71話(後編) 繋がり始める記憶 - 再会、そして示された過去
王宮の静かな一室。アリアは、少し緊張した面持ちでエレノアの前に立っていた。フードに静かに包まれたイリスが、小さな顔を覗かせている。
アリアはそっとイリスの頭を撫で、
「この子はイリス」
と、慈しむような声で紹介した。
エレノアの視線は、不思議な光を放つスライムに釘付けになった。警戒しながらも、その色彩に惹かれるように、そっと手を伸ばしかける。
アリアは微笑んで、
「大丈夫。優しい子なの」
と囁いた。
二人の間には、穏やかな空気がゆっくりと流れ始めた。
「あのね、エレノア様」
アリアは、言葉を選びながら話し始めた。アルトリア王国で起こったこと、そして、エレノアの両親について知った事実。一つ一つ、丁寧に、けれど率直に伝えた。
エレノアの瞳が、信じられないものを見るように揺れた。予期せぬ言葉の数々に、息をのむ。それでも、アリアの真剣な眼差しを受け止め、懸命に耳を傾けた。
「エレノア様の……お生まれについて、何か、覚えていらっしゃることはありますか?」
アリアは、そっと問いかけた。
エレノアは目を閉じ、遠い日の記憶を手探りで辿り始めた。幼い頃の断片的な映像、ぼやけた輪郭の風景、そして、誰かの優しい声……。曖昧で掴みどころのない記憶の破片が、頭の中でゆっくりと形を変えていくようだった。
「リリア様のご一家の……悲しい出来事についても、何かご存知ないでしょうか?」
アリアは、さらに言葉を重ねた。エレノアの表情を注意深く見つめながら。
エレノアは、眉をひそめた。リリアという名前に、かすかな痛みが胸の奥を刺す。けれど、具体的な記憶は、深い霧の中に閉ざされているようだった。
アリアは、静かに懐から小さな箱を取り出した。古びた木製のオルゴール。丁寧に磨かれたその表面には、繊細な彫刻が施されている。
「これ……」
アリアは、そっとオルゴールをエレノアの前に差し出した。
エレノアの瞳が、その瞬間、大きく見開かれた。まるで、時が止まったかのように、彼女はオルゴールに釘付けになった。その形、その質感、そして何よりも、そこに刻まれた模様。それは、彼女が幼い頃から大切にしていた、もう一つのオルゴールと、信じられないほどよく似ていたのだ。
心臓が、激しく脈打つ。胸の奥に眠っていた何かが、ざわめき始める。それは、遠い記憶の扉を叩く、微かな音だった。
「これは……」
エレノアは、震える声で呟いた。指先が、まるで磁石に吸い寄せられるように、オルゴールに触れようとする。
アリアは、エレノアの反応を静かに見守っていた。このオルゴールが、彼女の閉ざされた記憶の扉を開ける鍵となるかもしれない。そう、アリアは強く感じていた。
エレノアの指が、ゆっくりとオルゴールの表面をなぞる。木の手触り、細やかな彫刻の感触が、手のひらを通して、記憶の奥底へと響いていく。
「この模様……」
エレノアは、かすれた声で言った。
「私の持っているオルゴールにも……」
言葉は途切れ途切れだったが、その瞳には、明らかな動揺と、そして、かすかな光が宿っていた。
アリアは、エレノアの言葉を遮らず、じっと見守った。今、彼女の中で、何かが確かに動き始めている。長らく忘れ去られていた記憶の断片が、ゆっくりと繋がり始めようとしているのだ。
「どんな模様ですか?」
アリアは、優しく問いかけた。焦らすことなく、エレノア自身のペースで言葉を探すのを待った。
エレノアは、目を閉じ、懸命に記憶の糸を辿ろうとしていた。幼い日の温かい手の感触、優しい歌声、そして、いつも傍らにあった小さなオルゴール。その表面に刻まれた、小さな花の模様……。
「小さな……白い花……」
エレノアは、ようやく絞り出すように言った。
「確か……五つの花びら……」
アリアは、手に持ったオルゴールの模様を注意深く見つめた。確かに、そこには、小さな五弁の花が繊細に彫り込まれている。
「リリア様のお家で、このオルゴールを見つけたんです」
アリアは、静かに告げた。
