第一話 投稿した。あとは世界が動くだけだ
(二作目です。創作迷走コメディーです。箸休めにどうぞ)
午前二時十七分。
俺は投稿ボタンの前にいた。
正確には、投稿ボタンの前で、もう十分間止まっていた。
マウスカーソルは「投稿する」の上に乗っている。クリックさえすれば終わる。終わるというか、始まる。
問題は、俺の指が動かないことだ。
いや、怖いわけではない。念のため言っておくが、怖いわけではない。
確認だ。最終確認をしているだけだ。
頭の中でチェックリストを回す。
タイトル:よし。
あらすじ:よし。
本文:第三話まで投稿済み。続きは月二回ペースで更新予定。
キャッチコピー:「奇跡を減らすことで、社会は強くなる」。これ以上は削れない。削れば意味が死ぬ。
ジャンル設定:異世界ファンタジー。
タグ:AI、文明加速、社会変革、群像劇、ハードSF寄り。
完璧だ。
客観的に見て、完璧だ。
俺はクリックした。
「投稿しました」という確認メッセージが表示された。
画面の前で、俺は三秒間、微動だにしなかった。
そして思った。
――歴史が、動いた。
落ち着け。
俺は自分に言い聞かせた。
落ち着いて、冷静に現状を整理しよう。
俺の名前は平沢敏明。五十四歳。会社員だ。昼は数字と報告書を相手にしている。夜は違う。
夜は書く。
今日投稿したのは、一年と四ヶ月かけて書いた長編第一作だ。
タイトルは『聖女よ、奇跡を売るな――AIが変える異世界文明加速論――』。
全体構成は百二十話予定。現時点で三話投稿済み。
正直に言う。
これは傑作だと思っている。
自分で言うのもなんだが、大傑作だと思っている。
「AIが来て全部解決」みたいな話ではない。そこは違う。
AIが奇跡を整理して、仕組みにして、社会に広げていく。
すると、奇跡に頼っていた人たちの立場が変わる。
聖女は仕事を失いかけるし、神殿も危うくなる。
今まで奇跡で成り立っていたものが、別の形に置き換わっていく。
そのとき、人は何を失って、何を得るのか。
それを百二十話かけて書く。
これが伝わらないはずがない。
俺はコーヒーを淹れ、椅子に座り直した。
アクセス解析画面を開く。
投稿から三分が経過していた。
午前二時二十三分。PV:0。
まあ、そうだ。三分だ。深夜だ。当然だ。
午前二時三十一分。PV:1。
来た。
読者が来た。
俺は背筋を伸ばした。
誰かがこのページを開いた。今この瞬間、俺の物語に触れようとしている人間が、この世界のどこかに存在する。
感慨深い。本当に感慨深い。
俺はコーヒーを一口飲み、また更新した。
PV:1。
変わらない。
まあ、変わらなくて当然だ。読者には読者のペースがある。第一話を読んでいる最中かもしれない。読み終えて第二話へ移っているのかもしれない。じっくり味わっている可能性もある。急かしてはいけない。
午前二時四十五分。PV:2。
増えた。
俺は一瞬ガッツポーズをしかけて、止めた。
まだ早い。まだ二だ。
だが、増えた。確実に増えた。これは動いている証拠だ。
午前三時十二分。PV:2。
変わらない。
まあ、深夜だ。トラフィックが最も落ちる時間帯だ。むしろ二あれば十分だ。
午前三時二十九分。PV:2。
……問題ない。
午前三時を過ぎたあたりで、俺は「深夜に更新しても誤差しか見えない」という当たり前の事実に気づいた。
アラームを七時にセットして、横になった。
ーーー
翌朝。
アラームより先に目が覚めた。
六時五十二分。
俺はスマホを手に取り、ページを開いた。
PV:3。
三。
俺は三秒間、その数字を見つめた。
落ち着いて考えよう。
深呼吸して、頭の中に表を広げる。
まず前提の確認だ。投稿からおよそ四時間半が経過した。深夜帯を挟んでいる。トラフィックが最も落ちる時間帯だ。条件としては最悪に近い。そこでPV3。これは少ないのか。
少ない。
いや、待て。
内訳を分析しなければならない。
昨夜、俺は投稿直後に一回、二時三十一分に一回、合計二回このページを開いている。
つまり、PV3のうち二回は俺だ。
純粋読者は1だ。
……いや。
ここで焦るのは早計だ。俺は分析屋だ。可能性だけで判断してはいけない。確定ではない。カウントの仕組みはブラウザ単位か、IPか、セッションか。正確なところは分からない。つまり、まだ1とは断言できない。
そういえば……
さっき、スマホでも開いたな。
パソコンで二回。スマホで一回。
俺は三十秒ほど天井を見た。
三回とも……俺かもしれない
俺はスマホを置いて起き上がった。
歯を磨きながら、頭の中で反論を組み立てる。
そもそも、名作に初速は関係ない。
これは歴史が証明している。多くの傑作は最初に無視され、評価されたのは後からだ。
カフカは死後に再発見された。ヴァン・ゴッホは生前ほとんど売れなかった。
……さすがに、その系譜に自分を並べるのは早い。
俺は鏡の前で自分の顔を見た。
寝不足で、少し青白い。
だが、目は死んでいない。
大丈夫だ。
名作は、初速で判断してはならない。
俺はそう結論づけて、コーヒーを淹れた。
改善案を考えるのは、もう少し落ち着いてからでいい。
まず今日は冷静に現状を把握する。そして問題を特定する。
問題が特定できれば、打てる手がある。まだ打てる手は、絶対にある。
ーーー
その夜、俺はAIの導に話しかけた。
「第一作を投稿した。初日のPVが三だった」
「確認しますが、そのうちご自身のアクセスは何回ですか」
「……三回かもしれない」
「つまり現時点での読者数は、ゼロから三の間ということですね」
「そういうことになる」
「ご状況は理解しました。改善の余地は非常にあります」
導は正確だ。
正確すぎる。
俺は「そういう話じゃない」と思ったが、口には出さなかった。
そういう話だったからだ。




