白い肌が
「ああ。きてくれたのね」
白い壁の部屋の白いシーツの上で白い肌をした女が窓際で振り返った。
病院とはいえここまで白いものなのだろうか。長いエレベータに揺られて病室を訪れた男はそう思う。
「大したことはないの」
入院用の前合わせの寝間着を着た女は、男が病態を訊く前に自ら話し出す。
男はその流れに、自分が相手の容態を訊くつもりだったかどうか思い出せない。
「入院なんて大げさでしょ?」
ベッドに腰掛けていた女は、やはり一人で話した。男は頷くだけだ。
「新しい彼女はできた?」
女はやはり一人で話す。男はその様子に口を挟む機会を失う。
女の喉元は一人で上下した。白い病室の白いシーツの上で、白い肌をした女は一人で話す。
男はその喉元を見た。男がかつて愛した白い喉だ。喉だけではない。頬も喉も手も足も。とても肌の白い女だった。
男はその白い肌が赤く上気した夜を一瞬思い出した。とても遠慮がちに女が体を預けてきた夜だ。
「私のことは気にしないで。私みたいなつまらない女。ふられて当然だもの」
そう、つまらない女だった。
まるで遊び慣れていない。己の体を楽しむということに不慣れなようだった。
ただただ戸惑うように男の指示に従うだけの女だった。
もうどんな夜だったのか男は思い出せない。
「肌が荒れないか、それだけが心配でね」
だがその白い肌は鮮明に甦る。白いだけでなく、とても艶やかだったのだ。
男はまるで赤ん坊の肌のようだと感心したことを覚えている。そして実際そう言って褒めたことも思い出す。
「あなたに褒めてもらった肌だもの」
女はやはり一人で話していた。一人で話すのが好きなのかもしれない。
つき合っていた時も、相手の話を聞かずに一人話していたような気が男はする。
もしかすると本当に一人で話すことが身についているのかもしれない。
男が一度招かれていった女の部屋。そこには女が集めた人形がところ狭しと並べられていた。
ぬいぐるみの類いではない。人の形をしたまさに人形だ。
マネキンとはまた違うその雰囲気。人を模しておきながら、それでいて人を超越するかのような佇まいをその人形達は見せていた。
そしてその人形は皆、女のように白い肌の人形だった。
女は一人一人に話しかけるかのように、男にその人形の名前を伝えた。男は最初そういう商品名かと思ったが、どうも女が自分で名前をつけたらしい。
何よりこの人形達は女の手作りだったからだ。
女は作るのは簡単だと言った。型紙をその形に切り抜き、縫い合わせるだけだからと。
「ご免ね。突然呼び出したりして」
女は返事をしない相手に話しかけるのが苦にならないようだ。男が話しかけなくとも一人で話し続ける。
「今日きてもらったのはね、渡したいものがあったからなの」
女そう言うとベッドの足下から紙袋を取り出した。
「人形も素敵だって言ってじゃない? だから一つあなたの為に作ったの」
確かに人形も褒めた。だがただのお世辞だ。口から出ただけだ。男はそう思う。
入院したと聞き、一応心配になってやってきた。それは世間体を気にしてのことだ。男と別れてすぐ女は入院した。顔ぐらい見せるべきかと思っただけなのだ。
人形を一つなど言われても、こちらはお世辞にもありがとうとは言えない。
「ふふ。可愛いでしょう?」
女は男に紙袋の中身を手渡した。
それは赤ん坊の人形だった。
「その子も、とても白い肌をしているのよ」
そう、それはやはり白い肌をしていた。
その上ぞっとする程男の手に馴染んだ。
そして男は思う。
この肌は知っていると。
「ああ。その唇の色もね。あなたが褒めてくれたから――」
男の目が人形の唇に吸いつけられた。
男は思う。
この色も知っていると。
男はこの色も褒めたのだ。
とても奇麗だと褒めたのだ。
あの夜そう褒めると、女がとても恥ずかしげに顔を赤らめたのを男は思い出す。
「大事にしてね」
女は窓際のベッドで立ち上がった。
男は止める間もなかった。手は赤ん坊の肌に吸いつけられ、目は赤ん坊の唇に引き込まれていたからだ。
どさっという音が聞こえた時はもう遅かった。
男は急に我に返り、女が消えた窓の下を慌てて覗き見る。
白い肌が覗いていた。
女の寝間着の前がはだけ、とても白い肌が覗いていた。
だがその白い肌から更に覗いていたのは赤い何かだ。
そう白い肌はそこだけ失われていた。
男がとても奇麗だと褒めたその頂きから、母の乳房に吸いついているような赤ん坊の形に白い肌が――