黒面のグラディエーター-6-
「それでは第二回戦第一試合を執り行います!」
歓声が沸き起こる。
アムダと魔神が試合場へと上がる。
レヴァストラは静かに立ち、アムダを見詰めている。
アムダからはいつものような笑みは消えている。
代わりに能面のような白い顔。ぞっとするほど美しい横顔だった。
「さあ、伝説の魔神レヴァストラが勝利するのか!
それとも、新たなる伝説の幕が開けるのか!
それでは――試合開始ッ!」
司会の声に、二人はゆっくりと剣を構えた。
レヴァストラの剣は漆黒で染め抜かれている。
光すら反射せず、ただ暗澹とした闇を抱えた剣であった。
対して、アムダが構えたのは炎の神剣カシュミオン・レンド。
うっすらと赤い刀身は、魔神の剣とは反対に、陽光を浴びて美しく煌めいている。
勇者と魔神。
正対する両者の激突が始まろうとしていた。
「では往くぞ。異邦の英雄よ。
その身で我が剣、とくと味わうがよい」
そう言うと、魔神は片腕を上げる。
それに反応してか、試合会場に光が走った。
アムダとレヴァストラを取り囲むように、光の柱が立ち並ぶ。
いや、柱というより、これは光の檻のようだった。
「これぞ我が魔術の最奥、決闘結界である。
我とそなた、どちらかがその身を散らすまで、ここより出る事叶わず。
故に――――ここがそなたの墓標となるだろうぞ」
「御託はいりません。剣で語ると言ったはず」
アムダは正中に剣を構える。
次の瞬間、アムダが駆け出す。
魔神まではおよそ10mほど。しかし彼らにとってその距離はあまりにも短い。
刹那、斬撃。
「ふんッ!」
刃と刃が重なり合い、甲高い金属音が会場に響き渡る。
二人の斬撃は加速していく。
もはや観客のほとんどは目で追う事も出来なくなっているだろう。
達人の域に到達した者ですら、やっというレベルの攻防。
二振りの大剣が火花を散らしながら、斬撃をかわしていく。
「はっ!」
アムダは後ろに飛び退いた後、唐突に剣を――なんと投げつけた。
これには魔神も予想外だったのか、回避出来ず、刃で受け止める。
投擲された神剣は、空中で炎をまとうと、火輪となって魔神を襲う。
そして、刃で防いだ瞬間、炎の輪が爆裂。試合場に火柱が立ち上る。
「この程度では効かないでしょう?」
再び神剣を虚空から作り出し、アムダは火柱の中にいる魔神に問う。
炎の中から黒剣が現れ、火柱を一閃。
「児戯では我には届かぬぞ、英雄よ」
「では、児戯は児戯なりに、お見せいたしましょう」
アムダは答えると、今度は左手にも神剣を顕現させる。
二刀流だ。
しかも両方とも炎の神剣だった。
同じ剣を複数同時に出す事も可能なのであった。
「複数の神剣を使うと聞いていたが……出し惜しみという訳でもあるまいに」
「あなたには、これで十分ですよ、魔神さん」
「その思い上がり、一刀にて臥してやろう」
ゆらりと……魔神は剣を横に構える。
あれは、一回戦で見せた高速の斬撃か。
そして――
「極儀・暗天楼――」
斬撃が放たれる。
常人の目にはただ魔神が動いたようにしか見えない、瞬速の一撃。
いや、一撃ではない。目にも止まらぬ連撃だ。
アムダはそれを刃で受け止める。が――
「くっ!」
勢いを殺し切れず、後ろに弾かれる。
そのままリングアウトするかと思いきや、魔神の作り出した光の檻により、虚空に叩き付けられた。
「どうした英雄。我にとっては児戯ぞ。こんなものは、な」
「ははは、言ってくれますね」
立ち上がり、再び構え直す。
最初の立ち合いは互角……いや、魔神に分があるようにも思える。
