4.術士の世界~アフィリエイトとC8
薄暗い部屋。
おびただしい量のディスプレイには何も映し出されていない。
女がぶつぶつと呟いている。
――シーエイト……シーエイト……。
それがこの女のランク。
術士にはランクがある。
ABCDのランクは術士会の分類。
これはとても大雑把なもので、Cクラスが術士のほとんどに該当する。
Dクラスは術士になろうとする者。術士会主催の学校で術技を専攻する者が該当する。
Bクラスが世界を支配できる力を持つ術士。これくらいになると一個人が大国レベルの力を持つ。術士は必ず術士会に所属しなければならず、術士会から外れたものは『魔人』と認定されて全術士会員の抹殺対象となるが、このクラスになると多くが術士会から離れて個人として術士会と『仲良く』やっている。そういう『仲良し』の証がBクラスという認定だ。
そしてAクラスが――
マジックルーラー。世界の支配者たる術士。
女の世界では支配者などいないからAクラスは術士会の会長が代々当たっている。
実質的な名誉職のようなものだ。
そして少女を圧倒した自分が該当するのはCクラス八級。
それが女には歯がゆかった。
才能のない自分は苦労に苦労を重ねて術士となった。
どれほど人の悪意を浴びせられたか。
女の脳裏に「ヒト」であったころが走馬灯のように頭を駆け巡る。
術士が支配する世界でも「ヒト」の社会は存在を許された。
ただもはや「ヒト」は術士にとって家畜だった。
家畜の生存は保障された。術力の源である奴隷として。
そして術力の源を繁殖させたい術士側と「ヒト」側の折衷案として階級が設定された。
最下位に与えられた役割は、「ヒト」の悪意をただぶちまけられるだけの存在。女は繁殖用として全階級の男から狙われた。
自分もその一人だった。親の姿も知らない。物心がついたときには既に暴力と悪意により嬲り者にされていた。
拾われたかと思ったら、玩具としてさんざんに弄ばれた事もあった。
この世に味方など誰もいない、最下位なのだから。
女の眼の片隅に自分の姿が差し込む。
――憎い……!映すな!
拳がディスプレイの一つを粉砕する。
無数に散った破片の一欠けらが、長髪の女の姿を映し出す。
女は己の「性」を呪っていた。女はより犯され、辱められたからだ。
あの頃抱いた術士への羨望がよみがえる。
本来、術士は容姿にこだわる。より美しいものが効率的であるという考えの下、しなやかな肢体と瑞々しく気品のある圧倒的な美貌を誇っていた。その容姿はすべて生物の原型たる『女』を基調としたもの。
――まさに女王。あのBクラスの存在の圧倒的な美は。
そして女は、性別を捨てた。
術士に性別などない。「ヒト」ではないのだから。ただより進化してゆくだけの存在。
自分は「ヒト」を捨てた。あの頃の卑しく貧しく世界中から悪意を向けられ怯える存在ではない――!
『生物は進化しつづける。進化についていけない存在は消え去るのが摂理の要請』
聞き飽きた言葉。
女の世界は学習の機会だけがあった。
『どのような劣った位や身分のものであっても、優れた子息に学習の機会を与え学習させ成長させることは、進化の促進に有益』
ひたすら学習を続けた。社会への報復の一心で。
『学習し、進化せんとする者はどのような存在であっても歓迎する義務を術士会は負うこととする。能力の高い者を術士会は選抜する』
そして、とうとう女は術士の資格を手にいれた。
ヒトという種族すら超越する存在となった。
自分を人柱に追いやった「ヒト」の社会についに復讐できる。
――侵害され続けたことで発生した数多の不法行為によるヒトの債務は、その共同体である社会が連帯して償うべきもの。還元しない社会など社会ではない!
だが現実はどうか? 自分はただのCクラスのしがない術士。Cの中の細かく等級で区分される下級の術士。
階層が、ランクが、自分の全てを縛った。
術士の自分は呪った。才能のない自分を。
やがて淘汰され消え行く自分の運命を。
オリジナルの術技を生み出すだけの才能もない。ただ他人の術技を紹介する日々。
術士の世界は徹底的な能力主義だ。
自分の扱う商品――悪意を術力の源とする術技を開発した術士は自分の世界ではBクラス術士となっている。
芸術的なまでの術技の素晴らしさと効率性で瞬く間にマリスを操る術技の頂点となった。
そして今までマリスを操っていた術士の術技は一瞬で淘汰され、その術士はCクラスに転落した。
そんな下克上が一夜にでも起こる群雄割拠の世界。
オリジナルの術技を練ることができればそれを売ることができる。
ヒットして自分の術技が利用されればそれで生きていける。
自分の考案した術技が翻案されれば二次使用料まで発生する。
要はこの世界で言う著作権なのだ。術士とは創作家なのである。
だが自分の術技は売れない。そもそも基本的な術技しかできない。
憎い。才能のない自分が憎い。
それ以上に迫害を加え続けた世界が憎い。
術士である自分はマリスを操る術技を他の世界に持ち込み紹介料を貰う生き方を選んだ。
――生活かかってんだ……っ!こっちは……!
