黒面のグラディエーター
その男がいつからここにいたのか、知る者は誰もいなかった。
ただ気付いた時には、既にここにいた。
誰しもがそう認識していたし、それは間違いではなかった。
自由都市ファーン。
どこの国家にも属さぬこの街の資源の一つが、闘技場であった。
剣闘士たちが己の命を賭けて戦い、火花を散らす。
老若男女を魅了し、時には貴族や王族さえも、こぞって彼らを応援するほどでもある。
かつては剣闘奴隷とも呼ばれ、見世物は残酷な殺戮でもあった。
しかしいつの日にか、ショービジネスとしての側面が強くなり、パトロンを擁する剣闘士は、一夜にして大金を稼ぐ者も少なくはない。
その結果、剣闘士の人気は上昇し、大金を夢見てこの自由都市へと訪れる者も多くなったのである。
だから――その異質な剣士がいつの間に、剣闘士となっていたのか、正確に知る者は誰もいない。
全身を黒い鎧で身を包み、大仰な剣を扱う剣士であった。
顔も獣に似せた面を装備し、瞳も髪の色も判別はつかない。
ただ一つ言えるのは、彼はあまりにも強く、瞬く間に人気の剣闘士へと登り詰めた事である。
勇壮にして苛烈。
見る者を魅了するその戦いぶりは、やがて各国の闘技好きな貴族たちにも広まっていった。
多くの者が彼の後援を務めようと声を掛けたが、彼は頑なに孤独を好んだ。
「なぜ、パトロンを受け入れないのか」
一人の男が彼にそう尋ねた。
あるいは、それは尋ねるべきではなかった。
彼はこう答えた。
「私は、私と戦う者を待ち望んでいる」
「それは誰だ?」
にやり、と獣面が笑った気がした。
そんなはずはない。
男は――魔剣士はただ待ち続ける。
「この魔神レヴァストラと、戦う定めにある者を」
ガツガツ、とゾンビ犬のハチが餌を食っている。
宿屋の裏手に置かれた犬小屋で飼われている、ゾンビ犬だ。
基本的に雑食かつ悪食なので、何でも食う。実は食わなくても死なないらしい。凄いヤツだ。
「よし、お手」
俺の差し出した手を、死んだ魚のような目で見ているハチ。まあゾンビだしな。
お手はしないらしい。
意外に懐いていない。
「……お手」
横にいたバシュトラが手を出すと、今度は素直にそこに前足を置いた。
なぜだ。
「……ふふん」
勝ち誇ったような笑みを浮かべるバシュトラ。
どうやらハチの中の順位では、俺はバシュトラの下らしい。
ちなみに最上位はおっさんで、その次がバシュトラのようだ。世話はこの二人がやってるからな。
なぜか一切世話をしていない奏にも、結構懐いている。まあ奏はハチの外見が苦手なようで、じゃれついてくると顔を引きつらせているのだが。
俺とアムダは同率で最下位だ。アムダはともかく何でも俺もなんだ。
「多分、人徳の差……」
「いやいや、お前に人徳なんてかけらもねぇよ。俺の名前も覚えてないくせに」
そうなのだ。バシュトラは俺の名前を覚えてなかったのだ。
二週間ほど前に――こちらの世界では一週間は五日なので、厳密には三週間ほど前に、魔神を倒して以来、平和な日々が続いている。
そんな中、衝撃の事実が明らかになったのだ。
バシュトラが奏たちは名前で呼ぶのに、俺だけなぜか名前で呼ばないので、気になって聞いてみると。
「……覚えてない」
と言い出したのだ。さすがにびっくりの仰天である。
しかも本人の中では俺は「銃の人」という呼び方だったそうだ。間違いじゃないけどさ。
仕方なく、俺の名前を何度か教えて、ようやく俺の名前を覚えた……はず。
「もう覚えた。…………シライ」
「ちょっと間があったのは、脳内で検索でもかけてたんすかね?」
「ハチ、ブリガンテ、アムダ、カナデ……シライ。全員覚えた」
「何で俺の時だけ変な間があるんだ?」
しかも一番最初にハチが来るあたり、さすがの動物大好きっ子である。
そんな話をしていると、誰かの足音が聞こえた。
「あら、二人ともここにいたのね」
「奏か。良いところに来た。お前もハチにお手を仕込むんだ」
「嫌よ」
にべなく拒否される。相変わらずゾンビ犬が苦手らしい。
「こんなに可愛いのになぁ」
「……可愛い」
「あんたたちの感性があれば、アウトブレイクが発生しても生きていけそうね」
