空色の弾丸-7-
翌日の事。
朝起きた俺は、いつも通り顔を洗い、いつも通り朝飯を食し、いつも通りアムダと馬鹿な話をして、いつも通り奏に叱られた。
そしていつもと違っていたのは、その後の行動だった。
「さて、ここがいいな……」
俺がいるのは、街中にある建物の屋上。
周囲にはあまり高い建物が建ってなく、辺りが見渡せる。
風が吹いていた。
風速は3mほど。軽風だ。絶好の狙撃日和といったところか。
まだ朝と呼べる時間帯だったが、空は青い。澄んだ空色をしている。
「やれやれっと。長丁場になるかな」
屋上に腰を下ろし、ライフルを取り出す。
今日使うのはドラグノフ式狙撃銃だ。
旧ソ連の開発した、傑作狙撃銃……とは言いがたいか。
都市での運用を想定されており、取り回しのしやすいセミオートマティックライフルを目指したのに、なぜか無駄に長く、取り回しにくい装備になってしまっている。
これは当局の要求スペックを満たす為とも言われているが、結局、要求通りになっているのはスコープのレンジファインダーくらい。
狙えもしない1,000mクラスの距離計が付いているというのも、おかしな話だ。
「しかしまぁ、どう考えても旧世代の銃なのに、いまだに現役ってのも変な話だな」
スコープを軽く覗き、点検していく。
本来であれば狙撃銃の点検などは細心の注意を払う必要があるが、まあ俺の銃に関してはそこまで気を使う必要も無い
何せ叩こうが何しようが、撃つ時はきちんと真っ直ぐ飛んでくれるトンデモ武器だからな。
このドラグノフという銃は、中々に愛用者が多く、最近のFPSでも登場率は高い。
旧来はストック部分が木製だったりしたが、今俺が構えているのは最新モデルのポリマー素材で出来ている。
どちらかと言えば、スナイパーライフルではなく、マークスマンライフルとしての運用に近い武器である。
まあ今回使用する理由というのが、そういった諸々の事情は置き去りにして、単に威力の問題だ。
FPS世界でもお馴染みのこの銃は、狙撃銃でありながら比較的低威力である。
だからこそ、逆に今回の任務においては重要なのである。
「さてと……早い事動いてほしいもんだがな」
銃を構え、狙いをつける。
およそ600m先。
中央教会施設の屋上。
そこに現れる――狙撃者をカウンタースナイプする。
それが俺の役目だった。
話は昨日、グラシエルたちとの会話にまで遡る。
彼女と今後について話し合っていると、思いがけない作戦を聞く事となった。
「証拠を掴むのに一番てっとり早い方法は何か、ご存じですか?」
「いや、知らないけど……」
「それは相手が犯行に着手した瞬間に捕まえる事です」
現行犯で捕まえろって言うのか。そんな無茶な。
だがグラシエルの顔を見る限り、冗談を言っている訳では無いようだ。
本気で現行犯逮捕をするつもりらしい。
「でも現行犯って言っても、相手がいつ動くかも分からないのに難しいんじゃない?」
「いいえ、彼らは必ず動きます」
「それはどうしてなんだ?」
「既にエルフ族が列王会議に参加しない、という噂が流れているからです」
そんな噂が流れているからと言ってどうなるんだ。
そう思ったのだが、奏は理解したらしく、小声でなるほど、と呟いた。
「どういう事だ?」
「教会としてはエルフ族が会議に参加しないというのは、あまり得策ではないのよ。
恐らく、女王を襲撃する事で、民族対立を煽ろうとしたのでしょうね。
でも、女王は自らが引く事で、争いを回避しようとした。教会にとっては望んだ展開ではないようね」
「その通りです。そこにエルフ族が会議に参加しないという話が広がれば、教会は強硬な手段を取らざるうを得なくなります。
そこをあなた方の手で捕まえていただきたいのです」
何というか、無茶苦茶な注文だなそれは。
「さらにエルフ族が明日、居住地を変えるという話も聞いています。
彼らはそれを、千載一遇の好機と捉えるでしょう」
「つまり……そのタイミングで女王が暗殺されれば、それこそエルフと人間の全面戦争になるって事か」
「さらに言えば、教会はあなた方を女王殺害犯として処刑するでしょうね」
「それは勘弁願いたいな」
