空色の弾丸
「おはよーさん」
第四、第五の魔神を倒して一週間ほどが過ぎた。
凱旋した俺たちであったが、全員が消耗しきっていた為、しばらくは宿にこもって寝るだけの生活を送っていた。
まさしくニート。自堕落である。
今日も今日とて、昼過ぎまで寝ていて、腹が減ったから自室から出てきたのだった。
宿の食堂には奏とソフィーリス、そしておっさんがいた。
「おはよ……ってもうお昼よ」
「他の連中は?」
「バシュトラとララモラならどっか遊びに行ったわ。
まあララモラが無理に連れ出したみたいだけど」
「ふーん。ソフィーリスは行かなくても良かったのか?」
「ええ。あまり人の多い所は得意ではありませんので」
ぽややんとした雰囲気の彼女だが、ドラゴンになればまさしく暴君とでも呼ぶべき姿。
ドラゴンってのは、不思議な生き物だ。
「アムダは?」
「バシュトラたちのお守り。まああの二人に何か出来る人なんていないでしょうけど……。
時期が時期だし、念には念を入れないとね」
「ああ、そういえば列王会議だかがあるんだったな」
奏の言葉に、この街の状況を思い出した。
街はこの間までに比べると活気付いており、通りにも露店やらが多く出ている。
その反面、街を見回る警邏の数も増えており、警戒ムードでもある。
それもそのはずだ。
何せ世界中の要人がこの街にやってくるのだ。俺の世界で言えば、サミットみたいなもんだろう。
「で、その会議ってのはいつから始まるんだ? この間からずっと準備とかしてるみたいだけど」
「具体的な日程は知らないわ。保安上の問題で公開されてないんじゃないかしら」
「既にいくつかの国の王は来ているようだ」
「だとすると、もう少しで始まる訳か」
俺たちに関係ない訳じゃない。
むしろ俺たちの話が中心と言ってもいいだろう。
ファラさんも警備などの職務が忙しく、先日から会えてはいない為、詳しい話は聞けていないが、俺たちも会議に参加する事になるらしい。
「大陸中からお偉いさんが来る訳か。面倒だな」
「十氏族も来るみたいね」
「……何だっけ、それ」
「ほら、亜人の代表みたいなやつよ。第二の魔神の時にゴブリンの人、いたでしょ」
思い出した。
確か、人間と戦争してた時に作った同盟だったっけか。
「しかし戦争してるんじゃないのか、人間とは」
「一応停戦状態みたいよ。まあ全員が全員、来るとは限らないけれど、少なくともエルフは来るみたい」
「エルフ……あの耳の長い?」
「あたしも見た事無いけど、そうなんじゃない?
ブリガンテさんの元いた世界にはエルフっていました?」
奏の言葉に、おっさんが応える。
「ああ。森の奥に住んでいたが……あまり交流は無かったようだ」
「なるほど。ファンタジー設定もあながち間違ってないって事か」
「設定で思い出したけど、色々とこの世界について調べてるのよ、今」
そう言いながら、奏は横に置いていたノートPCを取り出して起動。
慣れた手付きでキーを操作し、何やらファイルを開いた。
「中央教会ってあるじゃない?」
「ああ。あのいけ好かない連中な」
「あれ、調べると結構面白いのよね。なんせ主神と呼べる存在がいないんだから」
「どういう事だ?」
「本来、宗教ってのは原始宗教にしろ、何かしらを奉っているのよ。
創造神であったり太陽神であったり。
あるいは、神託を受けた予言者だったりね。
でも、中央教会にはそういう教義が一切存在しないの。
彼らが何を崇めているか、まったく分からないのよ」
これって凄い事よ、と彼女は続ける。
「彼らが崇めているのは教義でもなければ祭神でもない。
彼らは『中央教会』という権威そのものに対して、敬意を払っているのよ。
形骸化した近代宗教ならいざ知らず、本来ならそんな事ありえないわ」
「つまりこの世界の連中は、神様ではなく、中央教会を信仰してるって事か」
なんだかややこしいな。
「ええ。その証拠が、中央教会という名前。
これ、今までは教会の名前を指しているもので、宗教自体の名前はもっと別にあるんだと思ってたの。
でも実はこの教会という言葉は、こちらの世界では宗教そのものを指すのよ」
「なんちゃら教、とかじゃなくて中央教会自体が宗教を指すのか」
「この世界で信奉されているのは、中央教会だけ、という事になるわね。
存在しない神、名前のない宗教。
はっきり言えば異常な組織よね」
そう言われると、確かにおかしな団体だ。
俺自身が宗教というものに馴染みがないので理解しがたいが、それでも自分が信じ崇めている神が分からないなんてのは、確かに変な事だろう。
「今のところ、教会の権威の根拠は、聖女の存在ね。
多くの人は教会と聖女をイコールで結んでいるみたいだし、影響力は教皇とやらよりは大きいんじゃないかしらね」
「そういや、前にそんな話も出てたよな」
確か、聖女さんは俺たちの味方をしてくれているらしい。
まあ会った事無い相手をどこまで信用していいもんかは分からないが。
「聖女が残した予言、というのが中央教会の権威の一節ね。
もっとも、あまり人口に膾炙はしていないようだけど」
「そうなのか?」
「ええ。聖女が予言を残した、という伝承自体は伝わっているようだけど、その内容までは深く知らないみたいよ。
現に街の人の大部分が魔神の事、知らないでしょ?」
「そういえば……」
この街に住むようになって気が付いた事だが、あまり街の人間は魔神について詳しくは無い。
むしろほとんど知らない、と言うのが正しいほどだ。
魔神がこの世界を滅ぼそうとしている事も、俺たちがそれを倒す為に戦っている事も。
「あとはこの世界の事じゃないけれど、あたしたちの話」
「と言うと?」
「特にあたしとシライさんの話なんだけど……これ、読める?」
奏が紙に文字を書いて俺たちに見せてくる。
アルファベットに似た記号……なのだろうけど、よく分からない。
とりあえず、俺の知る文字では無いようだ。
それはおっさんたちも同じようで、皆一様に首を横に振る。
「これはね、この世界の文字なのよ。これで『朝』を意味してるらしいわ」
「へぇ、こっちの世界の文字ねぇ」
「……ふむ、やはり文字は読めない、という事だな」
おっさんが腕を組みながら静かに告げた。
ん? どういう事だ、それ。
「もしかしてあなた、気付いてなかったの? こっちの世界の文字が読めないって事」
「……まあ、気にした事は無かったかな」
「もう少し異世界って事に疑問を持ちなさいよね。
あたしたちは今、不自由なく言葉を喋ってるでしょ?
