曇天前夜-2-
バシュトラとしばらく話した後、彼女は再び食糧を求めてどこかへと旅立った。
どこにいても自由なやつだ。ある意味羨ましい。
一人になった俺に、何人かが話しかけてきたものの、正直誰が誰かよく分からない。
恐らく、こっちの世界のお偉いさんなんだろうが、適当に話を合わせるくらいしか出来なかった。
これはまずいと思い、逃げるように俺は隅っこへと向かう。
「ふぅ……」
人込みから息をつく。
正直、こういう雰囲気は苦手だ。
皆笑顔で談笑している。
しかしその腹の中は、何かを探り合っているような感覚。
何が楽しいのか、俺にはさっぱり分からないのは、やはり小市民だからだろうか。
そんな風に自虐めいた事を考えていると、周囲が少しざわついているのに気付く。
「何だ?」
顔を上げると、数人の男性に囲まれた女性の姿があった。
緩やかにウェーブがかった黒髪に、切れ長の瞳。
そして何より目を引くのは、黒を基調としたそのドレス姿。
大きく空いた胸元に、思わず目が奪われてしまう。
どうやら男性数人が、その女性に粉をかけているようだ。
「お盛んな事で……ん?」
そんな事を思っていると、女性がこちらに気付いたのか、ずんずんと向かってくる。
まずい。何かまたやらかしたのか。
不安に思っていると、女性は唐突に俺の腕を取った。
「すみません、先約がありますので」
にこりと笑顔を見せて、女性は男性陣に告げた。
有無を言わさぬその言葉に、さすがの男たちも仕方なく退散していく。
腕を取られた俺は、彼女の胸がじんわりと当たっていたので、動けなかった。
「ふぅ、しつこいわねまったく」
「……あの……」
「ああ、ごめんごめん。良い所にいたもんだからつい、ね」
「いえ、それはいいんですけど……」
いきなりフランクに喋りかけてくる女性に対し、思わず敬語になってしまった。
そんな俺に対し、彼女はじーっと見詰めてくる。
「もしかして……気付いてない?」
「は?」
「あたしよ。ほら……」
そう言うと、女性は何かを取り出した。
こんなドレスにも、収納するスペースなんてあるんだな、とかどうでもいい感想を抱く。
彼女が取り出したのは……スマホだった。
「……って奏なのか?」
「そうよ。さすがに鈍過ぎでしょ」
「いや、だって……なぁ」
いつもとは雰囲気が違い過ぎる。
確かによくよく見ると奏だ。いつもの委員長顔だった。
うっすらと化粧をしているようで、いつもよりは大人びた表情をしていた。
「何て言うか……馬子にも衣裳――うぐ」
鳩尾を殴られた。
この手の早さは間違いなく奏だった。
「殴るわよ」
「殴ってるじゃないか、ったく」
「まあ、こんなドレス着るのなんて久しぶりだからしょうがないけどね」
「ドレスなんて着る機会あったのか?」
「ええ。魔術の研究発表とかで時々こういう催しあったもの」
魔女会ってやつか。ちょっと違うか。
「いや、でも……似合ってると思うぜ」
「……まあお世辞として受け取っておくわ」
そう言ってそっぽを向いた彼女の顔が、薄い桃色だったのは、俺の気のせいだったのだろうか。
「他のみんなはどうしたの?」
「アムダとおっさんはどっかで適当にやってるんじゃないかな。
バシュトラはさっき見かけたが、飯を探してさまよってるな」
「いつも通りって事ね。相変わらず自由人の集まりだわ」
「まあ、そういう協調性の無さが、逆に俺たちらしいのかもな」
「違いないわね。それであなたはここで何をしてたの?」
「ちょっと休憩だな。こういう雰囲気はあまり好きじゃなくて……」
俺がそう言うと、しょうがないわね、と彼女は呟く。
「こっちは一応、いくつかの国の代表の方に挨拶しておいたわ」
「へぇ……何かあったか?」
「まあ、収穫と言えるかどうかは微妙だけど。
魔神の話をして、とりあえず味方になってもらえればラッキーってところかしらね」
彼女は彼女なりに考えて行動していたらしい。
「すまん、任せっきりにしてたみたいだな」
「別にいいわよ、好きでやってるんだし。それに――」
彼女はそう言うと、俺の正面に回り込み、微笑んだ。
「シライさんはリーダーとして、よくやってると思うわ。みんなも、きっとそう言うと思う」
「……そうだといいんだがな」
知らない間にリーダーにされてしまったが、それでも上手く出来ているのなら幸いだ。
遠くから楽器の演奏が聞こえてくる。
ふと見ると、演奏に合わせてホールの中央で、男女が手を合わせて踊りを始めていた。
「社交ダンスか?」
