対話の意義
5話目です。
・・・ではどうぞ。
「あのさ、後ろ・・・怪しい人いるよね。」
ある日の学校からの帰り道、聡太くんが囁いた。
みんなで立ち止まって後ろを振り返ると、黒いジャージ姿の兄貴が慌てて電柱の陰に隠れた。
「誰だあれ?」
航も怪訝な顔をする。今のはしっかり兄貴にも聞こえてるだろうから、どうせ今頃は嫌な汗をかいてるんだろうな・・・でも。
「さあ~知らない。あ、そうだ、怪しい人がいますって、みんなで交番に駆け込もうか?」
わざわざ聞かせるために、はっきりと大きな声で言うと、
「ま、待って朋花、お兄ちゃんだから、知らない人って言わないで、お願いします!!」
慌てて出て来て両手を上げた降参のポーズを取る兄貴に、二人は唖然としている。
「・・・で、和樹はこんなとこで何やってんの?」
そんな二人を尻目にジリジリと近付き、後一歩という所で立ち止まると、足を払って引っくり返して見下す。
「ほら、何やってた?」
肩に軽く蹴りを入れて転がし、腹を軽く踏んだ。
「と、朋ちゃん? それ・・・その人お兄さんだよね?」
かなり引いた感じの聡太くんの声が聞こえた。
「そうだよ。じゃなきゃこんな事しないって、しかもジャージだから汚しても平気。」
「朋花、平気って何だ!?」
兄貴の不満の声が聞こえたが、それはあっさり無視させてもらう。
「止めとけ、やりすぎだろこれは?」
「そう?」
航も珍しく真面目な顔して私の腕を引っ張り、足を下ろさせようとしているので、素直にそれに従った。
「朋ちゃん・・・君は絶対この間の事言えない。人前どころか、普通外でこういう事はしないと思うよ? それにさ、何か・・・こういうの見るのは居たたまれない気分になるんだ。僕も妹いるから、さ・・・。」
言いようのない目をする聡太くんには妹がいるらしい。
仕方ない。
「・・・和樹、今は二人に免じて見逃してやるけど、もう二度としないでよ?」
睨みを効かせて一喝すると、兄貴は手前の角に向かって走り込んだ。
「兄の威厳って無いのな、おまえん家。」
姉のいる航はそう言い、
「たぶん、女が強いって事だと思うよ。」
兄の立場である聡太くんはこう言った。
とりあえず兄貴のおかげで二人の抱く『兄妹』のイメージが違う事がはっきりと
分かった。
「痛っつ・・・、」
玄関のドアを開けて中に入ると同時に、何かが額にヒットした。
当たった場所に手をやると、何かベタベタした液体が手につき、それは髪にまで張り付いている。俺にぶつかった後それは下に落ちた。下を向いてその何かを確認すると、4つに割れたリンゴが転がっていた。確かに甘いリンゴの匂いが辺りに充満していて、手についたベタベタした液体を舐めるとリンゴの味がした。
帰るタイミングをずらしたつもりだったのだが、玄関を開けると正面に朋花が待ち構えていて、そこからそのリンゴは飛んできた。
「と、朋花っ、二人に免じて許すって言ってなかったか?」
「いいや、言ってない。見逃すって言っただけだっ!」
玄関の段差で同じくらいの目線の朋花は、怒りの目を俺に向けて腕組みをしている。
「・・・お前、だからってここまでやるか?」
「はぁ!? どっちが? 妹尾行って何やってんの?」
「ぐっ、そ、それは・・・お兄ちゃんは心配して・・・。」
「何が心配だ、何が。私は和樹に心配してもらうような事は無いね。」
確かに・・・俺が勝手に心配してるだけだ・・・だけど、
「だけど、リンゴは痛いだろ、リンゴは!?」
「ぶつけられた事無いから知らないよ。でも確実に割れるように切り込みを
入れといたんだ。そのままよりぶつけるより、きっとダメージ減だよ?」
「それが何だ、そんな事恩着せがましく言われても嬉しく無いっての!」
