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海辺の高校  作者: 仲原洋
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 須見の学校には特別研究というものがある。十数個のテーマが事前に用意されていて、その中から自分の興味のあるものを一つ選ぶ。選んだテーマを1年間研究し、文化祭の時と学年終わりの時の二回、全体に向けて発表する。

「なんにしよっかなあ」

 須見はホームルームの時に配られたテーマリストを眺めていた。「古典の世界」「ギリシア語を読む」「中国詩を読む」「基礎経済学~お金のしくみ~」「フェルマーの最終定理」「不確定性原理」「地震大国・ニッポン」「生命と非生命」「礼儀と作法」「ベンチャービジネス」など、ずらずらとテーマが並ぶ。

 あまり人が多いと抽選で別のテーマに回されてしまうし、かといってあまりにつまらなそうなのはやりたくない。指導教員が誰かも大事だ。たとえば山谷先生は「中国詩を読む」の指導教員だが、授業があまりに平坦で生徒の六割は眠っている。後の三割は他の授業の課題をやるか漫画でも読むかしていて、テスト前に残りの一割のノートが重宝される。せっかくの特別研究でまたそれを繰り返すのは愚の骨頂だ。それに須見はあまり文型科目が得意ではなかった。どうせなら得意な理系科目にしようと思う。

「須見、決めたか?」

 中本が紙をひらひらさせながらやってきた。

「まだ。中本は?」

「俺は『古典の世界』。教員ユキちゃんだもん。超楽そう」

 ユキちゃんは3組の担任だった。ユキちゃんとは言うものの、年はとっくに50を越えているおばちゃん先生だ。授業の仕方ももろにおばちゃんっぽいのだが、しかしやさしくておだやかなので生徒の間で人気がある。

「おー、そっか。でもユキちゃんのだったら抽選になりそうじゃん?」

「いや大丈夫だね。俺のくじ運だったら」

「お年玉ハガキ当たったことねえくせに」

「いーんだよ。今回で使うから」

 提出日は来週の水曜までだ。それで金曜日から特別研修が始まるので、さっさか決めなければならない。

「蒔はどうする?」

 放課後、家に遊びにきた蒔に聞いてみた。蒔は床にぺたんと座り、須見のゲームを遊んでいる。

「んー? 何が?」

「特別研究だって」

「あー、今日もらったやつかあ。どうしようかなあ」

「まだ決めてないの?」

「うん、ちらっと見ただけ。でも面白いね、これ毎年やってるんでしょ?」

「そう。一年ずっとだからね、慎重に決めないと」

「直は?」

「『不確定性原理』にしようかと思って。面白そうだし」

「えー、ちょう難しそう。まじで?」

「笹沼先生だしね。教え方うまいし」

 本当のことを言うと、研究発表が「掲示」だけなのも選ぶ際のポイントになった。研究発表にはいくつかやり方があり、レポートを配るものや舞台の上で発表をするものもある。須見は人前で発表なんて自分には無理だと思っている。

「そっかあ。むずかしーなー」

 須見は第一志望に『不確定性原理』の数字を書き込み、そのまま提出した。

 翌週の金曜日、朝礼の際にプリントが配られた。今日の六時間目から始まる特別研究のクラスわけだ。『不確定性原理』など、受ける人数はきっと少ないに違いない。須見は自分のクラスに確信を持っていた。

「あれ?」

 プリントの下半分に乗せられたテーマのリストの中で、『不確定性原理』に線が引かれていた。横に(人数不足により開講中止)とある。

 志望のテーマから外れた生徒は、空いているテーマにランダムに振り分けられるらしい。須見のクラスとしてプリントに記されていたのは、よりによって「伝える技術」だった。


「何、お前もなの?」

 不幸中の幸いと言うべきか、「伝える技術」は中本もとっていた。「落ちてさあ、ユキちゃんのクラス。やっぱり倍率高かったみてー」

「なんで開講中止なんかにすんだよなあ、それならはじめからやるなっての」須見はまだぶつぶつ言う。せっかく決めたものを勝手に変更されたことに、いまだに納得がいかなかった。

「お前しかいなかったんじゃないの? 紙に書いたやつ」

「いやいるって。ぜってー」

 二人は連れ立って第一特別室に入った。これから一年「伝える技術」のクラスはここで行われる。

「あ」

 先に教室に入った中本が、「げ」というような発音で声を上げた。窓際の席に一人先客がいた。須見も知っている。同じクラスの筒井みずはという女子だ。須見は人の名前を覚えるのが苦手だが、それでもこの女子の名前は知っていた。目立つからだ。容姿はごく普通なのだが、着ている制服が問題だった。ブレザーに「女子生徒用ズボン」をはいている。

 女子生徒用のズボンは、十年か二十年か前につくられたものだ。一応校則には記載されているのだが、それを実際に着ている生徒などいない。みずはが入学してくるまで、全校で一人もいなかった。

 0を1にふやしたのだから、どうしたって目立つ。しかもそれを入学式からいままでずっと続けている。わけがあるのか無いのかは須見の知るところでなかったが、わけがあるにせよ無いにせよ一癖ふた癖はありそうだった。

「俺、あいつ苦手。いっつもむすっとしてるし」小声で中本が言った。席を廊下側にとって、極力接触を絶つつもりらしい。そういえば中本はみずはと席が隣だった。何かあったのかもしれない。

「あ、須見くん、中本くん」

 明るい声で入ってきたのは春子だった。

「あれ、春子ちゃんもここ?」中本がいきなり元気よくなった。

「そう。えー、中本くんも? すごーい、びっくりしたあ」

 普段はあまりその口調を是とはしないが、このときばかり須見は春子に感謝した。こおった雰囲気をさっと掃いてくれたからだ。

「あれ」

 次に来たのが森泉だった。知っている人間ばかりだ。これは天の助けかもしれないと須見は普段まったく祈らない神に感謝した。

「え、まさかのかぶり? 何も示し合わせてないのに?」

「すげー確率」

 中本が嬉しそうに言った。わかりやすい。反対に森泉はいつもの一本調子で、この状況を喜んでいるのか後悔しているのかわからない。

「いや、俺はほんとは他のクラスにしようとしてたんだけど、開講中止になってさ」

「まじで? 何とったんだよ」

「不確定性原理」

「それ、とる前から中止になりそうだと思わなかったのか」

「思わんかった」

「思えよ」

「よーし、揃ってるかー」

 足音を立てて、立石先生が入ってきた。三十代半ばの男性教師だ。声が大きく、年中日に焼けているので一見すると体育教師のようだが、普段は歴史を担当している。

「よし、じゃあこれから一年、このクラスを」

「先生、ちょっと待ってください、まだ一人います」

 春子が手を挙げて言う。

「ん?」

「すいまっせん、遅れました! 迷っちゃって。……あれ、直? なんで?」

 教室中の注目を浴びて、蒔が扉を開けた。わ、と須見は小さく口に出していた。


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