ブラック・デモン・ダウン-6-
魔導砲の輝きは、空を覆い尽くし、魔神へと到達した。
一瞬。
瞬きするよりも速く、魔導の光が撃ち抜く。
残響。
空に音が響き渡る。
ドラゴンに乗って空にいた俺たちにも、その余波が伝わってくる。
「すげぇ……」
ビリビリと大気が震える中、それしか言葉が出なかった。
あれだけ大見得切ったんだから、それなりに凄い兵器だと思ってたが。
まさかあの魔神を一撃で倒すなんて。
「倒したのか?」
「……多分」
魔神の体がゆっくりと地面へと沈んでいく。
地上にいる兵士たちが慌てて逃げ出しているのが、空中から見て取れた。
そして――巨大な地響きを上げ、魔神が墜落。
大きく口を開き、ぴくりともしない。
「……勝った、のか?」
一秒、二秒、三秒。
頭が混乱してて、何が起きてるのか分からない。
しかし落ち着いて考えれば簡単な事だ。
魔神を倒したのだ。
「よっしゃぁぁぁ!」
「うおおおおおお!」
「兄貴! 兄貴! 兄貴!」
「トリアンテ万歳!」
俺のガッツポーズと、地上の兵士たちの歓声が重なった。
辺りはお祭りムードだ。
しかし前に座るバシュトラは、喜んだ表情を見せない。
何だ? まだ何かあるのか?
「どうしたんだ?」
「…………」
答えない。
じっと地上に落ちた巨大な魔人を見ている。
何があるのだろうか。
俺も首を伸ばして地上を覗き込もうとしたその時だった。
『さあ、ここからが本番だよ』
声が聞こえた。
くぐもった音声は、間違えようのない、あのふざけた猫野郎だ。
バシュトラの方から聞こえてくる。
そういや、この鎧、スピーカーも付いてるんだったか。そこから流れてるらしい。
「ちょっと待てよ! 魔神なら今倒しただろうが!」
『あはは。あれは外装だよ』
「外装……?」
『魔神ノルドノルドはここからさ。ここからが本番。ここからが最後。発狂モードってやつだよ、君の好きなゲームに例えるならね』
意味が分からない。
ただ、間違いなく言えるのは――
地面に横たわる魔神が、少しずつ胎動し始めたんだ。
「なっ!」
『さあ、目を凝らしてた方がいいよ。ここから先は一瞬さ』
まさしく一瞬の事だった。
魔神の腹の辺りから何かが飛び出した。
上空からだと判別つきにくいが、多分、魚のような姿をしている。
翼の生えた魚だ。
大きさは数メートルほど。魔神の巨大に比べるのであれば、非常に小さい。
そして――そのまま空へと飛び出した。
一瞬。
弾丸のように飛び出した魚を、誰も止める事は出来ない。
反応したのは、バシュトラだけだった。
「……ッ!」
いつの間にか構えていた槍で、向かってくる魚目掛けて、薙ぎ払う。
斬った。俺にはそう見えた。
しかし、魔神はそれをひらりと回避する。
目で捉えきれぬほどのスピードでかわされた攻防。
「ギャハハハハハハハハハハハ!」
魔神の声が聞こえた。
憎悪に満ちた、怨嗟の声だ。
笑い声を残し、魔神は空の彼方を目指して飛んでいく。
攻撃を避けられたバシュトラは、そのまま手綱を握ると、ララモラを駆って魔神を追い始める。
っておい! まだ俺も乗ってるから!
抗議の声は届かず、俺たちの追撃戦が始まった。
「ちょ、ちょっと、速過ぎるぞ……」
風圧で声を出すのもやっとだ。
ララモラの速度は先ほどまでの比では無い。
これが本気のスピードなんだろう。
しかし、魔神はそれよりもなお速い。
少しずつ、だが確実に離されていく。
なんて速度だ。
『さあさあ頑張らないと。この先には何があるのかな?』
「何って……」
何があるんだ?
