281話 砂の果ての遺跡群 - 揺らぐ影、近づく人化
砂漠の風が弱まり、視界がゆっくりと開けていった。
熱気に揺れる大地の向こう側――砂丘が切り落とされた崖の下には、まるで別世界が口を開いていた。
「……おお……!」
最初に声を上げたのはプエルだった。
崖の縁に駆け寄り、きらきらした目で下を覗き込む。
「何これ! 街? ……じゃなくて、でっかい石の箱? 箱がいっぱい積み上がってるよ!」
「遺跡だよ、プエル。触ると危険な場合もあるから、まずは周囲の確認が先だ」
ルクスが慌てて腕を伸ばし、プエルのフードをむぎゅっと掴んで後ろに引っ張った。
“むぐっ”と変な声がプエルから出る。
「だ、だいじょぶ! 触らないって! ただ見ただけだから!」
「その“見ただけ”が触るのと同義になりがちなのが、君の恐ろしいところなのだよ……」
ため息混じりのルクスに、仲間から小さな笑いがこぼれる。
エリオットは崖下への道を確認し、杖で地面をつついた。
「砂の層は安定してる。風で削れて崩れることもなさそうだな」
マコトは目を細め、遠くの砂煙を読み取る。
「……北側はだめだ。風が逆巻いている。下降するなら、右の尾根からが安全」
「おっけー、了解!」
エリオットが軽く杖を回し、シュウへ視線を向ける。
シュウは千里鏡の膜を小さく開き、王都組との通信を確認していた。
「うん、通信は通ってる。みんなの体力も、今は問題なし。モルンも大丈夫?」
と、アリアの腕に抱かれていた小さな竜――モルンへ視線を落とす。
モルンは小さく喉を鳴らし、アリアの影にそっと触れた。
陽の当たらない影の部分が、まるで液体のように“ゆらり”と揺れる。
「……?」
アリアが首を傾げた次の瞬間だった。
影が勝手に伸び、地面に“人の肩と腕”のような輪郭を一瞬だけ形作る。
「え……?」
「モルン、それ……人化の兆候?」
アリアがそっと問いかけると、モルンはこくん、と頷いたように尻尾を動かした。
その影はすぐに元へ戻ったが、確かに“輪郭”は存在した。
「ふむ……影循環の安定が進んでいる証拠だね」
ルクスは興味深そうに目を細める。
「この遺跡には古代の竜の魔力も流れている。影が反応したのかもしれない」
モルンはアリアの腕からひょこっと顔を出し、遺跡の方向へ向けて低く鳴いた。
“いそげ”とも“なにかがよぶ”とも聞こえる声だった。
その時、足元で“にゃっ”という短い声がした。
月読猫がアリアの足元にすり寄り、尻尾をぴしっと立てる。
その尻尾はまっすぐ遺跡群の中央――巨大な石塔へ向いていた。
「月読さん……落ち着かないの?」
アリアが抱き上げると、猫は胸元に顔を埋め、喉を鳴らす。
しかし目だけは遺跡から離さなかった。
言葉はまだ発せない。
けれど――知らせたい意思が、指先で触れるほど明確に伝わってくる。
マコトが静かに呟いた。
「……“呼ばれている”反応だ」
「呼ばれてる?」
アリアが聞き返す。
「猫は本来、魔力の流れに敏感だ。とくに月の気を持つ存在なら、なおさら……この遺跡、ただの建造物じゃない」
ルクスが補足するように言った。
「古代星霊の痕跡が残っている。しかも……かなり深い層のものだ」
シュウが息を呑む。
「深い層……って、塔みたいな?」
「塔より古い可能性すらあるね」
静かな風が吹き抜けた。
ただの砂漠ではない。
ただの遺跡でもない。
なにか“鍵”が眠っている。
それを、月読猫も、モルンも、イリスも――
よく知っているかのように。
「よし、行こう。ここまでは順調だし、今のうちに遺跡群へ降りるよ」
アリアが声を出すと、皆が頷いた。
エリオットが先頭に立つ。
「ルートはマコトの言う通り、右の尾根な。足場が崩れやすいから気を付けていけよー!」
「はーい!」
プエルが元気よく返す。
ルクスはプエルの背に手を置いた。
「本当にわかっているのかな……」
「大丈夫大丈夫! 万が一落ちたら、ルクスが助けてくれるし!」
「全く説得力がないのだけど!?」
皆が笑いながら隊列を整える。
シュウはアリアに並び、月読猫の様子を確認する。
「……まだ喋らないけど、表情が豊かになってるね」
「うん。なんていうか……“知ってる道に帰ってきた”みたいに見えるの」
アリアの声は少し震えていた。
月読はふにゃ、と喉を鳴らし、アリアの頬へ頬を寄せた。
モルンはその様子に小さく鳴き、影がふっと伸びてアリアの影に重なった。
“まもる”という意思のように。
やがて足場が砂地から石畳へ変わり、風の音が低く反響し始める。
遺跡群の入口――そこは、砂漠に埋もれた古代城塞のようだった。
重厚な石の壁、崩れたアーチ。
壁面には見たことのない文様が彫られている。
プエルが目を輝かせた。
「……すごい……ほんものの迷宮だ……!」
ルクスは頬をひくつかせた。
「言ったね? プエル。迷宮って言ったね?
……ということは、迷う可能性があるということで……」
「へ? 迷ってもルクスがいるじゃん!」
「なぜ僕を迷子引受役の前提で見るんだ!?」
また皆が笑った。
だが、その中でアリアは遺跡の中央をじっと見つめていた。
少しだけ震えている月読猫。
影の輪郭が揺らぐモルン。
光を変化させて落ち着かないイリス。
これは――ただの調査じゃない。
“この遺跡は、私たちを待っていた。”
そんな確信が、アリアの胸の奥に静かに落ちた。
「……行こう。きっと、必要なものがここにあるから」
その声に、皆が前を向いた。
こうして、砂漠の果ての遺跡群の探索が始まった。
――282話へ続く




