高笑いを続けるガガスグルー。いや、既に狂っているのか。
ひとしきり笑った後、彼女は表情を変える。
「さて……駄犬風情と戯れるのも終わりにするか。
腐れ果てろ、黒術・ラトゥンアンブロシア!」
その瞬間、周囲に霧が立ち込める。
紫色の霧。今までとは様子が違う。
しかし構わず疾走し、再び魔神に詰め寄るカーヴェイさん。
だが――その巨体が急激に地面に臥す。
「あはは、三半規管が麻痺った? 脳がラリってる?
オーバードーズってるわよ、キミ。
薬は用法容量守って正しくお使いくださーい、あはははははは!」
「グググ……」
起き上がろうとするが、力が入らないのか、カーヴェイさんの脚は空を蹴るばかり。
その様子を、嘲るようにガガスグルーが笑う。
「じゃあ楽にしてあげるわ、さようなら」
魔神が蜘蛛の脚を振り上げる。
やばい、そう思ったその時だった。
俺が銃を構えるよりも速く、毒霧の中を疾走する影があった。
バシュトラだ。
彼女は槍を正面に構え、真っ直ぐと魔神へと向かう。
「ふっ!」
小さく息を吐くと、彼女は槍を振り、魔神の振り上げた脚を斬る。
斬撃が音となって周囲に響いた。
その後、ゴトリ、と魔神の脚が斬り落とされる。
「……はっ!」
さらにバシュトラが速度を上げ、魔神の上半身――人間の部分に槍を突き出した。
だが――魔神はそれを許さない。
「黒術・グリーンプール」
魔術が発動し、魔神の周囲に緑色の物体が浮かび上がる。
なんだ、と思う前に緑色の何かは意思を持ってバシュトラに襲い掛かった。
すぐさま迎撃行動に出るバシュトラ。しかし魔術は数が多い。
「バシュトラ!」
援護すべく俺は銃をスナイパーライフルに持ち替えて構える。
続けざまに三発、M25を撃ち放つ。
「あなたはそこで見てなさい!」
しかし放たれた弾丸は、魔神に防がれ、さらに魔術で反撃してきた。
くそ、撃ち合いだとこっちが不利だ。
俺は再び物陰に隠れる。だが、その間に魔神の魔の手がバシュトラへと伸びる。
「残念ねおチビちゃん」
魔術で生み出された緑色の物体が、バシュトラの右足に絡みつく。
その瞬間、縦横無尽に飛び回っていたバシュトラの動きが急激に鈍る。
まるで重りでも付けられたように、バシュトラは片足を引きずる。
「あはは! 羽はもがせてもらったわよ。じゃあね」
動けなくなったバシュトラに、ガガスグルーは凶悪な魔術を放った。
回避は出来ない。迸る魔術が彼女に襲い掛かる。
バシュトラの小さな肉体が宙を舞った。
「バシュトラ!」
「あはははは! まるでトンボ取りでもしているようね、あはは!」
俺は物陰から飛び出し、バシュトラの所へと走る。
魔神が攻撃してこようが知った事じゃない。
だが、意外にも魔神からの攻撃は無い。
なぜなら――俺たちを守るようにおっさんが立っていたからだ。
「あら、まだやるの? ずっと私の近くにいたんだもの、大分毒が回ってるんじゃない?」
「まだ、倒れる訳にはいかん」
「あっそう。そういうセンチメンタリズム、私嫌いなのよ。こう見えてもドライな女なの。だから、もう死ね」
魔神の腕に再び魔力が集中していく。
しかしおっさんは避けようとすらしない。
いや、後ろには俺とバシュトラがいるから、避けられないのか。
「おっさん!」
「あはは、終わりよ! 黒術・カーズドペイン!」
魔術で作られた毒の奔流が、おっさんの肉体を襲う。
今まで決して倒れる事のなかったおっさんの肉体が、片膝をつく。
「ぐっ……」
「あははははははははははははは! 脆い、脆過ぎる!
こんな雑魚っちい連中に、男どもは負けたワケ?
これだから最近の男は弱くなったなんて言われるんじゃない、あはははは!」
魔神の哄笑が響き渡る。
だが、誰もそれを止める事が出来なかった。
俺は倒れたバシュトラを抱き起す。
意識を失っているようだったが、見た目の傷はさほど酷くはないようだ。
一安心したのも束の間だった。
「さてと……じゃあ終わらせるとしましょうか」
再び魔神は足を振り上げ、倒れて動けないカーヴェイさんに狙いを付ける。
コボルト族の戦士のほとんどが、毒や魔術にやられ、地に臥している。
動ける者は、いない。
「さようなら――」
「止めろ!」
声が魔神の動きを止める。
そして、小さな人影が、倒れたカーヴェイさんの前に立ち、両腕を広げて守り立つ。
それは、カーヴェイさんの息子、ラルーズだった。
小さなコボルトは、震える足で、魔神の前に立っていた。
「なにボク? 私とヤりたい訳? 悪いけど、ガキには興味ないのよごめんねぇ」
「父上は僕が守るんだ!」
「ふーん、そう…………なら、役に立ってもらいましょうか」
そう言うと、魔神は蜘蛛の脚を器用に使い、コボルトの少年の体を捕まえる。
何をするつもりだ一体。
そう思った時、魔神がゆっくりとこちらに振り返り告げる。
「この坊やは預かっていくわ。そこの族長さんが起きたら伝えなさい。
この子の命が惜しければ、素直に匣を渡す事ね。
じゃあ、また会いましょう。あははははははははははははははははははは!」
笑い声を残し、魔神の姿が霧の中に消える。
後に残ったのは、倒れた戦士たちの姿だけだった。
「くそっ!」
俺は自分の不甲斐なさに苛立ち、地面を殴りつける。
何度も何度も。
拳が赤く染まる頃、誰かが俺の肩を掴む。
奏だった。
「…………」
何も語らない彼女。しかしその瞳は雄弁に物語っていた。
そうだ。
俺たちは――負けたんだ。




