プライベート・クレイモア-10-
バシュトラは大空を舞う。
彼女が騎乗しているのは、伝説に名高いドラゴンだった。
彼女の鎧の色によく似た、薄い銀色の竜。
「あれは……一体」
トロルたちも突如戦場に乱入した敵に気付いたのか、手にした槌を振り回す。
しかし竜はその合間を縫うように空を裂いて飛ぶ。
バシュトラが槍を振る度、トロルの腕が吹き飛んだ。
あんな小さな体で、よくもまああれほどの威力を出せるもんだ。
しかし腕を落とされたトロルは、数瞬の後、再び腕が生えてくる。完全に化けもんだこれ。
「バシュトラ! あいつらは魔術士を倒さないと無理よ!」
奏の叫びが聞こえたのか聞こえていないのか。
バシュトラは少しだけ考えた後、再び空で切り替えす。
「……じゃあ肉片にするしかないね」
え?
その小さな呟きが聞こえたのは、ほとんどいなかっただろう。
バシュトラは構え直し、槍を捻る。
そして、空中高らかに詠う。
「個体識別名バシュトラの名に於いて、今ここに契約は成就する。
赤竜の鉄血を注ぎ、万物 悉く我に跪け。
UG-5――原子融解」
祈りの言葉により、彼女の持つ槍の穂先が赤色に発光する。
そして再び竜はトロルへと急降下する。
トロルもそれを向かい討つべく、鉄槌をぶん回す。
当たる、と思った瞬間には、バシュトラの肉体は中空に浮かび上がっていた。
竜から飛び、トロルの頭頂部に槍を突き刺す。
いや、そのまま槍はまっすぐに、トロルの股の間まで斬り抜けた。
それはまるでバターでも切るような滑らかさで、一体の巨人を真っ二つに裂いた。
「すげぇ……」
見るとトロルの断面図は何か溶かされたような、そんな傷口だ。
あの赤く光ってる槍が、それを行ったのだろうか。
「……真っ二つなら再生出来ないね」
二つに分かれたトロルを見て、バシュトラがぼそりと呟いた。
すげぇ。ただの鎧っ子ではないと思ってたがこれほどとは。
バシュトラは高く跳躍し、そのまま再びドラゴンの背に乗る。阿吽の呼吸だった。
竜の咆哮が轟く。
地上のゴブリンたちが空を見上げ、矢を放つ。
しかし、そんなものに当たるような速度ではなかった。
月に照らされ、竜と少女が空を飛ぶ。
「次は横に真っ二つ……」
彼女は言葉通り、トロルの胴を薙ぎ払う。
これまたすっぱりと斬り飛ばされ、上半身と下半身に裂けたトロルが出来上がった。もちろん、こんな状態では再生しようもない。
「マジかよ……」
「やっぱり、あたしたちの知る技術よりは明らかに上みたいね。
あの切り口も見るに、溶かして斬ってる感じ」
「ケーキナイフみたいにか?」
「まあ、当たらずとも遠からず、じゃない?
ただ熱で焼き切ってるというより、それこそ溶かしてるって感じよね」
「よく分からんが、凄い武器なんだな」
確かに、あれだけスパスパ斬ってるんだ、とんでもない武器だろう。
バラバラにされたトロルは再生も出来ず、ただ地面に転がっている。エグい。
さらによく見ると、血がほとんど流れていない。確かに溶けているという風にも見える。
残りのトロルたちがバシュトラを脅威と感じ取ったのか、一斉に彼女の下へと襲い掛かる。
しかしひらりと空に逃げると、返す刀でトロルたちの腕を斬り落としていく。
トロルの雄叫びが夜空に木霊する。
しかし竜の咆哮は、それを掻き消す。
「……ララモラ、お願い」
バシュトラの言葉に、竜が反応する。
一瞬空高く舞い上がったと思えば、地上に向け、大きく首を伸ばす。
そして――大地に向かって何かを撒き散らした。
「火を噴いた……じゃない?」
「あれ、何だろ……」
竜が吐き出したのは火ではなく、何かしらの液体だった。
液体がゴブリンの軍勢に降り注ぐ。
液体つうか唾液だよな、あれじゃあ。
そんな事を思っていると、ゴブリンが急に苦しみだす。
泡を吹いて倒れるゴブリンの姿。連鎖的に広がっていく。
「あれ、もしかして毒……か?」