「サークルダンスってやつかしらね。シライさんも躍ってみたら?」
「無理に決まってるだろ。こちとらマイムマイムくらいしか踊れないって」
それだって子供の頃に習っただけだから、今も踊れるか怪しいもんだ。
俺がそう答えると、奏がぷっと噴き出した。
「さすがに、この場面でマイムマイムを躍るのはチャレンジャーよね」
「そう言う奏は踊れるのかよ」
「も、もちろんよ」
怪しい。目が泳いでいる。
「じゃあ踊ってみろよ」
「……こんな感じかしらね」
奏が身振り手振りでダンスを披露する。
「……ってそれ、オクラホマミキサじゃねぇか!」
俺のマイムマイムと対して変わらないじゃねぇか。
「別にいいでしょ。ワルツなんて習ってないんだから」
「逆ギレじゃねぇか。ったく」
「ほら、手を出して」
彼女は俺の手を引くと、中央へと俺を連れだしていく。
「お、おい、もしかして……踊るつもりか?」
そのどう見ても場違いなオクラホマミキサで。
「いいでしょ別に。さっき他の人を断った手前、一曲くらいは踊っとかないと」
「……やれやれ」
仕方ない、付き合うとするか。
俺は記憶を頼りに、彼女の手を取る。
「言っとくが、俺はフォークダンスの授業の時間はサボってたからな」
俺の言葉に、彼女も笑って答えた、
「奇遇ね、あたしもよ」
結局あの後、何曲か踊る羽目になった。
明らかに場違いなダンスではあったが、逆に異世界人たちにはそれが好評だったようで、最後は俺たちの周囲に人だかりが出来ていたほどだった。
踊り疲れた俺は、逃げるように城の中庭へと出ていた。
曇り空の陰間から、月が顔を出していた。。
「……寒いな」
ひんやりと肌寒い空気が周囲に漂っている。
風邪引く前に城の中に戻るか。
そう考えていると、視界の端に何かが映る。
それは――白い女だった。
「…………」
最初は幽霊かと思った。
それほど、現実味のない女性。
白い服を着た、白い髪の女。
中庭で一人、空を見上げていた。
「……月が綺麗、ですね」
「え、ああ……そうですね」
突然話しかけられ、俺は曖昧に答えた。月なんてかすかにしか見えないが。
女は視線だけをこちらに向けてくる。
赤い瞳。ぞくりとする目。
「雪が降りそうです」
「雪?」
「はい。全てを洗い流す……穢れなき白雪」
彼女と同じように俺も空を見上げる。
曇天。確かに少し寒いが、雪が降るほどじゃあなさそうだ。
「雪は降らないんじゃないかな、これじゃ」
「……そう、でしょうか」
「ああ。こっちの気候の事はあんまり知らないけど、雪は降らないと思うけどな」
俺の言葉に、白い女性は、ただ空を見上げるだけだった。
「……私のいた場所では、晴れた日の雪は、不吉とされていました」
「へぇ……天気雨の事を、狐の嫁入りとか呼んでたけどな」
「面白い言葉ですね」
彼女は笑う事もなく、空を見続ける。
ひやりとした空気に、身震いする。
「……俺はそろそろ戻るけど……あなたは?」
「私はもう少し、月を見ています」
「そうですか、風邪を引かないように」
不思議な人だ。
何となく、狐につままれたような、そんな感覚。
いつまでも空を見上げている彼女を置いて、俺は城へと戻った。
「あれが異世界から来た勇者か。まだ若いな」
中庭に男の声が響く。
白い女はただ空を見上げるだけ。
視線だけをゆっくりと、現れた男へと向ける。
豪奢な衣装に身を包んだ男の姿があった。
「オルティスタよ。首尾はどうだ?」
「全ては予定通りに。明日、終わります。何もかも、白に包まれるでしょう」
オルティスタと呼ばれた女の言葉は儚く冷たい。
しかし男はそれに満足したように頷く。
「長きに渡る宿縁の終わりだ」
オルティスタは、瞳を閉じる。
男の言葉を反芻するように。
「どうした? 何をそう懸念している」
「いえ……私はただ従うのみ、です」
「我々の同朋も、もはや七人にまで数を減らしたのだ。言いたい事があれば好きに言え」
「…………」
しかし彼女は答えなかった。
男はそれすらも想定通りと言わんばかりに、唇に笑みを浮かべた。
「答えぬか。それでこそ大淫婦よ。世界の終わりを俺の隣で見ているがいい」
「御意に……」
男はそれだけ告げると、再び城内へと去って行った。
一人残されたオルティスタは、再び空を見上げる。
「……始めましょう、全てを終わらせる為に」
呟き、そして瞑目する。
祈りにも似たその言葉が空へと解ける。
そして、雪が降り始める。
白い雪が、ひらりひらりと舞い降りる。
それが――始まりの合図だった。




