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雷鳴とラズベリー

作者: パクル

深い森の奥に、小さな家がある。

地図にも載っていないが、古い伝承には「癒しの森の隠れ家」として知られている場所だ。


そこに住んでいるのは、かつて“雷鳴のグラン”と呼ばれた伝説の冒険者、グランじいさん。

その名を聞けば、かつて世界を脅かした魔王ヴァルディアとの戦いを思い出す者も多い。


彼は若かりし頃、雷を纏う魔剣を振るい、たったひとりで魔王の軍の突破口を開いた。

砦が落とされかけたとき、空を裂く雷とともに現れた彼の姿に、兵士たちは勇気を取り戻したという。


三日三晩続いた魔王との一騎打ちの末、魔王を討ち倒したとき、彼は全身傷だらけだった。

そして勝利の宴を拒み、静かに姿を消した。


「英雄が望むのは、静かな余生じゃ」


それが彼の最後の言葉だと噂されている。


しかし、本当の最後は違った。

傷ついた身体と疲れ果てた心を抱えて、グランは森へと迷い込んだ。

戦いの記憶にうなされ、剣を握る手が震えるほどに、心はすり減っていた。


そんな彼を見つけ、救ったのがエリアだった。



彼女はエルフの癒し手。魔法も使えるが、花を愛し、静かな暮らしを好んでいた。


「剣を捨てて、土を耕してみて。命を奪う代わりに、育ててみて」


その言葉に、最初は戸惑ったが、次第にグランの中で何かが変わっていった。


畑の土に触れ、芽が出て花が咲くのを見るたび、心の傷は少しずつ癒えていった。



今の彼は、もう雷鳴を纏うことはない。ただ、エリアのために薪を割り、畑を耕し、薬草を干し、ラズベリーを育てる。


かつて世界を救った英雄は、今や森でただの“頑固なおじいさん”として暮らしていた。

だが、エリアにとって、彼はどんな英雄譚よりも尊い存在だった。


時には、静かな夜に焚き火を囲みながら、グランがぽつりと過去を語ることがあった。


「ヴァルディアの剣さばきは…あれは凄まじかった。やつの瞳には、恐れも迷いもなかった。まるで、生まれながらの破壊者じゃったな」


そう語るグランの目には、どこか遠くを見つめるような光が宿っていた。

それは、彼が何度も、命を賭ける選択をしてきた者のまなざしだった。


「でもね、グラン。あなたがその命を賭けてくれたから、今の平和があるのよ。私たちのこの暮らしも」


エリアは優しく、グランの手に自分の手を重ねる。

それは細くて柔らかく、しかし確かに温かかった。



時の流れは、ふたりに静かに寄り添っていた。


朝は鳥のさえずりとともに始まり、エリアが丁寧に入れた薬草茶を飲みながら、ふたりで今日の天気や畑の作物について話す。

午後にはふたりで森の中を歩くこともある。グランの足取りはもう軽くはないが、エリアがそっと腕を添えてくれる。


「もう年じゃからのう」


「年を取るって、悪いことじゃないわ。あなたが年を重ねてくれたから、私はこうして傍にいられる」


その言葉に、グランはふと目を細める。

――もし、戦いの中で命を落としていたら、この時間はなかったのだ。


ふとした拍子に、グランは時折不安を口にする。


「わしが逝ったあと、お前はどうする?」


「…たぶん、しばらくは泣くわ。でも、いつかまた笑えるようになる。あなたと過ごした日々が、私を支えてくれるから」


その答えに、グランは何も言えなくなる。

ただ、小さくうなずいて、エリアの手をそっと握り返す。



ある冬の夕暮れ。

雪がしんしんと降り積もり、森が音を失っていく中、エリアが暖炉の前でラズベリーパイを焼いていた。


「グラン、今日はハチミツ多めにしたわよ。甘いの、好きでしょう?」


「ふむ…まるで、甘やかすのが仕事のようじゃな」


「うん。私の生きがいだもの」


ふたりは顔を見合わせて笑い、パイを頬張る。

グランの目尻には、雪の光を映した涙のようなものが滲んでいたが、何も言わなかった。


ただ、温かい味と、隣にある確かなぬくもりがあれば、それでよかった。


違う種族、違う寿命。

時間の流れも、生きる速さも違うふたり。だが、それでも心は同じ時を歩いていた。


グランは思う。

もう剣を振るうことはない。けれど、エリアの笑顔を守るためなら、老いたこの体でももう一度立ち上がれると。


今日もまた、雪が降る。

白い静けさの中、薪のはぜる音と、ふたりの笑い声が、小さく、優しく、森に響いていた。

そしてその日々こそが、真の“英雄譚”なのだと、誰もが知らぬままに、森は静かに見守っていた。

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