意識を巡らせると、そういえばこの先には城塞都市があったな。
魔神は城塞都市に向かっているのか。
『あれだけ大きな魔力を溜め込んだ魔神の本体だよ。あの小さな体に、あの巨体全ての魔力が詰まってるとしたら、どうする?』
「どうもしねぇよ」
『あはは。あれはね、一種の核弾頭なのさ』
核弾頭ね。
その表現が、俺には一番ぴったりと理解出来る。
つまり、あの魔神は高速で都市目掛けて突撃を仕掛けるらしい。
『その破壊エネルギーは、100メガトンを超える。これはヒロシマ型原爆の実に6000倍近い破壊力だよ』
「ふざけろよ」
そんなもんが街で爆発でもしてみろ。
大参事どころじゃない。
というかどうやって止めろって言うんだ。斬ったりしちゃ駄目じゃねぇのか。
『なあに、バシュトラくんなら大丈夫。彼女のUG-5なら、あれくらいのエネルギーを消滅させる事、訳無いさ。
何しろあの竜王グヘナゲヘナですら、彼女の前にひれ伏したのだからね』
「……黙れ」
軽口を叩く猫野郎に、バシュトラがぽつりと呟く。
小さな声は、うっかりしていると聞き漏らしそうなほどだった。
しかし、そこに含まれた憎悪はあまりにも深い。
『ははは、そこは知られたくなかったのかな?
君が父と仰ぐ竜王を、惨たらしく殺した事なんてさ』
「……うるさい」
『まあいいさ。僕としては、君が魔神を倒してくれさえしてくれればね。
そうすれば――――きっと君の望むものが手に入るんだから』
それは、何を意味しているのか。
聞き返そうとしたが、バシュトラの横顔があまりにも鋭くて。
あまりにも――美しくて。
俺は、何も聞けなかった。
「……魔神は倒す。一人でも倒す」
今度ははっきりと聞き取る事が出来るほどの、殺意を込めた言葉だった。
うるさい。
うるさいうるさいうるさい。
全部うるさい。
私は一人でも大丈夫。
大丈夫なんだ。
だから、魔神を倒す。
倒して倒して倒して。
お父さんに認めてもらうんだ。
一人で出来ないと意味がない。
――トラ様、追いつけません!
ララモラの声が響く。
このアサルトリアクティブアーマーは竜状態のララモラの声も自動的に変換してくれる。固有の振動数を言語に変換する、とお父さんは言ってた。
だから、竜じゃない私にもその声は分かる。
この鎧は私の翼。
この槍は私の牙。
お父さんがくれた。
だから、これであの魔神を倒す。
そうすればきっと、お父さんは――
「……もっと速度を」
――これ以上は無理です!
悲痛なララモラの声。
分かってる。痛いくらいに。
でも、どうすればいいんだろう。
追いつけない。
魔神との距離は少しずつ、でも確実に離されてしまう。
遠い。
槍が届く距離まで近付く事が出来たら。あいつを倒せるのに。
でも、届かない。
いつも――いつも届かない。
だから、誰も認めてくれない。
だから、竜にはなれない。
弱い人間のまま、牙も羽も持たない私は、何にもなれない。
「……お父さん」
私の力は、届かない。
だから、お父さんも助ける事が出来なかった。
お姉ちゃんたちも、助けられなかった。
人間は嫌い。
でも、人間である自分がもっと嫌い。
弱い人間の私は、一番嫌い。
弱い自分では、誰も救えない。
「……ごめん、なさい」
「謝るのはまだ早いんじゃねぇのか!?」
声に、我に返る。
振り返ると、そこにいたのは――銃の人。
いたんだ、というのが正直な感想。
そういえば、そのままだった。
「でも……もう追いつけない」
「みたいだな。でも、まだ諦めるほどじゃあない。レースゲームに例えるなら、ホームストレートまではアクセル全開だぜ」
「……よく、分からない」
「だろうな。でも前を走ってる車に雷が落ちる事もあるし、亀の甲羅が飛んでくる事もある。
バナナは踏みそうにないが、勝負は最後まで分からないもんだぜ」
ガチャリ、と音が聞こえた。
風を切る音しか聞こえない中、金属音だけが重く響いた。
何の音だろう。
前を見ているから、後ろで何をしているか分からない。
そして――
「例えば――前を飛んでるファック野郎が、ライフルで狙撃される事だってあるかもな」
銃声が、遠く響く。
俺の放った銃弾は、前を飛ぶ魔神の羽を撃ち抜く。
体を撃ち抜いたら爆発するのなら羽はどうだ、糞野郎。
目論見通り、羽に穴の空いた魔神は、空中で大きく体勢を崩す。
無理もない。
これだけ高速で飛んでれば、ちょっとの傷が命取りだ。
「後は、任せた」
魔神が減速する。
その一瞬を見逃すほど、バシュトラは甘くない。
竜騎士の少女は、魔神に追いつくやいなや、そのどてっぱらに狙いを定める。
「UG-5! 原子崩壊!」
突き刺し、そのまま抉り込む。
魔神の断末魔が聞こえ、その肉体が輝き始めた。
爆発するのか!
