ハート・ノッカー-6-
準備を終えた翌日。
朝目を覚まして外に出ると、数人のコボルト族が何かを話している。
近寄って話を聞く。
「何かあったんすか?」
「ん、客人か。いや……」
「まあ構わんだろう。族長にも既に報告している」
コボルト族の一人が重い口を開いた。
「昨日から、森の見張りと連絡が取れなくなっているようなんだ」
「見張り? ああ俺たちが森に入った時も見てた人たちか」
「ああ。何か異変があればすぐに報告を受ける事になっているのだが……」
連絡が無い事自体、異変という訳か。
「見張りって何人くらいですか?」
「今連絡が取れないのはざっと三十人程度だ」
「結構多いっすねそれ」
一人二人なら何らかの事故も考えられるが、それだけの人数が急にいなくなる事は考えにくい。
何かが起きていると考えた方がよさそうだ。
「カーヴェイさんは?」
「族長なら先ほど、森の中に。もう間もなく戻ってくると思うが……」
きな臭い感じがするな。
そう考えていると、奏たちの姿が見えた。
彼女たちも少し曇った表情をしているところを見ると、既に話を聞いているようだ。
「厄介な事になったみたいね」
「そうらしいな。何が起きてるか分かるか?」
「あたしも今聞いたばっかりだから。ブリガンテさんがカーヴェイさんたちと一緒に森に入ったみたいだけど」
「そうか、おっさんが一緒なら安心か」
そう考えていた時だった。
村の入り口からざわつきが聞こえてくる。
視線をそちらに移すと、一人の女性の姿が目に移った。
紫色の長い髪。
顔には笑みを浮かべており、眼鏡を掛けた女性だ。年齢は二十代後半くらいだろうか。
「族長さんはおられるかしら?」
女性は周囲を見回すと、よく通る声でそう告げた。
その瞬間、コボルト族の戦士たちは、彼女を取り囲む。
武器を突き付けて、女性に問う。
「何用だ人間の女よ。ここをどこか知っての事か」
「あは、あはは。ここはワンコちゃんたちの巣でしょう? 知ってるからここに来てるんじゃない」
「……死にたいようだな」
言葉に殺気を乗せるコボルト。
しかし眼鏡の女性は全く意に介した様子を見せず、笑い声を上げる。
「あはははは! キミ、いいね。そういう格好いいセリフ、お姉さん好きだよ。
でもまあ……同じセリフを吐いてたやつ、こうなっちゃったけどね」
彼女は無造作に何かを放り投げる。
ころころと転がる。
一体……何だ?
「ひっ!」
誰かが小さく悲鳴を上げた。
彼女の放り投げたそれは……コボルトの頭部だった。
切り落とされた戦士の頭部が、無念そうに虚空を睨んでいる。
「あは、あはは! そのワンコちゃん、頑張ったんだけどね。残念無念だね。
いやぁ、ワンコちゃんは強敵でしたねぇ……あはははははははは!」
「貴様ァ!」
コボルト族の戦士たちが一斉に飛び掛かる。
常人の目では追い切れないスピードの攻撃。
だが――
「――腐れ落ちろ」
女性の呟きに、攻撃を仕掛けたはずのコボルトたちが倒れ伏す。
なんだ、何が起きたんだ。
苦しそうにもがくコボルトたちは、しかし戦意は失っておらず、彼女をねめつける。
「――ふん、まだ私が喋っているだろう。これだからIQの低い畜生は嫌いだ。
私が貴様らに族長を出せと言ったんだ。死にたくなければ大人しく族長を出せよ、馬鹿なのか?」
「私に何か用かね」
その声に、全員が振り返る。
いつの間にか戻って来ていたカーヴェイさんが、そこに立っていた。
その周囲には殺気だった戦士たちの姿、そしておっさんもいた。
「なんだいるじゃないですか、あはは。最初から出てきてたら、ワンコちゃんも痛い思いをしなくて済んだのに」
「外の見張りたちをやったのもお前か?」
「ああ、森の中に入りたいだけなのに入れてくれなかったから仕方ないわね。
あはは、番犬ならもう少し気の利いたのを置いといた方がいいわよ」
女はカーヴェイさんの威圧にも怯む事なく、飄々とした態度を崩さない。
いや、もう狂っている。
「何の用だ、人間……いや、何者だと問うべきか」
「……さすがに他の犬コロとは違って頭は悪くないらしい。
まあ、その方が話が早くて助かるがね、私にしてみれば」
先ほどまでの哄笑を止めると、女は髪をかき上げる。
そして――
「いくつか名前はあるんだが、キミたちにはこう名乗った方が通りは良さそうだ。
