優しい世界の壊し方-6-
「なら、一度エルフの里に来るのはどうだろうか」
ナナアンナの誘いは、ある意味で俺たちにとっては魅力的だった。
現状、行き詰った状態では何も出来ない。
そういう意味では、一度、エルフの里に行くのは俺のやるべき事を考えても、正しい選択であるように思えた。
ちらりと視線を奏に向けると、彼女もこちらに視線を投げかけ、アイコンタクトを交わす。
何となくだが、彼女の言わんとする事は分かる。
「しかし俺たちが行ったら問題になるんじゃないのか」
探りを入れるつもりで疑問を投げかけると、ナナアンナは少し上ずった声を上げた。
「だ、大丈夫だ。その辺りはきちんと手配している」
「…………」
「いや、もし他に用事があるならば無理強いはしないさ」
再び奏を見ると、疑惑が確信に変わったような表情だった。
感情の機微に疎い俺でも見抜けるのだから、ナナアンナは大根女優である。
どうしたものかと考えたものの、俺は顔を上げて答える。
「分かった。エルフの里に行こう」
「……そうか」
彼女はどこか安堵したような表情を浮かべると、こちらに背を向けて歩き出す。
「こちらへ。案内しよう」
その背について俺たちも歩き進むと、いつの間にか隣にいた奏が小声で話しかけてくる。
「……どうする気よ。分かってるんでしょ?」
「まあ、そうだな」
「どう考えてもこれは罠よ」
奏の指摘通り、これは罠だろう。
ナナアンナの態度が先ほどまでとは違っているし、何より俺たちがエルフの里に行くのは危険であると、彼女自身が言っていた事だ。
さすがの俺でも少し考えれば理解は出来る。
だが――
「罠だとしても、行ってみたいと思ったんだ」
「正気? アムダの事があって、自棄になってるんじゃないでしょうね」
彼女の視線が鋭く俺の胸を射抜く。
「別に自棄になった訳じゃないぜ」
「だったらッピンチになればアムダが颯爽と助けに来るとでも思ってるのかしら?」
「あいつはそんなタマじゃないさ」
そんなヤツなら、こうして言い争う事もなかっただろう。
「アムダの事を抜きにしても、俺は行くべきだと思うんだ」
「それは男の勘ってやつ?」
「まあ、ぶっちゃければそうかな」
特に根拠のある話じゃない。
単に俺がそうしたいと思ったからだ。
俺たちは結局、この世界から見れば異分子に過ぎないと、プリムローズやアムダに言われ、今更ながらに気付いた。
話し合えば解決するなんて青臭い考えがないとは言わない。
だが、それでも話してみたいと思った。
「……分かったわ。あなたがそう思うなら何も言わず、付いて行く事にするわ」
「いいのか? 間違った判断かもしれないぜ」
「その時はその時で、どうとでもなるわ」
奏が不敵な笑みを浮かべる。相変わらずぶっ飛んだ女だ。
「それに、決めたのよ」
「何をだよ」
「何があろうと、あなたに付いて行こうってね」
「それは、俺を信じてるって事か?」
「いいえ。あなたを信じてるあたしの勘を信じてるのよ」
「……なるほど、女の勘ってやつだな」
そんな会話をしていると、不意にナナアンナが足を止める。
俺たちの方をゆっくり振り返ると、少し寂しげな表情を浮かべた。
「……ここだ」
彼女がそう告げた瞬間だった。
周囲に乱立する木々から人影が現れる。
木の影や枝の上に現れた人影は、皆一様に弓を構え、こちらに矢を向けていた。
少なく見積もっても二十人以上に囲まれているだろう。
「動けば殺す」
俺たちを囲む人影の一人――エルフが威圧的に告げる。
ナナアンナはもう笑みを浮かべていない。
代わりに慙愧に満ちた表情を作っている。
「……すまない」
「何か事情があっての事なんだろ。だったらいいさ」
俺の言葉に、ナナアンナは驚いたような顔をした。
まさか罠にはめた相手に気遣われるとは思ってもいなかったんだろう。
周囲のエルフたちが警戒したまま俺たちのそばまで来ると、腕を縄で縛っていく。
しかしまあ、俺や奏はともかく、おっさんやバシュトラならその気を出せば簡単に引きちぎれそうな縄だ。今は大人しく捕まった振りをしているが。
「連れて行け」
エルフに連れられ、俺たちは再び森を歩き始める。
