表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

荒野

 岩と砂だけが広がる荒野を風が吹き抜ける。僅かに轍が残っているが、寂れた交易路には人影も物影も無い。気配が無くただ荒涼としているだけの場所だ。

 …だが、この日は少し様子が違っていた。

「…おい福ダヌキ、何でこうなっているんだよ」

 荒野の中に伸びる一本道を、荷物を大量に積んだ、ずいぶんと傷だらけで年季の入ったジープが走り抜けていた。助手席に座っていた青年が窓の外を見ながらボソリと呟いたのに対し、運転手はチラリとバックミラーに目をやって表情を強張らせた。

「トウマっちが無暗に暴れたから、じゃないかなぁ」

 トウマと呼ばれた青年は、窓枠に肘をついたまま相方の方へ顔を向けた。彫りは浅く荒削りな顔立ち。切れ長で漆黒の目は、同じく真黒で少し長い前髪の下で不機嫌そうに細くなっている。一方、福ダヌキと呼ばれた運転手は、確かに丸っこいがそこまでタヌキ面ではない。地味な茶色の髪と目の、平凡な30代程度の男性だ。

「じゃあ一つ聞くがな、どうして俺がそうせざるを得なかったんだ。答えてみろよ、ボケダヌキ」

「タヌキタヌキって連呼しないでよ。僕はトウマっちに何もしてないから、原因はトウマっちの方にあると思うんだけどなぁ。だから、僕が今こうして文句を言われるのは正しい事じゃないと思うんだけど…」

 そう言いながら必死の形相で車を走らせる彼は、また少しだけミラーに目をやって顔を引き攣らせた。ただでさえもかなりのスピードで走っているのに、更にアクセルを踏み込んで速度を上げようとする。窓枠に肘をついて頬杖をしていたトウマも相方の様子を見てサイドミラーに目をやり、そこに移っているものを見て小さく眉を寄せた。

 砂煙をあげながら荒野を進む彼らの後ろに、黒く大きな影が一つ近付いてきていたのだ。

「…絶対トウマっちのせいだよ。どうするのさ」

「俺のせいじゃねぇって言っているだろ。お前がいつもトラブルの大安売りの看板引っ下げているのが悪いんだ。少しは考えてみろ」

 相方の運転手は、額を流れる汗をリストバンドで拭い、トウマに非難の眼差しを向けた。だがトウマはそれを無視して、涼しげというよりかはむしろ冷ややかな表情を浮かべたまま、助手席の窓を大きく開け放って身を乗り出すようにして後方を確認していた。車内に引っ込んで窓を閉めるや否や、今度は足元に立てかけていた細長い銃の弾を詰め替え始めた。

「マルス、仕方がないからあいつ追い払ってやるけどな、後で絶対報酬支払えよ。前回と前々回の分がまだなの、忘れたとは言わせねぇぞ」

「覚えているよ。でもとりあえずありがとう!感謝します!」

「ダァホ。俺は契約内容に従っているだけだ。雇用主に死なれたら、こっちは干上がるしかないしな。そいつは困るからよ。…んじゃ、きちんと前見て運転しとけよ」

「えぇ、ちょっと待って、どうすんのさぁ!」

 悲鳴混じりに叫ぶマルスの事は無視し、首からぶら下げたままにしていたゴーグルをかけたトウマは、黙って後部座席へ移動し、天窓から外へ身を乗り出していた。荷物の山で足場は悪いが、器用にバランスをとって胸より上だけを外に出し、狙撃銃を片手に砂煙の中にいる相手の姿を見るために目を凝らす。

 

 彼らを追ってきていたのは、荒野に生息する四ツ足の肉食動物、通称“荒くれ者”のファーロの雄だった。ファーロは数が少ない上に群れを作らずに単独で生活するため、遭遇する確率は低い。だが、常に腹が空いている万年欠食児童のような動物なので、食べられる物ならば何でも食べてしまう。気性は勿論荒く、恐ろしくタフでもある。それなりに大型で頑丈な体つきをしているが、餌の為ならば何でもできるのか、全速力で走れば並の車では逃げ切るのが難しいとされている。とにかく、荒野を行き来する事のある人々の間では、相手にしたくない動物ランキングの上位に常に入賞してしまうような奴なのだ。

 そんなファーロに、二人はかれこれ半時は追い回されていた。


「ねぇートウマっちー、追い払うったってどうするのさぁ。相手、あの“荒くれ者”なんだよ?下手に刺激したら、僕ら二人とも死んじゃうよ」

「それぐらい分かってる。だから、殺さねぇでどうにかする。幸い、それぐらいはどうにかなるしな。伊達に何年もこの仕事してねぇよ。俺の腕をナメんじゃねぇ。ただ、今のままだったらスピードが出過ぎているせいで照準が合わせにくい。だから、少しだけ速度落とせるか」

「結構な減速になるけど、本当に大丈夫なのー?」

「大丈夫な筈だ。俺が撃ったら、また加速してくれりゃいいしよ」

「…分かったよ」

 しぶしぶという形でブレーキが踏まれる。ファーロは何が起ころうとしているのかまるで分かっていないが、獲物が速度を落としたのは理解していた。好都合だと、こちらは速度を上げて跳びかかる体勢に入る。ミラー越しにそれが見えたのか、マルスは悲鳴を上げてアクセルを踏もうとするが、トウマが大丈夫だと言ったからか辛うじて減速した速度を保っていた。そんな周囲を気にする様子もなく、トウマはある一瞬を狙っていた。

