5.世界の歌姫は祝詞を歌う
全治ニヶ月の全身打撲。多数の内出血と骨折による個室での入院。
舞の医学的な診断と処置は命には別状がない『重傷』という程度だった。
だが呪術的には一週間後に死が迫っている。
魔法を他人の文明に紹介し、利益を得る。アフィリエイトと呼ぶ事業を行っているあの男がかけた呪い。
「人の進化の源は……悪意。幾多の戦争によって文明は発達した。悪意に対抗し包容できん劣った文明なぞ淘汰されてしかるべきとは思わないか?」
あの男の言った言葉。
僕はその言葉から推測する。
恐らくはあの男たち術士は多くの文明に魔法をもたらした。
産業革命、IT革命に次ぐ第三の技術革命。
魔法という技術は、確実に世界の構図を変える。
その結果、多くの世界で争いが起こった。革命的な技術によって争いが勃発した。
それによって多くの命が失われることになる。
あの男の紹介した魔法は悪意を媒介とするものだからなおさらだ。
むしろだからこそ文明が滅びていくのかもしれない。
それは恐らくあの男の世界でも起こった歴史。もしくはあの男が魔法をもたらした他の文明で起こったこと。
たぶん実際に滅びた世界もあるに違いない。
実際にあの男はこう言っているのだ。それに耐えうる社会のみ生き残るべきだ、と。
僕たちは選択を迫られている。
魔法を世界に導入することを認めるか、そのまま舞が死ぬのを指をくわえて眺めているか。
こんなものは僕たちだけで選んでいい問題じゃない。
それこそ人類全員で投票して決めるべき問題だ。
でも僕は舞を助けたかった。
契約の代理人になれるなら僕は今すぐでも契約したい。
あの魔人というか狂人と契約して魔法を広める約束をすれば僕は彼女を助けられる。
でも彼女は契約しようとしないだろう。
『人の悪意が人を死にまで追いやるのを!私はもう見たくない!!』
あのとき感じられた強い決意。気迫。
舞の過去に何があったのかは知らない。
僕は共感しないから。そんな自分を滅ぼしてまで人を助けようとする精神には絶対に共感したくない。
悪意を恐れていて何になる。僕たちは悪意と戦ってきたじゃないか。
恐らくはあの男の考えた言葉ではないだろう、先ほどの口上に僕はある程度は同意する。
あの男と契約するのは敗北かもしれない。
だけど僕たちは進んでいくしかない。
人は踏み出すべきだ。
悪意とはつき合っていかなければならないのだ。
彼女が目覚めるまで僕はずっとそばにいた。
一晩たって彼女は意識を取り戻して目覚めた。
「私ね……」
「しゃべっちゃダメだ舞!」
怪我によって舞の声はところどころ揺れている。
だがそれでもかまわず病室にいる舞が傍らにいる僕に呟いた。
「世界中のマリスが集まって……それが私を殺す呪術となるのなら……私はそのために死んでもいい」
「馬鹿!」
全身の怪我で声が途切れ途切れの人間に声を浴びせる。
でも僕の呵責は止まらない。
「命あってのものじゃないか!それに舞が死んだってどうせ魔法はいつかこの世界にもたらされる日がくるんだ!あいつじゃなくてもあいつ以外の誰かが必ず!」
もう僕は抑えられない。
「マリスなんてこの世にいくらあると思ってるんだ!人は善意も悪意もあってこそ人なんだよ!そんな命を捨ててまでやることじゃない!」
僕はいつの日か魔法が世界に発見されると思っていた。
あの男に世界に先んじる気はないか、と聞かれた時、僕は動揺を隠せなかった。
ゾッとしたといったほうが正しかった。
僕は舞と出会ったときにまったく同じ事を考えたから。
魔法をビジネスにしようとしていた。
あの男の言ったように、みなが自分の後を追うと思ったから。
今までさんざん馬鹿にしていた連中が必死で僕の後を追う――
その光景はなんとすがすがしいだろう。そんな白昼夢を思い描いてしまった。
全部あの男が言ったとおりのことを考えていたのだ。
僕は――あの男と似ている。
今でもそうだ。
僕がもし魔法を使えても世界の平和のためには戦わない。
魔法を使えるなら私利私欲のままそれこそあの男のように――世界を侵略していただろう。
『人の悪意が人を死にまで追いやるのを!私はもう見たくない!!』
彼女の怒声。
僕はマリスによって死のうとしたとき、僕は僕を軽視した世界中の人間を呪った。
『世の中の人間がみんな憎みあって苦しんで死ねばいい』
それは悪意だ。マリスを増殖させる行いだ。
もし僕があの男の世界で生まれていたら――
ひょっとしたらその相手は僕だったかもしれないのだ。
「私ね……」
弱弱しい声で舞は話し始めた。
「魔法は……もたらされるものじゃ……ないと思うの」
舞の瞳が僕を放さない。
「悪意が……あるのは……わかってる。でも……魔法は……まだ、ない」
少女の声は弱弱しい、しかし瞳に宿った意思は強く。
「魔法は……広めるものじゃない……広まるもの……」
§
「ファンレターって……嬉しいねっ」
少女の声が弾む。
でも僕は憂鬱だった。
彼女は弱小のアイドルだけど一応アイドルだからファンレターや花束が届く。
だけどどうにもならない。その程度の善意ではあの男の集めた圧倒的な悪意には勝てない。
時間がどんどん過ぎていった。
僕たちには何も出来ない。
あの男は強すぎる。居場所をつきとめて殴りに行っても返り討ちに遭うのがオチだ。
彼女はといえばこの一週間、歌詞をずっと考えていた。
自分のデビュー曲のだ。
『私ね、CDデビューするの』
そういえば初めて会ったときそんなこと言ってたか。
彼女はこんな状況でも創作活動に専念している。
僕は舞の創作活動の補佐に当たった。
浮かんだフレーズをメモして、書き残す。
ペンが持てない彼女のために。
そうでもしなければやってられない状況だった。
僕では舞を助けられない。
そして……。
とうとう呪いが成就する日がやってきた。
「今日で……」
「うん……」
僕は力なく呟いた。
時計の音だけが病室に響く。
「ぐっ……!」
急に痛み出したのか彼女が苦悶の声を上げる。
呪術の効果が強まっているのだ。
一週間後の今日という日に人を呪い殺すという呪術。あの男がもたらした世界からの悪意。
その全てが舞に殺到している。
「舞!」
「平気……」
そう言って僕へと向けた表情は。
とても穏やかなものだった。
舞は受け入れる気なのだ。
世界中の悪意全てを。
けれど。
彼女が死に、一度リセットされた後どうなる?