数十分ほど歩いたところで、森が開けた場所に出た。
それは大樹で覆われた巨大な街であった。
木を使った家々が並び、その奥には一本の巨大な樹が見える。
どうやらここがエルフの里と呼ばれる場所らしい。
「こっちだ、付いて来い」
前を歩くエルフの言葉通りに歩いていく。
街角にはエルフの人々の姿があり、こちらを物珍しげに眺めている。
少なくとも、街中にいる人々には敵意はなさそうだ。
「なあ、どこまで行くんだ?」
「…………」
話しかけても、エルフの兵士は答えない。
やれやれ、と思ったところ、正面に見知った顔を見かけたのであった。
他のエルフの兵士たちとは少し違った出で立ちの女性が、俺たちの行く手を遮るように立っていた。
「あなたは……クロフェルさん」
彼女はエルフの親衛隊長を務めていたクロフェルだ。
相変わらず凍てついた視線をこちらに向けている。
「こいつらは私が預かろう」
「しかし……」
「構わん。お前たちは元の仕事に戻れ」
クロフェルの言葉にそれ以上は言えず、兵士たちはそのまま来た道を引き返していく。
残された俺たちは、クロフェルへと視線を向けた。
「俺たちの事……覚えてる……訳ないか」
魔神オルティスタの精神魔術で、俺たちの認識は消されている。
クロフェルが俺たちの事を覚えているはずがない。
だが――
「……無論、覚えている」
「マジかよ」
思わず顔を見合わせる。
「ここでは人目につく。歩きながら話そう」
そう言ってクロフェルが歩き出し、俺たちもその後を追った。
少ししてから、彼女が口を開いた。
「……あの列王会議の日以来、陛下は変わられた。
極端に人間の文化を嫌い、排除しようとされている。
今までの陛下であれば、考えられぬ事だ。
そして、いつの間にか、お前たちが陛下を暗殺しようとしていたという話が広がっており、あろう事か、陛下本人がそれを信じていたのだからな」
「クロフェルさんには、精神魔術が効かなかったみたいね」
俺たちは歩きながら、全ては魔神の仕業であると説明する。
合点がいったように、クロフェルは頷いた。
「何となくだがそんな気がしていた。
しかし私は武人だ。たとえ陛下の考えが変わられたとしても、それに従うのみ。
そう思い、今まで命をこなしてきたのだがな」
そう言ってクロフェルは視線を遠くに向けた。
「先ほど、ナナアンナから相談を受けたのだ。
彼女の妹の病をあなた方に治してもらったようだな。私からも礼を言う」
「いえ……」
「しかしナナアンナとあなた方が一緒にいるところを誰かに見られていたようでな。
その者が陛下に密告したのだ。
陛下の命を狙っていた暗殺者が、この森にやってきたと。
そして、ナナアンナの妹を盾に、あなた方を呼び出すように命じたのだ」
「だから彼女は俺たちを罠に……」
別に恨んじゃいない。むしろ俺たちのせいで迷惑をかけたなと思ってしまった。
「ナナアンナからその話を聞いて、さすがにやり過ぎだと思った。
かつての陛下ならば、我が子と愛する臣民を盾にして、そのような事を迫るはずがない。
だからお前たちに会って事情を問おうと思っていたのだ」
彼女はそう言うと、視線を俺たちに向けていく。
「叶うならば陛下に掛けられた術を解きたい。方法はあるのか?」
「オークの王様の時は思い切りぶん殴ったら治ったけど……」
さすがにエルフの女王様の頭を殴るのは気が引ける。
「物理的じゃなく、精神的にでもショックを与えられれば、術は解けるはずよ。
クロフェルさんに精神魔術が掛かってないって事は、術は完璧ではないのだし」
「そう言えば、ファラさんも術の影響を受けてなかったな」
「ええ。魔術抵抗の問題か、相性の問題かは分からないけど、問答無用な魔術ではないって事ね」
「ではどうするのだ?」
おっさんの問い掛けに、奏は少し考え込む。
「そう言えば、ディアネイラ王女はどうされているんですか?」
「それが、列王会議から戻ってきた後、部屋にこもりがちで、あまりお顔を見てはいないのだ。
だからディアネイラ様が精神魔術にかかっているかどうか、判断はしかねる」
クロフェルの言葉に、奏は小さな笑みを浮かべた。
「ならまず、ディアネイラ王女から仲間にしましょう」