「もう少し楽しませてみよ。この終わりなき地獄の中で、愉悦の闘争を」
「おしゃべりが過ぎますよ」
「くく、そうさな。存外楽しんでいるようだ、人ならぬこの身で――」
「まるで自分が人であったかのような口ぶりですね」
アムダの言葉に、魔神がぴくりと反応する。
その隙に、アムダは二本の神剣を投げ放つ。
空中で焔と化した剣が、左右から同時に魔神を襲う。
再び爆炎。
「剣よ、我が剣よ。
其は汚泥から生まれし毒錆びた神の庭園。
なれば我が問いに答えよ。
曰く、汝の知らぬもの、ありやなしや。
土塊の愚人――ガイアルラ・ガラン!」
アムダの右手に光が収束し、剣の形を成す。
幅の広いブロードソードのようだった。
その大剣を、アムダは試合場に突き刺した。
「大地よ、悪しき魂を封し、冥府へと誘うがいい」
突き立てられた神剣に反応したように、試合場が鳴動を始める。
そして――一斉に岩が隆起し、そのまま押し潰すように、魔神へと襲い掛かった。
轟音と共に、会場に土煙が立ち上る。
「風よ、矢となりて彼の者を穿て」
アムダの周囲に疾風の矢が次々と作り出される。
そして、一斉に発射。
数百はあるであろう矢が、白煙の中へと次々に放たれた。
「水よ、蛇の如く飲み下すがいい」
さらに水が彼の周りに集い、今度は蛇を模る。
鎌首をもたげ、そのまま魔神へと突進する。
強大な水の一撃が、土塊ごと吹き飛ばした。
まさに圧倒的な神剣の力だ。
だが――
「しぶといですねぇ」
「流石だ、と言っておこうか、異邦の英雄よ。
それだけの魔力を秘めた神剣を同時に使いこなすだけの力。
並の人間であれば、御すことは出来まい」
水の大蛇によって全てが吹き飛ばされたそこに、魔神はただ一人立っている。
「女神の寵愛を受けしこの鎧も、今のは耐え切れんかったようだ」
見ると魔神の漆黒の鎧に、傷が入っている。
怒涛の攻撃が、魔神に通じたようだ。
「実に愉悦。これぞ決闘よ」
魔神は呵呵と笑うと、黒き剣をアムダへと向ける。
「ではこちらも――そろそろ本気でやらせてもらうとしよう」
そう言うと、レヴァストラが姿勢を低く落とす。
そして、地を這うような姿勢のまま、アムダへと詰め寄る。
放たれる斬撃。
刃の打ち合う音が響く。
一合、二合、と刃を交わしていく。
魔神の剣はどんどん速度を増していく。
もはや目で追うのがやっとのスピードだ。
それを受けるアムダもまた、人間の域を超えている。
いや、受けているだけではない。
受けながら、隙あらば反撃を狙っている。
「極儀・獄天鐘楼!」
魔神が必殺の一撃を放つ。
いや、これも一撃では無い。
あらゆる角度から同時に攻撃する、まさしく必殺の攻撃である。
回避は――出来ない。
斬撃がアムダの服を裂いていく。
赤い鮮血が、大地を濡らす。
「殺すつもりで放ったが、避けれぬと見ると、咄嗟に最小限に抑えたか。
だが、痛みは感覚を麻痺させる。
次は――避けられるか?」
「いやぁ、久しぶりに傷を負いましたよ……。
正直、イラっとしますね、これ」
アムダはゆっくりと剣を構える。
大地の神剣を正眼に構える。
「遊びは終わりにしましょう、魔神レヴァストラ。
≪神剣解放≫――」
アムダはその言葉を残し、加速する。
通常の速度では無い。
風の神剣の力を借りた、圧倒的な速度。
魔神の目をもってしても、その姿を捉えるのは難しいほどであった。
「だが、速いだけではなぁ!」
魔神が斬撃を放つ。
確実に捉えた一撃。
しかし、魔神の刃は、アムダには届かない。
