雪の陽炎-2-
兵士たちに囲まれ、俺と奏は手も足も出ない状況だった。
魔神オルティスタの言う通り、兵たちを殺せば突破出来るだろう。
「それがあなた方の限界。何も犠牲に出来ないあなた方では、何も手に入れられない」
魔神の声が冷たく響く。
それに反応するように、奏が魔術式の構成を始める。
「……彼らには悪いけど、一気に抜けるわ」
「でも、いいのか?」
「いいも悪いもないわ。ここで終わる訳にはいかないのよ、あたしは」
それが彼女の決意だと言うのなら、俺も覚悟を決める。
「分かった。だが俺にやらせてくれ」
「……いいの?」
「ああ」
誰かがやらなくちゃいけないなら、自分でやる。
それに、俺はまだ諦めた訳じゃない。
そんな俺たちの様子に、オルティスタが苦笑する。
「この状況下で何が出来るというのです? 愚かな真似は止めなさい、異邦の子よ」
彼女は俺の思考を読み取ったらしい。俺が今から何をしようとしているのか知り、だからこその嘲笑なのだろう。
だが、オルティスタは理解していない。
俺が使おうとしている物の、真の威力をな。
「やりなさい」
彼女の言葉に、兵士たちが剣を掲げ、襲い掛かってくる。その数は四人。
それを俺は、取り出した武器にて迎え撃つ。
奏が目を丸くした。そりゃそうか。こんなもので相手に出来るとは思うまい。
だが――そんなものはお構いなしだ。全てを粉砕するのみ。
「おらぁあああああ!」
気合い一閃。
正面から斬り掛かってきた兵士の剣を受け止めるどころか、そのままぶっ飛ばす。
あまりの威力に、兵士たちが吹っ飛ぶ。メジャーリーガーもかくやというスイングだ。
これにはさすがの魔神も唖然とした表情を見せる。
「って何よその非常識な威力は!」
「そりゃあ、バールだからな」
そう、俺が取り出したもの、それはまさしくバールであった。
赤銅色した鋼の剣……もといバールは、神々しく輝いていた。
いや、厳密に言えば、これは『バールのようなもの』なのかもしれない。何しろ明らかに物理法則を捻じ曲げた破壊力だからな。
「この間の魔神討伐の後、解放されたんだよ。こんな事もあろうかと思ってな」
「それは分かったけど……何でバールなのよ。もっと戦いに向いた武器とかあるでしょ」
奏さんは何も分かっちゃいない。
RPGにおける最強武器がエクスカリバーなら、FPSにおける最強武器はバールなのである。
軽く振るだけで、どんな物でも破壊出来そうな破壊力を持っている。実際、木箱くらいなら簡単に壊す。
「……まさか、そんな変な物でここから逃げ切れるとでも?」
オルティスタが眉を潜めてこちらに告げる。
変な物とは何だ、変な物とは。見てくれは悪いが、武器としては優秀だ。工具としては使いにくいが。
「とりあえず、ここは退くぞ奏」
「あいつを放っておく気? ここで倒さないと……」
「二人しかいないし、それにここじゃいくらでも操れる人間がいるからな。
一旦体勢を立て直すしかない」
「……分かったわ」
奏が頷き、俺たちは撤退を敢行する。
しかしそれを許す魔神ではない。
「逃がしません」
再び立ち上がった兵士たちが剣を片手に再び迫り来る。
彼らも屈強な肉体を持つ優秀な戦士なのだろうが、しかしバールを手にした俺の敵ではない。
一撃で彼らの剣を叩き折った。
「何でそんなに強いのよ!」
「近接武器が異様に強く設定されてるFPSとかあるからな。それと同じ仕様らしい。助かったぜ」
向こうがシステムの穴を突いてくるなら、俺はシステムを利用させてもらうだけだ。
FPSにおける打撃攻撃ってのは、なぜか銃撃よりも強いからな。
その気になったらバール一本あれば世界くらいは救ってみせるさ。
「扉が閉まってるわ」
背後の扉は固く施錠されている。豪華な外見通り、耐久性は高そうだ。
「魔術で破壊するわ。下がってて」
「いや、バールでこじ開ける」
「あ、なるほどね。それ、本来はそういう使い方よね」
