F-36
彼らが目指す町、F‐36は荒野のド真ん中にそびえ立つ岩山を背に、扇状に築かれた町だ。山裾の斜面に広がるため、見晴らしはいい。左右対称に築かれており、正門から町の中心を貫く大通りが通っている。荒廃した町や治安の悪い町が多いとされるFブロックだが、この町はそうでもないらしい。トウマ達が町に入ったのは正門に向かって右、東門からだったが、通りのあちこちから活気溢れる声が聞こえてきていた。荒野の中でも人々が生き生きと生活しているのがよく分かる。
彼らが車を降りたのは、東側地域の中心近く、三階建てで古ぼけてこぢんまりとした建物だった。
「あら、帰ってたの」
「…ただいま」
「久し振りー、マオ。元気ー?」
トウマが自分の荷物を降ろしている時に、30代ぐらいの女性が建物から出てきた。襟足の辺りでざんばらに切った金茶で少し猫毛な髪、知的な鳶色の瞳の男勝りな雰囲気の漂う人だ。壁に軽くもたれるようにして腕を組んで立ち、細い煙草を咥えて紫煙をゆるりとたなびかせている様は、それだけで絵になる。それらしい恰好をすれば裏社会や夜の世界でも十分やっていけそうだが、そういうのとは縁の無い堅気の人である。まあ多少鉄火な所はあるが、この建物で食堂兼下宿屋をたった一人で切り盛りする立派な女将さんなのである。彼女を知る人は、親しみを込めて『おかみさん』、もしくは『マオ姐さん』と呼んでいる。ちなみに、トウマは今のところここで唯一の下宿人だ。
「今回は意外と早かったんだね」
「思ったよりいい物が手に入ったから、さっさと引き上げてきたんだ。あ、これはお土産。いつも何やかんやと世話になっているし、たまには何か一つお礼代わりにでもって思ってね」
いそいそとマルスがステッカーだらけのおんぼろなトランクの中から取り出したのは、これまた古ぼけた小箱。金属製だと思われるその箱の中は布張りになっており、銀のチェーンに深く澄んだ蒼い石が付いているネックレスが仕舞われていた。
「へぇ…。なかなかいいじゃないか。色も私好みだよ。でもいいのかい?素人の私が見ても、こいつはそれなりに高値で捌けるだろうよ。本当に貰っていいのかい?」
「気にしないでよ。言ったっしょ、今回はいいのが手に入ったって。他にも高値で売れそうなのもあるし、これから選別して売りに行けば十分。だからトウマっち、手伝ってね」
「…は?」
突如話を振られ、荷物番代わりに車にもたれて暇そうにしていたトウマは目を丸くした。何が『だから』なのか、さっぱり分からない。
「は?じゃないでしょ。いつもとは違って今回は物がいいから、ちゃんとそれなりの値で買ってくれるルートに売りに行きたいの。でも僕はどれがポンコツでどれがそうじゃないのか、とかそんなのさっぱり分かんないから、トウマっちに手伝ってもらいたいなー、なんて」
満面の笑顔でマルスがこう言う間に、トウマの顔からは表情が消えていった。完全に無表情になったところでさすがにまずいと思ったのか、マルスはそろそろと逃げの体勢に入ったが、時既に遅し。ダンッと叩き付けるように持っていた自分の荷物を地面に置き、青筋を浮かべた無表情で、トウマがマルスに掴みかかった。ただひたすらに怖い。マルスは逃げようとジタバタもがくが、襟首を掴まれて吊り上げられてしまった。これではもはや逃げられない。逃げようがない。そんな二人を見て、マオはいつもの事だと慣れた様子で食堂の中へ戻っていった。溜息をつく事すらなかった。
「ちょ…ちょっと待ってよ、トウマっち!何で僕がこんな目に遭わなきゃならないのさぁ!」
「テメェなぁ、なに勝手に人の仕事増やしているんだよ!そこまで契約には含まれてねぇぞ!」
「だってさぁ…」
「だってもくそもあるか、この大ボケカスナスビ!手伝ってほしいなら前もって相談しろ!今すぐ急に手伝えって言われても、こっちにも用事があるから無理に決まっているだろ、少しはその頭使って考えろ!追加料金とるぞ!」
怒鳴られたマルスは、トウマっちのいじわるー!と抗議しているが効果は無いようだ。
「俺が大戦前の事を話題にされんのを嫌ってるって分かってる上で、なんでお前はいつもそういう話を吹っかけてくるんだ!」
本気で怒鳴られたせいでマルスは縮み上がって何も言えなくなったが、狸なので内心何を考えているか分かったものではない。トウマはそんな彼を雑に放り投げるようにして手放し、キレた表情のまま肩を怒らせて、自分の荷物だけ持って建物の中に入っていった。