「ですので、何としても暗殺を阻止しなくてはいけません」
グラシエルはそう言い切った後、俺たちの方を見詰める。
澄んだ瞳だ。嘘はついていない……ような気もする。
目を見て人となりが分かるほど、残念ながら老成していないのである。
ただ一つ確実なのは、暗殺を阻止しないと俺自身もやばいって事くらいか。
「しかし暗殺を止めるって言っても、具体的にはどうすればいいんだ?」
まさかエルフの女王に四六時中張り付く訳にもいかないだろう。それに、エルフ族の反応から察するに、俺たちが護衛なんてしようものなら、逆に疑われそうだ。
「恐らく、昨夜と同じ方法で女王を狙ってくると思われます。少なくとも、それでフジマ様が疑われるという一定の成果は出ていますので」
「となると狙撃か」
「そこをあなた方に止めていただきたいのです」
つまり――逆狙撃をしろって事か。簡単に言ってくれる。
物陰から狙い撃つスナイパーに対抗出来るのは、同種のスナイパーだけ。
それはある種の幻想ではあるが、しかし現段階においては非常に現実的な手段でもある。
本来なら射手の位置が分かっているなら、そこに重点的な砲撃を加えればいい。
ただし、今回の場合は市街戦であり、重火力による砲撃は、民間人への誤爆の危険性が高い。
また待ち伏せという手段も、相手に見つかってしまえばその時点で作戦は失敗となるだろう。
そう考えるならば、相手に気付かれない位置からの長距離狙撃。それが選択肢となる。
「あとは……皆様方にお任せいたします」
グラシエルは最後にそう言うと、まるで天使のような微笑を浮かべた。
全部この少女の筋書だったんではないだろうか。
そんな事をふと思ってしまう笑みだった。
そして現在に至る。
俺が逆狙撃の場所として選んだのは、教会から南西にある民家の屋上である。
民家と言っても、屋上部分が平坦になっており、そこそこのスペースがある。
住人は今はいない。グラシエルに頼んで一時的に避難してもらっている。
この位置からなら、教会も問題なく見通せる。
本音を言えば、もう少し距離が近ければ良かったのだが、そこは仕方ないところか。
またこの角度ならば、午後になれば陽光によるスコープの反射で位置がバレる心配も減るだろう。
「相手はまだ動かず、か」
ライフルを下ろし、双眼鏡を取り出す。
視野が狭い為、観測は基本的には双眼鏡を使って行う。教会に動きは無い。
時刻はまだ昼を越えたくらいか。
「お疲れさん」
背後に気配を感じ、振り返ると、梯子を登ってきた奏と目が合った。
さらにバシュトラも上がってきている。
「どう、様子は?」
「動きは無いな、今のところ。そっちはどうしたんだ?」
「アムダとブリガンテさんはエルフ族の方の警備に回ったわ。
直接守れないけど、とりあえず周囲にいて張り付いてるみたい」
「そうか。まあ何かあった時に動けるのは心強いか」
エルフ族の動きに合わせて、敵も動いて来るはずだ。
だから、エルフ族が移動したらこちらに連絡が来るような手筈になっていた。
奏の魔術で出したトランシーバーを使い、連絡をもらう予定だ。
そんな便利なものがあるならもっと早く出してくれと思ったが、トランシーバー一つ作るにも、結構な労力がいるらしい。魔術ってのは便利なのか不便なのか、怪しいところだ。
ただまあトランシーバーなら異世界でも十分に活用出来るし、使用距離も今のところ問題は無い。
「……差し入れ」
バシュトラが持っていた袋を渡してくる。
中にはパンがいくつか入っていた。どうやら俺の昼飯のようだ。
「一人で大丈夫? もしあれだったら、あたしかバシュトラが残るけど……」
「そうだな……」
本来、狙撃というものは、二人一組で行う。
主射手の他に、観測主と呼ばれる役割が必要だからだ。
狙撃主だけでは対応し切れない不測の事態に備えたり、風や距離を測定したり、安全を確保したり。
そういう意味では、どちらかが残ってもらえるのはありがたい、のだが……
「いや、大丈夫だろう。相手の位置が分かっているし、何より長時間の狙撃になる」
「じゃあやっぱり二人いる方が気が楽になるんじゃないの?」
「それはそうだけど……」