「かもしれないわね。蛇とかトカゲも、毒を持っているの多いし」
「なるほど……」
でかくて羽が生えてるけど、爬虫類みたいなもんなのか、あれ。
竜を触った後は、ちゃんと手を洗った方がいいな、うん。
しばらく毒液を撒き散らした後、バシュトラが竜から飛び降りる。
すとん、と重さを感じない足取りで大地に降りる。
ゴブリンの軍勢のど真ん中に降り立ったが、周囲のゴブリンたちは全員、倒れて動けそうになかった。
「大丈夫か、あいつ……」
毒で倒れているとはいえ、ゴブリンの軍勢はまだまだ数多く控えている。
それにトロルも、バシュトラを囲むように近づいてきている。
空にいた方が安全じゃないのか。
そう思った瞬間、バシュトラが走る。
近づいてくるトロル目掛け、矢のように飛ぶ。
一直線に突きを繰り出すと、それを受けようとした鉄槌ごと吹き飛ばし、トロルの頭部を削り取る。
一体、二体、三体……
次々とトロルが倒れていく。
俺たちがあれだけ苦労した、あの大鬼が、あんな小さな女の子一人で。
笑うしかないなこりゃ。
気が付けば、あれだけいたトロルの群れが、一匹残らず地面に崩れ落ちていた。
月明かりの中、大地には少女が一人だけ佇んでいた。
「すげぇな……」
「ゴブリンたちが撤退していくわね」
少女一人に気圧されたのか、ゴブリンたちが下がろうとする。
撤退というより、逃走だな、あれは。
指揮系統も機能していない感じで、我先にと逃げ出そうとしている。
そんな中、一人のゴブリンが前に出てくる。
手にはゴブリンの背丈ほどもある長い刀を持っている。
その威風堂々とした立ち振る舞いは、他のゴブリンとは違っていた。
あれ、ボスか?
少なくとも、ゴブリンの強いバージョンなのは間違いない。RPGならホブゴブリンとネーミングされているだろう。とりあえずホブゴブと命名する。
「手合せ、願おう……」
「……いいよ」
二人が構える。槍と刀。
互いの身長は同じくらい。獲物の長さはバシュトラが有利か。
何かの漫画で、刀と槍であれば、槍の方が有利だ、とか読んだ記憶がある。
いや、でも大抵そういう場合、勝つのは決まって刀の方だ。
だから、こういう時に脇役がしたり顔で、「槍の勝ちだな」とか言うと、負けフラグが立ってしまうのだ。
自重せねば。
「この勝負、槍のバシュトラの方が有利ね」
言っちゃった!
この人、言っちゃったよ。
俺の驚愕した顔に、奏は、「なによ」と不機嫌そうに言う。
いや、何でもないんですけどね、はい。
「しゃあ!」
戦いの口火を切ったのは、ホブゴブの方だ。
気合い一閃、刀を横薙ぎに振るう。
さっと後ろに飛び退くバシュトラは、下がるや否や、今度は自分から突進する。
槍を構え、そのまま目にも止まらぬ速さで乱突き。
しかしホブゴブはそれらを紙一重で避けると、空高く舞い上がった。
上空からの唐竹割り。
バシュトラはそれを槍で受けると、距離を取る。
ホブゴブはそれを追撃。刀を袈裟懸けに振り下ろす。
斬撃と斬撃が重なり合う。
なんつうか、達人の戦いだな、こりゃ。
「凄いな、こりゃ……」
両者は一歩も譲らず、剣戟を交わしていく。
戦いは素人目には均衡しているように見えた。
しかし、少しずつホブゴブが後ろに下がっていく。いや、押されているみたいだ。
バシュトラの槍は突くというより薙ぎ払う事が多く、横の範囲の広い槍が有利のようだ。
対して、ホブゴブの持つ大太刀は肉薄しないと戦えない以上、中々厳しいようだ。
「その年でそれだけの武功を積み上げるとは、恐れ入る」
「……そっちもね」
「では、本気で行かせてもらう」
ホブゴブがそう宣言すると、その体から靄のようなものが発生する。
あれは、漫画とかでよくある闘気とかオーラとか、そういうやつなんだろうか。
「ゆくぞ――ゴブリン族が秘奥、その身に着飾るがいい!」
ホブゴブが跳躍する。さっきよりも速い。
一気に加速し、バシュトラとの距離を詰める。