私は魔神ガガスグルー。
色気もクソも無い名前だが、まあ覚えてもらう必要も無い」
「なっ!?」
思わず声を上げてしまう。
俺の声に反応したのか、ガガスグルーと名乗った女がこちらをちらりと見る。
「なんだ、例の五人組もここにいたのか。
あのあばずれ、大口を叩いていたわりに失敗したのか。
なあキミ、オルティスタは死んだか? 殺してくれたかい?」
「…………」
「まあ無理だろうな。あのあばずれは殺しても死ぬタマじゃない。
あはは、別に構わないよ。キミたちを相手にしているほど、私は暇じゃない。
そこで大人しくしていればね」
そう言うと、再び視線をカーヴェイさんに戻す。
こいつの目的は俺たちじゃないって事か。
隣にいた奏を見ると、彼女も対応に困っているようだ。
だが、今はまだ戦うべきではないと判断したのか、スマホを取り出してはいるが、攻撃の態勢には移っていない。
「さて族長さん。用と言うのは他でもない。
――女神の匣をこちらに渡しなさい」
「……なに?」
連中の狙いは女神の匣か。
でも、ここには匣はないはずじゃ……
「女神の匣など、ここには無い」
きっぱりとカーヴェイさんは否定する。
「そんな戯言を信じるとでも? 私が出せと言っているのだから出せばいいのよ出せば」
「あったとしても、貴様などに渡す物ではない」
その言葉に、微笑を浮かべていたガガスグルーの顔色が変わった。
「……リザードマンといい、キミたちといい、頭の悪い連中ばかりだな」
「リザードマン、だと? 彼らの所にも行ったのか?」
「ええ。でもまあ、無駄足だったよ。同じように無いの一点張りだ。
列王会議とやらで主だった者が留守だったのもあるが……
しょうがないので死んでもらったよ、彼らにはね、あはははは」
「貴様……!」
「キミたちもそうなりたくはないだろう? 私は別に血生臭い事がしたい訳じゃないんだ。
ビジネス、そうまさしくそれだ。
まあキミらには物々交換と言った方がいいかな? 頭が悪そうだしな、あはは。
私に匣を渡せば、命は見逃してやると――この私がそう言っているんだ」
彼女の傍若無人な物言いに、周囲のコボルトたちの戦意が高揚していく。
まさしく一触即発の空気だ。
アムダやバシュトラも、いつでも武器を構えて飛び出せる状態にある。
それでもなお、ガガスグルーは余裕を崩さない。
「どうした? 時間でもあげようか?
四十秒でも三分でも……私は待ってあげるよ。
あははははははははははははははははは!」
「一秒もいらん、あの世で数えていろ」
カーヴェイさんの言葉を皮切りに、コボルト族が俊敏な動きで魔神に襲い掛かる。
たった一人の女性を相手に、その数はまさに暴力的だ。
だが相手は魔神。少ないくらいだ。
現に――飛び掛かった先に魔神の姿は無い。
「やれやれ……これでも私は、魔神の中では穏健な方なのよね。
ああもういいや面倒だし」
彼女は一人、少し離れた場所に立っていた。
一瞬であそこまで飛び退いたのか。
片手を上げ、彼女は自分の眼鏡に手を掛けた。
そして、それをそのまま投げ捨てる。
「私が許す。全員死ね――」
ガガスグルーの体が変容していく。
下半身が大きく膨れ上がり、別の何かへと変貌を遂げる。
させるかよ。
俺はすぐさま狙撃銃を抜くと、立ったまま魔神に狙いを定める。
上半身は人間の姿のまま。ならばそこを狙う。
抜き放ったM25の引き金を引く。
弾丸は真っ直ぐ魔神の頭部を撃ち抜いた……はずだった。
しかし弾丸は魔神の頭に届く前に、魔術の壁に阻まれて消える。
ちっ、またマジックバリアってやつか。
「あはあはは。ダメじゃない、魔法少女が変身してる時は攻撃しちゃあ……そういう決まりでしょう?」
「どっちかというと、悪の怪人の変身シーンだぜそれ」
悪態をついている間に、魔神の姿が露わになった。
下半身が巨大な蜘蛛へと変貌を遂げ、上背だけでも俺よりもかなり高くなっている。
また蜘蛛かよ。最近は蜘蛛に縁があるな。嫌な縁だが。
八本の蜘蛛の脚が怪しく蠢く。
ガガスグルーは髪をかき上げる。
「じゃあ――愛し合うように殺し合いましょう」
その言葉を皮切りに、彼女は両の手を空に向ける。
「黒術・サイコミスト」
黒い霧が周囲に広がっていく。
なんだ、目隠しか?