 ファーロが力強く大地を蹴って、ジープの後部に爪を立てるべく跳びかかった、その時だった。小さく口端を持ち上げたトウマは、相手の眉間に照準を合わせて引き金を引いた。

「出せ!」

 一声叫んで車内にトウマが引っ込むのと、マルスがアクセル全開で車を急発進させるのと、ファーロの目の前で銃弾が目も眩まんばかりの光を出したのは、全てが同時だった。

 白い光が収まった後、ファーロは何事も無かったかのようにのしのしと元来た道を戻っていった。車内の二人がそれを見て安堵の溜息をついたのは、言うまでもない。

「…そっか、閃光弾って手があったねぇ」

 ファーロの数少ない弱点の一つが、急激な光の変化などのように、何らかの衝撃をいきなり与えられる事であった。閃光弾が間近で明かりを放てば、そりゃもう目を回してしまう。そうなれば追ってきていた理由も忘れてしまうため、逃げ切る事も可能になる、という訳である。問題があるとすれば、閃光弾の飛距離が大して長くないという事だったが、今回はファーロを近くまで引き付ける事によってそれをフォローした。何も攻撃せずとも相手を撃退できるかどうか、という点も駆除屋の腕の見せ所なのだ。

「念のために持って来ておいて正解だったな。まぁ成功するかは五分五分だったが」

「…どういう?」

「いや、な。急に眩しい光見せられて、目ぇ回すどころか逆に怒らせちまう可能性もあったからな。そうなっちまったらちょっちやばかったが…。この様子なら、もう追ってこねぇな」

 急発進したおかげで、山積みの荷物が雪崩とまではいかないものの右へ左へと動いてしまっていたため、トウマは車内に引っ込んでも座る場所を確保するのに一苦労していた。助手席に戻ればいいのだが、そうするどころか自分の荷物も後部座席に持って来ている。しかし、これには訳があった。先程使った狙撃銃の弾は元の実弾に戻し、一応ロックをかけて足元に立てかけておく。そして、もう一丁荷物の中から取り出したのは、小銃。こちらも弾を最大限まで詰めておき、手の届く範囲内に置いておいた。まるで何か戦闘でもあるかのように見えるが、それは間違っているとも言えず、正しいとも言い切れない。

「それよりもタヌキ、もうそろそろ“交差点”だろ。そっちの心積もりしておいた方が良くねぇか」

「…うー。ここまで来たら、あそこ通らないと帰れないのは分かっているのだけどなぁ…」

 眉を情けなく八の字に下げて泣きそうになっているマルスをミラー越しに見てしまったトウマは、気色悪いツラしてんじゃねぇ、と軽く運転席の背もたれを後ろから蹴った。彼自身は、準備も終えたらしく、どうにかして見つけた隙間に座りこんでいた。

「というかさ、何でそんなにやる気全開な準備なのさ」

「仕方ねぇだろ。俺は死にたくない。お前に死なれたら、俺は生活に困る。あそこを何事もなく通り抜けられる保証はゼロに等しい。よって、やれるだけの用意はしておかねぇとまずい。そういうこった」

 トウマはあっさりこう言ったが、内容は単純明快ではあるがあっさりでは済まない。事実、彼自身の表情もそこはかとなく浮かないものになっている。淡々とした無表情の底のほんの僅かな所にだが、心配と不安が渦を巻いていた。彼でさえこうなのだから、マルスの場合はもっと大きく、より表に出てしまっている。だが二人とも、いつまでもそんな不景気な方へ思考を走らせてもいられないのは百も承知だったので、すぐに切り替えたが。

「…だけど今思えば、全てトウマっちの駆除屋バカのせいなんだよね」

 ハンドルを握りしめて前方を見つめながら、マルスがポツリとこう呟いた。ボヤかれたトウマは、ミラー越しにだが、思い切り運転手を睨み付けてやる。普通ならここで大抵の人は怯んで何も言えなくなるのだが、マルスは付き合いが長いだけに怖がりはするがある程度の耐性もついているため、効果は大して大きくない。

「あのなぁ、駆除屋バカって言うけどな、俺は好きでこの仕事をやっているっつーより、今までずっとこんな仕事しかしてねぇから、今更まともな仕事ができねぇだけだ。別にこの仕事を熱心にしたいとかはあんま思ってねぇ。だけど手ェ引けないとなりゃ、やれるだけやるしかねぇかんな」

「僕が聞きたいのはそんな話じゃないし、今はそんな事はどうでもいいんだよ。トウマっちのせいだよ、僕らが荒野を爆走する羽目になったのって。だから『駆除屋バカ』って言ったんだけど?」