よく分からないが褒められたらしい。
「そんな事どうでもいいのよ。ファラさんが呼んでるわよ」
「大体あの人が呼んでる時はろくな話じゃないんだが……どうだ?」
「まあ、当たらずとも遠からずってとこじゃない?」
という事はビンゴらしい。
やれやれ。ここしばらくは落ち着いた日々が続いていたんだがな。
「しゃーない、行きますか。第四の魔神退治に」
「今度の魔神は、こちらには向かっていないようだ」
「そういう事もあるんですねぇ」
ファラさんに会いに、騎士団の詰所に行くと、既にアムダとおっさんの姿があった。
おっさんは壁にもたれ、腕を組んで目をつぶっている。
最近は城の兵士たちにも訓練をつけてやってるらしい。中々の人気だそうだ。
「おっと、全員揃ったな。では、説明を始める」
俺たちは近くにあった椅子に腰掛ける。
バシュトラは椅子に座るなり、机に突っ伏して眠り始めた。自由人め。
「まあどうせ起きてても聞いてないし、いいんじゃない?」
「そんなもんかね」
さて、と前置きをして、ファラさんは話し始める。
「まず魔神が確認されたのは、自由都市ファーンだ」
「今回の魔神は、このトリアンテに向かっているようではないみたいですよ」
アムダが先ほど聞いたらしい話を補足する。
へぇ、あいつら全員ここを目指していると思っていたが、どうやら違うらしい。
あるいは、今回だけ特別なのだろうか。
「そういや、前に兵士の人から聞いたけど、魔神はある物を求めてここに来るって……」
「ふむ……そういう噂になっているのか」
彼女は少し考え込んだ後、顔を上げる。
「貴君らには伝えておくべきだろう。魔神が狙っている物は確かに存在する。
正確には、狙っているであろう代物だが」
「それって……」
「実のところ、私も詳しくは知らない。陛下ですら知らんだろうな」
「誰も知らない?」
そんな事がありうるのか?
「形状としては箱だな。人が一人くらいは入れそうな箱型をしている。
中に何が入っているかは知らん。
恐らく、教会の連中ならば知っているのだろうが……」
「教会が?」
「ああ。元々は教会から貸与された物と聞いている」
教会か。
この間やってきたグラシエルの顔を思い浮かべる。
何だかんだで色々と裏がありそうな連中だな。
「とにかく、今回に関して言えば、魔神はこちらではなく、自由都市にいるようだ」
「自由都市って何かあるのか?」
「国家に属さない都市の中では最大クラスではあるが……。
一番の特徴は、闘技場だろうな」
何となく、ファンタジックな単語が飛び出してきたな。
剣を持った奴隷がトラとかライオンと戦ってるアレか?
「まあ概ね間違ってはいないな。昔はそういう一面もあったと聞く。
今は剣闘士たちが定められたルールの中で決闘を行う為、死傷者も少ないそうだ。
有名な剣闘士は多額の金を稼ぐ為、憧れる者も少なくはない」
「なるほど、スポーツ化した訳だ」
どこの世界でも、商業化が進むとそうなるらしい。
「具体的には分からぬが、その闘技場に魔神が出たとか……」
「闘技場に、ねぇ」
「眉唾よね」
奏も疑っているらしい。
そもそも魔神が出たらもっと大騒ぎになると思うんだが、どうなんだろうか。
まあ伝え聞いた話でしかない訳で、実際は行ってみないと分からない、というところか。
「で、俺たちが行けばいいのか?」
「そういう訳だ。今回に関して言えば、我々は大きく動く事が出来ない」
「それはどうしてですか?」
その問いに、ファラさんは少し顔をしかめた。
「まあ、高度な政治的な問題……と言えば恰好はつくが、実際は軍をファーンに送る事に対し、難色を示す者が多いのだ。
何しろ自由都市は都市国家群に属している訳ではない。
国際法規上で言えば、単なる自治区でしかないが、その影響力は絶大だ。
商業的、国際的にも我々の立場が危うくなる」
「魔神の話をして、通してもらう訳にはいかないんですか?」
「無理、だろうな。ファーンの連中が、そんなものを恐れるとは思えん。
彼らほど、他国の介入を嫌う連中もいないほどだ。
魔神だのという話は、自分らでけりをつけるだろうさ」