言おうか言わまいか迷ったが、仕方ない。
意を決し、俺は二人に告げた。
「……便所には行けないぞ、狙撃体勢に入ったら」
「は?」
「だから、垂れ流しになるんだけど……それでも良かったら――」
「良い訳ないでしょ!」
ですよね。だから要らんって言ったんだよ。
逆に俺だって、隣でモゾモゾされても困る。
……困るからな。
「分かったわよ。あたしたちは要らないって事ね」
「まあ、そうなるな」
「……じゃあシライは朝から垂れ流し?」
「……そうなるかな」
俺が答えるよりも早く、奏が後ろに飛び退いた。
今日はまだ出してねぇよ。
「あらもうこんな時間じゃない。じゃああたしたちそろそろ行くわね」
「棒読みだぞ」
「……シライ垂れ流し?」
「うるせえ」
怒鳴ると、蜘蛛の子を散らすように、二人は消えた。
二人が逃げるように去って行った後、再び双眼鏡を覗き込む。
もちろん動きは無い。
先ほどはああ言ったものの、トイレに関しては今のところ、民家の下の便所を使っている。
さすがにこんな真昼間から敵さんも動かないだろう。
そもそもエルフ族の移動するタイミングが分からない以上、気張っていても仕方ない。
「…………」
じっと双眼鏡の先を見詰める。
しかしまあ、ゲームの中でスナイパーをやってた俺が、まさか異世界でこんな事をするなんて、まさに夢のような話だ。悪い夢というやつだが。
ゲームと現実は違う、という言葉を子供の頃から山ほど聞かされた。
だがこうして現実に即してみると、意外に心は落ち着いている。
人間を狙撃する。
それは想像以上に心に負荷のかかる作業だ。
長距離を撃ち抜く技術よりも。
長時間の作戦行動をこなす忍耐力よりも。
スコープの先に映る相手を撃つという行為は、人の心を蝕むほどに。
かつて、ある事件で人質を取って立てこもったテロリストをスコープで監視し続けたスナイパーは、射殺許可が下りても、引き金を引く事が出来なかった。
スコープ越しに、彼らはテロリストに親近感を覚えてしまい、撃てなかったのだという。
結果的に、人質は殺害されるという悲劇に発展した。
優秀な狙撃主とは、機械のような心を持つ人間だという。
相手が誰であろうと、それが任務であるならば、スコープを覗き、引き金を引いて、相手を殺す。
それが女子供だろうが、神様だろうが、誰であっても同じように。
ただ淡々と、命じられたまま。
「俺には向いてないかもな」
独り言ちて、笑みを漏らす。
自分が繊細な人間だとは思わないが、だからと言って、そんな冷酷無比な人間だとも思えない。
だが、結局のところ、やるしかないのだろう。
「……まあ、やるしかないって事は確かだな」
結局のところ、それが全てだ。やるしかない、という糞みたいな言葉だけ。
軽く首を捻り、体の緊張を解していく。
いつの間にか、太陽はゆっくりと傾きつつある。
そういや、今まで気にした事無かったが、この世界にも太陽があるんだな。
東から上って西に沈むのか。そもそもこの世界も球体で、宇宙に浮かぶ惑星なのか。
そんなどうでもいい事に考えが及ぶ。また今度、奏にでも聞いてみるか。あいつならそういうの調べるの、好きそうだし。
そんな事を考えていた時だった。
『……聞こえる?』
奏から受け取ったトランシーバーから声が聞こえた。
すぐさま手に取り、返答する。
「ああ、聞こえてるよ」
『エルフ族に動きがあったみたい。移動しているようね』
「となると、そろそろか」
『そっちは大丈夫?』
「同じ姿勢で体が痛い以外は、今のところ問題は無い」
『そう、後はシライさんに任せる事になるけど……気を付けてね』
そう言って通信は終わる。
恐らく、奏はもっと別の何かを言いたかったんだろうけれど。
今の俺には、その言葉が何だったのか、分かるはずもない。
双眼鏡を置き、ドラグノフを手に取る。
ゆっくりと体勢を整え、狙撃のポジションへと移行する。
スコープは8倍率。
つまり、教会までの距離が600mだとすると、75mの地点から見ているのと同じ距離感覚になる。
この距離ならば、問題は無い。
後は――ただ待つだけだ。
俺の撃つべき相手が現れるのを。