接近されてしまえば、獲物の長さの分、バシュトラが不利だ。すぐさま後ろに飛び、距離を空ける。
しかし、ホブゴブはそれを狙っていたようだった。
「もらったァァァ!」
後退するバシュトラ目掛け、横薙ぎの斬撃。
斬撃は彼の意思を飲み込み、衝撃波となって放たれる。
回避は――間に合わない。
咄嗟にバシュトラは体を屈め、衝撃波を体で受ける判断を下す。
衝撃が、小さな体を襲う。
吹き飛ばされ、バシュトラの肉体が大地を転がっていく。
「バシュトラっ!」
「ぬるいわッ!」
ホブゴブが大地を駆ける。
さらに斬撃を二度、三度と放ち、倒れたバシュトラへと畳み掛けるように。
すんでのところで立ち上がったバシュトラは、槍を払い、衝撃波を打ち消す。
ホブゴブは既にバシュトラの目の前だ。
再び槍と剣が交差する。
甲高い金属音と共に、火花が飛び散った。
「これで終わりだ!」
ホブゴブが剣を大上段に構え、一気に振り下ろす。
やばい。
俺がそう思った瞬間だった。
確かに、バシュトラの笑みが見えた。
「UG-5、原子分解……」
声に反応し、槍が震える。
振り下ろされた刀を、彼女は槍で受ける。
その時、ありえない光景を俺たちは目撃した。
ホブゴブリンの振り下ろした刀が、槍に触れた瞬間、消滅したのだ。
刃の先を失い、さすがのホブゴブも驚愕の表情を見せる。
そして、その隙を見逃すほどバシュトラは甘くは無かった。
「――――!」
くるりと槍を回し、ホブゴブの胴体を射抜いた。
刹那、ホブゴブが横に飛んで咄嗟に致命傷を免れたのは、さすがは歴戦の勇士と呼ぶべきかもしれない。
しかし、その傷は大きく、これ以上の戦闘の続行は不可能に見えた。
「……勝ち」
蹲るホブゴブに槍を突き付け、バシュトラは小さく宣言する。
「くくく……なるほど、面妖な。武器の差が……明暗を分けたか」
「……かもね」
「いや、己の獲物のせいにすまい。
娘よ。名を……我を倒した者の名を聞かせてくれまいか」
言葉は絶え絶えに。しかし力強かった。
「……バシュトラ」
「そう、か。良き名だ。
我は十氏族が一人、ココノエ・ノルニルだ。
……最期に、そなたと見える事が出来て――良かった」
ココノエと名乗ったゴブリンはそう言うと立ち上がった。
あいつ、まだやるつもりか。
しかし俺の考えとは裏腹に、ココノエはゴブリンの集団に刀を向けた。
控えて見ていたゴブリンたちがビクリと反応する。
「……我が…… 輩を操っている者が、あそこにいる。
くっ、これ……以上は……語れぬ、か……」
マジかよ。
つまりそいつが――魔神って事か。
「名誉無き戦に……身を投じる事となったが……
存外、悪くなかった、ぞ……」
そう言うと、ココノエはにこりと微笑んだ。
そして――
彼の肉体が、トマトのように爆ぜた。
「どういう事だよ……」
「……爆弾でも埋め込まれていたのか、あるいはそういう呪いだったのかもしれない」
奏が冷静に、しかし怒りを押し殺した声で言う。
「あのココノエというゴブリンは他のゴブリンと違い、理性を保っていた。
だから……魔神に刃向えば、ああなる風に……」
「糞ったれが!」
怒りで血が沸騰しそうだ。
正直なところ、ゴブリンたちとは何の関わりもない。
だが、こんなふざけた真似を許しておけるはずもない。
俺はM25を構え、ココノエの指し示した方向を見詰める。
ゴブリンたちの群れ。
その中に、そいつはいた。
大きさはゴブリンよりも少しだけ大きいくらい。この間の魔神のサイズと比べるならば、非常に小さい。
しかしその形は異様だ。
銀色ののっぺりとした楕円型をしている。
手と思しきものが付いているものの、触手がそこから幾重にも伸びている。
顔は無い。目も口も鼻も、何も無い。
魔神というよりは、宇宙人と呼ばれた方がしっくりくる、そんな姿をしていた。
あれが……あの野郎が。
「見つけたぜ、糞野郎」