しかしそれに反応したのは奏だった。
「ダメ! この霧を吸っちゃダメよ!」
「もう遅い。腐り散れ―――黒術・クリムゾントリップ!」
その瞬間、広がっていた黒い霧が赤く変色する。
まるで血のような霧が、一面を支配する。
「ぐっ!」
呻き声を上げて、コボルト族の戦士たちが膝をつく。
なんだ、何が起きてるんだ。
「アムダ! 防御障壁をお願い!」
「分かりました!」
奏とアムダの二人が魔術による障壁を作り、俺たちを守るように展開。
しかしコボルト族の多くは間に合わず、敵の攻撃を受けてしまったようだ。
地面に倒れるコボルトたちの顔は、苦悶に満ちていた。
「気を付けて! あいつ、かなり高位の魔術士よ」
「マジかよ、どう見ても物理型だぞ」
「あはは、女を見た目で判断すると痛い目見るわよ坊や」
右手をこちらに向ける。
やばい、どう見ても掌からなんか出る感じの攻撃だ。
転がるように横に飛ぶ。すんでのところで、俺のいたところが大きく抉れた。
「無詠唱でバンバン撃ってきてる、何とか回避して」
「無茶言うな」
俺は逃げ回り、家屋の裏に隠れる。ここならひとまず安全だろう。
隣を見ると、アムダも同じところに隠れていた。前もあったなこんな事。
「無詠唱ってどういう事だ?」
「本来、魔術を発現するには、力ある言葉を唱える必要があります。
僕も魔術を使う場合、基本的には詠唱していますしね。
でもあの魔神はそれを必要とせず、ワンアクションで魔術を行使出来るみたいですね」
「つまり?」
「かなり強いって事です」
なるほど、分かりやすい説明だ。
とりあえず毎度の事ながら、強敵らしい。
「さっきの赤い霧は何だったんだ?」
「よく分かりませんが……恐らく毒かと思います」
「毒、ね。コボルトたちが急に倒れたのも毒のせいか」
魔術に毒。厄介な相手だ。
俺は思いついた秘策をアムダに耳打ちする。
「あいつはどう見ても虫タイプだ。昔から、虫は炎に弱いというデータがある。
アムダ、炎で攻撃するぞ」
「なんか不安ですが分かりました」
アムダが炎の神剣を取り出し準備する。
その間に俺もグレネードを用意する。
このグレネード、ただの手榴弾ではない。
テルミット反応を利用し、爆裂時に高熱を発するグレネード、いわゆる焼夷手榴弾というやつである。
これを使えば、炎ダメージを与えられるに違いない。
「よっしゃいくぞアムダ!」
物陰から飛び出し、魔神に向かって投擲する。
アムダも炎の神剣を、そのまま投げつける。
空中に放たれた神剣は、燃え盛る焔となり、魔神の体を覆った。
そこに、俺の投げたテルミット手榴弾が炸裂。激しい炎が見えた。
よし、効果は抜群のはずだ。
だが――
「あはは! ざんねんでしたぁ!」
「駄目だ、効いてねぇ!」
魔神はお返しとばかりにこちらに魔術を放つ。
アムダがそれを魔術によって相殺したが、しかしその余波で吹っ飛ぶ。
ごろごろと転がりながら、再び家屋の影に逃げる。
「ちょっと全然効いてないですよあれ!」
「おかしいな。もしかして厚い脂肪だったのかも」
「どうするんですか、このままじゃジリ貧ですよ」
今のところ、毒にやられていないコボルトたちが牽制しているが、それも長くは持たないだろう。
見ると、カーヴェイさんやおっさん、バシュトラも魔神と戦っている。
しかし魔術と毒を扱うガガスグルー相手に、中々攻撃の手を繰り出せないようだ。
「他に手はないんですか?」
「よし、俺に良い考えがある。あいつはどう見ても毒タイプだ。
毒は地面タイプの攻撃に弱いと昔から決まっている」
「地面って……何で毒が地面に弱いんです?」
「そりゃあお前……フグの毒に当たったら地中に埋まるとか、そういう系だろう」
「よく分かりませんが……」
俺だって知らねえよそんなもん。
でもわずかなチャンスに賭けるしかない。
俺の言葉を信じたのか、アムダが神剣を呼び出す。
「剣よ、我が剣よ。
其は汚泥から生まれし毒錆びた神の庭園。
なれば我が問いに答えよ。
曰く、汝の知らぬもの、ありやなしや。
土塊の愚人――ガイアルラ・ガラン!」
アムダの言葉により、大地の神剣が出現する。
幅広の巨大な剣をたやすく持ち上げ、アムダが魔神に切っ先を向ける。
「大地よ、純粋なる怒りにて彼の者を討て!」
アムダが魔術を唱えると彼の周囲に岩の塊が浮かぶ。
岩石の砲弾は勢いよく魔神へと飛来する。
しかし――
「それも残念、通らないわよ」
当たる直前、魔神は魔術の壁を作り、アムダの攻撃を防ぐ。
やっぱり駄目か。
「やっぱり効いてませんよ」
「待て今のはアムダが悪い」
「え?」
「さっきのは地面属性じゃなく、岩属性の攻撃だったぞ」
「え、どう違うんですかそれ」
「電気技が効くか効かないか……かな?」
あるいは、浮いてる敵に当たるか当たらないか。
しかしアムダには理解しにくいらしい。
うん、俺もよく分かってない。
などと悠長に話している時だった。
「あはは! 男同士ひそひそ楽しそうじゃない、お姉さんも混ぜてよ!」
声に、俺とアムダは恐る恐る物陰から顔を出す。
するとそこには、魔力を溜めた魔神の姿があった。
その口元には、狂笑が浮かんでいる。
あ、これやばいやつだ。
「あはははは! 仲良く消えろ」
光が放たれた。