バールが単に殴るだけの武器じゃない事を見せてやる。
俺はバールを大きく振りかぶる。
奏の顔色が変わった。
「まさか……」
「そのまさかだよ!」
フルスイング。
バールの一撃により、扉は無残にも破壊される。粉みじん、という言葉がピッタリな威力。
よし、完璧。
退却路が出来たので、俺は一目散に走り出す。少し遅れて奏が後についてくる。
「ちょっと! バールの使い方違うじゃない! そういうもんじゃないでしょ! てこの原理とかでしょ普通!」
「残念ながら、FPS的にはこういう風にしか使えないんだ。開いたんだからいいだろ」
「物理法則無視してんじゃないわよ! 扉が粉々になってどっか飛んでったじゃない!」
「ハヴォック神の導きだな、間違いない」
「大体何でバールなのよ! 意味分かんない」
「俺に言うなよ、どこぞの物理学者に言え」
コントのような掛け合いをしながら俺たちは走り出す。
そのあまりの出来事に、ぽかんとした表情を浮かべる魔神たちを後目に、逃げ出したのであった。
少し遅れて、呆気に取られていた王たちが動き出す。
「な、なにをしている! やつらを追え!」
バティスト教皇が檄を飛ばし、兵士たちを追手に差し向けた。
どたどたと兵士たちが武器を構えて走り出す。
列王会議に参列していた他の王たちも、顔を見合わせる。
そこから少し離れたところに、オルティスタはいた。
誰も彼女の存在を気に留めない。まるでそこにいないかのように。
いや、一人だけ、彼女の存在を認識している者がいた。
その男は、円卓に一人、静かに座っていた。周囲の王たちも、彼には一目を置いているようで、少し距離を空けている様が見受けられた。
先ほどの異邦の勇者がいた時には、一言も発していなかったが、その視線は彼らに常に注がれていた。
「中々面白い連中ではないか、異邦の勇者とやらは」
「…………」
魔神は答えない。その様子に、男は鼻で笑った。
「逃がしても良かったのか。計画に支障は出んだろうな?」
「それは、大丈夫です。全ては陛下の御心のままに……」
「まあいい。匣の開き方さえ分かればな」
「……匣はこの城の中にあると聞いていますが……」
「ああ。お前たちの求めているものだ。だが、それだけでは不完全なのであろう?」
男の言葉に、オルティスタは目を閉じる。
そう、女神の匣はそれ単体では不完全だ。なぜならば――
「ここにある匣は一つだけだ。残り二つはここにはない」
「……分かっています。残り二つの行方に関しては、仲間が追っています。じきに判明するでしょう」
「相変わらず暗躍するのが好きな女だ」
「…………」
男の軽口にも、オルティスタは顔色一つ変えない。
その様子がおかしかったのか、男は笑みを浮かべた。
他の誰も認識する事が出来ない魔神オルティスタに対し、男はただ一人、言葉を交わしていた。
男の名はグレアデス・ロウ・プリエスト。
大陸最大の都市国家、帝国都市プリエストの王。
人は彼を《絶対王》と呼んでいた。
城の廊下を走って逃げていた。やたら長い廊下で、出口は見えなかった。
しばらく走ったところで、奏が足を止めた。
「……それで、これからどうするつもり?」
「どうするって……まずはアムダたちと合流しないと」
「合流した後よ。それは考えてるの?」
彼女の言わんとしている事は理解出来る。今まで俺たちを支援していた仲間が、敵になってしまったんだ。
少なくとも、同じようにこの国で生活するのは不可能だろう。
あの魔神を倒せればまだ何とかなるかもしれないが……
「それに魔神の狙ってる、女神の匣だっけ? あれもここにあるんでしょ。それを取られたらやばいんじゃないの?」
「かもしれないけど……でも、今の状況じゃどうにもならねえだろ。他に方法はあるのか?」
「それは……でも逃げても何も好転しないわ」
「それは分かってるよ!」
思わず言い合いになりそうな時だった。
