黒面のグラディエーター-5-
さて、第三試合が始まる。
ブリガンテのおっさんと、女性戦士ギネヴィア。
下馬評でも、おっさんが圧倒的に有利といったところか。
「まだ分からないわよ。勝負は何が起きるか分からないもの」
まあそうだが、おっさんに限って、という気持ちもある。
「それでは第三試合、両者前へ!」
斧を担いだおっさんが入場し、その横にギネヴィアが立ち並ぶ。
遠くから見ても、美人な女性だ。クールビューティーという言葉が似合いそう。
武器は槍のようだ。三又の槍、トライデントというやつだろうか。
「それでは、試合開始ッ!」
言葉と同時に、ギネヴィアが飛び出す。
まるで撃ち出された弾丸のように突進。
真っ直ぐ槍をおっさんの胸に突き立てる。
「うわ!」
その起きるであろう光景に、観客たちが悲鳴を上げた。
しかし、予想していた光景は起きる事は無かった。
なぜなら、彼女の槍はおっさんの皮膚を刺す事すら出来なかったのだから。
「なっ!?」
驚愕の表情を浮かべるギネヴィア。
しかし彼女はすぐさま体勢を変えると、目にも止まらぬ速さで連打する。
五月雨のような連続の突きが、おっさんを襲う。
しかし――おっさんは避けない。
「……ぬん!」
気合いで槍を弾き返す。
おいおい、マジかよ。
おっさんは別に魔神みたいに鎧を着込んでいるとか、そんな事は無い。
生身である。
まさしく鋼の肉体というやつだ。
「それにしたって限度ってもんがあるだろうに」
「……ブリガンテさんの体は、やはり魔術的な呪いがかかっているみたいね」
「そういや、そんな事ちらっと言ってたな」
「そうじゃなきゃ、今までの超人的な能力も説明出来ないもの」
呪いであれだけ無敵になれるなら、いくらでも呪ってほしいもんだがな。
試合場では、ギネヴィアがひたすら攻撃を続ける。
猛攻は止まらず、さらに速度を増していく。
しかしそれを、彼はただ受け止めるだけだ。
既に10分近く経っただろうか。
一方的な攻撃を続けていたギネヴィアが、肩で息を始めている。
トライデントによる連打は、おっさんの体に何一つ傷を与える事は出来なかった。
「もう、終わりか?」
おっさんの声が重く響く。
ギネヴィアは再び槍を構え直すと、真向から睨み返した。
「まだだ。まだ我が槍は折れていない」
「そうか」
そう言うと、おっさんは無造作にギネヴィアの突き放った槍を掴み、片手で叩き折った。
なんて腕力だ。スプーン曲げマジシャンもびっくりである。
「これで、そなたの槍は無くなった。敗北を認めるがいい」
「くっ! まだまだぁ!」
ギネヴィアは折れた槍を捨てると、素手で構える。
槍で勝てない相手に素手で何とかなるとも思えないが、それでも彼女にも意地があるのだろう。
だからまだ瞳は死んでいない。
「……これ以上の手加減は出来ん」
「そんなもの不要だ。私とて戦士の端くれ」
「なるほど、では往くぞ」
おっさんはゆっくりと斧を振り上げる。
ギネヴィアは避けない。きっと、真っ向から迎え撃つんだろう。
おっさんと同じように。
「ふッ!」
斧が振り下ろされる。
誰しもが、その後の凄惨な状況を想像し、目を覆っていただろう。
ただ一人、その光景をはっきりと見ていた者がいた。
ギネヴィア本人だ。
彼女は斧が振り下ろされる最後の瞬間まで、その瞳を見開き、直視していた。
「――――え?」
誰かの呟きが聞こえるほどの静寂。
振り下ろされた斧は、しかしギネヴィアの眼前で止められていた。
彼女が止めたのではない。おっさんが、停止させたのだ。
「……戦士の娘よ。素晴らしい胆力、見事。そなたの勝ちだ」
へ?
今、なんて言ったんだ?