マオの店の正面入り口のドアは、古そうな木枠に曇りガラスの嵌め込まれたもの。アンティーク調のドアノブは、細い蔓が彫り込まれている金属製。中に入る時には押して開けるタイプのドアだが、開くときにチリン…と涼しげな音を立てるのは、ドアの内側にマオが取り付けた陶器製と金属製の二種類のベル。音色も音程も異なるのだが、丁度いい具合に和音を奏でている。そして中に入ってすぐにあるのが、一般客も下宿人も、誰でも利用できる食堂兼休憩所。テーブル席にしろカウンター席にしろ、余計な物は何一つとして置かれていない。殺風景で暇人の溜まり場だが、雰囲気は悪くない。マオはカウンター奥にある厨房で仕込み中らしく、香辛料のいい香りが漂っている。そのまま食堂の奥にある階段を上れば、下宿者用の部屋が並んでいる廊下に出る。トウマのは階段上がって右、通路の突き当たりにある、南向きで建物の南西の角部屋。まだ昼前なので、部屋に日光が差し込むのは時間的にまだもう少ししてからだろう。そんな彼の部屋にあるものは、ベッドの他に机と椅子、卓上ライトが一つずつ。それと数冊の本やファイルに、着替えが少し。それ以上は特に何もなく、生活臭のあまりしない部屋だ。
(…あー、すっげぇじゃりじゃりになってやがる。おやっさんの所にも行かねぇとなんねぇしなぁ…)
体中が砂やほこりでジャリジャリになっていたのに顔をしかめ、肩にかけていた荷物袋を放り投げるようにして床に置いた。その中から出かけていた間に着替えた服を引っ張り出し、部屋に備え付けの戸棚に放り込んであった予備の着替えも持って、また一階に降りていった。
「マオ、シャワー室借りるぞー」
「はいはい。洗濯に出す服は一応叩いておいてよ。あんたの服、いっつも砂まみれで片付け大変なんだから。それと、上がったらお昼御飯だからね」
「あいよ」
ここでは水回りは共同になるので、風呂に入る、と言ってもシャワー室を皆で利用するしかない。単純に水の確保の問題らしい。階段下にあるシャワー室では、蛇口からは水しか出てこない。ただしここには冬が存在しないので、よほどのへまをしない限り風邪をひく心配は不要になる。また、体温を下げるという意味でも水浴びは有用なのだ。ちなみに確保の問題から水回りは共同だ、と述べたが、使用制限は無い。この辺りには地下水脈が通っているため、使いたい放題はさすがにできないが、他所の町よりかは水を自由に使えるのだ。そもそもこの町は古くからオアシスとして栄えてきており、それが発展して現在のような商業都市になったのだ。大戦の前からこの地には都市があったという言い伝えもあるぐらいだ。
(そろそろ上着も買い替え時かな。かなりぼろっちくなっちまったし、傷みもひどくなってきたからなぁ。…まぁ、あの仕事していて服が傷まない方がおかしいんだけどな)
獣の多くは、その体内に何らかの毒を抱えている。正確には、大戦後に人の住んでいない土地に生息する全ての生物が、である。加えてその毒は、彼らにとっては無害でも人間にとって有毒である事が多い。獣が駆除の対象になる理由の一つが、それだ。そして駆除屋はそんな獣を退治して回るため、いくら飛び道具を利用して返り血を浴びないようにするなどの対策を立てていても、どうしても上着にかかってしまう事がある。そして、毒が血液に含まれていると、服に付けば溶けたり焼け焦げたりと、強い酸性の物質をかけられたようになってしまうのだ。
(とりあえずシャワーで体洗おう…)
荷袋から引っ張り出してきた服と一緒に、脱いだ服は名前の書かれた籠に山積みにしておく。こうしておけば、後でマオが洗濯しておいてくれるのだ。
冷たい水を一気に浴びると体に悪いので、少しずつ慣らしながら水浴びする。ここの水はタンクでの汲み置きではないので、ぬるくもなければ金属臭くもない。さすがにそのまま飲むのには勇気がいるが、さっぱりするのには申し分ない。
全身がさっぱりして程よく冷えたところで外に出た。タオルを首からぶら下げて食堂に戻ると、既にテーブル席は昼食を食べに来た人で埋まっていた。大抵は地元の人だが、仕事でこの町を訪れたと思われる人も、何人かいる。この食堂は商人などの間では有名なのだ。ちなみにトウマの定位置は、カウンターに向かって右から三番目。割と店の奥の方の席になる。
「あら、もう上がってきたの。いつも早いわよねぇ。…本当、カラスみたい」
「どういうものの例え方だよ…」