廊下の奥から兵士たちが数人、こちらへと向かってきている。
一目で正気を失っている事が分かった。
「奏、離れてろ!」
咄嗟に兵士たちの方へと閃光手榴弾を投げつける。
ピンを抜いておよそ一秒後、手榴弾は強烈な光と音を発しながら炸裂した。
至近距離での爆発に、兵士たちの視覚と聴覚を一時的に麻痺させる。
これなら、少なくとも命に別状はないだろう。
「今の隙に行くぞ!」
彼女の手を取って走り出す。
どうやら追手が来ているみたいだな。逃がさないって寸法か。
「今のって、フラッシュバン?」
「ああ。手榴弾みたいな投擲武器は時間経過で勝手に精製されるらしい。銃弾もそういう仕様だったら良かったんだが」
「なんだかだんだん化け物じみてきたわね、あなたも」
「ほっとけ……」
くすり、と彼女が笑った。
「その、ごめんなさい」
「何だよ急に。自分でもそろそろ人間離れしてきたと思ってるさ」
「違うわよ。さっき、あなたに当たっちゃった事よ。ごめん、ちょっと冷静さを欠いてたわ」
「別にいいさ。俺だって冷静でもないし、何かを考えている訳じゃない」
「それでも、よ」
彼女の言葉はよく分からない。前を走っている俺には彼女の表情も見えない。
ただ一つ言えるのは、繋いだその手を失ってはいけないという事だった。
「向こうに逃げたぞ」
「追え! ここで仕留めろ!」
遠くから声が響いてくる。どうやら追手が近付きつつあるようだ。
どうするか。このままじゃジリ貧だ。
「ここで迎え撃つ?」
「多勢に無勢だ。武器にも限界があるし……」
何より相手はこの間まで仲間だった連中だ。極力傷つけたくはない。
しかし逃げるにしても城の入り口はまだ遠い。
「そのバールのようなもので壁とか壊せないの? 凄い破壊力あったじゃない」
「うーん……」
試しに廊下の壁を叩いてみる。石造りの壁だ。
ガキッという音がするだけで、特に手ごたえはなかった。
「無理だな。これは壊れない壁だ」
「何よそれ」
「つまり破壊可能オブジェクトじゃないって事だな」
「世の中に喧嘩売ってる武器ね、それ」
俺に言うなよ。
仕方ない、C-4でも取り出して壁を爆破してみるか。さすがに物理的な破壊力を使えば壊せるだろう。
そう思っていた時だった。
「あそこだ!」
意外に早く、追手に見つかってしまったようだ。
しかも数が多い。どうするか。
「一旦元来た道を逃げるか?」
「そっちも無理っぽいわね」
彼女の視線は俺たちが走ってきた廊下へ向けられていた。
そちらからも、兵士の一団が走ってきている。
やばい、囲まれたか。
「まずいな。悠長に壁に穴開けてる場合じゃなくなったぞ」
「くっ、魔術を使って突破するわ」
「そうはさせん!」
奏が魔術を行使するよりも早く、魔術を使う兵が炎の矢を撃ち放つ。
刹那、魔術の構成を変更し、防御結界を展開する。
魔術の矢は俺たちの目の前で霧散する。だが、戦いの機先を奪われた。
「数で押し切られるときついわね」
「いつもみたいに戦車砲召喚して……は無理か」
さすがにこんな狭い場所でぶっ放すのは自殺行為もいいところだ。
奏の武器である火力の高さが仇になってしまったか。
兵士たちはじりじりと間合いを詰める。確実に、俺たちを逃がさぬように。
閃光手榴弾を使うか? いや、間合いが近すぎるし、何より数が多い。
何とか奏だけでも――
「掛かれぇ!」
襲い掛かる刃の群れに覚悟を決めた、その時だった。
城の廊下の壁に亀裂が走り、次の瞬間には、壁は粉々に吹き飛んでいた。
「は?」
「へ?」
あまりの突然の出来事に、俺も奏も鳩が銀玉鉄砲を食らったような顔をしていた。
ついでに城の兵士たちも皆一様に同じ顔をしている。いきなり壁がぶっ壊れたらそうなるか。
そして、砕かれた壁の奥から現れたのは――
「……無事のようだな」
「おっさん!」
「ブリガンテさん!」
いつも頼れる我らがおっさん、その人であった。