女は考える。
どれだけこの世界に労力をつぎ込んだかを。
術技が使えるようになるまでマリスを世界に満たすのには相応の時間の時間を要する。その間はひたすらただ働きだ。
そして時期がきたらマリスによって世界に魔法を証明し、その存在を知らしめる。
それによって自分の紹介した術技を原点とした魔法の文明が花開けば、その分だけ成功報酬の蜜は多くなる。
だが過去に何度もマリスを育て紹介しても未だに小遣い程度の利益しか得ていない。
そんなシビアなアフィリエイトというシステムにでも悪い感想はもっていない。むしろ術士は感謝していた。
このシステムはローリスクで富を得られる仕組みなのだから。
やればやるだけ成果が上がる。
それに紹介された側は術技という文明の利器を得る。
買主は欲しい商品を手に入れ、売主は利益を得て紹介者も利益を得る。
『当たりの』文明を築き上げることが出来れば、術士として悠々自適の毎日が待っている。
誰も損をしない取引関係。
――そうだ自分は悪いことはしていない。むしろ正義だ。悪は人類の進化を阻害するあいつらだ。
違法や違反などの悪はこの世でもっとも弱いもの。退治される対象でしかない。
正義と悪は一方的な力関係が支配する。
常に『正義』でなければならないのだ。
術士会主催の学校で何度も聞かされたフレーズ。
『生命は進化し続ける。我々術士は「ヒト」を飼う生態系の頂点。術技を用いることができないヒトの劣等は明らかである。進化できぬ劣った遺伝子は淘汰されるのが必然であり当然。だから進化できぬヒトを進化した我々術士が管理し、保全すべきなのだ』
『進化を否定する者は淘汰されるべき』。それが術士の鉄則。
だからこそ才能溢れるも術技を社会に広めない少女に全てのマリスを注ぎ込んで呪いをかけた。
それはこの女の才能溢れる者への恐れの表れでもあった。
だが女は術士たちの理屈を持ち出して自己の行為を正当化した。
――正義は自分にあるのだ!何ゆえにあのような理不尽な仕打ちを受けねばならない!?あのような悪意ある行為ばかり受けている!自分の歴史は!
術士の価値観においては、まったくもって正解の行為を自分は行っている。
だから――
――あの時自分が突き飛ばされたことは違反では断じてない!!
女に広がっていく安心感。
点灯していくディスプレイ。そこに反映される姿はすでに女性ではなかった。
再開される悪意を増殖する営み。
そうだ自分は正しいのだ。
『正義』は強いのだ。そして貫くべき。
正しいものが堂々と正しい行いをして何が悪い――
男が次に考えるのはその安心を脅かす少女の処遇。
――奴を生かすことは、この世界の収益化の最大の障壁となる。
彼女はこれから成長する。術者として。
少なくとも傍らの見込みのなさそうな少年よりはるかに感じられる才気。
人の想いが力になることを発見し、それを行使する感度と行動力。
魔法の発展していない世界であれほどのレベルの魔法を練ってみせる才能。
あれこそ天才――
忌々しい同業者を男は呪った。
しかもその成長する魔法使いはマリスを消そうとしている。
消す効率がどんどん上がっていったら収益が確実に落ちる。
今のうちに対処すべき存在なのは明らかだった。
だが……。
男にとって、あの呪いはできれば発動して欲しくはないものだった。
発動するか相殺されるかして全術力を消耗すれば確実に赤字だ。また一からマリスを集めなおさなければならない。その分だけこの世界への投資が増える。
――そうなれば撤退するほかない。これ以上は自分の術力がもたない。
相殺はまず無理だろう。世界中のマリスを集めたのだから。
――まぁいい。これも必要な投資だ。
彼女さえ消えてくれればもはや邪魔者はこの世界にはいなくなる。あとは簡単にこの世界を収益化できるだろう。この文明に魔法をもたらすことに成功すれば、少なくとも投資分は確実に回収できる。
死に際にでも解除契約は成立する。少女が心の中で合意するだけで契約は成立する。
なんなら相殺に応じてもいいのだ。術技の量はいくらでもいつでも任意に減らすことが出来る。それは全ての術力を失わないという保険でもある。なに、契約さえ取れれば有害でなくなった少女はむしろこちらの味方。すぐに元以上回収できよう。
――死ぬ3分前には半分くらいにしてやるかな。なんなら俺がプロデュースしてやる、お前を!魔法少女として世界に……!
男が舌なめずりする。
それが合意。この世界の法的にはどうだか知らないが、「ヒト」でないものに人の作った法なんぞ関係ない。
――なによりも「印」なき術者など我らの世界では無価値であり法的に無主物!処分の権利は先占者の独占!
自分もあの魔法を操る少女も、もはや「ヒト」ではないのだ。
それに傍らの少年が必ず彼女を生かそうと説得する。これは何よりも有効だろう。
男は勝利を確信していた。この案件は、取れると。
一通り思考し、憂いから解放された男は膨大に並んだディスプレイに向かう。
――さぁ仕事だ仕事だ。俺は術士という名の自由業者だ。負ければ現世で術力集めの奴隷生活。勝てば先生様の士業でございます。
キーを打つ音が快活さを帯びる。
この世界にあるインターネットとやらは、既に現代の魔法ではないか、と男は感想する。
電子の世界ではその気になれば誰でも指先だけで炎と呪術が繰り出せる。これを魔法と呼ばず何と呼ぶ。
今日も男は電子の世界で炎を放つ。
誰でも簡単に人を追い込める。
――ほら燃えた
人を殺す呪いの言葉を紡ぎ出す。
たった2,3の文字だけで人が動く。人が殺せる。
――ほら死んだ
(続)