氷水の入ったグラスを持ってきたマオは、そんな彼に対して笑った。水で濡れたせいで黒々としている髪を指したのか、それとも素早い行水を指して言ったのか…。どちらにせよ、今のこの世界にカラスはいない。大戦は乗り越えたものの、その後の環境の変化に適応できずに絶滅したからだ。
「つべこべ言わないの。…はい、お昼の定食」
「サンキュ」
まだ少しばかり不満げなトウマだったが、マオの方には彼の相手をしてやる気はさらさら無かった。それよりも、次々にやって来る客の相手でてんてこまいになっていた。ここを訪れる客のうち、その何割かは常にせわしなく生きているような人達なのだ。どんな些細な事でも時間は無駄にできない。そのため接客も提供する料理も、相手に時間をとらせないようにマオは努力していた。例えば、早食いしやすいメニューにしているので、本日の昼は肉団子入りのスープに大盛りの炒飯。大の大人達が無言でかっこんでいる中、トウマも瞬間早業レベルでかっこんでいた。…何かを急いでいるのか、本当に空腹なのか、それは不明だが。
「…あんたさぁ、ちょっとは味わって食べているの?」
「ちゃんと味わっているに決まっているだろ。こんなうまい飯を楽しまないで食えるかっつーの」
「なら少しはゆっくり食べたらどうなのさ」
「無理。腹減っているから。それにあの仕事していると、ゆっくり飯食うなんて無縁になるしな。今回だって、ファーロに追っ駆け回されて、それ追い払ったら今度は砂狼の群れだ。おちおち休憩取ってらんなかったんだよ」
「それは…大変だったね。一体どこまで行ったらそうなるんだい。ま、あんた達の事だから、どうせ町の外だろうけどね」
「…“交差点”よりも東。あいつが穴場見つけたらしくってさ。いつもの如く付き合わされた。で、そこがたまたまファーロの縄張りの中だったもんだから、見つかって追っ駆けられたって訳。しかも砂狼の相手している時に銃がイカれてさ。あれはちょっと焦ったなぁ」
「…そう」
トウマは平然とした様子で昼食を食べていたが、居合わせた他の客は聞こえてきた話のせいで顔色が悪くなっていた。マオも、さすがに表情が少し引き攣っている。
「あんた、よくそんな話しながらご飯食べられるわね」
「ん?慣れの問題だと思うけど」
「あっそう…。とりあえず、これ以上余計な事は言わなくていいから。これ以上話進められたら、お客さん皆帰っちまうよ」
常連組や、危険と隣り合わせな生活が日常のような人はともかく、ただの町の人や商人にとっては今の話はハードでしかない。食事もそこそこに店を出てしまった人がいないだけ、まだマシだ。
「ごっそっさん。…そうだ。マオ、俺これから出かけてくるな。銃を修理に出さねぇといけねぇからさ。多分、夕方には帰るよ」
「はいはい。行ってらっしゃい」
そう言われ、トウマは呑気そうに、荷物を取りに部屋に戻っていった。食堂に残った全員で、揃って溜息をついたのは言うまでもなかった。
市場に出かけるだけなので、装備が不要になる分トウマの格好もシンプルなものになる。サンダル、幅広な七分丈のズボンに、ノースリーブのTシャツに袖を捲った長袖のシャツを羽織るだけ。日差し避けに帽子を被れば、それで完成。財布などの貴重品は、ウエストポーチに入れてたすき掛けにした。修理に出す銃は、収納袋に入れて肩にかける。
下宿を出てすぐに、彼は自分に向けられる妙な視線に気付いた。自惚れている訳ではない。それに、彼は人から注目されても全く嬉しくなかった。この町は基本的に色々な人が行き交うため、火器を持っている人が通りを歩いていても別におかしくない。なので、この視線は好奇の色を含んでいなかった。よくない色をした視線だった。
(うーむ…。同業者か、警備隊の奴らか?それとも、駆除屋に何らかの恨みを持つ奴か。俺個人に対する恨みとかそんなの、と判断するには視線の数が多すぎる。…もしかしたら、極東民に対して何か思う事でもあるってか?一応髪は帽子で隠したけど、目付きはどうしようもないしなぁ。でも、もしそうだとしたら、なんでわざわざ俺に怒りや憎しみの矛先を向ける?んー…、一応気を付けとくかぁ)
通りの影、建物の影、その他あちらこちらから向けられる視線は、あまり感じのいいものではない。個人的に心当たりの無いトウマは、首を少しばかり傾げながら、かといってその視線を気にする事もなく、淡々と目的地を目指した。