「二人ともうるさいよ!」
台所から鋭い一喝がして、夕飯の準備中だった母さんが面倒そうに出て来た。そのまま俺達の方に近付いてきて・・・玄関に転がる無残なリンゴを発見した。
・・・まずい。
ただの兄弟喧嘩なら、静かにやれとだけ言って放っておくが、こういうのには厳しい。
「・・・食べ物を粗末にするのは誰かな~?」
俺と朋花を交互に見据えて静に言った。これは怒鳴る時よりも遥かに怒っているサインだ。
「あっ・・・その・・・お母さん?」
「あーっ、えーと、それは・・・」
うちの喧嘩はいつも両成敗だ。結局二人並んで廊下に正座させられている。
「何で和樹はいつも、私のせいだって言わないの?」
さすがに小さい時は記憶に無いけど、私が悪い時だっていつも兄貴は一緒に怒られて、こうやって正座させられている。
「言っても言わなくても、どっちにしろ母さんには怒られるんだからいいじゃないか。言い訳じみた事して後味の悪い思いするのも嫌だしな。」
兄貴は視線を合わせず達観したような事を言った。
確かに、お母さんはどっちが悪いとかあんまり聞きもせずに纏めて怒るけど・・・
「・・・そういうもの? でもぶつけたの私だよ?」
今回お母さんを怒らせた理由は、確実に私にある。
「いや、もともと俺が朋花を怒らせたんだろ?」
怒られて正座させられる時間は、騒げばまた怒られるし、黙っているのもつまらないので、いつもこうして静かに兄貴と話をする。
「・・・私もやり過ぎたし。」
話してるうちに段々と冷静になって、特別謝らなくても結局ここで仲直りが成立する。
「俺な、あの件があってから必要以上に朋花が心配なんだ。」
「・・・知ってる。」
だから過保護過ぎて腹立つんだ。今更ながらに驚いた顔して見下ろす兄貴に笑顔を返した。
「和樹にも迷惑かけて悪いなって思ってるんだ。学校少し遠くなって時間が余計にかかるし、友達の家も遠くなったよね。」
前の学校で・・・ある事件が起きた。不本意ながら私は被害者という立場になる。以前からいじめにあっていた友人が夏休みを期に転校し、休み明けにそれを知り憤った私が加害者達に抗議し、多勢に無勢でやり返されただけの話だ。
だけど、誰かが持ち出したハサミのせいで事は大きくなった。背中まであった私の髪の一部がバッサリと切られ、はっきりと目に見える形で発覚した事件に学校は良い反応を見せず、良い対応もできず・・・そんな学校に私の家族は呆れ背を向ける事を選んだ。
私は逃げるような選択をしたくなかったのだが、結局は両親や兄貴の説得に折れ、学区が変わる程度の距離に引越し、今の学校に転校する事になったのだ。
もちろん父さんの仕事や、兄貴の学校の都合があるからそんなに遠い距離ではないが、この際だからと、アパート暮らしから中古の家を購入する事にもなった。
「別に・・・俺はそのくらい気にしてないよ、・・・どうせ自転車だし、・・・学校行きゃいつも通りだし。」
きっと照れくさいんだろう。兄貴はリンゴをぶつけた辺りの髪の毛をいじりながらそっぽを向くと、改めてリンゴの香りが漂った。
「私は大丈夫だよ。それより自分の事心配したら? 高3の受験生。」
「お前もな、中3の受験生。」
仲直りもできたし、ずっと気にしてた事も話せた。苛つく事が多い兄貴だけど、結構いい所もあるのかもしれない。
・・・ただ、とっても足が痺れたんだけど・・・まだ駄目かな、お母さん?
見せ場はやっぱり兄貴・・・とリンゴ?
私もぶつけた事は無いですよ? もちろんぶつけられた事も。
なので、どれだけ痛いかは知りません。
石川家は、いい意味で、親は無くとも子は育つ的な感じです。
いちいち兄弟喧嘩の仲裁になんか入りません。