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海辺の高校  作者: 仲原洋
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「ただいま電話に出ることができません。ぴーっという音の後に」というアナウンスを聞いて、須見直孝は電話を切った。もう三度目だ。確実に寝坊している。

母親に「いってくっから」と挨拶をした後、靴をはいて玄関を出た。風が強いがまあ我慢できなくも無い。須見の学校の制服は厚ぼったくて野暮ったいが、風を防ぐには役に立つ。学校まではバスを二つ乗り継いでいくのだが、須見は停留所とは逆の方向に足を向けた。

 歩いて五分、須見は古いマンションの3階にいた。303号室の扉をたたく。はじめは朝早いこともあって遠慮気味にたたいていたのが、応答がないこともあってだんだんエスカレートしていった。何べん目かのどんどんで、やっと中のチェーンが外れる音がした。がちゃと扉を開けたのは、まだパジャマで素足の蒔だった。

「まだ寝てたの? もう7時50分だってのに」

「うん」

蒔はこっくりとうなずいた。その髪がやけにうねっているのは、パーマではなく単なる寝癖である。

「バスは10分なんだから。早くしないと」

「うん、わかった。ちょっと待ってて」

 蒔は洗面所へのそのそと歩いていった。室内へ通された須見は、リビングの椅子に腰掛け携帯を取り出した。パズルゲームを起動させたが、ゲームをしている間も画面上部の時計表示が気になってしかたない。1面もクリアしないでやめにした。

蒔は洗面所から自分の部屋、納戸といちいちいったりきたりしていた。いったりきたりするたびだんだん身なりが整っていくのが少し面白かったが、しかし今須見の頭はほとんどバスの出発時刻でしめられていた。何しろ高校初日である。中高一貫だから、周りのほとんどは顔見知りだが少しは高校からの入学者もいる。その上クラス替えもある。少なからず緊張する。なるべく早めに学校に着いておきたい。ただし早く登校したからといって、それだけ心が安らかになるというのではない。むしろ緊張の発生原因場所にいるのだから、その分余計に胃を痛めることになる。中学校の入学式のときもそうだったし、部の発表会のときもそうだった。しかしだからといって遅く行くことはできない。遅刻するのではないか、しなければいけない手続きが学校で待っているのではないか、と心がうわずってしかたがない。つまり早く行こうが遅く行こうが安寧を得られないことに変わりはない。ただ遅刻よりは早出のほうが校則にそっているという点ではわずかに有利なので、そちらに気持ちがかたむいている。

蒔の支度がようやくととのったのは、8時12分だった。二人は走って停留所に向かい、いつものバスの2本後のものに飛び乗ることができた。

「あー、疲れた

 バスの手すりにもたれながら、蒔は息を切らせた。ついさっき整えたはずの髪は、風でなぶられいくぶん乱れている。真新しい制服も身体の線からずれているようだ。ただしこれは走ったせいだけではなく、制服の大きさに身体がおいついてないからかもわからない。

「昨日また夜更かししたの?」

「うん、ケータイのゲーム、ほら直に教えてもらったやつ、あれの3面がなかなかクリアできなくて」

「何時まで起きてたの」

「え、わかんない。ベッドの上で寝ながらやってて、気づいたら朝だったし」

「ちゃんと寝なきゃあ、初日なのにさ。身体にもよくないし」

言いながら、須見は目の前のけらけら笑っている蒔にある意味感心した。蒔は中学校までは家の近くのところへ通っていた。そして高校受験のときに須見の学校を受験して、今日新入学を迎えたのだった。中高一貫で、ある程度の人間関係が出来上がっているところに入るのである。須見なら真っ先に志望校からはずす。 それなのに、蒔はまったく緊張感というものが無いように見える。むしろ須見のほうがよほどがちがちとしている。昔からそうだったが、蒔は心から太平主義にできている。

学校についたのは8時32分だった。朝礼が45分からなので十分間に合う計算だが、須見は急ぎぎみに下駄箱を開け、乱暴に上履きをはいた。クラス分けは廊下の掲示板にはり出されていて、その下に幾人かの生徒がしゃべりあっている。

須見と蒔は並んで紙を見上げた。

「わたしどこかな、直わかる?」

「見つからん?」

「見つからないってか、上のほうが見えない」

背の低い蒔は、一所懸命あごを持ち上げてもなかなか紙の上のほうまで見られないらしい。須見は代わって紙の上から下まで検分してやった。

「あ、あった。有野蒔、4組」

「お、4。直は?」

「俺は……あ。3だ」

 なんだ3かあ、4にすればいいのにと蒔は無理なことを言っていた。その間に須見は3組の名前をあらかたチェックし、その中に中本信也と森泉弥彦の名前が含まれているのを知ってほっとした。中本と森泉の二人は中学からの友人だった。