町の中心を通る大通りを挟み、この町は東地区と西地区に大きく分ける事ができる。マオのやっている下宿や、マルスの定宿の商人宿があるのは、東地区の外れ。東と西では棲み分けが自然に行われており、東地区には主に居住区と、商店や様々な事務所などが集まっており、昼夜を問わず活気に溢れ生活臭の漂う地区になっている。一方の西地区は、工場や作業所が多いため、いつも人気の少ない静かな地区だ。その外れの方では、貧しい人達の掘立小屋が立ち並んでいる。そして、どちらの地区も大通り周辺は華やかだ。その界隈にいるのは汚れ仕事とは縁遠い人ばかりなので、トウマの姿は目立って仕方がなかった。
(人に見られるのはどうってことねぇんだがな…。いつも思うが、ここ渡るのが大変なんだよなぁ)
大通りは交通量が多いが、信号なんて便利な物は一つも無い。そもそも、この世界に“信号”は存在しない。歩道橋も地下道も、車の交通量の多い通りを歩行者が安全に横断するすべは何一つとして存在しない。では歩行者が通りを横切る時はどうするのか。それは、車の流れのほんの僅かな隙をつき、一息に走って渡りきるしかない。数年に一度だが、歩道橋を作ろうとか地下道を作ろうとか、そのような話は出てくるものの、今のところ実現していない。一応、中央分離帯に渡りきりそびれた人用の待機場所があるが、それが唯一の救いだろう。それでも事故に遭う人は後を絶たない。
(手旗信号の一つでもあればもっとましになると思うがなぁ。ま、“信号”って概念が消滅しちまっているから、どうしようもないか)
ちなみに、今回のトウマは、タイミングを上手に合わせられたので一息に渡れたようだ。
西地区が華やかなのは、大通りに面した一部だけ。中の方に入るにつれ、人気は少なくなってどんどん静かになる。聞こえてくるのは、工場で使われる機械や槌の音とか、それぐらいだ。そんな中、彼が目指す工房は、裏路地を何本か通り抜けた先にひっそりと建っていた。看板など目印になる物は何一つとして無く、一目見ただけではただの古びた家でしかない。しかしそこは、トウマが何年も世話になっている、特殊な火器専門の工房なのだ。
「じっちゃーん、いるー?俺ー、トウマだけどー」
「…他人の無駄話に付き合う暇は無いぞ」
店の奥から出てきたのは、痩せた老爺だった。背中が丸まっているため、ただでさえも小柄なのに、更に低身長に見える。白くてモジャモジャの髭と髪のせいで顔の大半が隠れてしまっている。目も閉じているのかどうか判別できないような糸目なので、表情を読み解くのは難しい。
「仕事の依頼だよ。こいつ、使っていたら急にイカレっちまってさ。多分ただの弾詰まりだと思うんだけど、どうせ暫く暇だしこの際メンテに出しとこって思って。ここ最近のこいつを使っていた環境も悪かったし」
「…お前さんの仕事場は、どこも似たり寄ったりで、環境のいい場所なんぞ無いじゃろ」
「そりゃなぁ…。砂埃たちこめる荒野なんて、大抵の道具にとっちゃ天敵みたいなもんだもんな」
これなんだけど、とトウマが工房の中央にある作業台に修理対象の銃を乗せると、老爺の目付きが途端に変わった。まるで、獲物を前にした獣のように爛々と輝いていた。
「手入れは念入りにしとるじゃろ?お前さんなら、こいつの扱い方はよく分かっとるだろうしの。かなり改装しとるから、全て分解して調べるとなると、それなりにかかるぞ。まず、一日では終わらんの」
「それぐらい気にしないよ。こっから暫くは、仕事の予約も入れてないから。俺もそいつも、しばし休息だ」
「お前さんのレベルなら、大金を積んででも雇いたいという物好きはどこにでもおるじゃろうしな」
「おまけに、今さっき帰ってきたところだしな。立て続けに討伐に出かけたら、神経使いすぎて倒れっちまうよ。どっからともなくやって来る依頼人を一々相手していたら、こっちの身がもたねぇ」
こう話しながらも、工房の主の老爺は、トウマの銃を舐めるように隅々まで眺めていた。どこか気になる箇所を見つけると、手元のメモ帳に書き留めていく。トウマはそれに、自分なりに気になっていた違和感を付け加えていく。違和感は、どんな些細なものでも放っておく訳にはいかない。いつ、どのタイミングで不具合に変わるか分からないからだ。不具合になってからでは遅い。彼の仕事では、今回のように、道具の不具合は命取りでしかないからだ。
「それにしても、いつ見てもこのモデルはいい形をしとるのぅ」
「宙歴350年、レダ社製のGP‐160。大戦中盤以降に一般的に使用されたGPシリーズの中じゃ、最高傑作と言われる名品。ちなみに、レダ社はこれを売り出してすぐに空爆に巻き込まれて消滅。よって、生産量が必然的に少なくなったこいつは、プレミアがつくようになる。今でも裏市場じゃ目玉品の一つだ。でも、まだまともに稼働するものはごく僅か。整備が面倒だからな。まともにチューンできる奴なんて、この世にはそう残っちゃいねぇ」