 そもそも駆除屋とは何なのか。簡単に言ってしまえば、個人働きで人以外の生き物専門の殺し屋だ。この星の各地で過去に大規模な戦争が幾つか続いたため、大地は少しばかり変容してしまった。また、動植物は人に対して牙を向くようになった。そのため人は僅かに残った、人が生きるのに適した地に分散し、肩を寄せあって生きていく事になった。しかしながら自然の恐怖はどこでも襲いかかってくる。そこで活躍するのが、駆除屋だ。彼らは基本的に、誰かに雇われ、雇い主を守るために人を襲う他の生き物を退治する事を生業としている。互助組織はあるが、多くは各地を旅しているため定住している者は少ない。彼らを雇うのは、大抵が行商人だからだ。

「…あーのーなー、そもそもの原因はお前の方にあるって、何度言えば分かるんだ、このタコ。今回だって行ってみればファーロの縄張りの中で、かつ奴の巣のすぐ近くを通る事になったってのが原因だろ。そんなので応戦せずにやり過ごせだなんて、寝言は寝てからにしてくれ」

「だってさー、僕ってしがない行商人なんだもん。仕方がないよ。売れる物があるなら手に入れに行かなくきゃ」

「どこがしがないだ、開き直るな!」

 吐き捨てるようにこう言って、腹立たしげに乱暴に運転席の背もたれを蹴り飛ばしていた。鏡に映った超不機嫌そうに顔をしかめているトウマを見て、マルスは縮み上がってしまったが…。気にするような人は一人もいない。

「というか、そんなに嫌なら他の奴と組めばいいだけの話じゃねぇか」

「そんな事言わないでよ。金欠な僕にとって、前金は不要、かつ報酬の納入が遅れても大して怒らないトウマっちって、すっごくありがたい存在なんだって!」

「馬鹿かテメェ!こっちだって生活費がかかっているんだ。遅れているって分かってんならとっととどうにかしろ!つーかまず期日守れよ!みっともねぇから金の催促しねぇだけなのに、変に解釈するな!それに第一、金欠なら稼げ、このボケダヌキ!」

「タヌキって言わないでよー!」

「どのツラ下げて言うか、このトラブル量産機が!」

 文句の言い合いをする二人を乗せたジープが走る道は、周囲には何も無く、ポツンと錆びた道路標識がたまに立っているだけ。今見えている標識には〈ルート:マスル‐5〉と書かれており、その下には〈獣注意〉と辛うじて読める看板がぶら下がっていた。寂しそうに風に揺れるそれらの真下の地面には、白い骨が幾つも散らばっている。それが人間の物かどうかは分からないが、この場で何かの犠牲になった生物の骨である事に間違いはないだろう。トウマもマルスもそれを見て一瞬何とも言いようのない表情を浮かべたが。すぐになんて事もないかのように表情を元に戻した。荒野でもどこでも、人の住む町以外の場所ではこのように骨が散らばっているのはよくある光景だからだ。まだ肉片が残っていないだけ、今回はマシなぐらいだ。いちいち気にしていては疲れるだけなので、割り切って無視した方が早い、とも言える。

「そういえばさぁ、トウマっちは最新の報告書ってもう読んだー?」

「獣の出現地とか被害報告とかの、アレか?いや、まだ今月の前半のですら読んでねぇけど。だから今月の後半用、最新号なんてもっと読めてねぇ」

「…そりゃまた何で」

「暇がなかった。ていうかテメェに付き合ってあっちこっち行ってんだから、読んでられねぇって分かるだろ。付き合い長いんだから少しは考えろ」

 この二人の付き合いは、行商人と駆除屋の組み合わせにしては珍しく長い方に入る。行商人が毎回同じ人に護衛を頼むのはよくある話なのだが、護衛する人が、その商人が大した金蔓でもないのに毎回雇われてやるというのは、本当に珍しい話なのだ。よっぽどに理由がない限り、雇われる人間はそれなりに金蔓になりそうな人間を選ぶ。この二人にはそれが当てはまらないのだ。

「悪かったね。…で、最新号に載っていた話なんだけどさ。〈マスル‐5〉と〈マスル‐7〉の交点を中心とする“交差点”地域、だから僕らの向かっている“交差点”か、そこから西へ1㎞程行った所で、つい最近、そこを近道として通り抜けようとした隊商が一つ、丸々砂狼にやられて全滅しちゃったって。」

 おいおいマジかよ…、とボヤキながら肩を落としてうなだれたトウマだった。彼はこの近辺でもそれ以外の地域でも、指折りの駆除屋だとして高い評価を得ている、それなりに一部の人間の間では有名な駆除屋だ。そんな彼でも、砂狼を敵に回すのは嫌な事であり、特にこんな援助してくれるような人もいない状況下では極力避けたい事である。それもその筈で、砂狼は荒野を群れで行動しており、体色は完全に地面の色と同化しているためなかなか見つからない。加えて群れで行動する点から連係プレーはお手のもので、いくら振り切ってもしつこく追い駆けてくるしつこさでも定評がある。そのためファーロのような体力自慢と共に、旅人の間では嫌われ者となっている。また、ありがたくない事に砂狼は他の肉食動物よりも高い確率で人を襲って食べるのだ。そうされては困るため、隊商や行商人、特に彼らがいるような寂れた道を通る人は、駆除屋を護衛として雇う。雇う側の規模が大きい程、雇われる側も腕の立つ者が多く集まる事が多い。…金をケチらなければの話だが。