「リリア様も、同じようなオルゴールを持っていたのかもしれません」
エレノアの顔から、全ての色が消え失せたように見えた。リリアという名前、そして、目の前のオルゴール。二つの点が、彼女の中で、重なり始めたのだ。
「リリア様と……私が……」
エレノアは、混乱したように呟いた。
「どうして……」
アリアは、エレノアの肩にそっと手を置いた。
「まだ、全てが明らかになったわけではありません。でも、きっと、何か繋がりがあるはずです」
エレノアは、アリアの温かさに、わずかに安堵したようだった。けれど、その瞳の奥には、拭いきれないほどの戸惑いと、そして、ほんの少しの期待が入り混じっていた。
「私の……両親は……」
エレノアは、再び問いかけた。その声は、先ほどよりもいくらか力強さを取り戻していた。
アリアは、覚悟を決めて、エレノアの目を見つめ返した。
「アルトリア王国で、古代魔法の研究をしていた研究者です」
その言葉は、静かに、けれど確かに、エレノアの心に深く突き刺さった。エレノアは、息をのんだまま、言葉を失った。信じられない、というよりも、あまりにも衝撃的な事実に、思考が追いつかないようだった。
自分が、遠い異国の研究者の娘である。そんなこと、今まで一度も考えたことがなかった。けれど、アリアの言葉は、確かな重みを持って、エレノアの心に響いた。
「そんな……」
エレノアは、ようやく絞り出した。
「私の両親が……古代魔法……?」
アリアは、静かに頷いた。
「そうです、エレノア様。あなたは、アルトリア王国で古代魔法を研究していたご夫婦の娘なのです」
エレノアは、目の前のオルゴールを、そしてアリアの顔を、交互に見つめた。頭の中で、様々な感情が渦巻いていた。驚愕、混乱、そして、ほんのわずかな希望。
「でも……なぜ、私はここに……?」
エレノアは、問いかけた。幼い頃の記憶は曖昧で、自分がどのようにしてこの国に来たのか、全く思い出せない。
アリアは、ゆっくりと息を吐き、語り始めた。アルトリア王国で起こった悲劇、ご両親の願い、そして、エレノアがこの国に託された理由……。一つ一つ、丁寧に、けれど心を込めて伝えた。
エレノアは、アリアの言葉に、食い入るように耳を傾けた。それは、まるで遠い国の物語を聞いているようでありながら、同時に、自分の過去と繋がっていく、紛れもない真実だった。
語り終えたアリアは、エレノアの顔を注意深く見つめた。その瞳には、まだ多くの疑問と不安が宿っていた。けれど、同時に、何かを受け止めようとする、強い光も感じられた。
「エレノア様」
アリアは、優しく呼びかけた。
「辛いことばかりだったかもしれません。でも、あなたは一人ではありません。私たちが、いつもあなたのそばにいます」
エレノアは、アリアの温かい言葉に、そっと頷いた。まだ、全てを理解するには時間がかかるだろう。けれど、今日、確かに何かが始まったのだ。閉ざされていた過去の扉が、ゆっくりと開き始めた。そして、その先に何が待っているのかはまだ分からないけれど、エレノアは、アリアと共に、その真実を見つめていこうと、静かに心に誓ったのだった。
71話(後編):終わり
〈登場人物〉
* アリア:前世の記憶をったままこの世界に転移してきた女性。市井の占い師。王都に戻りエレノアと再会し、過去の真実を伝えようとする女性。
* エレノア:元女官の王宮魔術師団長。アリアの仲間。幼い頃の記憶を失っている。
* イリス:アリアの仲間。虹色の不思議なスライム。
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※このお話の舞台はヨーロッパ風異世界であり、現実世界の歴史とは一切関わりありません。
作中に出てくる 国・文化・習慣・宗教・風俗・医療・政治等は全てフィクションであり、架空のものです。
あくまで創作上の設定としてお楽しみいただけますと幸いです。
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