「大部分が先の大戦中に亡くなったか、“繭”に入ったものの目覚められなかった、もしくは未だに目覚めていない、のどれかじゃからのぅ。わしなんかは運のいい方じゃよ。今もこうして、昔の技術を生かして好きな機械弄りを続けられるんじゃからのう。老い先短いが、好きな機械を弄っておれるのは幸せなもんじゃ」
(…爺さんの場合、機械や銃器とかへの愛が大きすぎて、半ば変態なんだがな)
今も、僅かにうっとりした目付きで銃を見ているほどだ。付き合いきれないよ、と小さくボヤいたトウマは、上着の隠しから小さな革袋を取り出し、作業台に置いた。中で、チャリ…と金属のぶつかる音がした。
「んじゃこれ、いつもと同じく前金な。残りの代金は、受け取り時に渡すから。出来上がったら、金額とか、マオの下宿屋まで伝言寄越してよ」
「いつも通りじゃな。そいじゃ、気を付けて帰りなよ」
「おう。じゃあ、頼むぜ」
ヒラヒラと肩越しに手を振って工房を後にしたトウマは、その足で町の中心地区へと向かった。ここには大きな市場があり、他にも役所や事務所など、この町における様々な分野での中枢機関が集まっている。町を守っている警備隊の本部も、町を取り仕切る商区長の館なんかも、この地区にある。普通ならば用の無い限り一般人は近付かないが、実はこの地区はこの町が今の形になる以前から存在するのだ。ここを中心として発達してきた、ともいえる。
(…あいつからの伝言がなけりゃ、まず来ないんだがな)
念入りに調合された多種多様な香水の匂いが漂っている。道行く人も、煌びやかとまではいかないが、良質で上品な服を着ている人が多い。そういう人には、大抵お付きも一緒なので道は混んでいる。もっとも、上流階級の人は車に乗っているため、申し訳程度に作られている歩道は空いていたが。それでも、トウマが周囲の景色の中で非常に浮いている事に変わりはなかった。
(あの連中に因縁つけられなきゃいいんだけど…。あそこまで行くの、結構時間かかるからなぁ。抜け道の一本や二本、あれば楽なんだけど)
…そうもいかねぇのが世の常なんだよな、と呟いて、半ば呆れたような表情を浮かべて足を止めた。振り返ると、背後には制服と思しき同じ格好をした男の二人組が立っていた。くたびれた服を着た中年と、真新しい服を着た青年という組み合わせだったが。おまけに、青年の方だけ、襟に付けられたバッチの数が一つ多かった。チラリとそれに目を問えたトウマは、軽く眉を寄せた。
「んで?一体俺に何の用で?」
「中心地区では見慣れん奴だったんでな。…こんな所へ、駆除屋が何の用だ」
(…ほらな、始まった。警備隊のイチャモン付けな職質。しかも若い方、ありゃエリートもエリート、中央統括局に所属してる事の証のバッチだ。経験を積ませるために送られてきたんだろうけど…。元からこっちにいる組にとっちゃ大迷惑だし、若いのにとっちゃ面倒な上に功績の一つも上げられそうになくて、つまらなくイラついている、ってとこかな。下手な事すりゃ噴火させちまうな)
「軍からの呼び出しの手紙が届いたんで、とりあえず連絡を取るために通信機を借りに行くところですよ」
「軍属か?」
「…に近いですかね。これ、認識票だけど」
首からかけていた細いチェーンの先には、鈍い銀色のタグが付いていた。それをチェーンごと外し、中年の方に渡す。そこに刻まれている識別コードに目を通した隊員は、やや怪訝そうな表情を浮かべたもののすぐにタグをトウマに返却した。
「班長、どうかしたのですか?そのタグ、まさか本物だとでも?」
「お前、まさかこれが偽物だと、最初から一方的に疑ってたのか…。…あいにくだが、こいつは本物だ。しかも、軍属どころか、本職の兵としての籍がある。コードが、正規兵である事を示す01から始まっていたからな」
「ですが、確かこいつは駆除屋である筈です。駆除屋をしながら軍籍も持ち、なおかつ軍で勤めずにこのような所にいるなど、失礼ながら私には信じられませんが」
「…なら、直接軍に問い合わせてみりゃいいじゃねぇか。俺が駆除屋だから発言内容や持ち物は信用ならないって言うなら、より話を信用できる奴に事実を確認するのが筋じゃないか?」