またあの男が集めだすだけじゃないか……。
結局は舞が死ぬだけで終わる。
僕はやりきれない気持ちになった。
彼女は気丈に振舞っている。
だが自分はなんと無力なのか、と。
「舞、やっぱり――」
僕があのクソったれと契約しようと言い掛けた時だ。
「ねぇ……」
弱弱しい声で僕に話しかけてくる。
話したいことがある様子だった。
僕は彼女のそばによった。
すると突然、僕の唇が暖かい感触を感じた。
「えっ……」
呆然とする僕に、
「いままでありがとう……」
突然のことに僕は戸惑う。
僕は少女のことは好きといえば好きだけど、恋愛感情というより仲間として見ていた。
周囲からの悪意に晒され続けていたときも耐えられたのは同じ境遇の彼女がいたからこそ。
――将来、魔法が発見されたときのために彼女から魔法を学んでおこう。
完全な野心で僕は舞に近づいていたのだから。
ああ、これってAだよな、とかぼく初めてだ……とか思った時。
「私の歌……聴いてくれる……?」
傍らにいる僕に少女が問いかける。
その表情は少し不安げだった。
断るわけがなかった。
「二人で作った曲じゃないか。当たり前だよ」
歌詞は昨日にようやく完成した。
アイドル魔法少女七川舞のデビューとなる曲の歌詞が。
「ありがとう……っ」
少女の表情が一気に華やいだものになる。
ああ、なんて素敵な笑顔なんだろう。
僕は少女の手を握った。
「じゃあ……はじめる……ねっ」
少女への呪術の戒めが強まっていく。
もはや声すらロクに出せない症状だというのに。
それでも彼女は歌う。
あの男はこの状況を嬉々として眺めていることだろう。
それとも茶番とでも思っているのか。
でもかまうものか。
死ぬ一瞬まで絶対に離れない。
最期の声まで聞き逃さない。
全身怪我だらけで声を出すのが苦しい舞が歌を口ずさみ始める。
呪術により彼女の体は蝕まれている。
その歌声はところどころ途切れていた。
呪術の効果がいよいよ極相を迎える。
少女に課せられた負荷はいかほどのものか。
舞の表情が苦痛に歪む。
それを見るとさっきの決意なんて一気に吹っ飛ぶ。
やっぱり契約しよう――そう言い掛けた。
だが、彼女の声はだんだんとはっきりし始めていた。
表情も凛と本物の歌姫のようになっていた。
「舞……?」
一瞬、治ったんじゃないかと思うような清楚な声。表情。
メイクアップされたように可憐な姿は余命幾ばくもない者の姿ではない。
理解する。彼女は変身したのだ。
病室に彼女の音色が響き渡った。
とてもキレイで、一点の淀みのない声。
僕は聞き入ってしまった。
いつの間にか僕も彼女と同じように歌いだしている。
同じフレーズを口ずさみ、リズムを合わせる。
世界を祝福するとても素敵な魔法の歌詞。
彼女とともにその祝詞を読み上げる。
ここにきて僕は魔法の真髄を理解した。
音とは原子の振動。
一個の原子が振動すれば、その振動はどんどん広がっていく。
それは部屋を超えて海を越えて、宇宙の果てまで影響を及ぼす。
その振動が法則を持ち感知した人を感動させるのが音楽ならば――
一瞬だけでいい、
一瞬だけ――
世界よ、共鳴しろ!
薄汚い男の部屋。
おびただしいまでの量のディスプレイが並んでいる。
カタカタと音が鳴り響く。
その音は世界で唯一の異質な音だった。
その音が、一瞬だけ止まった。
再びキーをたたく音が再開される。
ディスプレイから映像が一つずつ消えていく。
震え汗ばんだ手はどんどんキーをタイプしていく。
だが音は何とも共感しない。もともとこの世界のものではないのだから。
音はどんどん小さくなっていき――
ダン!
キーボードに男の鉄槌がめり込む。
それっきりだった。
やがてその部屋には何もなくなった。
(続)