つまり、俺たちは自分で何とかするから入ってくるんじゃねぇ、という事か。
それならそれで俺たちも楽だから良いんだけどな。
「ついでに言えば、列王会議がまもなく開かれる故、その警備に人を割く必要もある。
そういう訳で、最低限度の人員しか動かせない、という訳だ。すまんな」
頭を下げるファラさん。中間管理職の悲哀を感じる。
しかしまあ、実際いつも戦ってるのは俺たちな訳で、そう考えると別段、いつもと変わらないのかもしれない。
「分かりましたよ。行きましょう」
「そうか。そう言ってくれると思って既に船は用意している。さっそく参ろうか」
現金な人だなまったく。
ファーンへは空路を使う、という事でもちろん利用するのは飛行船である。
乗り物酔いの前回の記憶があるので、あまり良い印象ではないが。
「どれくらい掛かるんですか?」
「まあ……補給も含めれば二日、といったところか」
遠いな結構。
二日間も空の上だと、正直、辿り着く前にノックダウンだ。
「安心しろ。夜には停泊所で宿を取っている。夜通しにはならんさ」
「それを聞いて少しだけ安心した」
「だらしないわねぇ」
奏が鼻で笑う。
くそっ、3Dゲームで酔った事は無いんだけどな。
船に乗り込み、出発する。
前回に比べると、兵士の数も少ない。
船を動かす最低限の人数くらいしかいなさそうだ。一応、ファラさんも付いて来てくれた。
「そういえば……前回の魔神を倒してまたパワーアップってしてるの?」
奏が俺たちに尋ねてきた。
そういや、あの猫野郎は今回出てきてないな。忙しいのかね。
「僕は神剣が解放されましたね。これで四本目です」
「……特に何もない」
バシュトラが呟いた。
前回一番活躍したバシュトラが無く、何もしていないアムダが貰えるのか。理不尽な。
「いやぁ、これでも一応仕事はしてたんですよ」
「…………」
「あれ、疑ってません? その目は」
「いや、なんかしてたなー、という印象はある」
「……今回は頑張りますね」
俺はと言うと――
「使える銃と装備が増えたくらいか。ハンドガン、アサルトライフル辺りのカテゴリが解放されてるみたいだな」
「じゃあ遠くからペチペチしなくても済むじゃない。突っ込めるわね」
「しねぇよ! こちとら一発食らったら死ぬんだぞ! リスポン出来ないのに突撃出来るか!」
「……りすぼん?」
それはポルトガルの首都である。
「もしかしたら、復活出来るかもよ?」
「いやいや、それ試せないから。そんな勇気ないから」
復活出来るとしても、死にたくはないが。
「他は特には無さそうだ。奏はなんか増えてるのか?」
「……枕元にこれが落ちてたわ」
そう言って見せてくるのは……透明のフィルム?
どっかで見た記憶あるな、これ。
「……あ、スマホの液晶保護フィルムか、これ」
「みたいね。というかあたしの端末、もう保護フィルム貼ってるからいらないのよね」
「なんて無駄なパワーアップなんだ」
そもそもパワーですらない。
薄々感じていたが、奏だけ、ご褒美がショボい……
ある意味、嫌がらせなんだろうか。
「ほら、バシュトラにやるよ」
「……これ、なに?」
「ララモラにでも貼ってやれ。肩凝りとかに効くぞ」
とりあえず受け取るバシュトラであった。
「おっさんは? また新しい武器とかか?」
「いや……私の場合は少し違うようだ」
「違うって?」
「……私には、かつて魔女から授かった三つの呪いがある。
どうやらその呪いの効力が、少しずつ増しているようだ」
呪いって、バッドステータスじゃないのか?
尋ねると、少しだけ笑って答えた。
「無論、良い事ばかりではない。しかし、戦う為には必要なものだ」
「そんなもんか」
「ああ……少なくとも、神ならぬこの身で、神を殺すにはな」
あれだけ強いおっさんの秘密が、垣間見えた気がした。
それと同時に――まだおっさんの事をよく知らない自分が、少し情けなかった。
俺たちはこうして表面的には仲良く振る舞っているが、心の底から信頼し合っている訳ではないんだろう。
「さて、旅路はまだ長い。少し休むといい」
ファラさんの言葉で、俺たちは休むことにした。