呆れ顔でトウマがこう言うのには、理由があった。元々、各町を守っている警備隊は、中央政府の軍に所属する一組織だったのだ。おかげで、分離して別の組織となった今日でも、警備隊は軍に頭が上がらず、軍の言う事ならばよく従うのだ。例え自分達が敵視している駆除屋の事でも、軍が正しいと言ったならば、偽りであるとして事実を捻じ曲げられない。
そもそも、どうして警備隊が駆除屋を毛嫌いするのか。それは、彼らの仕事内容に原因があった。ブロックナンバーを割り振られた町ごとに組織され、中央政府に属する中央統括局の管轄下にあるこの団体は、単純に言えば《守りのために存在する戦力》であると言える。その為、彼らの主な仕事は、自分達の担当する町の安全を守る事である。町の中を守るのは当然であるが、外からの敵から守る事も任務の一つに入ってくる。
一方、駆除屋は基本的に根無し草で、裏社会とのパイプを持っている人も多い。それだけでも治安維持の観点から嫌われそうなものだが、一部には「仕事を横取りされる」として駆除屋を嫌う人もいる。駆除屋の中には、町の権力者と契約し、そこを襲う獣の脅威を取り除く任に就いている人もいるからだ。そういう訳で、警備隊が半ば一方的に駆除屋を敵視しているのだった。
「…一つ、聞いてもいいか」
「なんスか?」
「軍内部で、お前が今も軍に所属している事を知っている者はいるのか?あちらへ問い合わせる際に、存在を知られていないとなると立場が危うくなるのはそっちの方だぞ」
「あー…、俺の所属先っスか…。…あの部署はいつも分散してるから、俺の事聞こうと思ったら極東を担当してるお偉いサンか、所属コードが“99”から始まる連中に聞いた方がいいっスよ」
「“99”…か。…なるほどな、それなら今の身分もあり得るか」
「おっさんが話の分かる人でよかったよ」
ニヤリと笑うと、くたびれた様子で溜息を一つつき、もう行っていいぞと半ば追い払うようにしてトウマを解放した。若い方はなぜです!と相方に食ってかかったが、お前も中央勤めするならそんぐらい勉強しとけ、と面倒臭そうに言ったきりまるで相手にしない。そんなやりとりを後ろに、トウマは足早に目的地へと向かった。
中央地区を通るという面倒なリスクがあるにも関わらず、トウマがそれでも向かった先。そこにあったのは、何の変哲もないビル。この町ならどこにでもあるような、灰色で四角四面の無機質な建物。むしろ中心街には似つかわしくない程、影が薄い。そこだけ空気が違うのだ。近寄る人がいないのも、半分はその特殊性だろう。そんな無機質で異質なビルに、トウマはまるで知り合いの店に行くかのような気楽さで入っていった。何の躊躇いも無しに入り口の横に取り付けられた機械に認識票を通したが、すぐにドアの鍵が外れる音がした。今の世界の技術では、このような物は作れない。仕組みを理解するのが難しいので、複製するのが限りなく不可能に近いのだ。大戦前を知る人もごく僅かしかいないため、当時の技術の大半は軍などの特殊な場所で利用されるにとどまっている。
建物の中を行き交う人の襟には、星や横線などの模様が入っている。ここは、軍の東方方面部隊が管轄する第六支部の出張所なのだ。一般人がいないのは、基本的に立ち入り禁止だから。それに、軍は町に対して不干渉の姿勢をとっているため、町の人々も軍に対してあれこれ言わない、というのもある。
「御用件は」
「通信機を借りたいんだけど」
「認識票を拝見します」
「はいよ」
いくらトウマが軍に籍を持っていても、建物内を自由に歩き回る事までは許可されていない。彼はこの建物に配属されていないのだから、それは当然ともいえる。
「…了承しました。館内移動時にはこの許可証を携帯して下さい」
「分かりましたよ、と」
受け取ったいかにも使い込まれた感じのする名札入れを首からかけ、受付嬢にひらりと手を振ってから廊下の角を曲がっていった。
「…何者よ、あの人。ただの軍関係者じゃないわよね」
「軍人、にしてはお堅い感じがしないし。ただの軍属だとしたら、それも何かおかしいわ。だって、それにしては彼、戦い慣れた人‐軍人の皆さんとよく似てるもの」
トウマが立ち去った後、受付嬢二人は互いに顔を見合わせていた。困惑だとかそういうものではなく、単純に「よく分からない」と、その表情には書かれていた。
「本当に、何者なのかしらね」
「来館者名簿には…トウマ、と書かれているわね。見慣れない名前なのよね…」
「…極東出身の、この辺じゃ最強の駆除屋だな。この辺だけじゃなくても、現在登録されている奴の中じゃ、あいつの腕に敵うのはほぼいないだろ」
「所長!すみません、仕事中に私語など…」