 3組の教室の前で、須見と蒔は別れた。「じゃ、また後でー」蒔はひらひらと手を振って、4組の中に消えていった。

 席は新学年の恒例で、出席番号順に座るようになっていた。前から4番め、廊下から3列めの平凡な席順である。まわりに座る生徒はほとんど話をしたことがないものばかりだった。須見があいまいにあいさつをすると、むこうでもあいまいに会釈をかえした。とりあえず敵対性の関係はさけられそうだが、まだまだ気を許すというところまではいかない。それで須見は机にかばんを置くと、中本の側へよっていった。

「よ」

「うん」

 ごく簡便にあいさつをすまし、教室中をみわたすと森泉の姿が見当たらない。

「森は?」

「まだ来てないっぽい」

「遅いなあいつも。間に合うかな」

「どうせ入学式だけなんだから、あいつのことだし今日は休むかもな」

 森泉の学校行事に重きをおかないのは甚だしいので、中本の言うこともあながちあたっているかもしれない。そう須見が考えた時、当の森泉ががらがらと後ろ戸をひいてあらわれた。

「お」とあいさつにもならないようなあいさつをする。

「遅かったな、サボリかと思った」 中本がそう言うと、森泉は「そういう手があったな」と少々後悔の声を出す。どうも考え付いていたら実行する気は充分あったようだ。

「本当はもう少し早くついちゃいたんだけど、上履き忘れて」

 見るとその通り、森泉の足元はぺたぺたと茶色のスリッパである。しかもその上ズボンのすそがほつれている。

「でもあんま高校生って気がしないな。俺間違えて最初中学のほうの玄関行ってさ、靴脱ぎかけてはっと気づいたし」

「変わったの校舎くらいだしな」

 二人は平常と変わらない態度だったが、須見は一人緊張していた。しかしそれを口にだしたくはなく、うんうんと調子をあわせておいた。

 その日は入学式とガイダンスで学校は終わりになった。11時すぎ、教室を出た須見はぐるぐると首をまわした。すこし肩が凝ったようだった。

「直ー」

どこにいたか、蒔がうしろからぶつかってきた。

「メールみてないっしょー」

「メール?」

「やっぱしー。いっしょかえろーって送ったのにさ。1時間も前に」

「あー、ごめん、見てなかった」

「メールの意味ないっしょ、それじゃーさ。まいいや、かえろかえろ。おなか減った」

 その時廊下を一人の生徒が通りかかり、「蒔ちゃん帰るの?」とたずねた。

「うん、帰る。春子ちゃんは?」

「私、部室に行かなきゃいけないから。そしたらまた明日ね」

「わかった、明日ねー」

 蒔が話しているのは瀬川春子だった。中3のとき、須見と春子は同じクラスにいた。「あ、須見くん」

春子は初めて気がついたというように、須見にも声をかけた。「何組になった? そっかー、3かあ。離れちゃって残念だね。また遊ぼうね」

 ここで大事なのは、春子と須見はまったく親しくしていなかった点である。1年間で言葉を交わした回数は両手で足りる。遊ぶといっても、一緒にどこかへ出かけたのはクラスの体育祭打ち上げでカラオケへいったことがあるだけだ。春子はつねに誰にもにこやかにやさしく、加えて美人だった。背が女子にしては高く、短くしたスカートで長い足を惜しげもなく見せている。胸まである髪はきれいにそまってさらさらしている。色が白く、目が黒目がちに大きい。

だから中本などは、春子を学校一に素晴らしい女の子と考えている。機会さえあれば春子と接触をもとうとし、春子のほうでもそれをいつもの通りにこやかにやさしくむかえるものだから、中本の舞い上がりはなお加速する。中本のような舞い上がりかたをする男子は学年中ごろごろしていて、その中には本人へ告白するのもけっこういる。しかしそのほとんどはにこやかにやさしく断られ、それでも翌日から春子の態度が常と変わる訳でもないので、ふられてなおやさしくされる、という千日手の状態に置かれてしまう。

須見も春子が美人であることに異存はない。ただそれが恋愛感情とは別の部分で処理されている。美人だと思うことは思うが、だからといってもっと親しくなりたいとは考えない。実行はもっとしない。なぜならそっちの方面へ自分をもっていけば、収入にくらべて支出が大き過ぎると考えるからである。すこし話す回数が多くなったり一緒に遊びにいけたりしても、行き着くところは千日手だ。それなら外から眺めていたほうが、収入はわずかだが支払いの心配はない。

「もう友達つくったの?」

「そう、春子ちゃん。ちょうきれーじゃない? 席が隣りで」

途中で寄ったマックでフィレオフィッシュをほおばりながら、蒔は無邪気に言った。

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