 どちらにせよ全滅したとなると、この辺りにいる砂狼は並みの駆除屋で太刀打ちできないぐらい、人を襲うのに慣れているという事を意味している。つまり、たった二人きりで相手するには、はっきり言って無茶でしかない。

「…どうしよっか」

「どうしようっつっても、ここまで来たらどうしようもないだろ。この辺に抜け道はないしな。…俺もやれるだけの事はやるから、マルス、マジで運転頑張れよ。横転とか絶対すんじゃねぇぞ」

「分かってるって…」

 と言っているが、マルスの表情はどう見ても引き攣っている。縁起でもない事言わないでよ…と呟くが、トウマの耳には入っていなかった。さっさと用意を済ませた彼は、既に何も言わずに屋根の上に出ていたからだ。後部座席の背凭れに足をかけてバランスを取りつつ、屋根の上に浅く腰掛け、いつでもすぐに対応出来るように銃を軽く構えている。

 彼らが通過しようとしている“交差点”と呼ばれる地域は、〈マスル‐5〉と〈マスル‐7〉という二つの街道の合流点とその周辺にあたる。物流の交わる地点なので、一昔前までは定期的に市も開かれていたような場所だった。しかしながら、現在では当時の面影を残す物は何一つとして残っていない。ルートが寂れると同時に行き交う人も減り、加えて獣の侵入に遭ったため、すっかり影も形も無くなってしまったのだ。

 じっと地面を見つめていたトウマだったが、げ…と小さく呻いて、車内に向かって怒鳴った。

「タヌキ、出た!最高速度でとばせ!」

「車がおシャカになっちゃうよ!」

「つべこべ言わずに、テメェは運転に集中しろ!舌噛んでも責任取らねぇからな!」

 そう言うなり、車体に傷を付けないギリギリの位置を狙って撃ち始めた。それまではただの地面にしか見えていなかったが、ギャンッという悲鳴と共に一ヵ所から血が噴き出す。…既に砂狼が周囲を取り囲んでいたのだ。一度気付かれてしまえば、彼らも擬態をとるのをやめる。砂色の毛皮の獣が続々とその姿を見せ始めた。

 彼らを乗せているジープは、かなりの年季が入っているためあちこちにガタがきている。それなのにアクセルを思い切りよく踏み込んでかなりの速度で走っているのだから、結構ガタガタ揺れてしまっている。しかしいくらポンコツな車でも、手入れはしっかりされている。特にこの車は丈夫な装甲が売りだった。多少は牙や爪がたてられても、かすり傷程度にしかならない。その特性を最大限に生かして、マルスは強引に砂狼を撥ね飛ばしながら車を爆走させていた。あまり急にハンドルを切り続けると、重心移動の問題からバランスを崩しやすくなってしまう。もし横転でもしようものなら、まず生きて帰れない。一方のトウマは、よじ登ろうと車体に爪を立ててへばり付く奴や、単純に跳びかかってくる奴など、こちらに手出ししてくるのを車の上から的確に殺していた。弾は無駄使いせず、ほぼ一発で仕留めている。その表情はどこまでも無表情で、何を考えて引き金を引いているのか全く読めそうにない。動きにも全く躊躇いがなく、恐怖を感じている様子もない。淡々と黙って作業をこなしていた。まぁ駆除屋はこれが仕事なので、一々気にしていてはやっていけないのだが、それにしても年若い割にはよく慣れた動きをしていた。

 急にグンッと大きく右に揺れた。マルスが強引にハンドルを切って、急に曲がったらしい。おかげでトウマは振り落とされないように、慌てて屋根の上に少しだけ付いている柵にしがみ付かなければならなかった。

「おいこらタヌキ!前見て走れねぇのか、危ないじゃねぇか!」

「そんな事よりも、こいつどうにかしてよ!フロントガラスにへばり付かれちゃ、前が見えないよ!」

 車内から返ってきた声は、慌てているようでどこかビビっているようでもあった。大抵の事には耐性が付いている筈のマルスがビビるのは、どちらかというと珍しい事だ。

(それにしても、前から来るとは勇気ある奴がいたもんだ)

 前方から車に跳びかかろうとすると、失敗すればほぼ間違いなく、撥ねられて死亡するのが目に見えている。しかも、ガラスには爪がたたない。それを知っているかは不明だが、果敢にも前から狙ってきたのにトウマは思わず感心してしまっていた。彼はずっと後方や横ばかり見ていたため、前方にまでは目がいってなかったが、できればその瞬間を見たかったなぁ、とも思ったりした。

「ねぇトウマっち、こいつどうにかしてよ!お願いだからさぁ!」

「…でも俺が仮にそいつを引っぺがしたとしても、ガラスは汚れるし気色悪いもんを見る事になるぞ」

「ワイパーってもんがあるの、知らない訳じゃないでしょ?!それに、今迄にも散々エグイ物見てきたんだ、今更もうどうでもいいよ!それよりもこのままじゃ確実に事故るよ、それでもいいの?!」

 車内からの悲鳴は完全に切羽詰まってきている。外が見えないのは、ドライバーにとっては心理的ストレスになる。特に今のような状況下では、安全第一が求められる。いつ事故になってもおかしくないような走行は、何があっても避けなければならない。