あー、気にするな、と笑っているのは、ボサボサ頭に着古してヨレヨレになった制服を着崩した男。どこか気だるげそうで、影も薄い。彼女たちの言葉が正しければ、これでも所長だというのだから、驚きである。
「んで?あいつ、ここに何の用だって?」
「通信機を借りに来たと…」
「だとすると、あのお呼び出しの件か。どれ、ちょっくら会いに行ってくるか」
ペタペタと靴を鳴らしながら、これまた同じ角を曲がっていった。
「…所長が会いに行くって、それこそ何者なのよ」
彼女達は、これ以上は自分達とは関係がない世界だとして、これ以上深く考えるのは諦める事にした。
所長ー、仕事サボってどこほっつき歩いてんですかー!という怒鳴り声がどこからともなく響いてきたが、それはまた別の話。
通信設備があるのは、建物の地下。それ以前に、地上に出ている部分、つまりビルの内部はただの事務作業の場でしかない。軍にとって重要な設備は、全て地下に眠っているのだ。隠しておきたい、というのも理由の一つだが、地上に持ち出せないものも多いからだ。物理的に大きすぎる物であったり、現在とはあまりにかけ離れた技術なので人目に触れれば騒ぎにしかならないという物もある。そういうのを全てひっくるめて地下に封じ込め、そこにある物が本来どういう物なのかを知っているごく限られた人間にだけ使用を許可している。その為、軍人の中でも地下設備の存在やそこにある物について知らない者の方が多い。
では、なぜ町の地下に旧世界の遺物が眠っているのか。数は多くないのだが、この町も含め、旧世界の町が大戦後もどうにか生き残っていた所があるのだ。それらの町は、その後現在ある町を造る土台になった。その為、旧世界の物は地下に眠る事となったのだ。ごく稀に、一般人が地下への抜け道を見つけてしまい、入り込んだ末に迷子になってしまう事があるのも、一つはそのせいである。
階段を延々と降りていくと、廊下が一本道のように伸びていた。足を踏み入れると、天井の明かりが順に点いていく。そこの左右には取っ手の無いドアが何枚か並んでいる。その最奥に、目指す部屋はあった。ドア横の機械に認識票を通すと、ドアは自動で開いた。中に入ると、これまた自動で明かりが灯る。
(これだけ自動制御の系統が生き残ってるのも、不思議なもんだよな。あれから何年経ったんだっての)
「すみません、利用者一覧に記名をお願いします」
「ここの番やってくれてんのか。ご苦労さん」
隣の部屋から出てきた隊員が持っていたボードには、名前と階級、所属と利用時間を書く紙が挟まっていた。
「はい。一応これ、認識票」
「ありがとうございます。…はい、間違いありませんね。席はただいま全て空いています。お好きな所をお使い下さい」
互いに敬礼を送り、隊員は元いた部屋に戻っていった。
トウマは、部屋の一番奥にあるブースに入り、慣れた手付きで説明書も読まずに機械を立ち上げていく。機械がそのOSをウィーンと静かな音を立てて読み込むと、画面上には幾つかアイコンが表示された。机の上に置かれていたインカムを機械に繋ぎ、装着したところでアイコンの一つをマウスでクリックする。ソフトが読み込まれれば、何度かキーボードの上に指を走らせた。アクセスキーを打ち込んでエンターを押せば、後は相手が出てくるのを待つだけ。
この機械、ただの通信専用の機器ではないのだ。優れた演算・情報処理能力も持っており、これを使えば遠くにいる相手と互いの顔を見ながら、面と向かって会話できるのだ。その為、内緒の話をするにはもってこいだ。
「…ごめん、待たせたかな」
「お前がいつも忙しくしてるのは知ってるからな。気にするな、シュマ」
「トウマがそう言ってくれて助かるよ」
画面の向こうで笑っているのは、トウマと同じぐらいの年恰好の若者。着ているのは、襟に士官である事を示すバッチを付けた軍服。穏やかそうに笑っているが、その階級章が示すものが本当であれば、ただ者ではない。
「で?今回は何の用だ?また遠征の手伝い要請か?」
「そんなとこだね。極東に一部隊引き連れて行ってこいって、隊長に言われてさ。…あれ、そこまで聞いてなかったの?」
「言われてねぇよ。レッズの親父さんから、シュマが近日中に連絡を取りたがってるぞー、って聞いただけ。お前、親父さんに伝えてなかったとか言うんじゃねぇぞ」
「あれぇ?僕、ちゃんと言ったのになぁ」
「…だとすると、親父さんが言わなかったんだな。あの物臭親父」
「物臭で悪かったな。お二人さん」