大地の神剣の力により、アムダの周囲には土の壁が出来ており、魔神の剣はそれに阻まれていた。
「無駄です。神剣解放した以上、僕にもう攻撃は届きません」
「戯言を! ならば、その剣ごと叩き折ってくれようぞ!」
魔神が再び奥義の姿勢へと移る。
だが、アムダはそれを許さない。
水神剣ルーガ・フーを召喚し、水のヴェールで自信を覆った。
そして、魔神の奥義が放たれる。
「極儀・獄天鐘楼――!」
前後左右、あらゆる死角から刃を放つ魔神の秘儀。
たかが水のヴェールごときで防げる技ではない。少なくとも、レヴァストラはそう思っていた。
しかし――
「なに……?」
斬撃が、アムダの体に届く事は無かった。
水のヴェールは、魔神の刃を完全に止めていた。
絶対的な魔力。
魔神の脅威的な膂力をしても、その膜を貫く事は出来ない。
「終わりです」
アムダの手に、水神剣ルーガ・フーが握られている。
加速。
加速。
加速――
刹那を超えて、アムダの斬撃が放たれる。
そして――
アムダの神剣は――魔神の鎧を貫いた。
それは誰の目から見ても明らかな、アムダの勝利。
だからだろうか。
アムダが勝ちを確信し、気の緩みを見せたのは。
それを責める事は、たとえ達人であったとしても無理からぬ事だろう。
「―――切り札というのは、最後まで取っておくものだ、英雄」
――終極・堕天大鐘楼――
胸を貫かれたまま、魔神は慈悲無き奥義を繰り出す。
もはや数える事すら不可能なほど、無数の斬舞。
その千撃は、防ぐ事あたわず。
ただひたすらアムダを蹂躙する斬撃。
回避も防御も、何もかも置き去りにして。
アムダの体に、無数の刃傷を与えた。
「くっ……」
弾かれるように、アムダが転がっていく。
その身体からは赤い血がおびただしく流れている。
致命傷では無い。
しかし簡単な傷でも無いだろう。
いや、達人同士の斬り合いにおいて、それは既に致命的なダメージでもあった。
「勝ちを慢心したか? 勝利に酔いしれたか?
いずれにせよ、相手はこの魔神レヴァストラであると失念していたようだな。
よもや――――胴を貫いた程度で我を滅せられると、思っていたのかね?」
「…………」
魔神は自身の胸に突き刺さった刃を引き抜き、投げ捨てる。
試合場を音を立てて転がった後、消滅する。
そしてアムダは見る。
刃が刺さっていた魔神の鎧の向こう。
そこには――何も存在していなかった。
「≪神剣解放≫とはつまるところ、契約した神剣の力を一時的に取り込み、詠唱無しで神剣の魔力を使うのであろう。
実に、実に素晴らしいぞ、異邦の英雄よ。
何しろ、己が心を餌に、神剣から力を引き出しているのだろう?」
魔神は歌うように、アムダに告げる。
それを青年は、殺意のこもった視線を向けている。
「そも、神剣などとは、余人が騒ぎ立てるようなものではあるまい。
あれは、そう魔剣でしかないのだ。
人の弱きにつけこみ契約を求め、心を奪い、そして辿り着いた先には滅びしかない。
それが、貴様らがありがたがっている神剣というものだ。そうであろう?」
「詳しいですね……」
ふらりとアムダは立ち上がる。
その体はまさに満身創痍だ。赤い血がぽたりと落ちる。
しかし彼の瞳はまだ死んでいない。
心は魔神をまっすぐと捉えている。
「まるであなたもかつて――魔剣に心を奪われた人間のようだ」
「ふむ、その言葉はある種の真理ではあろうな。
何せ、既にこの身は魔剣であるのだから」
そう言うと、魔神は漆黒の魔剣を掲げる。
「改めて名乗らせてもらおう。
我が名はレヴァストラ。魔神にして魔剣なり」