(確かに、こんな所で事故は嫌だなぁ…)

 トウマも、こうなっては仕方がないと諦めた。いくら彼が腕利きだと謳われても、車がおシャカになったら徒歩以外に移動手段が無い訳で、そのような状態で町まで帰るのは一苦労だ。車をおシャカにしないようにするためには、事故を起こす事だけは回避しなければならない。それに、このまま荒野で夜を迎えるなど誰もしたくない。夜は日中以上に人に害をなす恐れのある生き物が出没するため危険な上、放射冷却の影響で冷え込みも厳しいのだ。その中をウロウロするのは、ただの呑気な自殺でしかない。

「…分かった、何とかするから騒ぐな。いいか、ハンドルしっかり握って前を見て、どうにかして真っ直ぐ車走らせろ。で、他の奴を近付けないように限界までスピード上げろ。まだ少しは上がる筈だぞ。ビビッて縮み上がって事故るなんて、シャレになんねぇぞ」

「んな無茶苦茶な事言わないでー!」

 悲鳴を上げるマルスだが、協力しないと生きて帰れないのは彼もよく分かっていた。すぐに引っ張られるようにして車の速度が上がり、トウマはまた屋根の上に申し訳程度に付いている柵を掴んでガタガタと大きく揺れる車の上から放り出されないようにしなければならなかった。

 速度が上がれば、横から跳びかかろうとする奴も後ろからしがみ付いてくる奴もいなくなる。どいつも、車と並走するので手一杯になっていた。フロントガラスにへばり付いている勇者も、こうも速度が出ていると身動きが取れず、どうしようもなくなっていた。むしろ高速で走る事によって生じる風のせいで、ガラスに押し付けられてしまっていた。トウマも、その前から吹き付ける風に顔をしかめながら、屋根の上で殆ど腹這いになって相手に狙いを絞った。頭を撃ち抜けば即死させられるが、掃除の事を考えると、重傷止まりになるかもしれないが足の関節など、血以外の何かが出てこない場所を狙おうと考えていた。しかしそうするとなると、的は自然と小さくなってしまう。風の中、車には一つも被害を与えず的に当てるのは難しいが、そこはやはりプロの意地か、狙い通りに両前足の付け根をほんの僅かな風の隙間で立て続けに撃ち抜いた。砂狼はズルズルと力の抜けた体で血の太い筋をガラスに擦り付けながら、ゆっくりと滑り落ちていった。生きているか死んでいるかは、もはや不明だ。上手く地面に落ちたとしても、轢き殺されないようにするのはあの状態では難しい。もっとも、二人にそんな事を気にする余裕ははなから無かったが。

 むしろ、トウマは車の速度が急に遅くなった事により、並走組に一気に跳びかかってこられて半ば泣きそうになっていた。相手の大半がスタミナ切れを起こしていたのが、不幸中の幸いである。

「ボケダヌキ!何勝手に速度落としているんだテメェはァ!」

 大慌てで何となく半泣きになるのも、三方向から同時にやってこられては仕方がないというもの。さすがの彼でも四苦八苦してしまう。幸い銃が連射式だったがそれでも厳しい事に変わりない。

「仕方がないよ。あれ以上高速で走らせ続けたら、車のエンジンが死んじゃうってば。こんな所で足止めなんて、僕は嫌だからね。そうなったらトウマっちでも元気に帰れるか分かんないって、自分でも分かっているんでしょ?」

「ダァホ!今の時点で十分しんどいわ!少しはこっちの事も考えて速度調整しろよ、このタコ!」

「んー…。でもさぁ、傭兵って普通は文句言わずに雇い主の言う事を聞くもんじゃないかなぁ」

 能天気に返ってきた返事を耳にして、トウマはこの一瞬で文句を言うのを一回諦める事にした。それと、このどうしようもない馬鹿を、後でボコボコにする必要がある、と確信した。

 すべて目の前のこれをどうにかしてからの話ではあるが。

(…やれやれ、気の遠くなるような話だな)

 心の中で肩を落とし、小さく息をついた。そしてすぐに、何やら指先の感覚がほんの僅かに変わった銃に疑いの目を向けた。眉間に皺を寄せた彼は、引き金を引いて確認せずとも既に最悪な予想を済ませていた。…それでも彼の口元は、嘘だろうと言いたげに引きつってしまっていたが。

「………マズい」

 弾が来ないのを察知した砂狼達は、一斉にトウマ目掛けて跳びかかってきた。食われてたまるか、と彼は大急ぎで車内へ逃げ込んで天窓を閉めた。

「ど…。トウマっち、ちょっとタンマ!まさか銃イカれたの?!」

「そのまさか!こんな所で弾詰まり起こすとか、マジでツイてねぇよ!」

 弾詰まりを起こしたのは、どうやら小銃の方らしい。狙撃用のも一応外に持ち出していたが(フロントガラスにへばり付いていた奴を撃つ際に使用した)、普通に撃ちまくろうと思うとこれでは対処しきれない。どうせ詰まるならこっちの方が良かった、と本気で思うトウマだった。