そう思った刹那、魔神の体は一瞬で消滅していく。
塵となり、風に紛れて飛んでいく。
まさに一瞬。必殺の一撃だった。
「……今度こそ、本当に終わりか?」
「……多分」
ララモラが空を旋回し、警戒している。
ここでまた復活とかされたら、さすがに温厚で知られる俺も怒り心頭だ。
しばらく待ったが、何も起きない。
「……やった、みたいだな」
「うん」
終わった。
どっと疲れが押し寄せてくる。
色々とあったが、これにて終了ってやつだ。ミッションコンプリート。
後ろに倒れ込みたいくらいだが、今はドラゴンの上。下手に動こうもんなら真っ逆さまだ。
「お疲れさん」
「……うん」
「どうした? 浮かない顔をして」
「……一人じゃ勝てなかった」
バシュトラの声には失望の色があった。
一人で倒したかったのか。
いや、一人で倒せなかった自分を恥じているような、そんな声だ。
それが責任感から来るものか。
あるいはそれ以外の感情であるのか、俺には分からない。
分からないけど――
「別にいいじゃねぇか。一人だろうが全員だろうが」
「でも……」
何かを言いよどむ。
こいつはこいつで、色々と思い悩む事もあるんだろう。
ちびっ子の分際で生意気な。
ペチリ、とバシュトラの頭を叩く。
「……痛い」
「嘘つけ。俺の方が痛いわ。この石頭め」
まったく、頭の固いことだ。
「お前が一人でやりたいって言っても無駄だ。
俺たちは一蓮托生なんだからな。
だから――最後まで付き合ってもらうぜ」
「……うん」
「おらおら元気出せよ。ほら見てみろよ、空があんなにも近いぜ」
空を見上げると、青い青い大気が広がっている。
抜けるような青空。
この空の広さに比べたら、俺たちの悩みなんてちっぽけなもんだぜ。
……という臭過ぎるセリフはさすがに自重した。
「……そう、だね」
「だからさ。俺たちじゃアレかもしれないけど、力になれる事があれば、言ってくれていいんだぜ?」
「……うん」
「ま、とりあえず凱旋しますか。実はそろそろ俺も限界なんだ」
「……?」
疑問符を浮かべるバシュトラ。
俺は腰に手を当ててこう答える。
「そろそろケツが痛くて限界だ。今度からはクッションを敷いてくれると助かる」
ララモラが抗議の咆哮を上げた。
地上に降り立った俺たちを、アムダたちが出迎えてくれる。
兵士たちも浮かれ気分で騒いでいる。
何ていうか、大らかな連中だな。
「お疲れ。結局、バシュトラに全部助けてもらったわね」
「そんな事……ない」
「ツンデレ魔女様が珍しく褒めてくれてるんだから、ありがたく受け取っとけって」
俺の言葉に、ぎろりと擬音が付きそうな視線を向けてきた。
「ははは。まあいいじゃないですか」
「そういうアムダも今回、ほとんど仕事してないわよね?」
「いやぁ」
笑って誤魔化すイケメン様であった。
やれやれ。
「そういやおっさんは?」
「なんか兵士たちと一緒に向こうで騒いでるわよ。
まだ後処理があるのにってファラさんがぼやいてたもの」
「まあ……何となく想像出来るな」
おっさん、ああ見えて結構面倒見がいいからな。
色々あったが、今回も無事に魔神の討伐が出来た。
ようやく3体か。先は長い。やれやれだ。
個性的な面々で、何を考えているのか正直分からないけど。
俺たちなら――きっと大丈夫だ。
「まあ、今は勝った事を喜ぶとするか」
「……だね」
バシュトラがいつの間にか、隣にいた。
少し笑みを浮かべている。美少女の笑顔に、少しばかり、ドキリとしたのは内緒だ。
まったく……いつもの不愛想はどうした。
どんちゃん騒ぎが続いている。
アムダもいつの間にか兵士に交じって酒盛りを始めた。
おいおい、元気な野郎だな。
それを見た奏がアムダに詰め寄る。何を言ってるのか分からないが、いつも通り、真面目なやつだ。
仏頂面で、でも優しそうな顔でおっさんが見守っていた。
「お前は行かないのか?」
「……よく、分からない。人間とは、あまり話した事が無いから」
なるほど。
天然娘には天然らしい悩みがあるようだ。
俺はこっそりと、彼女に耳打ちする。
「じゃあ奏にこう言って仲間に入れてもらえ」
「……なに?」
顔を上げたバシュトラに、俺は最高の一言を教えてやった。
「このファック野郎ってな」
もちろんその後、俺が奏にしこたま怒られたのは言う間でもない。




