244話 オアシスの影と伝承 - 共にある力
オアシスの村に滞在して二日目の朝。 涼しい風に包まれながら、アリアたちは子どもたちの笑い声で目を覚ました。
村の井戸の周りでは、早起きした子供たちが水を汲み、じゃれ合っている。動物たちも群れになって水辺に集まり、砂漠の厳しさとは対照的な穏やかな風景が広がっていた。
――だが、その一角だけは違っていた。
「……あそこ、妙だな」
エリオットが視線を向けたのは、井戸から少し離れた小屋の陰。
そこに近寄ろうとした子どもが突然泣き出し、犬が牙をむいて吠え立てていた。
「怨念の気配……」
アリアが眉を寄せた瞬間、足元をぽよんと揺れる影。イリスが小さく跳ね、警戒を示す。
「子どもたちが近づけなくなってる。放っておくわけにはいかないね」
シュウが一歩前に出て、村人に声をかけた。
「ここに住む者ですか? 何か最近変わったことは?」
怯えた村人が答えた。
「ええ、三日前からです。ここに住んでいた老婆が病で亡くなりまして……それ以来、夜になると泣き声のようなものが聞こえて……」
「なるほど」
シュウは静かにうなずき、アリアの方を見た。
「アリア、俺と一緒にやろう」
「うん」
二人は小屋の前に立ち、掌を合わせる。アリアは祈りの光を紡ぎ、シュウは母の形見のペンダントを手に祈りを重ねる。
「どうか、安らかに。ここに縛られることなく――」
すると、黒いもやのような影が小屋の隙間から漏れ出してきた。子どもたちが息を呑み、動物たちが身をすくめる。
「きゃっ!」
怨念が子どもの方へ伸びかけた瞬間、エリオットがすかさず盾を構えて前に出た。
「俺の後ろに!」
盾が淡い光を帯び、怨念をはじき返す。
「今だ、アリア!」
「ええ!」
アリアとシュウの祈りが重なり、光が影を包み込んでいく。 怨念は苦しむように震えたが、それでも完全には消えきらず、黒い残滓が地に残った。
そのとき――
「ぽよん!」
イリスが飛び込み、虹色の体を震わせて影を包み込む。ふわりと広がった光が黒を吸い込み、跡形もなく澄んだ空気に変えていった。
「……やったの?」
子どもが恐る恐る問いかける。
「大丈夫。もう怖くないよ」
アリアは優しく微笑み、子どもの頭を撫でた。
*
浄化が終わった後、村の中央の集会所に招かれたアリアたち。
年長者の老人がゆっくりと口を開く。
「よくぞ助けてくれた……。だが、驚くことではない。砂漠では、ああした影は珍しくないのだ」
「珍しくない?」
ユリウスが怪訝そうに問い返す。
老人は井戸の水をすくい、手のひらから地面へ落としながら語り始めた。
「昔、この砂漠のどこにでも怨念は湧いた。旅人が飢えて倒れれば、悔恨が影となり、動物が死ねば嘆きが渦を巻いた。砂漠とは、命が過酷に散る場所。だから、怨念もまた自然の一部なのだ」
アリアは驚いて息をのむ。
「……自然の、一部……?」
「そうだ。わしらは怨念を消し去ることはできぬと知っている。だが、共存する術はある。水場に印を置き、影が広がらぬよう結界を築く。影を嫌う香を焚き、循環の流れに委ねる。それが我らの知恵だ」
ユリウスは腕を組み、エリオットは「なるほどな」と低くうなずいた。
一方でアリアは黙り込み、自分の胸に問いかけていた。
――私は、ずっと「怨念を消す」ことにこだわってきた。 けれど、ここでは「消す」ことではなく、「共にある」ことが当たり前になっている。
「……私、まだまだ知らないことがたくさんあるんだね」
アリアが小さくつぶやくと、隣にいたシュウが静かに微笑んだ。
「だからこそ、一緒に学んでいける。焦らなくていい」
イリスが「ぽよん」と跳ね、慰めるようにアリアの肩にのった。
村の暮らしと知恵は、アリアの心に新たな種を蒔いていく。 それはやがて、彼女自身の成長へと繋がっていくのだった。
*
「ねえ、あのお姉ちゃんたち、すごかった!」
「影を消したんだよ! 魔法みたいだった!」
怯えていたはずの子どもたちが、今は目を輝かせてアリアや仲間たちを囲んでいる。
一匹の小さな山羊の子まで、ぴったりとユリウスの足元に寄り添い、離れようとしない。
「お、おい……なんで俺のところに……」
ユリウスが困ったように見下ろすと、エリオットが肩を揺らして笑った。
「懐かれてるじゃないか。珍しいな」
「からかうな」
そう言いつつも、ユリウスの手は自然と山羊の背を撫でていた。
その時、ふわりと空気が揺れる。
炎の明かりに照らされて、青白い光の粒がいくつも舞い降りてきた。
「……精霊?」
アリアが呟くと、小さな風の精がアリアの指先に止まり、楽しげに髪を揺らした。
「ふふっ……くすぐったいよ」
さらに水の精が現れ、シュウの手元に浮かんで光を灯す。
シュウは驚いたように瞬きし、少し照れた声で言った。
「俺にまで……? 珍しいな」
「シュウは癒す人だから、精霊も安心するんだよ」
アリアが微笑むと、風の精が「そうだ」と言わんばかりに小さく旋回して見せた。
「わぁ、虹色のスライムだ!」
イリスを見つけた子どもたちが歓声を上げる。イリスは「ぽよん」と跳ね、子どもたちの周りをぐるぐると回り、追いかけっこを始めた。
すると、精霊たちも楽しげに輪を作り、イリスの跳ねるたびに光の花を咲かせた。
モルンもまた、小さな姿のまま子どもたちに囲まれていた。翼を畳んで大人しく膝に乗せられているモルンの周囲には、火の精霊がぽうっと揺れて寄り添い、守るように羽を照らしている。
「……あの竜も、悪くない子守役になりそうだな」
エリオットが小声でつぶやくと、ユリウスが苦笑しながら
「竜が子守……前代未聞だな」
と返す。
笑い声と光が村を満たしていく。怨念の影を祓ったばかりとは思えないほど、明るく温かい空気だった。
アリアはその光景を眺めながら、静かに息をついた。
「……よかった。怨念が残っていたら、こんな笑顔も、精霊の加護も見られなかった」
隣に立つシュウが頷き、少しだけ口元を緩めた。
「この村の知恵と、精霊や獣たちの力……それがあってこそ、守られてきたんだな」
アリアは深く頷いた。
「うん……きっと、ここで学んだことは、私たちの旅にも役立つ」
柔らかな笑いと温もりの中で、夜の砂漠に備える短い休息の時が、静かに流れていった。
ーーー245話へつづく