でも文字は読めないのよ。不思議じゃない?」
「そういえば……」
確かに言葉が通じないとか、そういう問題には今のところ直面していない。
こちらの世界の人とも、あるいはアムダやおっさんといった異世界の人間とも。
もしかして、万国共通語なのか。
「違うわよ。あたしとあなたが使ってる言語は間違いなく日本語だけど。
アムダやブリガンテさんが使ってる言語は、地球圏の言語ではないわ」
「とすると、どういう事だ?」
「そうね……これは推論に過ぎないけれど、何らかの手段によって言葉が通じるように翻訳されているのよ。
ただそれはあくまで会話によるものだけで、文字によるコミュニケーションには反映しない。
だから文字に書き起こすと、読めなくなってしまう」
会話専用の翻訳ソフトか。
そんな事が出来るのは、俺の知る限り、一人しかいない。
「……あの猫野郎の仕業か?」
「十中八九、そうでしょうね。
まあそれは別にいいのよ。どういう技術か知らないけれど、スミオンゲートの管理人ならば、それくらい朝飯前なんでしょ。
問題は、あたしとあなたの使っている言語が日本語という点ね」
「それが問題なのか?」
「そうね、例えば……あなたがこちらの世界に呼び出された時は西暦何年だった?」
「ええと……」
自分が元いた世界の時の年を奏に伝える。
「あたしも同じ。つまり、同じ時代の同じ国から呼び出されたのよ、あたしとあなたは」
「って事は、俺と奏は同じ世界の人間?」
「いいえ。あなたとの間には決定的に違う点がある。分かる?」
それは……魔術か。
俺の世界には存在しない技術。
奏たちが当たり前のように使う御業だ。
「ええ、魔術要素の有無。これがあたしとあなた、埋める事が出来ない決定的な違い。
同じ歴史を歩んだ世界ではあるけれど、きっと細かい部分では違っているはずよ」
「そんな事、あるもんなんだな」
「パラレルワールド、みたいなものかもしれないわね。
もしも歴史上の偉人が暗殺されなければ。
もしもあの時、違う道を歩んでいたら。
もしも世界に魔術が存在しなければ……。
そういう、イフの世界、鏡合わせの存在なのかもしれない」
つまり奏の世界から魔術というものを抜き取れば、俺の世界になるのか。
「もしかすると、あたしの世界には魔術を使うあなたがいるかもしれないわね。
パラレルワールドだとするならば、ね」
「なんだか頭が痛くなってきたぜ」
テーブルに置いてあった水を飲む。
よく分からないが、とりあえず俺と奏が違う世界の人間というのは間違いないらしい。
「……で?」
「……何が?」
「いや、今までの話の結論は何だ?」
色々と考察を重ねていた訳だから、何かしらのオチがあるのだと思っていたが。
しかし奏は不思議そうに小首を傾げた。
「別に、それだけよ」
「……それだけ?」
「ええ。あたしとあなたがパラレルワールドかもしれないってだけの話。
あと、バシュトラとかアムダとかの世界の考察もあるけれど、聞きたい?」
「……いや、遠慮しとく」
どうやらそういうのを考えるのが好きなだけらしい。
やれやれ。まあ難しい事を考えるのは奏に任せておこう。
そんな事を思ったその時だった。
バタン、と食堂入口のドアが開いた。
開いた扉から、ぞろぞろと人が入ってくる。
軽装鎧を着込んだ兵士たち。
そして、その中心から、一人の女性が現れる。
長い金色の髪と薄い緑色の鎧を着た女騎士、という出で立ちだ。
何より特徴的なのはその美貌。
ぞっとするような、という形容詞がよく似合う美人だ。
そして――金髪から覗く耳は、細長く尖っていた。
「……もしやエルフ?」
「シライ・フジマ、だな」
女性は俺を見るなり、低い声色で告げた。
声のトーンから察するに、何かしら面倒な事が起きているようだ。
悪い予感がする。
奏たちにも緊張が走る。
切れ長の瞳が、真っ直ぐと俺を射抜く。
「私はトトリエル女王親衛隊隊長のクロフェルだ」
親衛隊……?
聞いた事のない単語に、俺たちは顔を見合わせる。
そんな俺たちに対し、彼女は感情を感じさせない冷たい声で告げた。
「貴様を――女王陛下暗殺未遂の実行犯として拘束する」
悪い予感ばかり当たるのであった。