「どどど、どうするの?!このまま縄張り出るまで、僕一人で頑張るの?!」

 情けない表情で悲鳴混じりになりながらも、意地でハンドルは離さないマルスを、トウマは思わず感心した目で見ていた。だがすぐに視線を荷物の中に戻しどうにか代替案が無いものかと思案する。

(待てよ、確か今回の収穫物の中に…)

 ふと何かに気付いた様子で、自分の荷物を漁るのを止め、木箱に入れられて後部座席に山積みになっている他の積み荷を漁り始めた。その間にも、青ざめた表情のマルスはアクセルをふかせて少しでも車に砂狼を近付けまいと、右へ左へとハンドルを切っていた。そのたびに振り落されたり撥ね飛ばされたりした砂狼が、ギャンッと悲鳴を上げていた。

(…あったぜ。しかも、まだ動く!)

「マルス、後生だから、一瞬だけ最高速度出してくれ!その間に外に出て、あいつらどうにかするから!」

「でも銃イカれたら、トウマっちのやれる事ってゼロなんでしょ?!ていうか、飛び道具無しなんて自殺行為だよ!」

「大丈夫、どうにかなるって」

 …そこまで言うなら仕方ないけど、と一気に加速する。トウマは両腕に抱えられるぐらいの大きさの布包みを箱から取り出し、その中で鈍く黒光りする物を引っ掴むなり、もう一度天窓を開けて外へ出た。それとほぼ同時に、えらく連続した発砲音が辺りに鳴り響いた。

「トウマっち、それって今回の…!」

「悪い、借りるぜ。テスト使用だと思って目ぇつぶってくれ」

 ミラーに映ったのか、トウマが持って外へ出た物を見てマルスが抗議のような驚きのような声を上げていた。しかしトウマは全くもって平然としている。いかにも使い慣れているといった体で、引き金を引いていた。悪びれる様子は、微塵も無かった。

「いや、そうじゃなくって!何で大戦前の遺物を使えんのさ!」

「…うるせぇ!テメェは黙って車走らせろ!車ン中にぶっ放されたくなけりゃ、余計な事は言うな!」

 一拍開けて、トウマが切れたように怒鳴り返してきた。マルスはしまったな、と頭の片隅で思いながら、今のトウマを敵に回すのはとてもじゃないが得策ではないので口を噤んでおく事にした。イラついている、あるいは怒っているトウマにちょっかいをかけるのはただの自殺行為でしかない。彼は普段から口調は荒く目付きも悪くてキツいので、怒っていると誤解されやすい。しかし、いざ本当に怒ると、慣れないうちは近づくのが難しくなるぐらいに怖くなる。なので、怒っているように見えても本当は何ともない、という事の方が多い。マルスは、もっと笑顔でいれば変に勘違いされないのに、とよく文句を言うが、トウマはいつも、別にどうでもいい、と他人事のように返事するだけ。別に誰かからどう思われても、自分が気にしなければいいだけ、という事らしい。もっとも、彼の人付き合いの悪さは昔かららしいので、今更どうしようもないというのもある。

 ただし、今回の場合は本当に怒っているようだった。屋根の上からは、キレたように鳴り響く銃声と、周囲に飛び散る空薬莢の音が聞こえてきていた。

(…とりあえず無事に帰れたらそれでいいんだけどなぁ)

 外を見ようにも、車を爆走させている上に右へ左へと障害物を避けている今の状況ではどうしようもない。少なくとも、トウマがキレている間はこのままだろうなぁ…、とマルスはぼんやり考えていた。自分のせいで彼が怒っていると分かっているだけマシだ。


 なぜトウマが怒ったか。その理由を知っている人は少ないが、彼は自分の過去に関する事を聞かれるのが大嫌いなのだ。なので今も怒る、というか激しく嫌がっているような状態だ。そして、彼が己の過去を尋ねられてしまう理由は毎回はっきりしている。そして、大体いつも同じ理由だ。それは、彼が大戦前の遺物を扱えてしまう、この一点だ。

 大戦、と呼ばれるこの星全土で同時多発的に、そして複合的に発生した戦争があったのは、今から1000年以上も昔の話である。その時を境にこの星の環境は一変し、人間以外の生物が、人間を除く自然界がこの星の覇権を握るようになった。そのため、人間の技術力は大きく低下することになった。今では大戦時やそれ以前の廃墟などが遺跡としてたまに発掘される事はあっても、それが何のために存在し、どのように利用されたか理解できる人はいない。その際に当時の道具などが出土するのだが、大半はガラクタとして処分されてしまい、仮に使えるとしても現在の人間には使い方がさっぱり分からない物ばかりである。それらを使いこなせるのは、古人と呼ばれる、冷凍睡眠装置を使って現在‐当時からしてみれば未来‐へ逃げ延びてきた大戦時の人ぐらいだ。遺物が使えるという事は、そういう事情があるのではないか、と周囲の人に思わせてしまうのだ。


(あの野郎、なんでわざわざ…。分かってるなら聞くなよ…)

 そんな風に頭の片隅で思いながら、トウマは屋根の上で使い慣れない銃に苦労していた。同型の物を使用した事もあるため勝手は分かっているのだが、使い込まれていない上にどうも反動がきついのだ。車から落ちないようにするのが一苦労だ。