横から割り込んできた声の主は誰かと振り返れば、軍人とはとても思えないようなレベルでくたびれた服装の男が、ブースである小部屋の扉を開けて立っていた。片手を扉につき、そこにもたれ気味の彼は、先程受付で「隊長」と呼ばれていた人だった。
「盗み聞きとか、性格悪いっスよ!」
「お前が余計な事言うからだろ。こっちは、仕事よりもお前に会うのを優先してきたというのに」
わざとらしく溜息をつく彼に対し、画面の向こうでシュマが笑いを堪えていた。
「相変わらずですね、レイゼル所長。また仕事サボってたら、副長さんのお説教聞く羽目になりますよ?」
「それなら大丈夫だな。この間雷落ちたから、後二、三回ならセーフだ」
「…すっかりサボり癖付いてんじゃねぇか。どこの不真面目な学生だよ」
呆れた…とぼやくトウマに対し、人の事言えないでしょ、と画面越しに突っ込むシュマだった。
「それで?結局今回は何の用だったんだ?まさかこんなグダグダをするために呼んだんじゃねぇよな?」
「そりゃね。さっきトウマが言ってたみたいに、今回の仕事は極東遠征の手伝い。ティルギットの方には、もう話を付けてあるよ。当日の行動だけど、今回のは発掘隊も同行するんだ。軍は、彼らの護衛。で、僕らの仕事は、発掘された遺物の安全確認や運搬指示など。詳しい事は、またデータ送るよ」
「…珍しいな。軍がそんな事やるなんて。そんなのって、普通は駆除屋か警備隊の仕事だろ?」
「僕もそう思ったんだ。で、調べてみたんだよ。今回狙いを付けている所は、昔はどこだったのか。…そしたら、見てよ」
ポン、と画面の片隅にポップが表示される。小さい箱の中にあれこれと書かれているので、読めるサイズにまで拡大。そして一通り読み終わったところで、トウマは嘘だろぉ…?と小さく呟いていた。
「遠距離すぎるだろ。今の軍で、“海”渡れるのか?」
「正直な話、僕でも自信ないよ。ただし、そこまで危険を冒してでも軍が“日の本”を目指す理由がある、って事だよ。他の奴には手を出されたくない、畑違いでも片付けたい何かが」
「恐らく、大戦前の遺物に関してな。…二人とも、悪いが俺は今回行けねぇんだ。何かあったら、そん時は自分達でどうにかしてくれよ」
「…おっさんがこういうのについてきた事って、今までそう多くないだろ。特殊兵としての仕事、ちゃんとこなしてんのか?」
「……それも、多分そう多くないだろうね」
ひどい言われようだなぁ、と笑うレイゼル。それに対し、開き直らないで下さい/開き直るな、と声を揃えた二人だった。
肩を落としてしょぼくれていたレイゼルだったが、急に顔を上げて通信室の外へと視線を向けた。静かな室内に響くのは、小さく唸るモーター音だけ。その中に、遠くの方から早いテンポで小刻みに近付いてくる音があった。冷たい廊下を靴底が固い靴で歩く時に鳴る、あの独特の高くてよく響く音だ。
「おい、おっさん。誰が説教回避できるって?」
「まだそうだと決まった訳じゃないだろ?!」
「そう言う割には、逃げ腰ですよ。今からだと、廊下に出ても鉢合わせするだけですね。大人しく副長を待たれては?」
「その代わり、怒られる時は外に出てくれよ。こちとら、まだ話終わってねぇんだからな」
バァン!と勢いよく通信室のドアが開けられたのは、丁度その時だった。
「所長!ここにおられるのは分かってますよ!今日ばかりは逃しませんからね!」
大層おかんむりで入ってきたのは、小柄な若い女性だった。長い栗毛を後ろで団子状に、一つに結っている。制服は皺一つ無く、丁寧にアイロンがけされている。レイゼルのグダグダっぷりとは正反対だ。
「…ほれみろ、怒られた。とっとと出てけって」
「トウマ、お前って奴は…。それが上司に対する口のききかたかい?」
「書類上では、確かにあんたは俺の上司だ。だが、俺はあんたに仕えてる気ははなからねぇよ」
「しかも、所長は僕らの話に割り込んできた訳ですから?追い出されても仕方がないと思いますよ」
ほら出てけ、とブースから追い出されてしまった。しかもトウマは閉め出すだけではなく、ご丁寧にレイゼルの背中を押して無理矢理彼女の前にまで連れていったのだ。
「ウィスメルダ副長ー、お届け物でーす。適当な所に連れていって、処分してくださーい」
「ありがとう。…トウマ一曹、迷惑かけたわね。誰かと連絡とってた最中だったんでしょ?」
「いつも通り、シュマ三尉からの協力依頼ですよ。ま、この人が邪魔してくるのはいつもの事だから、今更気にしませんよ」