誰しもがそう思った瞬間、おっさんはゆっくりと闘技場の舞台から下りていく。
あとに残されたのは、狐につままれたような表情のギネヴィアだけだ。
司会者も、あまりの状況に一瞬我を忘れていたが、少しして、職責を思い出す。
「しょ、勝者! ギネヴィア!」
まばらな拍手の音が響く。
そりゃそうだ。誰も予想しなかった展開とはまさにこの事だろう。
一番ショックを受けてるのは俺たちだ。
「なんかトラブルでもあったのかな。意外に槍が痛かったとか……」
「そういうので、負けを認める人にも思えないけれど……」
いずれにせよ、負けは負け。
これでアムダに全てを託す状況になってしまった訳か。
少しして、カリオンと元聖典騎士のアンドリューの試合が始まった。
元王者という肩書きがある為、先ほどの試合で不完全燃焼だった観客たちも沸いている。
そこへ、試合を終えたおっさんが帰ってくる。
「……すまんな」
「いや、それはいいんだけど、何があったんだ?」
俺たちの横に腰を下ろし、おっさんは腕を組む。
別段、体に異常は無さそうだが。
「……この身は女子供に危害を与える事は出来ん」
「女って……どう見ても、あの人、俺より強そうだったぜ」
そんな武士道みたいな問題だったのか。
俺が思案していると、奏がおずおずと口を開く。
「もしかして、以前おっしゃっていた『呪い』ですか?」
「……そうだ」
重い口をおっさんが開く。
「私がかつて≪時果ての魔女≫より授かった呪いは三つ。
そのうちの一つこそ、『神話破壊』の呪いだ」
大層な名前の呪いだな。
「この呪いにより、私は神すら圧倒する力を手にした。
相手が私より強ければ強いほど、私の力も増していく、神殺しの力。
だがその代償に――相手が女子供であれば、いかなる攻撃も加える事は出来ぬ」
それが、魔女の呪い。
自身よりも劣る者には手出しが出来ぬ、英傑の呪い。
おっさんはそう語った。
「すまない。お前たちには先に話しておけば良かった」
「い、いえ。その少し驚きましたけど、納得しました」
「まあ組み合わせが悪かったって事か。よりによって、たった一人の女戦士に当たっちゃうなんてな」
「……呪いを破るとどうなるの?」
バシュトラが俺たちの聞きにくい事をしれっと尋ねた。
女子供って事は、バシュトラなんかどストライクなんじゃないか。
子供の定義が分かれるところではあるが。
「さて、私も詳しくは知らぬ。今まで、破った記憶は無いからな。
魔女によれば死よりも厳しい苦痛が襲うそうだが」
「そりゃ笑えないな」
でこぴん一発くらいなら何とかなるかと思ったが、そう甘いもんでもないらしい。
そんな事を考えていると、いつの間にか試合も終わっていた。
もちろん、と言うべきか、勝ったのはカリオンだった。
彼もまた、ほとんど傷を負う事なく、勝利を飾っている。
観客が万雷の拍手で王者を讃えている。
「さて、いよいよだな」
アムダと魔神、どちらが勝つのか。
アムダ・コードウェルは一人、控室で瞑想していた。
瞑想といっても、単に瞑目しているくらいで、何かを考えている訳ではない。
ブリガンテが敗れた、というのはある意味でショックではあったが、彼には関係のない話だ。
なぜなら、自分が魔神を倒せばそれで終わるのだから。
気負いではない。当然の自負である。
勇者として。
英雄として。
神剣の担い手として。
自分は、ただ一人、最強を貫いてきたのだ。
「落ち着いているな」
声を掛けられ、瞳を開く。
少し離れたところに、漆黒の魔神レヴァストラが立っていた。
「今更焦ったところで、仕方ありませんからね。
何か用ですか? これから僕は、魔神を討伐しないといけませんので」
「ふっ、そう急くな。嫌でも剣にて語り合う事になるのだからな」
「その前に、あなたの口から色々と語っていただきたいところですが」
アムダの言葉に、魔神はただ冷笑するだけだ。
「では問おう。そなたはなぜ戦う?」
「魔神を滅ぼせと言われたからでしょうね」
「くく、そうだ。それが真理よ。我は魔神で、そなたは異邦の英雄。
それ以外、語るべき言葉など持たぬ。
空に星が瞬くが如し。地に人が栄えるが如し。
全ては必定。定められた軌跡でしかない。
そなたと我が戦う事は、定められたもの」
どういう意味か、アムダには理解しがたい。
「ではこちらからも質問いたします。なぜ、世界を滅ぼすのですか?」
「我ら魔神は皆、ただ一つの真理に到達せんが為。
その為ならば、この身を礎にしたところで、何ら疑念を持たぬ」
「どういう事です?」
「そなたには分かるまい。永久に続く無限の地獄を。
そなたは知るまい。無限に連なる永劫の慙愧を。
我らは誓ったのだ。あの日の永遠に。必ずや果たすと」
その言葉には恨みが込められていた。
とても昏い憎悪だ。
昏く、深く、醜い。
「語り過ぎたか。後は決闘にて語り合おうぞ」
言葉を残し、魔神は去っていく。
残されたのはアムダ一人。
再び瞑目する。
魔神の言葉は雑念でしかない。
自分には殺すしか能は無いのだ。
かつて、神剣と契約を交わした時、そう告げられたのだから。
――その身は既に、一振りの神剣なれば。
一刀にて切り伏せる。
相手が神であろうと何であろうと。
「ただ、斬り捨てるのみ。そうですよね、兄さん……」
アムダの声は、誰にも届かなかった。