(末期の奴だから、粗悪品かな。まだ使えるだけマシだけど、こりゃ大したじゃじゃ馬だよ。どっちかってーと、お飾り向きだな。この調子なら、さっさとこいつらの縄張りから出た方が早くカタが付くかもな。車のポンコツっぷりも気になるしなぁ…)

 もしこの車が追手の砂狼の縄張りから出られたら、彼らはその時点で追うのをやめて去っていく。見つけた獲物は捕らえるまで粘るのが砂狼だが、縄張りから出ればあっさりと諦めるのも特徴の一つだ。まぁ縄張りの範囲が広いので、持久走になったとしても大抵は彼らが勝つため、逃げ切れたという例は少ないのが実際のところだが。狙いは一度諦められれば自動的に外されるので、再び同じ縄張りの中に入った時に、自動的に即座に追われ始める、という事はまず無い。彼らはリーダーが所有する広い領土の中を、基本的に三世代ぐらいの女系集団で構成される群れで生活している。そのため縄張りの中に入ったとしても見つからなければどうって事もない。一度追い駆けっこが始まるととことんしつこいが、現に今も、負傷したり殺されたりと何らかの理由で脱落したものを除いても、まだ10頭程が必死に車を追っていた。しかし、相手も相当疲れているが、トウマも実はそれなり疲れていた。元々駆除屋という仕事は、その内容から疲れやすいものとして定評がある。長時間神経を張りつめているのだ、疲労が溜まりやすくても何ら不思議ではない。しかも大体の場合は今のように面倒な状況が多い。ミスは命取りになるので許されないとなると、どうしようもない。

 車が左に曲がり、また別の道に出た。それを見た砂狼達は、クルリと回れ右をして去っていった。

 どうやら彼らの縄張りから無事に脱出できたようだ。

「トウマっちー、〈マスル‐7〉に合流したから町までもうすぐだよー」

「…こっちもようやく去ってったよ。どうにか抜け出せたみてぇだな。速度、元に戻していいぞ」

 あーもー町まで何も出てくるなぁ、とぼやいて椅子に座り込んでいるトウマは、本当にくたびれきっていた。非常事態は終わったと分かって呑気に口笛を引き出しそうなマルスとは大違いだ。猛スピードで走り続けた反動なのか、ガタガタと不吉な音をたてて車体を揺らしながら走る車に乗っているにも拘らず、トウマは脱力しきっていた。心底疲れたのだ。

「ここで寝たら、仕事サボったっていう事でお給料減額だよー?」

 荷物を片付けて助手席に戻ってきたトウマにこう言うと、彼は窓に頭を持たれかけたまま、…だろうな、とぼんやり返事しただけ。

「…分かっているって。今ここで寝れねぇって事ぐらいな。でもな、一息つかせろ。長時間気を張っているのは疲れるんだよ。…だからお前も仕事に見合った報酬、後でちゃんと寄越せよ」

「…何か文脈おかしくないかな」

「おかしいもんか。こっちは頑張ったんだ。仕事に見合う報酬を貰う、それが俺らのやり方だ。もし仮に俺がお前に安く買い叩かれたとして、その事が他所に漏れたとするぞ。そうなったら、俺はドケチな商人達の下で、タダ働きに近い賃金で働かされるだろうな。奴らは金を手に入れたい上に、余計な金は使いたくない。特に護衛とかに人件費をかけたくない。だから、安くて優秀な人手を抱え込みたがる。となると、高確率で今後一切、お前の手助けはできないな。俺としてはどっちもどっちだが、お前はどうだ」

 それだけ言うと、眠気覚ましにと小袋に入れて常に持ち歩いているヴァルの実を口に放り込み、その苦さに顔をしかめながらバリバリと音を立てて噛み砕いた。ヴァルの木は主に乾燥地域の水辺に生える低木で、その枝は香料として利用される。薄桃の花が咲くのは春、そして赤黒く実が付くのはその二ヶ月後だ。実は独特の苦みと酸味があるため食用にされる事は少ないが、香辛料として使われる事もある。だがそれよりも多い利用法は、トウマがやっているように眠気覚ましとして噛み潰す事だろう。5粒もあれば十分目が覚めるぐらい特徴的な味なのだ。

「そりゃ僕としては、トウマっちに頼める限りはお願いしたいよ。何だかんだ言っても話はちゃんと聞いてくれるし、結構人もいいしさ。前金不要で、報酬払えなくても取り立てに来ないっての魅力だなぁ」

「…やるだけ恥ずかしいからやらねぇだけだ、って言っただろ。ていうか、払えてねぇって分かってんならとっとと払えよ。人の生活が懸かっているんだぞ」

「分かっているけど、僕の生活が大変なのも分かってるよね?生活が懸かっているのはこっちも同じだよ」

 マルスの仕事は、行商人。しかも大戦前の遺物を専門に扱う商人だ。こういう人は、自分で商品を見つけて手に入れる所から始めるため、ただの商人よりも重労働になる。トレハンと呼ばれる掘り出し屋から買い付けるにしろ、自力で遺跡から持ち出すにしろ、基本は人里離れた場所へ行かないと遺物が見つからないのだ。

「それに、生活費は軍の手伝いで貰うお金でも十分賄えるんじゃないの?あれ、結構な額だって聞くけどなぁ。駆除屋みたいな仕事なら大金あっても邪魔なだけだろうし、そこまで金欠を気にする必要ないと思うけど」

「そりゃそうだけど、道具代とかで何気に金使うんだよ。軍の手伝いは知り合いに頼まれた時だけだからそんなにやってねぇしな。…それと、話逸らして支払い先延ばしにしようなんてするなよ。これ以上やるなら役所に申告するぞ」

「そ…それだけはやめてー!」

 …車ン中で叫ぶなよ、とうんざりした目付きで、ハンドルを握りながら青い顔で悲鳴を上げるマルスを見るトウマだった。

 駆除屋のような根無し草の多い職業にも、実はちゃんとしたギルドがあるのだ。そのため報酬未払いや滞納などの対処についての相談や、雇用主から受ける扱いの悪さについてなどの苦情はすべてそこに言いつける事になっている。申告内容を基にギルドでは勧告や処分などを検討するのだが、大手の承認になるほどその苦情を圧力でもみ消そうとする。しかしそれでへこたれるような所ではない。圧力をかけてきたという事は内容が事実だと認めているようなものだとして、その事も証拠の一つとして案件の調査材料にしてしまうのだ。恐ろしくタフである。なので案件の内容によって差はあるが、基本的に処分は調査内容ごとに何らかの形で毎回下されている。労働者も保護されるべきである、という考えはこの時代になっても生きているのだ。

「そもそもの話、お前がとっとと支払えばいいだけの話だろうが」

「…あのさ、トウマっち。僕らにも縄張りがある事とか、僕みたいに一人でやっている人は結構大変って事とか、その辺の事情を全て把握した上で言ってるんだよね?」

「当たり前だろ」

 取り付く島はどうやら無さそうである。どう考えてもマルスが劣勢だ。本人もそれが分かっているらしく、一応反論してみてはいるものの言葉に覇気が無い。

 マルスを適当にあしらったトウマは、椅子の背凭れにもたれこんで脱力中。感覚を休ませるために、目を閉じてゆったりと座り込んでいるらしい。銃を構えていた時の張りつめた空気は、どこかへと消え去っていた。くたびれて半分眠ったような姿を見る限りでは、彼は年相応の青年に見える。20代半ばで、世の中に愛想を尽かしていない、どこか素朴そうな青年にしか見えない。刃物のような鋭さを湛えた表情で、獣相手に武器を手にしていたとは思えない程だ。そんな彼の横顔をちらりと横目で見て、マルスは思わず訳も無く溜息をついてしまった。だが、トウマがそれに気づいて顔を上げる頃には、複雑そうな心境が浮かんでいた表情は、いつもの飄々として見方によったらただの呑気な奴にしか見えないものに戻っていた。

「あのさぁ、寝たら報酬減額だし、追加で寝顔写真を夜の盛り場のお姐さん方にあげちゃうよ」

「やるな、阿呆。お前こそ約束守れ。次から本当に依頼拒否するぞ」

 話が振り出しに戻った。さっきから何度も同様のやり取りを繰り返しているが、二人の間で決着がつかない。何度やっても同じ所をぐるぐると回り続けるだけ。

 ひょい、とトウマが取り上げたのは、ダッシュボードの上に置きっ放しになっていたインスタントカメラだった。マルスがハンドルから左手を離して取ろうとしていたそれを、写真を撮られてたまるかと取り上げたのだ。別に写真写りが悪い訳でもなく、撮られるのも嫌ではない。だが、姐さん方の間にばら撒かれたくないのだ。普段から仏頂面か無表情が基本で滅多に笑わない彼だが、粗削りに顔立ちは整っている上に若くて体格もいいので、姐さん方に大変よくモテる。夜の盛り場に一人で行けば大変な目に遭うという、ある意味で人気者なのだ。

 本人は大層嫌がっているにも拘らずに、だ。

「役所に訴えられてもいいのなら今のままで十分だが、そうなると迷惑を被るのはお前の方だぞ、ボケダヌキ。これを自分で言うのもどうかとは思うが、俺と組めなくなったら今みたいに無茶な事は出来ないぞ。それに、俺みたいに人のいい奴を見つけるのは難しいしな。嫌なら、町に戻ったらとっとと報酬未払い分寄越せ」

「…あのさ、脅迫って言葉を知らない訳じゃないよね?」

「当然知っているが、それが何か?何か俺に文句でもあるのか、バカダヌキ」

「……いえ、何でもないです。条件を呑みますぅ…」

「最初からそう言っときゃよかったんだよ」

 ついにマルスが折れた。カクン、と肩を落としてうなだれてしまっている。そんな彼に対し、トウマはようやく肩の荷が下りた。とでも言いたげにホッと一息ついていた。

 道には轍が目立つようになってきた。周囲の光景も、岩と砂だらけの荒野から徐々に緑が増えてきている。道沿いの地面に開けられた穴は、地下水路の整備用の穴だ。どうやら町までそう遠くはなさそうだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